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逃げ水

作者: 虫十無

 逃げ水が見える。いつでも見える。

 逃げ水なんて屋外で見えるものだろう。いや、最初は普通にそうだった。屋外で遠くに水たまりのようなものが見えて、でもその日の前はしばらく雨なんて降っていなかったはずだし打ち水する人がいるような場所にも思えなかったから逃げ水というやつだろうと思った。それまでは逃げ水なんて見たことがなくて知識としてそういうものがあるくらいの認識だったから初めて見てラッキーだなと思った記憶がある。けれどその日からよく見るようになって、段々と近くでも見えるようになった。そして近くで見えるようになる変化の次は屋内でも見えるようになった。変化するとなんだか体調も悪くなる気がした。最初は疲れやすくなった気がする程度だった。次第に頭痛が増えていった。基本的に健康体だったからこんなに頻繁に頭痛がすることなんてなかったから頭痛薬を飲む以外の対処もわからなかった。

 逃げ水はずっと見えている。最初はたまにだったはずなのに多分近づくにつれて頻度も高くなって、今ではずっと見えている。流石にパソコンとかスマホに集中してるときには気にしていないからか見えていないけれど、一瞬気を抜いたときに視界の端に見えて、驚いてそっちを見ると消えている。いつもの逃げ水かと思うときにはもうほかの場所に見えていて、そっちをちゃんと見たときに消えるかどうかはまちまちだ。それでも触れる距離になれば基本的に消えるし、触ってみたときに濡れていたこともない。

 逃げ水を見ると喉が渇く。逃げ水を見たときにそういえば水を飲んでいなかった気がするなとなって水を飲んでいたら、ずっと見えるようになってからも同じように水を飲むようになってしまった。けれどさっきも飲んだからと思って飲まないままにしておくと喉が渇いて仕方ない。だから水を飲む。なんとなく水のあるオアシスがなくならない内に水を飲んでおくみたいな本能だと思っている。実際見えているのは逃げ水だから持ち歩いてる水を飲むことになるわけだし水が見えているときに飲む必要なんてないはずなのに。最初のころは今年は暑いから水を飲むことも必要だろうと思っていたけれど、今はほぼ確実に過剰だ。暦の上では秋になって天高く馬肥ゆる秋という言葉を思い出したけれど、まだ気温高く人瘦せる夏という感じだ。だから熱中症予防には水を飲むことは大事だと自分に言い聞かせてみることでプラシーボ効果的なもので大丈夫にならないかと期待してみる。けれどそもそも今喉が渇くのもパブロフの犬みたいな反射だろう。思い込みと反射ならまだいい勝負になるかもしれないけれど、これは思い込みではなく思い込もうとしているという意思だ。そもそも思い込みと反射が別の方向を向くのであれば勝負になるかもしれないけれど、同じ方向を向いているんだから意味はない。

 水を飲みすぎるとよくないという話は聞いたことがあったけれど、飲みすぎている今それをちゃんと調べる勇気はなかなかなくて結局随分長いこと飲みすぎのまま放置してしまった。そう考えると逃げ水が見え続ける生活も長くなっているのかもしれない。最初は屋外だったしたまにしか見えなかったということだけは覚えているけれど具体的にいつだったかは覚えていないから、どのくらいの期間が経っているのかもわからない。今もずっと見えている、ずっと飲んでいる。水は持ち歩けるようにペットボトルに入れているけれどしばらく動かないときには蓋を開けっぱなしにしている。うっかり家の外でそれをやってこぼされたことももう何度もある。流石に支障がいくつも出ているから水を飲みすぎるとよくないことについて調べることにしたら、水中毒というのがあった。その症状に疲労感だの頭痛だのがあるのを見て、もしかして逃げ水が見える距離が近くなるにつれて多くなった体調不良はこれのせいなんじゃないかと思う。逃げ水を見ることが最初はたまにだったからそのたびに水を飲んでいても問題なかったけれど、近づくにつれて見える頻度も高くなったから水を飲む頻度も高くなって、それで体調も悪くなっていったんじゃないかと。そういうことを考えながらペットボトルを置く。水を無意識の内に飲んでいたのか、と気づく。そのペットボトルの先に逃げ水が見える。手が勝手に動く。喉が渇いた。水が口に入る。飲み込む。ペットボトルを置く。まずい、悪化している。飲むときに飲むことを考えていない。まだ喉が渇いたという思考はある。けれど今だって飲んだ直後なのにどうして喉が渇くんだ。ただの水を摂っているはずなのに。

 ペットボトルから手を離す。水から物理的に距離を離そうと考える。とりあえず外に出よう。玄関に向かう。ふわふわとして本当に歩いているのか自信がなくなる。ドアを開ける。触覚が全て現実ではないみたいだ。歩き出す。


『次のニュースです。本日、○○市で道路上に倒れている男性が発見され、搬送されましたが病院で死亡が確認されました。熱中症による脱水が原因と思われます。所持品から男性は家を出てすぐ倒れたと見られており――』

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