16話 山颪《ヤマオロシ》
頭上から、白い光の柱が降りてきた。
湊音がハッと顔をあげると、厚い灰色の雲には、ぽっかりと丸い穴があいていた。
その穴から現れた巨大な龍が、光の中をゆっくりと降りてくる。
雲をまとったその存在は、森羅万象そのもの。
深緑の鱗は淡く輝き、頭上には金色の角が天を指す。背には金色のたてがみが流れていた。
いつの間にか、祭囃しも消えている。
空気が震え、山々が低く共鳴していた。
――山颪。
この山々に古くから宿り、風と雨を司る超自然の化身。
人の信仰が生まれるよりも前から、ここに在り続けたもの。
ヤマオロシは、さっきまで荒れ狂っていた黒い竜の前で動きを止めた。
そして、ゆっくりと首を垂れる。
黒い竜は抵抗しなかった。
叫ぶことも、暴れることもなく。
長い悲しみの行き場を、ようやく見つけたかのように、その身を委ねた。
霧はほどけ、溶けるようにヤマオロシの身体へと吸い込まれていく。
怒りも、後悔も、未練も。
すべてを抱いたまま、ひとつの完全な姿へ。
再び空に戻っていく前に。
ヤマオロシは一度だけ、ダム湖を俯瞰した。
それは誰かの魂を鎮めるための祈りにも、別れにも見えた。
そしてその巨体は、雲の向こうへと昇り。
光に溶けるように消えていった。
残されたのは、雨上がりの匂いと。
長い嵐の後に訪れた静寂だけだった。
久しぶりの雨に洗われて、くっきりと見えた山々の稜線は、まるで誰かの腕のように湖を包み込み。
ダム湖もまた、静かに深い緑色を湛えていた。
◇ ◇ ◇
帰りの軽トラックで。
「ねぇ、おじいちゃん。……お父さんって、おじいちゃんの本当の子供じゃないんだってね」
窓の外を見ながら尋ねる湊音に、祖父は運転しながら肩をすくめる。
「……父さんから聞いたのか?」
「うん」
「そうだ。あの子はあの村の災害で親を亡くした孤児だった」
「でもお父さん、血の繋がりじゃないって。おじいちゃんとは、しょっちゅうケンカしてたけど、すごく仲が良かったって」
祖父は懐かしそうに笑って。
「ははは、そうだな。血の繋がりがなくても、それ以上の家族の絆は、ちゃんとあるもんだ」
視線を前に戻した湊音は、バックミラーの端に見覚えのある後ろ姿を見つけて。
「……あっ!」
思わず声をあげた。
信号が変わるのを待っていた軽トラックの後ろ。
反対車線にあるバス停で、停車したバスから降りてくるのは……
「ツヅミばあちゃん!」
「何? 誰だって?」
湊音は急いで車を降りると、歩行者信号が点滅し始めた横断歩道を、走り抜けた。
湊音がたどり着く前に。
扉が閉まり、ゆっくりとバスは発進していく。
そしてバスが去ったバス停には……
誰の姿もなかった。
そこに残っていたのは、雨に濡れた舗道と、風に揺れる草の影だけ。
「そんな、どうして……ん? あれは……」
道の脇に目を落とすと。
丸々とした茶色のお尻と、ゆらゆらと揺れる太い尻尾が、草むらに消えていくところだった。
「う、嘘……」




