08 食堂にて
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食事をとることになった私たちは、魔塔に併設されているという食堂に向かうことになった。
「ボク、ちょっと向こうで話してくるね。先に行ってて~!」
エリオット殿下は食堂へ向かう途中、研究員らしき人物に呼び止められ、軽く手を振って私たちの元を離れた。
「エリオット殿下はいつも忙しいのです。食堂はすぐそこだから、行きましょう!」
アイリスがにっこり笑いながら、私とセドさんを促す。
来たばかりということもあり、全てが新鮮で全てに緊張する。
私は人が集まる場所が苦手だ。
どうしてだっけ。なんだか昔から苦手で……
少し不安になりながら、アイリスとセドさんの後を歩いた。
食堂の扉をくぐると、広々とした空間が広がっていた。
壁際には宙に浮く燭台が等間隔に配置され、穏やかな光を放っている。
「えっと……お皿が動いていますけど……?」
「はい。ここでは食事が自動で運ばれてくるのです! あっちで注文をしたら、それが運ばれてくる仕組みになってます」
アイリスが胸を張って説明する。
「……魔法って、すごいですね」
私は思わず感嘆の声を漏らした。
「リリアナの好きな食べ物はなんです?」
「えっ?」
アイリスからの突然の問いかけに、私は戸惑う。
人に合わせることに慣れきっていた私は、何を選べばいいのかもわからないことに気付いた。
――今さら、色々と気付きがあるなんて。
「分からないですよね。それじゃあ今日は、わたしのオススメを注文してくるのです!」
アイリスは笑顔で料理の並ぶカウンターへと向かってしまった。
まわりには、すでに席について食事をしている研究員たち。みんな、思い思いに料理を選び、楽しげに談笑している。
身体がこわばる。
ここには私のことを蔑ろにする人も、陰口を言う人もいないだろうに。足がすくんで動かない。
居場所がわからなくなって、無意識に身体を縮こまらせる。それと同時に——ふっと空気が揺らいだ気がした。
その瞬間、私の魔力が僅かに放出されていた。
いつもの癖で、無意識に”目立たないように”していたのだ。
——誰にも気づかれたくない。
そう考えた瞬間、私の存在感がふっと薄れた。
まるで、ここに”いない”かのように。
「……リリアナ」
だれかに手首をガシッと掴まれる。
見上げると、すぐそばにいたセドさんがこちらを見ていた。
相変わらずフードを深く被り、その表情は読み取れない。
だが、その紫の瞳は、じっと私の姿を捉えていた。
そのことに落ち着いたのか、私の魔力がしゅるしゅると消え、空気は元に戻る。
無意識に消えてしまおうとしたところを見つけられて、恥ずかしいやらいたたまれないやら。
前向きに生きようと決めたのに。
「……ここでコントロールを学べばいい」
ぽふ、と頭に載せられたのは温かな手だった。
びっくりして、じわじわと上がってきてきた涙が引っ込む。
「す、すまない! 弟にするようにしてしまった」
珍しくセドさんが慌てている。
その慌てっぷりに、私はくすっと笑ってしまった。
セドさん、弟さんがいるんだ。
今の感じだと、とても可愛がっているんだろうなぁ。
「私も、兄がいるんです。騎士団に務めているんですよ」
「……そうか」
気持ちがずっと落ち着いて、穏やかに会話をすることができる。
それだけで、とても嬉しくなった。
「リリアナ、見てください~!! 今日は特別なメニューがたくさんあったのです。絶対食べてください」
注文を終えたらしいアイリスが、笑顔で戻ってきた。その後ろから、大皿がいくつか宙に浮いて彼女の元へとやってくる。
アイリスが手に持ったカードをテーブルに置くと、それらの料理はそれぞれがきっちりと着地した。
「……!」
その料理の品数に、私は反射的に息をのむ。
「とろけるチーズの焼きたてキッシュ、魔法のスパイス香るホットシチュー、黄金フライドチキン、ローストビーフとホースラディッシュのオープンサンドです!」
色とりどりの料理を前に、アイリスが説明してくれる。どれも目移りしてしまうくらい美味しそう。
「はい、これ。特におすすめなのです!」
差し出されたのは、濃厚なクリームシチューと、焼きたてのパン。
シチューからはほかほかとした湯気が立ち上り、鼻をくすぐるスパイスの芳醇な香りが漂う。
「リリアナ、食べてみてください」
「……はい」
私は、そっとスプーンをすくい、口に運んだ。
とろりとしたシチューが、口の中で優しく広がる。
具材のチキンはホロホロと崩れ、濃厚な味が身体に染み渡るようだった。野菜も優しいミルクの味をまとっていて、コクのあるまろやかな味が広がる。
最後に魔法のスパイスがほんのり効いていて、食べた瞬間にふわりと体が温まるような心地よさを感じる。
「……美味しい、です」
「よかったです! このシチューは定番なので、いつでも食べられますよ。さあさあ他のものも食べちゃいましょう」
食堂のざわめきの中。
アイリスの明るい声が響き、私は彼女と向かい合って食事をとる。
そして、私の斜め向かいではセドさんがオープンサンドを豪快に口に運んでいた。
ああして大きな口を開けて食べる姿はなんだか新鮮だ。カトラリーを使わない食事も新鮮で、たのしい。
キッシュやチキンをものすごいペースで食べ進めるアイリスにびっくりしながら、私なりにゆっくりと食事を楽しむ。
しばらくして、アイリスが「そういえば」と顔を上げた。
「わたし、さっき一瞬リリアナの居場所が分かんなくなっちゃったのです。まあ、セドさんがにょきっと目立ったから大丈夫だったんですが」
「……え?」
私は思わずスプーンを落としそうになった。
無意識で消えてしまうのは、今後は是非避けたい。
「ここは人が多いから、セドさんは見つけやすくて助かります。これからも食堂ではぜひセドさんとご一緒しましょう」
「……俺は目印ではないのだが」
「あはは! リリアナも、これからごはんは一緒に食べましょう。みんな研究に夢中で食事を抜きがちで、エリオット殿下もよく怒ってますからね」
「え、ええ……! よろしくお願いします」
なんと心強い申し出だろう。
私も早く、ここの暮らしに慣れたいな。
「はあ、ようやく終わった~。お待たせ!」
そう決意を新たにしていると、エリオット殿下がへろへろと戻ってきた。
その後ろからついてきているお皿には、ふわふわのパンケーキが載っている。
みんなで楽しく食事を取り終われば、最初はこわいと思っていたこの場所も不思議とそのこわさはなくなっている。
「ねえアイリス、今度また鎧の浮遊実験をしたいんだけどどう思う~? 彼らが軽くなれば馬も助かるからさっ」
「いいですね! この前は天井に張り付いてしまう騎士様もいらしたからリベンジしたいのです」
エリオット殿下の提案に、アイリスも深く頷いている。私、その実験に聞き覚えがあるような気がするわ。
「外でやると危ないかな~? 馬も使いたいんだけど」
「開放的でいいですね。殿下権限でやっちゃいましょー!」
アイリスとエリオット殿下がとんでもない実験を提案し、なんだか決定しそうだ。
ど、どうしましょう。
お兄様のような騎士様が増えてしまうし、外ということは──
「……却下だ。天井がないところで、宙に浮いてしまった騎士はどうなる? 回収出来ない可能性がある。騎士たちの安全確保が第一だろう」
セドさんが二人にピシャリと言うと、盛り上がっていた殿下たちはしょんぼりしてしまった。
「……ふふふ」
二人とも無邪気で、セドさんは護衛というより教師のようだわ。
皆のその様子を見て、本当に本当に、いつ以来かと思うくらい心から笑うことができたのだった。