41 王子たち
その言葉が落ちた瞬間、空気がぴんと張り詰めた。
クラリス妃の口元が歪む。その目に宿ったのは、もはや貴族的な優雅さではなく、むき出しの敵意だった。
「その線もあるか……」
「蹴落とすためだと思えばままある」
私とセドリック殿下に向けられる視線が、鋭さを増していくのが分かる。疑念の芽は、たった一言でいとも簡単に拡がってしまうのだ。
場に漂う疑いの気配が、まるで冷気のように肌を刺す。
言い返そうとしても、喉がひどく乾いて声が出ない。
そんな中、騎士たちの間から、軽やかな声が飛び込んできた。
「は〜い、みなさーん、注目〜!」
じゃじゃーん、という効果音が聞こえてきそうなほど、明るく調子のいい声。
鮮やかな赤いマントを翻しながら、その少年は人々の視線をさらって登場した。エリオット殿下だ。
緊迫した空気をあっという間に変えてしまった。
「お母様、これ、なーんだ!」
そう言って、エリオット王子は満面の笑みで白鳥を模した形の置物を掲げた。水晶のように澄んでいるそれは、光を反射して虹色の輝きを放っていた。けれど、見る者すべてが本能で悟る――これは、ただの装飾品ではない、と。だって魔塔の主が持っているのだもの。
お兄様たち騎士団の面々はグッと真面目な顔をした。
先程まで余裕そうだったクラリス妃の顔が、見る間に蒼白になる。
「エリオット。それは、あなたがくれた……」
「うん。少し前にお母さまに渡した魔道具だよ〜!」
「魔道具ですって!? そんな反応はなかったわ」
「ふふん、ボクの研究だもん」
無邪気な声音に、クラリス妃だけでなく会場全体がざわめく。
「あれって……もしかして、記録水晶でしょうか?」
私は治療が終わったらしいセドリック殿下にできるだけひそやかな声で話しかける。先程まであった距離も、今はない。皆エリオット殿下に釘付けになっており、私がセドリック殿下に近づいても気にもとめていないようだ。
(エドワード様とカミラの様子が記録されたもの。それを確認したのは,確かにあの水晶のようなものでした)
少し前の記憶を思い出しながらそう尋ねると、セドリック殿下は小さく頷いた。
「そうだ。俺の魔力が込めてある」
「あのときも、殿下が映してくださったのでしたね」
『映像が欲しければ兄さんに言っておく』と。あのときエリオット殿下は言っていた。セドリック殿下は、見たものを映像として定着することができる能力があるのだろうか。
でもそれが今から何を映し出すのか分からずに首を傾げていると、セドリック殿下はことさら小さな声で言った。
「あれからさらに改良し、実際に俺が見ていないものもあの水晶の範囲であれば記録できるようになったんだ」
「まあ、そんなことが……?」
そんな魔法の使い方、聞いたことがない。エリオット殿下とセドリック殿下がそんな研究もしていたなんて。
(……何が映っているのだろう?)
エリオット殿下とクラリス妃は実の親子で、妃はエリオット殿下をことさらかわいがっているように思えた。こんな風に何事かを暴かれると思っていなかったのか、今度はクラリス妃がパクパクと魚のようになっている。
「ねえねえ、みんなで一緒に見てみようか?」
そう言って、エリオット殿下は水晶を高く掲げ、空中に投影の魔法を施した。
水晶がふわりと宙に浮かび、彼の指先から広がった魔法陣が淡い金色の光を放つ。
光は細やかな粒子となって宙に舞い、まるで星屑がはらはらと舞い落ちるような幻想的な輝きで空間を染めていく。
やがて、水晶の中心から淡い光の幕が広がり、空中に一枚の映像が映し出された。
――それは、クラリス妃の私室と思しき一室。
緞帳に囲まれた豪奢な室内で、美しいドレスを身にまとったクラリス妃がいる。あの置物は、部屋のよく目立つところに置いてあったみたい。
クラリス妃の前には、萎縮した様子の令嬢──カミラの姿があった。
『……ええ、そう、あとはあなたが落とすだけでいいの。あの忌まわしい王子の顔にかかれば、それで充分。まずは綺麗な顔を汚してやるわ』
その、はっきりとした声と顔が映し出された瞬間、会場は水を打ったように静まり返った。ざわめきも、言葉も、すべてが止まった空間の中で、ただクラリス妃の表情だけが、目に見えて強張っていく。扇子を握る指がわずかに震えていた。
「こ、こんな……捏造よ。合成魔法など、いくらでも細工ができるわ」
絞り出すような声で反論するクラリス妃。だが、その声にはもはや威厳も自信もなかった。会場の視線は、明らかに彼女に向いている。
「アルトマン嬢、あれは貴女だな?」
セドリック殿下の問いかけに、カミラは震える肩を抱えながら、何かを言おうとして口を開いた。しかし――声は出なかった。喉の奥を震わせ、唇を動かしても、まるで息が通らないかのように、彼女の声は一切、外に出てこない。
「っ……っ、あ……っ!」
唇だけがむなしく動く。見ているこちらの胸が苦しくなるほどに、必死に何かを伝えようとするその姿は、もはや悲壮ですらあった。
「ああ、やっぱり〜!」
明るい声が場の緊張を切り裂いた。
くるりとマントの裾を翻して、エリオット殿下が朗らかに言う。
「それ、口封じの魔法だね。お母さまの得意な。失言防止、証言妨害、あと人前で恥をかかせたくない時にも便利って、ボクに教えてくれたことがあるよ?」
水晶から放たれる光が、彼の横顔を照らし出す。
「まあ、ボクには使わないようにって言ってたけど……どうやら、他人には遠慮なく使ってたみたいだね」
エリオット殿下の声は、無邪気な笑みを含んでいたが、その瞳だけは冴え冴えと冷たく輝いていた。
「どうする? お母さま。もう、やめにしようよ。証拠なら他にもあるよ? セド兄が表に出てきて焦ったんでしょ? 稚拙なことばっかりやってさ。ボクは王位なんて求めていないって、いい加減わかんないかなあ?」
びりっ、と空気が震えた。
エリオット殿下の足元から、見えない波紋が広がっていく。空間が揺れ、重たく、鋭い何かが満ちていくのがわかる。
それは魔力だった。解き放たれた純粋な魔力が、空間ごとねじ伏せるかのように周囲を圧迫していく。あのとき結界で感じた圧の何倍もすごい。
あのとき、私を結界に閉じ込めたのはクラリス妃だった。姿は見えなかったが、話し方や声でわかる。
エリオット殿下の言うように、クラリス妃は焦っていたに違いない。私にも口封じの魔法をかけようとして、効かなかったことに。
そしてその後、魔塔での調査で明らかになった。私に攻撃したのは間違いなくクラリス妃。
そのときもエリオット殿下は笑っていた。今みたいに、怒りで。
「……な、なに? いきなり……息が……」
「うっ……目眩が……!」
貴族たちの間から、次々と苦しげな声が上がり始めた。
魔力に馴れていない者たちにとって、それは呼吸を奪う暴風のようなものだ。ドレスの裾を翻してふらついた令嬢が、支えきれずその場に膝をつく。
悲鳴を上げて座り込む者、青ざめて扇を取り落とす者、ひとり、またひとりと会場に崩れていく。騎士たちが急いで介抱に走る中、空気は緊張と混乱に満ちていた。
――怒りだ。強い、純粋な怒り。
魔力に込められた感情に、心臓がぎゅうっと締め付けられる。息が詰まりそうで、頭もふらふらする。
「リリアナ、大丈夫か」
「は、はい。なんとか」
「エリオットが暴走している」
気がつけば、私はセドリック殿下の腕に支えられていた。
少し遠くで、カミラがぐったりと意識を失っているのが見える。このままでは、会場全体が取り返しのつかない事態になってしまう。
私はクラリス妃をちらりと見やる。
エリオット殿下の言葉と魔力に打ちのめされたのか、彼女はその場にぺたんと座り込み、わなわなと震えていた。あれほど人を見下していた姿は、もうどこにもない。
(王妃さまは大丈夫かしら)
視線を走らせると、エレオノーラ妃の姿があった。彼女は青白くも落ち着いた面持ちで座っており、そのすぐそばにはアルフォンス殿下が立っていた。
……どうしよう。止めなきゃ。誰かがエリオット殿下の怒りを受け止めなきゃ。
そう思ったときだった。
「エリオット殿下っ……!」
走って行ったアイリスが震える手で、彼の腕をぎゅっとつかんだ。どんな言葉をかければいいかわからなかったようだけれど、結果的にそれは成功だった。
エリオット殿下は、アイリスを見下ろした。驚いたような瞳。けれど、その刹那――彼の魔力が、ふわりと波を引くように、少しだけ静まった。
「……あ〜。ボク、ちょっと怒りすぎちゃったね」
彼がそう呟いた直後、静かな声とともに、アルフォンス殿下が一歩前へ出て、そっとクラリス妃の肩に手を置いていた。
「そろそろいいかな」
彼は手袋をしていない。そして、クラリス妃の肩は露出している。
「――うん。調査についてはこれで終わりだ。この件は、王太子として責任を持って収束させると約束しよう。皆さん、今日はもうお帰りいただいて結構です」
アルフォンス殿下の一声で、騒然とした夜会は、あっけないほど静かに幕を閉じた。ただ、当然のことながら、誰もすぐには動けなかった。
今日19時あたりに最終話まで投稿します!




