07 不思議な場所
転移陣は、王都のとある静かな庭園の奥にあった。
ただの敷石が並ぶ広場にしか見えないが、エリオット殿下が手をかざすと──
青白い魔法陣が輝き、空間が歪んだ。
「さあ、行こう!」
差し伸べられた手を取り、一歩踏み出した瞬間、世界が弾けるように変わる。
「ここが、魔塔……?」
目の前には、青空を背にそびえ立つ巨大な塔。
真っ白な石造りの建物が天を突くようにそびえ、その周囲には浮遊する島々や小さな塔が点在していた。
「ようこそ、魔塔へ!」
満面の笑みを浮かべるエリオット殿下。
私は、新しい生活の始まりを実感しながら、塔の中へと足を踏み入れた。
「……!」
塔の内部は、まるで異世界。
中央には宙に浮かぶ魔法陣が回転し、天井からは輝く水晶が淡い光を放つ。
空中には魔道書や巻物がふわふわと漂い、まるで生きているかのよう。
「驚いた? ボクの魔塔、最高でしょ?」
誇らしげなエリオット殿下が、楽しげに指をさす。
「ここには世界中の魔道具や古代魔法の研究施設があるんだ! あっちは魔法薬の調合室、こっちは呪文の解析室!」
ガラス張りの部屋では蒼い炎が揺れる大釜がぐつぐつ煮え、別の部屋では光の矢が飛び交う。
──魔術研究の最前線。圧倒されながらも、胸が高鳴る。
「さて、リリアナの部屋に案内するね!」
エリオット殿下に促され、私とセドさんは奥へと進んだ。
***
「わあっ! ついにいらしたのですね!」
勢いよく開いた扉の向こうには、銀髪に青紫の瞳の少女。
猫耳のようなカチューシャがついた、活発そうな雰囲気の子だった。
「君が新しく来た子ですね!? わたし、アイリスといいます!」
「えっ、あ……よろしくお願いします?」
手を握られ、圧倒されながらも挨拶を返すと、アイリスはニッと笑う。
「君の話、エリオット殿下から聞いていたのです! 存在を消す魔法を持つ女の子って!」
「……存在を消す、ですか?」
「そう! 君、認識阻害系の魔法が得意なんでしょう?」
興味津々といった表情のアイリス。
私をじろじろ見た後、ニコニコしながら続ける。
「ちなみに、わたしは物質操作系魔法が得意なのです! 例えばね──」
と、勢いよく語り始める彼女は、どこかエリオット殿下と似たタイプに思えた。
魔塔で研究していると、こんな感じになるのかしら……?
「せっかくリリアナが魔塔に来たんだから、まずは色々見て回ろう~」
「せっかく来たんだし、魔塔の秘密をたっぷり教えてあげるね~!」
エリオット殿下の楽しげな声に、私の期待も膨らむ。
「リリアナ、せっかくだから魔力の相性を見てみようよ!」
「魔力の……相性ですか?」
「うん! 人と魔力を合わせると、相性が分かるんだよ!」
私は初めて聞く話に興味を引かれる。
「じゃあ、まずはセドとやってみて!」
エリオット殿下の言葉に、セドさんが一瞬動きを止めるが、静かに頷く。
「……分かった」
向かい合い、手をそっと合わせる。
──指先が、触れる。
次の瞬間、ふわりと温かな感覚が広がった。
「……!」
静かに流れ込んでくる、穏やかでしっかりとした魔力。
強引さはなく、どこか安心感のある感触だった。
──心地いい。
「どう?」
「……とても、落ち着く感じがします」
人と魔力の相性を調べたことがないのでよく分からないが、不快ではない。
「へぇ~、やっぱり相性がいいんだね!」
「相性が……?」
「そうそう! 魔力には個性があって、合う相手と組むとお互いの力を最大限に活かせるんだよ~」
「なるほど……」
「合わないと、めちゃくちゃ気持ち悪くなって吐くこともあるらしいからね~良かった良かった」
「えっ!?」
後出しで言われると怖いのですが……!
「……もういいか?」
セドさんの静かな声。
私ははっとして、手を引っ込める。
「ご、ごめんなさい……セドさん」
「あ、いや……すまない。魔力の交換には慣れていないんだ」
気を悪くしたかと思ったが、彼の声は思ったよりも優しい。
ふと目が合うと、紫の瞳が僅かに揺れているように見えた。
──なんだろう?
考える間もなく、
「よーし、じゃあ次はボクね!」
エリオット殿下が元気よく前に出る。
「えっ?」
「何言ってるの? ボクだって魔法使いだよ!」
ぱっと私の手を取り、にこにこと笑う。
「さあ、いくよ~!」
掛け声とともに、エリオット殿下の魔力が流れ込んできた。
──わ、なんだかすごいわ。
セドさんの魔力とはまるで違う。
まるで跳ねるような、明るく軽やかな魔力だった。
「どう? ボクの魔力って、楽しい感じしない?」
「……確かに、すごく軽やかで……不思議な感覚です」
「でしょでしょ!」
エリオット殿下は嬉しそうに笑う。
「リリアナはね~、魔力の流れがすごくスムーズなんだよ! すっと馴染む感じ?」
「そうなんですか?」
「うん。だから、相性がいい相手と組むと、もっと力を発揮できるんじゃないかな~」
「そういうものなのですね」
私は納得しながら、そっと手を離した。
そして、ふと視線を感じて顔を上げると、セドさんがじっとこちらを見つめていた。
どうしたのだろう。
「おや? セド、どうしたの?」
エリオット殿下が首を傾げる。
セドさんはわずかに目を伏せると、静かに答えた。
「……いや、なんでもない」
しかし、その声音はどこか硬い。
けれど、それを確かめる間もなく、エリオット殿下が楽しげに拍手をした。
「うんうん! やっぱりリリアナの魔力って面白いな~!」
エリオット殿下は満足そうに頷く。
「せっかく魔塔に来たんだから、他にもいろんな実験してみようね!」
「実験ですか?」
レオン兄様に聞いた数々の実験が頭によぎる。
私もあんなことになるのかしら……!
「魔塔の魔術師たちが研究してるの、めちゃくちゃ面白いんだよ~! 例えばね……」
エリオット殿下は嬉しそうに説明を始める。
私も集中してその話を聞く。
その少し後ろで、セドさんが不思議そうに右の手のひらを眺めていたことを、もちろん私は知らなかった。