27 公爵令嬢
私が護衛としての決意を伝えたあと、少しの沈黙が流れた。
セドリック殿下は静かに私を見つめていたけれど、やがて目を伏せ、落ち着いた声で口を開く。
「……あの場では濁したが、俺がその令嬢と婚約することはないだろう」
キッパリとした口調だった。
私は思わず目を見開いた。あまりに断定的な言い方に驚いたのと、それ以上に、胸の奥がふっと軽くなるような感覚があって、自分で自分に戸惑う。
(……ほっとしている? 私、いったい何を……)
そんな心の動揺を隠すように、そっと視線を逸らした。
そのとき、ソファの向こうでエリオット殿下がぴくりと反応したのが分かった。
セドリック殿下は気にする様子もなく、続ける。
「なにより、本人にその気がないだろうしな」
「……え?」
私は思わず首を傾げた。
婚約の話なのに、本人にその気がない? それはどういう意味なのだろう。
セドリック殿下は、まるでアナスタシア嬢のことをよく知っているみたいな物言いで――またどうしてだか胸のあたりがモヤモヤしてしまう。
朝食を食べ過ぎたのかしら……?
「……そうかな~。案外、面白がって受けるんじゃない?」
「そう思うか? エリオット」
「ええ~……だって、セド兄の方が大人だしかっこいいし……」
「あの令嬢が結婚相手に大人っぽさや容姿を求めているようには思えないが」
エリオット殿下とセドリック殿下が言葉を交わすのを、私はパチパチと瞬きをしながら聞いていた。
エリオット殿下もよくご存知の方みたい?
いつになく元気がないように思うけれど、どうしたのかしら。
私とレオン兄様がよく分からずに顔を見合わせていると、エリオット殿下が「……そうかな~」と気まずそうに呟いて、私の方を見た。
「ねえリリアナ。アナスタシア嬢って名前、どこかで聞いたことある?」
「はい。“妖精姫”と呼ばれていて、病弱だけど美しいと評判の御方です」
「見たことは?」
「ありません」
「……実は君もよく知っていて、会ったこともあるって言ったらどうする?」
「えっ?」
エリオット殿下の言葉に、私は言葉を切った。
私がよく知っている人物とはどういうことだろう。
私が知っている方……?
最近知り合ったのはアイリスさんくらいしかいない。
きらきらした髪。好奇心旺盛な瞳。元気いっぱいな声。魔塔で出会った、あの少女の笑顔。
「……まさか」
信じられない、けれど浮かんできた予感を打ち消せない。
エリオット殿下は、軽く肩をすくめながら言った。
「そう。アナスタシア・フェルナーは、魔塔の研究者である“アイリス”の本名だよ」
「………………えっ!?」
声が裏返るほどの驚きが、私の口からこぼれた。
あの、自由奔放な彼女が“妖精姫”ですって?
でも、確かに言われてみれば……顔立ちの整い方も、魔力の高さも、どれも納得がいく。けれど全く結びつかなかった。
彼女は自分から家名を語ることもなく、誰かと比べて優越感を示すこともなかった。
「そんな、でも、アイリスが」
「面倒なことはイヤだからって社交界には出てないし、公爵令嬢としての顔はほとんど見せてないからね。知らないのも無理ないよ」
エリオット殿下は気まずそうに頭をかいた。
「そう、なんですね……」
「魔法の研究が大好きだから、ずーっと魔塔に篭ってるしね。公爵夫妻とボクたちくらいしか実態は知らないのかも?」
私は手のひらで口元を押さえながら、心臓がどくどくと早鐘を打っているのを感じた。
アナスタシア嬢が、アイリス――。
じゃあ、もしあの婚約話が本当に進んだら……?
セドリック殿下と、アイリスが……?
混乱と驚きの渦の中で、私は思わず殿下の方を見つめた。
「アイリスとの婚約は絶対にないだろう。王妃は一体何を考えているんだ……?」
セドリック殿下はただ、本気で困惑しているようだった。
その横顔には特別な感情が浮かんでいるようには見えず、むしろ何かを悟っているような落ち着きがある。
「エリオット、アイリスがこの話を知っているのか聞いてきてくれないか?」
「え、ボクが?」
「お前以外の適任はいないだろう」
「……ううっ、分かったよぉ~!」
セドリック殿下に言われて、エリオット殿下は奥の部屋へと消える。きっと魔塔に行ったのだろう。
(いつもと雰囲気が違う気がしたけれど、どうしたのかしら)
セドリック殿下やアイリスの事も気になるけれど、エリオット殿下の様子がおかしい気がする。
「……リリアナ、大丈夫か?」
ふいに、お兄様に声をかけられる。
何を心配されているのか分からずに、私は首を傾げた。
「大丈夫ですけれど。どうかいたしましたか?」
「いや……大丈夫ならいい」
「?」
どうしたんだろう。お兄様ったら。
「では、私はお茶を淹れますね」
そう言って、お茶の準備をする。
茶葉の量、お湯の温度、蒸らし時間。全て完璧に出来たと思ったのに。
「グッ……」
「リリアナ、これ……!」
どうやら今日も失敗してしまったみたいだ。