メイドの人形
夜更け前。
魔王城の上層部、誰も近づかぬ最奥の扉。
そこは《災禍の魔姫リュシア》の私室だった。
その部屋には無数の「人形」があった。
けれど、ただの人形ではない。
どれも、どれも、私──メイドのノエルに「似せて」作られている。
美しく整った黒髪。
制服の白エプロン。
伏し目がちの睫毛。
気味が悪いほど精巧で、異様に数が多かった。
私は清掃当番で、偶然その部屋を通るだけのはずだった。
けれど、そのとき、扉の隙間から音が漏れていたのだ。
……ん、ふふ……ノエル、ノエル……
柔らかく湿った、何かが擦れるような音。
熱病にうなされるような声。
覗いてはいけないとわかっていた。
けれど、目は扉の隙間に吸い寄せられる。
彼女は、ベッドの上で──私に酷似した人形を抱きしめていた。
「……ノエル、ねぇ、今日はキスだけじゃ足りないの……」
人形の額、唇、首筋へと何度も何度も口づけを落とし、その指先は布越しに丁寧に肌を撫でる。
吐息は甘く、肌は熱を帯び、まるでそれが「本物」であるかのように慈しんでいた。
「こんなに好きなのに、どうして本物には、まだ触れられないの……」
抱きしめる力が強すぎたのだろう。
パキン、と何かが割れるような音と共に、人形の首がぼとりと転がった。
リュシアはそれに一瞬、驚いたように目を見開いたが、次の瞬間には。
「……ごめんなさい。でも大丈夫……ノエルの頭だけでも、私は……愛してるの」
狂ったように、切り離された人形の頭部にキスを浴びせ、
そのまま身体へ押し当て、ゆっくりと腰を揺らす。
吐息が漏れ、指が震え、狂おしい愛をなぞるように。
「ノエル、ノエル、ノエル、ノエル……本物を抱きしめたい……でも……壊れてしまうから……我慢しなきゃ……」
私は、凍った。
あれが、私を「本気」で愛した時の姿なのだ。
本気になった彼女の愛に、人間の身体が耐えられるはずがない。
気まぐれでも、偽物でも、あれほど強く、深く、重く、執着されるのなら。
私は、あの人形と同じように、壊れてしまう。
私はそっと扉を閉じた。
何も見なかった。何も聞かなかった。
ただ、背を向けたまま、薄ら寒いものを抱えて廊下を歩く。
──この人の愛は、きっと、呪いよりも重い。