22 信頼
「——そこまでだ」
低く響く声。
そこに立っていたのは、黒髪を揺らすセドリック殿下だった。
エドワード様がぎょっとして後退る。
「なっ……!?」
「お前たち、ここで何をしている?」
セドリック殿下の瞳が鋭く光る。彼の背後には、数名の騎士たちが控えていた。
「ど、どうして……!?」
驚愕するカミラとは対照的に、私はほっと息をつく。
「……リリアナ、大事ないか」
「は、はい……!」
セドリック殿下はちらりと私を見てから、エドワード様を睨みつけた。
「エドワード・バークレーとカミラ・アルトマン。貴殿らがここにいること自体が不自然だ。……説明してもらおうか?」
その冷たい声に、ふたりは唇を噛みしめる。
(良かった。殿下が来てくれた……)
その事にほっとして力が抜ける。
私はぺたりと床に膝をついた。
重苦しい沈黙の中、エドワード様とカミラが顔を見合わせる。
「ま、待ってください! これは誤解ですの、殿下!」
カミラが甲高い声で口火を切った。
「わたしたちはただ……リリアナ様とお話ししたくて……」
「だから密室に閉じ込めたと?」
セドリック殿下の冷静な言葉が返る。
「この扉は外から鍵がかかっていた。話し合いなら、こんな手の込んだ真似をする必要はなかったはずだ」
「そ、それは……」
カミラは口を開きかけたが、何も言えなくなってモゴモゴと唇を噛む。
沈黙を破ったのは、エドワード様の怒鳴り声だった。
「カミラ! これは全部君が仕組んだことだろう! お前が“リリアナと二人きりにできるから”って言ったから、僕は――!」
「えっ、ちょ、ちょっと!? 全部わたしのせいにする気ですの!?」
カミラが叫ぶように返すと、エドワードは唇を噛みしめる。
「僕は……リリアナと話したかっただけなんだ! そうだろう!? カミラだって言ってたじゃないか、殿下に取られる前に、僕が奪い返すべきだって!」
突然の責任転嫁に、カミラが驚愕した表情で振り返る。
「はあ!? 何を言っているんですの!? そもそも貴方が“リリアナを取り戻す”なんて言い出したから、わたしが協力して差し上げたんじゃありませんか!」
「君が『絶対にうまくいく』って言ったんじゃないか! だから信じたのに!」
二人の間に火花が散る。互いに罪を押し付け合いながら、醜く言い争いを始めた。
「ふざけないでくださいませ! 貴方みたいな中途半端な男、いまさら誰が相手をすると思っているんですの!」
「な……! あばずれ男爵令嬢風情がえらそうに……!」
「なんですって!」
互いに顔を真っ赤にして喚き合うふたりに、セドリック殿下は呆れたように一度眉をひそめた。
「やめないか。見苦しい」
セドリック殿下の一喝に、ふたりはピタリと口を閉じる。
その後ろで、騎士たちが「もういいかな」とばかりに近づいてくる。
「この期に及んで、責任の擦り付け合いとは。恥を知れ」
「……っ!」
「くっ……」
言葉を失ったふたりは、騎士たちに引き立てられながら部屋を出ていく。
それでもなお、背後からカミラのヒステリックな声が聞こえた。
「全部貴方のせいですわよ、エドワード様! 本当にどうしようもない男ですわ!」
「君だって、最初からこんなこと――!」
ガシャン、と何かがぶつかる音がし、扉の向こうはようやく静かになった。
私はその場に座り込んだまま、なんとも言えない脱力感でいっぱいだった。
その静寂の中、そっと伸ばされたのは、しなやかで整った手。
「……リリアナ、立てるか?」
見上げると、黒髪を揺らすセドリック殿下が、私の方をじっと見ていた。
その瞳には、私を気遣う静かな光が宿っている。
その表情を見て、ようやく私は安心したのだろう。
私は思わず涙が出そうになりながらかすかに頷き、迷いなくその手を取った。
「……すみません。情けないところを……きゃっ!?」
その瞬間だった。
セドリック殿下は、私の手を引いたかと思うと、腰を落とし、するりとその腕を私の背と膝の下へとまわす。
「えっ……!?」
驚く間もなく、私はふわりと宙に浮いた。
「あ、あの、殿下……?」
慌てて抗議の声を上げる私を、セドリック殿下はさも当然のような顔でお姫様抱っこしたまま、すたすたと部屋の出口へと歩き出す。
「何を驚いている。さっきの騒動の後だ、足に力が入らないのは当たり前だろう」
「い、いえっ、でもっ……!」
「君が倒れる方が困る」
さらりと告げられ、言葉に詰まる。
顔が、熱い。きっと今、真っ赤だ。
心臓がどくどくとうるさいくらいに脈打って、視線をどこに向けたらいいのか分からなかった。
そんな私の様子に気づいてか、セドリック殿下がふと顔を傾ける。
「……リリアナ?」
「な、なんでもありませんっ」
できるだけ冷静を装って言い返すと、殿下はほんの少し、口元を緩めた。
「そうか。ならよかった」
その穏やかな笑みに、私はさらに顔を伏せてしまう。
(だめだ、落ち着かなくて……心臓、止まってしまいそう)
だけど、彼の腕の中は温かくて、なぜかすごく安心できる。
(――いつのまにか、私はセドリック殿下のことをとても信頼しているのだわ)
「……リリアナ。気が付いていないかもしれないが、空気魔法が発動している」
「え!?」
セドリック殿下の言葉に私はギョッとする。
パニックになったことで、無意識に魔法が発動してしまったらしい。
「どうやら俺の姿も皆には見えないらしい」
「も、申し訳ありません」
「はは。これは面白いな! リリアナ、そのまま掴まっていてくれ。魔法もそのままで」
「は、はい……!?」
困惑する私をよそに、誰にも認識されなくなったことにセドリック殿下はとても楽しそうだ。
その横顔を見ていたら、私もとても嬉しくなった。