レーネ
髪を掴まれたまま、私は地を引きずられていた。
足元の草は擦り切れ、石が肌を裂き、服は泥と血で貼り付いている。
痛みは確かにあった。肉が剥がれる感覚も、骨が軋む音もあった。
でも、どこか夢の中のようだった。
少しずつ、体が削られていく。
きっとこのまま魔族の拠点まで引きずられるのだろう。
その時には、私という存在は、文字通り“擦り切れて”なくなっているに違いない。
それでいい。そう思った。
もう、あんな恐ろしい目には遭わなくて済む。
勇者も、魔王も、全部、遠い記憶になるのなら──それも、救いかもしれない。
だがそのとき、魔族たちの足が止まった。
私は目をうっすらと開いた。
何が起きたのだろうと、ふと顔を上げた瞬間、目に飛び込んできたのは──
レーネだった。
ボロボロの服に泥をつけながらも、
私と魔族の間に立ちはだかり、両手を広げている。
まるで子どもが母の背中を守ろうとするように。
「……その人を、かえして」
小さな声だった。
震えていた。
しかし、その行動には確かな意思が感じられた。
私は、絶望した。
やめて。どうして戻ってきたの。
あなたは生きて、遠くへ逃げるはずだった。
あなたは、私にとっての唯一の光だったのに。
魔族たちが笑った。
ワイバーンの背から一人が降り、無造作に槍を構える。
「小娘が。しつけてやる」
槍が突き出される。
レーネが条件反射で身をかわす。
避けただけではない。
懐に飛び込み、魔族の胸に手を伸ばそうとしたその瞬間。
ワイバーンの尻尾がうなりをあげて横薙ぎに振るわれた。
「──レーネ!」
私は叫んだ。
衝撃音。身体が巻き込まれたように吹き飛び、地面を転がる彼女。
それでも、レーネは立ち上がった。
槍を手にした魔族が再び突きを繰り出す。
矢がどこからともなく飛び、彼女の足に突き刺さる。
だが、レーネは止まらなかった。
肩に、腹に、槍が突き刺さる。
血が噴き出す。崩れ落ちる。
──それでも、彼女はまた立ち上がった。
傷が、癒えていた。
私の目には確かに見えた。
彼女の身体を包む、微かな金の光。
傷口から血が止まり、肉が盛り、皮膚が閉じる。
──レーネは、治癒魔法を使っている。
無意識に。己を守るためではなく、私のために立ち上がるために。
魔族たちの笑いが止まった。
「……人間のくせに、生意気な」
その声には、初めて恐れが滲んでいた。
レーネの姿が、まるで光そのもののようだった。
泣いて、震えて、傷だらけで、それでも歩みを止めない。
「お願い……その人を……ノエルを……返して」
血で濡れた唇から絞り出される言葉。
私の名前を呼ぶ、その声が、胸を貫いた。
私は、涙を流していた。
それが恐怖なのか、安堵なのか、自分でもわからなかった。