魔王四天王 獣牙王ザルグ
魔王城。
その日は、四天王のひとり、《獣牙王ザルグ》が戦況の報告に訪れていた。
「人間風情が……。魔姫様が甘い顔をしてるからって勘違いするなよ?」
ザルグは廊下に控えていた私の前に立ち、唸るような声で言った。
私はただ、静かに頭を下げる。
それが礼儀だと思ったから。
「聞いてんのか、メスが──」
太い腕が振り上げられる。
その瞬間、空間が弾け飛んだ。
紫電のような衝撃。
視界の全てを紅蓮が埋め尽くす。
「──何してるのかしら、ザルグ」
その声は、底冷えするような静けさをたたえていた。
廊下の奥、燦然たる威光とともに《彼女》は立っていた。
《災禍の魔姫》リュシア。
全てを焼き、壊し、蹂躙する災厄の化身。
そして私にとっては「優しい主人」だ。
だが、今の彼女の顔には、慈愛のかけらもなかった。
「私の、ノエルに──なにを、してるの?」
「ま、魔姫様!?ち、違う、これはただの──」
ぐしゃり。
ザルグの足首が、音を立てて逆方向に曲がった。
「痛い? そう。じゃあ、もう片方も痛くしてあげる」
ばきり、ばきり、ばきり。
骨が砕け、肉が裂ける音が、音楽のように響いた。
「許してくだ──」
「黙れ」
リュシアのヒールがザルグの頭蓋を踏み潰す。
硬い音と、ぐちゃりとした音が重なった。
地面に広がった血の湖を、リュシアは踏み越える。
その足取りは、まるで花畑を散歩するかのように軽やかだった。
そして。
真紅に染まったドレスの裾を揺らしながら、彼女は私の前で膝をつく。
「ノエル、怖かった?」
その声は、甘く、優しく、慈母のようで。
……でも、さっきまで命を壊していたその口で、私の名を呼ばないで。
「大丈夫……もう誰にも、ノエルに触らせたりしないから」
優しく抱きしめられた身体に、血の温もりが染みこんでくる。
私は……この人に、生かされている。
きっと、間違いなく、もう逃げられない。