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水底の記憶  作者: (//∇//)もじ


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14話 黒い霧


 湊音が目を覚ますと、見慣れた天井が目に入った。

 祖父の家にある、自分の部屋だ。


 ホッと胸をなで下ろすより先に、屋根を叩きつけるような激しい雨音が、別の不安を掻きたてる。

 まるで、空から一斉にバケツをひっくり返したような、凄まじい大雨だった。


 柱時計の針は、まだ夜明け前を示している。

 湊音の脳裏に、山で見上げた白い雲がよみがえってきた。


 やっぱりあれは、山の神ヤマオロシが連れてきた嵐の先触れだったんだ。


 ◇ ◇ ◇


 朝になっても雨は降り続いたが、雨足はだいぶ弱くなってきた。

 朝ごはんを食べるのもそこそこに。


「僕、ダムを見てくる!」


 飛び出そうとした湊音を、祖父が引き止める。


「待て、今は地盤が緩んで危ない。どうしても行きたいなら、トラックに乗れ」


 そう言って祖父は、軽トラックの鍵を手に取った。


 濡れた坂道を、軽トラックが慎重に進んでいく。

 ダムに続く観光用の道の先に。

 灰色の空と同じ色をしたコンクリートの壁が、谷を塞ぐようにしてそびえ立つ。


 ダムを見下ろせる展望台に着いた時。

 祭り囃子のにぎやかな音で満ちていたあの村の跡はすでに、ダムの底に沈んでいた。


 祖父が眉をひそめた。


「……なんだ、あれは」

 

 貯水湖の中心辺りから、ゆらりと、黒い霧が立ちのぼっている。


 霧のようでいて、風にも流されない黒い霧は。

 ゆっくりと溢れ出し、ダムの施設へと広がっていった。

 

 霧に包まれると。放水を知らせる為のスピーカーがショートしたように、バチッと音を立てて小さな火花を散らした。


 施設の中で点検をしていた職員や、ダムの様子を見にきた人々が。

 黒い霧に触れた途端、放心したように、立ちすくんでいく。

 彼らの目は開いているのに、焦点が合っていない。


 湊音と祖父の方へも、霧が迫ってきた。


「車に戻るぞ!」


 祖父が声を上げたが、間に合わなかった。

 霧が、二人を包み込んだ。


 黒い霧にのみ込まれた湊音は。

 頭の奥を直接撫でられるような感覚と共に、不思議な記憶が流れこんでくるのを感じた。

 

 ◇ ◇ ◇


 高度経済成長期。

 深刻化する電力不足を解消するため、政府は各地でダム計画を強引に押し進めていた。

 山あいの谷にあったその村も例外ではなく、計画を巡って村は反対派と推進派に真っ二つに割れ、互いに口もきかぬほど険悪な空気に包まれていた。


 村の神社に仕える神主の娘、鼓美ツヅミ

 彼女の嫁入り先として決められたのは、元町長の息子のもとだった。

 元町長は「ダム建設を推進する会」の会長でもあり、当時もっとも強い影響力を持つ人物だった。


 その息子の名は――高山昭一。

 湊音の祖父だ。


 反対派の象徴ともいえる神主。その娘ツヅミが、推進派の中心人物の家に嫁ぐことは、完全に分断された村の空気を、少しでも和らげるためでもあった。

 それは政治的な思惑を含んだ婚姻だったが、事情とは関係なく、二人は互いを想い合っていた。

 昭一自身も父に逆らい、ダム建設には反対の立場を取っていた。


 婚姻を控えた夜。

 神社の本殿から、黒い霧がゆらりと立ちのぼるのをツヅミは見た。


 霧はやがて黒い竜の姿へと変じ、自ら呼び寄せた黒雲を目指して空にのぼっていく。

 それは黒雲の塊となって激しい嵐を呼び起こし、山々に向けて次々と雷を落としていった。

 雷鳴とともに降りそそいだ雨は地盤をゆるめ、やがて巨大な土砂崩れとなって村へと迫る。

 その光景を目の当たりにしたツヅミは、言葉を失い、ただ立ちすくんだ。

 

 カゲロウにとってはツヅミが、唯一の理解者だった。

 人ならざる存在として生きる自分を恐れず、受け入れてくれた、かけがえのない存在。

 そこに抱いていた感情は、敬愛であり、そして恋慕に近いものでもあった。

 だからこそ、ダム計画と婚姻を知ったときの悲しみと怒りは、抑えきれるものではなかった。

 その感情が山を震わせ、やがて大災害となって村を呑み込んだ。


 国は、地質学的にこの谷を危険な土地だと判断した。

 そして災害対策という名目のもと、村の声を顧みることもなく、ダム建設を強引に決定した。


 挙式は延期され、ついにダムが完成する。


 そして、その日を境に――ツヅミは姿を消した……


 ◇ ◇ ◇


 まるで白黒のフィルム映画を観ているようだった。

 自分の記憶ではないはずなのに、目の前の出来事に心が引っ張られ、足が動かない。


 夢と現実の境目が溶け、今自分がどこにいるのかも湊音は分からなかった。


「……ここで何をしている……早く帰れ」


 頭の中に声が響いた。

 そして初めて現実に戻される。


 それは確かに、聞き覚えのある声だった。

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