30 兄弟喧嘩
そのまま魔塔に到着したときには、もう私は若干虚無の顔だったと思う。
なにせセドリック殿下にずっと抱えられたまま移動してきたのだ。護衛という立場上仕方ないと頭ではわかっていても、羞恥心はどうにもならない。
「……歩けるか? 魔塔で治療をしてもらおうと思っている」
「は、はい。ありがとうございます」
そっと下ろされ、ぐらりとした足元をこらえて姿勢を正すと、扉の向こうから見覚えのある白銀の髪がぴょこりと覗いた。
「あれ、リリアナと兄さんだ。っていうか……なんか、ぼろぼろじゃない?」
エリオット殿下が目をぱちくりさせながら出てくる。珍しくそわそわした様子で、視線がこちらを泳いでいた。なぜか今日は落ち着きがない。
私は軽く笑ってごまかしつつ、「ちょっと、いろいろありまして……」と答えた。
「いろいろって……まさか、また誰かに?」
「そうだ」
私より早く、セドリック殿下が答える。
「明確な敵意を持った人物が、リリアナに対して攻撃を仕掛けてきたようだ」
代わりに説明したのはセドリック殿下だった。その声音は冷静で低いが、わずかに怒気を含んでいる。
「攻撃? どんな?」
「結界に閉じ込められました。魔法を無力化するような、全身から力が抜けていく感じがしました」
「……結界かあ」
エリオット殿下が顎に手を当てて考え込むような仕草を見せる。「どうやって出たの?」と聞かれたので、私は例の魔道具を使ったことを手短に説明した。
あの魔道具をぶつけると、結界は爆散して──
「あの、エリオット殿下、差し出がましいようですが、あの魔道具の威力は対人としては少し危険なような気がします」
確かにアレの威力のおかげで助かりはしたけれど。人に当てたら何がどうなってしまうのだろう。ものすごく吹っ飛びそうだけど……?
私がじっとりと見つめると、エリオット殿下はペロッと舌を出した。
「もしかしたら、試作品が混じっちゃったかも。ごめんねっ! ところでリリアナ、相手の顔は見た?」
エリオット殿下の言葉に私は首を横に振る。
「いえ、相手の顔は見えませんでした。ただ、『これが警告で済めばいいけど』という女性の声が聞こえました。私は先日事件を起こした侍女の姿を見つけて追いかけていて……」
結局あのライナという侍女はレオン兄様が捕らえたと聞いている。
これから色々調べられるのだろうけれど、簡単に口を割るのだろうか。
(それに、彼女に指示をしていた女性……おっとりとした話し方で、高貴な身分だとわかる)
声はところどころ低音になったり高音になって聞こえていた。それもあの結界の仕組みなのかもしれない。だから声だけでは人物を判断することはできなかったけれど、話し方――その抑揚や間の取り方は、私が最近聞いたことのある誰かに、どこか似ている気がしてならなかった。
「……なるほど、そっかあ」
エリオット殿下が眉をひそめ、深く息をついた。赤い瞳が一気に真剣な色に染まる。
「リリアナ。……前にボクが渡したペンダント、持ってる?」
「え? はい、もちろん」
「毎日ちゃんとつけていたよね?」
「はい」
私は首元に手をやり、衣服の下に隠していた銀のペンダントを取り出す。以前言われたとおり、必ず身につけるようにしていたそれを、そっと手のひらに乗せる。
「ちょっと見せて。もしかしたら……何か反応してるかもしれないから」
「わかりました」
エリオット殿下の真剣な目を見て、私はそれを手渡した。
その横で、セドリック殿下がじっと二人を見ていた。どこか怪訝そうな視線を向けながら、わずかに眉をひそめている。
「……そのペンダントは、何か特別なものなのか?」
問いかける声は静かだったが、底に淡い警戒の色が混じっていた。まるで、自分の知らないところで何かが決まっていることに、少しだけ不満を覚えているかのように。
「それ、リリアナの魔力とリンクするように調整してあるんだ。誰かに攻撃されたり、強い魔力で干渉を受けたときには、微かに反応するようになってる。……言ってなかったっけ?」
「……いえ。そこまで詳しくは伺っていません」
「そっかー」
私が戸惑いがちに答えると、エリオット殿下は少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
その横で、セドリック殿下が怪訝な顔をしているのが視界の端に映る。
彼はさっきから黙ってこちらのやりとりを聞いていたけれど、どこか納得がいかないような表情をしている。
「……そのペンダントの存在、俺も聞いていなかったが」
「んー、だってリリアナ専用に作ったものだったし。誰かに見せる前提じゃなかったから、わざわざ言わなかっただけだよ」
エリオット殿下の言葉に、セドリック殿下はふっと小さく息を吐いた。
そのまま私とエリオット殿下の様子をじっと見守るように、黙して動かない。
「最初からリリアナを囮にしようとしたのか?」
セドリック殿下の声に、場の空気が凍りついた。
問いかけは穏やかな口調だったけれど、その裏にある怒気と疑念は明白だった。
「攻撃されることも想定して、ペンダントを持たせたのか? エリオット」
「……」
エリオットはペンダントを見つめたまま、何も答えない。苦虫をかみつぶしたような顔をして、赤い瞳は揺れている。けれど、否定する言葉を口にしようとはしなかった。
「エリオット。俺は……こんなやり方を望んだわけじゃない」
セドリック殿下の声が、低く震えながら部屋に響く。
その目は、弟であるエリオット殿下をまっすぐに捉えていて、痛むような色をしている。
けれど、エリオット殿下は反論せず、ただ視線を逸らして黙っていた。
私は、その沈黙が何よりも雄弁な答えだと悟る。
(ああ、なるほど……。そういうことだったのですね)
私は気づいてしまった。この沈黙こそが、彼の答えなのだと。
そして、これまでのことも全て腑に落ちた。私の能力を買い、第二王子の護衛というポストに抜擢された理由。
これは――最初から考えられていたことだったのだ。
確かにセドリック殿下の言葉を借りれば『囮』。それでも、不思議と嫌悪感はない。
これまでの短い付き合いの中で、エリオット殿下がセドリック殿下を本当に慕っていることは私の目には明らかだもの。
「……だって、証拠が必要じゃないか!」
エリオット殿下がセドリック殿下をまっすぐ見つめる。切羽詰まった声だった。
その顔には、いつもの飄々とした余裕はなかった。
「そうだよ。兄さんのそばに不思議な能力の令嬢を置けば、向こうが焦って行動に移ると思ったんだよ!」
「そんな理屈が通るわけないだろう!」
セドリック殿下が声を上げた。
彼の瞳は怒りよりも、もっと別の感情で揺れていた。
「リリアナは令嬢だ。駒じゃない……! そんなに簡単に危険に晒していい存在じゃないんだ!」
「そんなの……そんなのわかってるよ!」
エリオット殿下も負けずに叫び返す。
「わかってるけど……! でも、他に方法がなかった。兄さんが狙われてるのに、手をこまねいてるわけにはいかなかった!」
ふたりの間に、激しい感情がぶつかり合うように広がる。
赤と紫の視線が、まるで互いを撃ち落とそうとしているみたいだった。
私は、ふっと息をついた。これは、どちらが悪いわけでもない。
だから私は、間に一歩踏み出す。
「おふたりとも、少し落ち着いてください」
その言葉に、二人がはっとしたように私を見る。
私はゆっくりと、言葉を紡いだ。
「私は……護衛として選ばれたことを、誇りに思っています。こうしてお役に立てるのなら、嬉しいです」
胸を張って、笑ってみせる。
空気みたいだと軽んじられていた日々よりも、ずっと刺激的ではあるけれど。
自分でちゃんと立っている気がするのだ。
「それに、今こうして無事ですし。お兄様との日々の鍛錬のおかげで、ほら、ぴんぴんしてますから!」
私は冗談めかして腕をくるりと回してみせた。
すると、セドリック殿下が一瞬目を伏せ、困ったように息をつく。
ふたりの視線が集まってきて、私は恥ずかしくなってゆっくりと腕を下ろした。よく考えたらまだ汚れたお仕着せを着たままだ。
結界の影響はもうほとんど残っておらず、どうしてだか私の身体は回復しているようだった。
(どうしてだろう……? さっきはあんなにぐったりしていたのに)
強がりで言ってみたものの、本当に回復しているみたいだ。
エリオット殿下の手のひらで、あのペンダントが微かに光を放っているのがチラリと見えた。
「……ごめんね、リリアナ。ちゃんと説明するべきだった」
きらきらと揺れるそれを見つめていたら、エリオット殿下がしょんぼりと肩を落とし、まるで叱られた子どものような顔で私を見上げてくる。
「俺も、危険なことに巻き込んですまなかった。エリオットがこうして気を揉むのも、俺が不甲斐ないせいだ」
セドリック殿下の低く真摯な声が、静かに重なる。
二人の王子に頭を下げられ、私は慌てて手を振った。
「い、いえ! 勝手に巻き込まれたのは私です。私も本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません!」
そして深々と頭を下げる。
その場にいた三人が、ぺこりとそれぞれ頭を下げて――数秒の沈黙。
「……なにをしているのですか?」
怪訝そうな声が、入口の方から響いた。
振り返ると、そこには淡い髪を揺らしながら歩いてくるアイリスの姿。
その眉間にはうっすらとシワが寄っていて、どうやら私たちの様子がかなり不思議に見えたらしい。
「ええと……ちょっとした謝罪大会をしてたところだよ~!」
「?」
エリオット殿下がぼそりと答えると、アイリスはますます首を傾げるのだった。