家へ帰ろう
世界が割れた。
真紅の魔炎が断末魔を上げ、空を切り裂いた白雷がそれを貫く。
魔王城は音を立てて崩れてゆき、宙に浮かぶ三本の鎌は光の渦に飲まれて消えた。
勝敗は、静かに、確かに決した。
災禍の魔姫、リュシア。
その身体は、城ごと、勇者セラフィナの一閃により断たれていた。
名も無き魔族たちの悲鳴が消え、風の音が戻る。
瓦礫と灰の中。
セラフィナは微笑を浮かべながら、破壊されたベッドの下に身を寄せる私の前に立った。
血と灰で髪も肌も汚れていたが、彼女はどこまでも綺麗に笑っていた。
「……怖かったね、ノエル。遅くなって、ごめん」
私の頭を抱き寄せるその手は、思ったよりも熱くて、固かった。
「──帰ろう。人類の街へ」
そして私は、帰された。
──知らない家へ。
「ここ、私の家……っていっても、元は騎士団の管理舎だけど。今日からはふたりの家ね」
そう言って、セラフィナは楽しそうに部屋を駆け回った。
床は綺麗で、壁には魔法のランタン。
ベッドはひとつしかなかった。
「寛いでいいからね。ノエルのためにお部屋片付けておいたの」
私は言われるままに椅子に腰掛ける。
が、落ち着かない。
それほど広くはない室内は視線の届かない場所がほとんどなく、窓の外の景色も知らないものだった。
馴染めない。安心できない。
セラフィナはキッチンで何かを切り刻み、鼻歌まじりに笑っていた。
そこへ、彼女の仲間──魔法使いがやってきた。
「セラフィナ様。魔王城に大打撃を与えた功績は大きく、また攫われた民を救った件も……しかし、まずは国王陛下に報告を」
勇者は手を止めず、振り返りもせず言った。
「今、彼女のためにご飯作ってるから、あとでね」
「あとで……とは、具体的にいつですか?」
「んー……半年くらい?」
「……食事を作るのに、半年も?」
「毎日作るから、必要でしょ?」
魔法使いが眉をひそめた。
「……そんなことのために――」
ずぶり。
鈍く、濡れた音。
魔法使いの胸に突き刺さっていたのは、槍へと変形した「勇者の剣」
花の茎のように真っ直ぐに、脈打つ心臓を貫いていた。
「……今、そんなことって言った?」
魔法使いの口がぱくぱくと開閉し、やがてそのまま、音もなく床に崩れ落ちた。
同じ部屋にいた僧侶が、喉を鳴らして椅子に縮こまる。
セラフィナは、振り返らない。
「だって、ノエルはずっと……あの汚い魔王城で、魔族の料理を食べさせられてたんだよ?」
「体の中、絶対汚れちゃってるよね。もちろん、ノエルは美しくて、尊くて、完璧なんだけど」
「でも体の中には毒が溜まってるはずでしょ。そういうの、ちゃんと綺麗な食べ物と水と空気で……洗い流さなきゃ」
「元の、純粋なノエルに戻すためには、絶対必要なんだよこれ」
勇者セラフィナは笑っていた。
光のように明るく。幼女のように無垢で。
「だからさ、これが“そんなこと”だって言うなら……死ねばいいんだよ」
──夕食が完成した。
温かいスープと焼きたてのパン。
丁寧に下ごしらえされた煮込み料理。
香りだけで空腹を刺すような、完璧な献立だった。
私は、出されたものをすべて食べた。
拒めなかった。残せなかった。
食事中、僧侶も黙って席についていた。
食べるふりをしながら、手元はずっと震えていた。
セラフィナは、その間じゅう笑っていた。
嬉しそうに、嬉しそうに──まるで、家族が揃った晩餐のように。
──笑っているのは、セラフィナだけだった。