『あとがき。』
天宮・翔
相沢・小百合
佐伯・健三
谷口・健太郎
渋木・命
古谷・惣吉
月輪教団
荒鷲会
三宮、神戸。
2016年11月23日・午前11時。
十一月下旬の日は灰色で、冷たかった。三宮駅から数本離れた通りにある服屋のショーウィンドウだけが、枯れ葉を巻き込む風とは無縁のように明るく輝いていた。
アスタロトは俺の前を軽い足取りで歩いていた。二週間前、六甲山での一件など背負っていないかのように。あいつは、あの気まぐれとも嘲笑ともつかない笑みを浮かべながら、渋木命の件を解決したら新しい服を買ってと言い張っていた。
「私は女王みたいに着飾る価値があるでしょ?それに、翔くんはお金も手に入れたんだし、私の部屋に大きなテレビを買うべきじゃない?」
「チッ……テレビなんか何に使うんだよ。どうせ今は谷口の部門に入り浸ってるくせに」
「あら?もしかして嫉妬?ふふふ……やっぱり翔くんは隠れロリコンなんだねぇ」
「チッ……黙れよ、悪魔。帰ったらその男との関係を吐いてもらうぞ」
俺とアスタロトの言い合いに、小百合さんはため息をつきながらも笑っていた。両手にはいくつもの紙袋を抱えている。俺は鏡の前で何度も服を替えるアスタロトを横目に見た。黒を基調としたコートやスカートを中心に選んでいたが、時折鮮やかな色も試していた。
――こうして振る舞っていると、本当に人間の少女に見えるな。
そんなことを考えてしまうのは、これが初めてじゃなかった。
数時間後、買い物袋を積み上げたあと、アスタロトは「お腹が空いたからご飯に行こう」と駄々をこねた。
結局、俺たちは逆らえずに従うことになった。
車に向かって歩く途中、まるで娘の服を買ってやった幸せそうな夫婦のように見えたのか、通行人が妙な視線を投げてきた。
やがて俺たちは元町の近くにある魚常居酒屋に腰を下ろした。鍋の湯気が立ち上り、外の寒さとは対照的に心地よい空気を漂わせていた。小百合さんは刺身を、俺はカツ丼を頼んだ。アスタロトは、俺たちを引きずり込んだ張本人のくせに親子丼だけを頼み、料理よりも周囲の雰囲気に気を取られていた。まるで誰かを待っているかのように。
――その時だった。引き戸が音を立てて開いた。
「……谷口」
思わず声が漏れた。喉に硬い塊が引っかかったような感覚。偶然じゃない――直感でそう分かった。
「何のつもりだ?呼んだ覚えはねえぞ」
谷口は黙って俺たちの前に座り込んだ。許可を求める素振りもない。顔色は悪く、疲労が滲んでいた。
「アスタロトに呼ばれたんだ」
俺は立ち上がり、アスタロトを睨みつけた。奴はにやりと笑った。
「……あ?」
アスタロトはわざとらしく首を傾げ、肩をすくめながら笑った。
「まぁまぁ、落ち着いて、翔くん。健太郎くんに頼んで、何か面白い事件を持ってきてもらったのよ。だって、前の事件を解決してからもう十六日も経ったんだもの」
谷口はちらりと俺を見ただけで、すぐに表情を引き締めた。
「時間がないから、要点だけ言う――古谷惣吉の事件を聞いたことはあるか?」
「あの有名な老人殺しの犯人、大阪拘置所で死刑になった男のこと?」
素早く答えたのは小百合さんだった。
谷口は小さくうなずいた。
「流石だな。知識があるなら話が早い」
「ええ、犯罪心理学の書籍で読んだことがあります。犯行手口が独特だったので」
「そうか……なら本題に入る。滋賀県、大津で同じ手口の犯人が動いている」
俺は腕を組み、眉をひそめた。
「だからどうした。それは警察の仕事だろ。なぜ俺たちに?」
谷口は答えず、無言のまま懐から封筒を取り出した。テーブルに滑らせるように置かれ、中から一枚の写真が現れた。
――琵琶湖の湖岸、夜の現場だった。
パトカーの赤い光がぼんやり照らし出す中、白布を掛けられた女の遺体。だが俺の目を釘付けにしたのは、その腹部だった。
月と、貫かれた五芒星。
見覚えのある紋様。
空気が一気に重くなる。俺は写真を強く握りしめながら呟いた。
「……月輪教団……」
谷口の声が低く落ちる。
「それだけじゃない。もし月輪教団が絡んでいるなら、滋賀県警もグルで隠蔽している可能性が高い。奴らの影響力は、もう至るところに及んでいる」
「……被害者は女性だけか?」小百合さんが問いかけた。
「ああ。大津で少なくとも十二人が行方不明になっている。同じ手口だ。ただ、遺体が確認されたのはこの一件だけ。他はまだ消息不明のままだ」
「……教団絡みなら、警察の一部も加担しているでしょうね」小百合さんが答える。
その時、アスタロトが小さく笑った。俺の苛立ちを愉しむように。
「ふふふ……残り十四日だっけ、翔くん? 新しい事件を受けなければ、あんたも小百合ちゃんも……ぜ〜んぶ、私のものになるのよ」
俺は何も言えなかった。わかっていた。――選択肢なんて、最初からなかったんだ。
結局、俺たちはその依頼を受けるしかなかった。
◇
その夜。長田区の俺の部門で電話が鳴った。画面に映った名前は――佐伯健三。
受話器から聞こえる声は、いつもより低く、重かった。
『翔くん……小百合さんから聞いた。滋賀の事件を受けたそうだな』
「……ああ。女を狙う狂った殺人鬼だ」
短い沈黙。
『気をつけろ。あそこは敵組織の縄張りだ。その空の下で生き延びたいなら――お前も、荒鷲会の傘に戻る覚悟を決めろ』
俺は答えず、電話を切った。
机の上には、まだあの写真が残っている。
外は十一月の冷たい風が唸り、遠くで電車の音が響いていた。
……そう悟った瞬間だった。
次の一歩は、復讐の先にある。
❊❊❊❊
次回:『新たな始まり、復讐の影を越えて』
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