8話 不思議な祭囃し
話が少し暗くなってしまったことに気づいたお婆さんは、空気を変えるように、ぱっと明るい声を出した。
「そういえば、お互いの名前も知らなかったねぇ。おばあちゃんの名前は、神代鼓美というの。年齢は、秘密よ」
そう言って、お婆さんはにこっと笑った。
「僕は、高山湊音です。今年……中学生になりました」
「あらまあ、高山さんとこのお孫さんだったのね。道理でしっかりとした中学生さんだわ」
どこか懐かしそうに、お婆さんは目を細めた。
◇ ◇ ◇
隣街まで行くというお婆さんと別れて、湊音は、山あいの小さな停留所でバスを降りた。
年季の入ったバスが砂埃を巻き上げて走り去っていくのを、山道のカーブに消えるまで見送る。
観光も兼ねたコースを走るバスは、少し遠回りだったが、ダムの上を通るのは初めてで、新鮮な気持ちになれた。
それから湊音は、山へ向かう道を1人で登り始めた。
鉱山跡を通り過ぎ。
ところどころ岩が露出して歩きにくい獣道を、慎重に進む。
藪を抜けた先で、眼下に現れたのは。
昨日も目にした、湖をせき止めるコンクリートの巨大な壁だった。
本来なら、そびえ立つ壁の上ぎりぎりまで、深いエメラルドグリーンの水をたたえているはずのダム湖。
だが目の前に広がるのは、水位が大きく下がり、湖底だった部分が所々露出した光景だった。
昨日は帰り時間を気にしていたせいか、気づかなかったが。
岸辺には乾いた泥が層を成してこびりつき。茶色く濁った湖水の中から、かつて水底に沈んでいたものの名残が、遠慮がちに姿を現している。
コンクリートの橋や、建物の基礎。
朱色がすっかり褪せた鳥居の頭が、水面から突き出している。
それらは、かつての人々の暮らしを生々しく伝えていた。
水が引いたことで、忘れ去られていた時間が呼び戻されたようだった。
ファンタジー世界の村を、偶然見つけてしまったような高揚感を覚えながら。
湊音は、ダムを見下ろす山肌に腰を下ろした。
箱を開けて、そっと鉱石ラジオを取り出す。
木の板と簡素な部品で作られた小さな装置。
それが特別な何かを秘めているように思える。
ダムのそばに立つ高い鉄塔に希望を託して。
黄鉄鉱の鈍い金色の結晶に細い針を当て、イヤホンを耳に押し込む。
わずかな電気的反応が起きる地点――ホットスポットを探して、針先を慎重に滑らせていくが。
聞こえてくるのは、ザーという砂が流れるような雑音ばかりだった。
「……ここでもダメなのかな」
がっかりと肩を落とした、そのとき。
ガサッと、視界の端で藪が揺れた。
顔を向けると、のそのそと藪から出てきたタヌキと目があった。
――ざあっ。
音が、突然、頭の中に流れ込んできた。
はっきりと、鮮明に。
モノラルイヤホンから聞こえてくるのは、どこのラジオ局とも知れない周波数。
太鼓や笛が入り混じった、賑やかな祭囃子。
その合間に、楽しげな少女の笑い声や、少年らしき話し声が重なっている。
言葉の内容までは聞き取れない。
それでも、その笑い声からは、楽しそうな雰囲気がはっきりと伝わってきた。
走り回る足音や衣擦れの音。
その場の空気がありありと感じられ、まるでどこかの縁日に、自分も紛れ込んでいるかのような気がした。
ふと見ると、手を伸ばしても届かない絶妙な距離に、タヌキがちょこんと座っている。
聞こえているはずはないのに、じっと耳を澄ましているように見えた。
湊音は、仰向けに寝転がった。
山の硬さを背中に感じたが、腕を枕にして、音に身をゆだねるように目を閉じた。
しばらくして目を開けると、青い空が広がっていた。
その視界のすみに、一番高い山の頂にかかる真っ白な雲が見える。
それは、綿菓子のようにもくもくと膨らんでいた。
青空に白い領域を広げながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
湊音は、バスの中で聞いたヤマオロシという山の主の話を思いだした。
思わず起き上がったが、ぶるぶると頭を振って考えを追い払う。
「山の天気は、変わりやすいって言うし……」
自分に言い聞かせるようにつぶやくと。
イヤホンを外して、湊音は帰り支度を始めた。
一人で乗った帰りのバス。
いつの間にか窓の外は、どんよりとした曇り空に変わっていた。
遠くから、雷の気配が忍び寄っていた。




