最後の戦い
レーネの身体をすり潰して作られた霊薬は、たしかにノエルの傷を癒した。
爪が剥がれ、肉が裂け、骨の見えるほどに削られていた手足も、今では跡形もない。ただ、心は癒えなかった。
先ほどまで腕の中にいたレーネの生首も、いつの間にか掻き消えていた。
それが意味するものを、ノエルは知らない。
レーネが遠い女神の神殿で蘇った証だと知らない。
ただ、まるで夢のように消えてしまったあのぬくもりに、彼女の心はぽっかりと穴を開けたままだった。
リュシアは、傷の癒えたノエルの肌を優しく撫でる。
「良かった。無事でいてくれて、本当に……」
そのまま、唇に柔らかいキスが落とされる。
ノエルは反応しなかった。
生気のない目でただ前を見つめているだけだった。
「辛かったわよね、あんなに痛めつけられて……だから、こんな風になってしまっても仕方ないわよ」
リュシアは優しく語りかけながら、彼女の頭を撫でた。
その瞬間だった。
――頭を撫でられた彼女は、あの時、なんて言っていただろう。
ノエルの脳裏にそんな事がぼんや浮かぶ。
胸の奥から、泡のように浮かび上がってくる記憶。
小さく、震える声で、それでも精一杯の笑顔でレーネは言っていた。
「ありがとう……すき……」
その言葉を、ノエルは小さく口にした。
――ありがとう。すき。
リュシアの手がぴくりと止まり、次の瞬間には、全身が歓喜に打ち震えていた。
「……いま……いま、すきって……」
喉の奥から喜びがあふれ出す。
ずっと、どんなに尽くしても感情を見せてくれなかったノエルが、はじめて「好き」と言ってくれたのだ。
その事実は、彼女の全身を歓喜の熱で焼いた。
それに呼応するかのように、リュシアの背に携えていた大鎌が、突然呻くような音を発した。
禍々しい魔力が渦を巻き、刃から滲み出すように大気を吸い始める。
空気が震え、周囲の草木が一瞬で枯れた。
――効果範囲、半径十キロ。
魔族も、人間も、動物も、木々も、すべてが音もなく命を失っていく。
ただひとつ、リュシアに抱かれたノエルだけを例外として。
命の波が反転するように。
その異常な光景を、遠くから見ている者がいた。
「やっと見つけたよ」
勇者セラフィナだった。
彼女は、背に携えていた聖剣を構え、それを翼のように変化させると。
一直線に姫へと突進した。
こうして――
最後の戦いが、幕を開けた。