33 仮説②
日が傾きかけている。
調査結果を待つ間、なんだかソワソワとした私は魔塔の一室を借りて、そっと扉を閉めた。実験や訓練に使える部屋だ。
「……はぁ」
深く息を吐きながら、私は窓辺の椅子に腰掛けた。
言葉にできない何かが、胸の奥で燻っている。王妃様のこと、アイリスのこと、公爵家の動き。そして……セドリック殿下のことも。
(私は、何にそんなに動揺しているんだろう)
その正体を探るように、私は懐から取り出したぬいぐるみを両手で抱えた。
柔らかなうさぎのぬいぐるみ――これは、魔法の練習のためにエリオット殿下が貸してくださったものだ。絶対に壊れないという形状記憶の練習道具らしい。
この存在がすでにすごいと思う。
私は静かに魔力を練り上げた。
「……空気の流れで、物体を包むように……」
風の気配を掴み、それを意識的に操作してぬいぐるみに纏わせる。
視覚からの存在感が薄れていき、音も熱も、すべてが空気と一体化していくような感覚。ぬいぐるみがそこにあるはずなのに、見えなくなった。
「……ふぅ」
魔法は成功したけれど、心はすっきりしなかった。
次から次へと湧き上がる感情に、魔力が荒ぶってしまいそうになる。
(王家の方針にモヤモヤしたって仕方ないわ。でも、それでも……)
王位継承権を巡っての政争は、何もこの国にだけ起きることではない。歴史上、世界中で何度もあったことだ。
我慢を続けていたら、私はあのままエドワード様と結婚していただろう。
そうしたら第一王子派であるバークレー伯爵家に入り、傍観者となっていたはずだ。それでも、こうしてセドリック殿下やエリオット殿下とつながりを持ってしまったから。
彼らを……彼を狙う存在は確かにあることを知り、それを防ぎたいと強く願っている。
「誰かの思惑で……ねじ曲げられていく感覚が、いやだわ」
小さな声でそう呟いたとき。
「リリアナ」
静かな足音とともに、低い声が響いた。
振り返ると、そこにはセドリック殿下が立っていた。
「セドリック殿下……!」
不意の訪問に驚きつつ、私は慌てて姿勢を正した。
彼は私の前まで歩いてくると、窓辺の光を背にして静かに問う。
「もう身体はいいのか? なにか、思い詰めていたように見えたが」
「いえ……その……少しだけ気分を落ち着けたくて、魔法の練習をしていました。アイリスに治療をしてもらったので身体は平気です」
私はぬいぐるみを抱き上げて、微笑んでみせた。
セドリック殿下の視線が、手にしているぬいぐるみに注がれる。
「ああ。なるほど」
(あっ、そういえば……まだ魔法をかけたままだわ)
セドリック殿下はただ黙って、ぬいぐるみを見つめていた。
私が使ったのは、空気の流れを読み取って魔力で包み込む、隠匿系の魔法。
小型の生き物程度なら、完全に存在を薄れさせられるほどの精度はある。
なのに――彼には、見えている。
戸惑いのあまり、私は思わず問いかけてしまう。
「……セドリック殿下には、見えているのですね? 私の魔法で隠したはずなのに……どうして……?」
殿下は少しだけ視線を逸らし、わずかに息を吐いた。
「……正確には、“見えてしまう”んだ」
それは、彼にとっても“望まぬ力”であるかのような響きだった。
セドリック殿下は、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
「俺の目は、魔力の流れが見える」
「……」
「魔法で隠されている物ほど、却って鮮やかに視える。魔力を纏わせたものほど強く輪郭が浮かび上がってしまうんだ。たとえば刺客だとか。逆説的な話だが……目を閉じた方が平穏だと、思った時期もあった」
そこまで言って、殿下はわずかに眉をひそめた。
私の中で、ようやく腑に落ちる音がした。
(だから……あの時も……)
かつて、私が無意識に空気に溶け込んでいた場面でも、彼は何の迷いもなくこちらを見つめていた。食堂でも、魔力が不安定になった私をセドさんはすぐに見つけてくれた。
「もしかして、私。あのときのお茶会で魔法を発動していましたか?」
「あの時……バークレー子息と話していたときのことか?」
「はい、その時です」
エリオット殿下とセドリック殿下が私を見つけてくれた日。
あのときの私は、いつもどおりエドワード様にないがしろにされて。所在なくお茶会の場に佇んでいたはずだ。
もしかしたらあのときも。いえ、ずっと前から。
私は不安な気持ちを抱えたときに、自然と空気魔法を発動していたのではないだろうか。
「……そうだな。あのとき、君は完全に気配を消していた。あの場にいた誰も、君の存在に気づいていなかった。けれど、俺の目には、君の魔力が確かに視えていた」
セドリック殿下はそう言って、静かに目を伏せた。
「君は、不安や恐れを感じるときに、無意識に魔力を展開していたようだ。誰にも気付かれないように」
「……それで、殿下方が。見つけてくださったんですね」
「ああ。不思議な魔力を感じて……そうだ、覗き見をするような形になってしまってすまない」
迷いなく返ってきたその声に、私はほんの少しだけ笑った。
「変ですね。この話は初めてしたのに。なんだか、ずっと前から分かっていてくれたような気がしてしまいます」
我慢をやめてからの時間の方が短いのに、だ。
寄り添ってくれるような言葉の優しさに、心のモヤモヤがすこしずづ晴れてゆく。
窓の外では、柔らかな風が木の葉を揺らしている。
ほんのひととき、世界が静かに呼吸しているようだった。
「……リリアナ」
ふと、隣に立つセドリック殿下が、穏やかに口を開いた。
その声に、私は顔を上げる。
「君は……本当はもう、君を襲った首謀者の目星がついているんじゃないか?」
優しい声音。けれど、その眼差しはまっすぐに私を見つめていて、逃げ場がない。
私は、わずかに唇を噛んだ。
答えは……ある。でも、それを口にするのは、とても怖かった。
それでも。
きっと、殿下は私の答えを受け止めてくれる。
「私の推測になるので、あまり口にしたくはないのですが……」
「口外しないと約束する。君の意見を聞かせてくれないか」
セドリック殿下の瞳は真剣だ。彼もなにか仮説をもっているのかも知れない。
私はゴクリと唾を呑み、意を決して口を開いた。
「セドリック殿下を狙うのは、王妃エレオノーラ様ではないと思います」