閑話 王妃・エレオノーラ
〇王妃エレオノーラ視点です
〇短め
王宮の奥、格式高い装飾が施された広々とした居室。
金糸を織り込んだカーテンが風に揺れ、心地よい陽光が窓辺を照らしている。
王妃エレオノーラは、静かにティーカップを手に取り、琥珀色の液体をひと口含んだ。
微かに香る上品な茶葉の香りが、思考を整理させる。
傍らには銀のティーセットが美しく並べられ、温かな蒸気がゆるやかに立ちのぼっている。
窓の外では白い鳩が羽ばたき、王宮の庭園のバラが咲き誇っていた。
だが、その優雅な風景とは裏腹に、王妃の瞳は冷静な光を帯びていた。
「また、いなくなったのね」
低く紡がれた言葉に、居室に控えていた侍女長が深く頭を下げる。
「申し訳ございません、王妃様。依然として手がかりが掴めておりません。最後に目撃されたのは、セドリック殿下とのお茶会の日です」
王妃はそっとカップをソーサーに戻す。
陶器がかすかに鳴る音だけが、部屋の静寂を破った。
あの日のお茶会で、不思議なことが起きた。
上質な茶葉を用意し、紅茶をいれるのが一番うまい侍女にその役目を任せた――なのに、ものすごく苦かった。
渋くもあったし、ここまで不味い紅茶を飲んだのは初めてで舌が痺れて。
だが、セドリックは笑っていた。これまで見た事のない穏やかな顔で。
もしかしたら、渋めのものが好きなのかも知れないわ。
その時、侍女の様子もおかしかった。
だから銀のティーセットを改めて持ってくるように別の侍女に言いつけて、お茶会を再開した。
茶会のあとに事情を聞こうとその侍女――エリカを呼び出そうとしたときには、彼女は突然姿を消していた。
逃げたのか、それとも――誰かに消されたのか。
「それで、エリカの関係者は?」
「一部の侍女たちに探りを入れましたが……エリカは第三妃様の周辺とも接点があったようです」
王妃の指が、カップの縁をゆっくりとなぞる。
「……続けなさい」
「はい。エリカは数か月前より、第三妃様の元へ出入りしていたとの証言がございます。ただし、あくまで侍女仲間の間では『私的な相談』をしに行っていた程度の認識のようです」
第三妃。
その名を聞いた瞬間、王妃の指先が止まる。
あの静かで穏やかな方。魔塔の主であるエリオットの母親である彼女は、その随一の魔力量を理由に王に嫁いできた。
王妃エレオノーラは、王とは戦友のようなものだと思っている。元々友人のような仲だった。
そんな王が愛したのは、エレオノーラの侍女だったアデライドだった。
黒髪が美しい、天真爛漫な娘だった。
王妃はそっと銀のスプーンを持ち上げ、ゆるやかに紅茶をかき混ぜた。
「リリアナ・エバンス……」
王妃は指先で静かに報告書をめくる。
最近になってセドリックの護衛として王宮に現れた伯爵令嬢。
エバンス伯爵家は古くからある家門で、中立的な立場だ。当主は武人で、伯爵夫人も穏やかな女性、嫡男は騎士として城に仕えている。
バークレー家の令息と婚約していたが、最近になって破談になったらしい。
エリオットに招聘され、魔塔に関わるようになり、そこからセドリックの侍女となった――
「……厄介ね」
報告書を見て、王妃は静かに呟いた。
もし彼女が意図的に、セドリックに近づいたのだとしたら?
王妃は紅茶をひと口含みながら、じっと書類を見つめる。
「リリアナ・エバンスについても、徹底的に調べなさい」
侍女長が静かに頭を下げ、王妃の命を受ける。
この娘が、敵か味方かは分からない。
だが、セドリックの周囲にいる以上、無視することはできない。
そして、次の命令を口にした。
「第三妃の周辺のことも、念のために調べてくれるかしら」
「はい、承知いたしました」
銀のティースプーンがカップの縁に触れ、かすかな音を立てる。
顔を上げれば、かつての親愛なる侍女がそこに立っているような気がした。