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16 手合わせ


 今日はお兄様と手合わせをする日。


 朝の光が王宮の庭を優しく照らし、涼やかな風が肌をなでる。


 私は、鏡の前でゆっくりと髪をまとめ上げた。

 いつもの緩やかな巻き髪ではなく、すっきりと後ろで束ねる。

 無駄のない動作で整えた髪は、まるで戦場へ向かう騎士のようで、不思議と気が引き締まった。


(よし……)


 視線を落とすと、母が特別に用意してくれた乗馬服風の衣装が近くに置かれている。


 ダークグリーンの上着は体のラインに程よくフィットし、動きやすいように細かく仕立てられていた。

 袖口には貴族らしい刺繍が施されているものの、決して華美ではなく、それがかえって機能美を感じさせる。


 足元には黒の乗馬ブーツ。いつものドレスとはまったく違う。

 柔らかな生地のズボンを履き、動きを確かめると、いつもよりずっと自由に体を動かせるのが分かった。



 私は鏡の中の自分をもう一度見つめた。


 久しぶりの剣の稽古――それも、レオン兄様に直接つけてもらう特別な機会。


(……剣を握るのは、本当に久しぶりね)


 久しぶりすぎて、ちゃんと動けるのか不安だけれど――

 すごく楽しみだ。そっちの気持ちの方が大きい。


 私は、深く息を吸って吐く。


「行ってきます」


 自分を奮い立たせるようにそう言って、足早に訓練場へと向かった。



 王宮の広大な訓練場には、すでに朝早くから多くの近衛騎士たちが鍛錬を行っていた。


 剣戟の音が響き、甲冑のぶつかる音が耳を打つ。

 鍛え抜かれた騎士たちが、汗を流しながらそれぞれの訓練に励んでいる。


 その光景に、思わず息を呑んだ。


 かつて、この中に交じるなど考えたこともなかったけれど……

 今日から、私はここで学ぶ。


 視線を奥へ向けると、すでに待っていた兄――レオン・エバンスが腕を組みながら私を見つめていた。


「よく来たな、リリアナ」


「おはようございます、レオン兄様」


 兄様は、私の格好を一瞥すると、口元に笑みを浮かべた。

 今日は非番だと言っていた。

 それでも時間をとって、こうして稽古をつけてくれる。


 伯爵家でやってもいいかと思ったけれど、王宮の方が安全らしい。



「……ほう、母上が用意したのか」


「はい。久しぶりに剣を握るので、動きやすい服をと……」



 私は胸元を軽く整えながら答える。

 兄様は満足げに頷くと、手にしていた木刀を私に差し出した。


「よし、リリアナ。ならば、まずはこれを持ってみろ。感覚を思い出すんだ」


「……はい」


 私は、その木刀を両手で慎重に受け取った。

 木の朴訥とした感触が、久しく忘れていた記憶を呼び覚ます。


 幼い頃、兄様と一緒に剣の稽古をしていた。

 あの頃は、ただ兄様に追いつきたくて、必死に剣を振っていた。


 だけど、エドワード様との婚約が決まり、彼に『慎ましくしろ、剣なんて女のやるものじゃない』と言われてから

私は、剣を握ることすらやめてしまった。


 よく考えたら、あれはエドワードとも手合わせをすることになって、私が勝ってしまったからだったわ。


 そう考えると、とっても小さな男だ。全く。



 きゅっと木刀を握ると、胸の奥がざわつく。

 開放感で高揚する気持ちが確かにあって、ふわふわとした心地だ。


「まずは基本の構えだ。覚えているか?」


 兄様の問いに、私は剣を構えながら静かに頷いた。


「はい。お願いします、兄様」


 次の瞬間――兄様が鋭く剣を振るってきた。


 カァンッ!


 刃がぶつかり合い、腕にじんと衝撃が伝わる。


「……悪くない」


 兄様は少し驚いたような目をした後、満足げに笑った。


「感覚を取り戻すのが早いな。やはり、お前には剣の素質がある」


 その言葉が、なんだか誇らしくて。

 だけど――それ以上に、悔しかった。


「……もっと、上手くなりたいです」


 私の言葉に、兄様は目を見開いた。


「ほう……?」


 意外そうに眉を上げると、腕を組んでしばし考え込む。


 そして次の瞬間、にやりと笑った。


「よし、ならば徹底的に鍛えてやる」


「……! はい!」


 私は強く頷き、剣を握る手に力を込める。




 それからの、兄様との稽古は想像以上に厳しいものだった。

 何度も打ち込まれ、何度も受け流し、何度も叩き伏せられた。


「足運びが甘い! 無駄な動きを減らせ!」


「動きが遅いぞ! もっとスムーズに!」


 兄様の叱咤が飛び、私は何度も息を乱しながら、ひたすら剣を振るった。


 心臓は激しく脈を打ち、腕はすでに震えている。

 だけど、不思議と苦痛ではなかった。


 むしろ、久しぶりに剣を握ることが楽しくて、夢中になっていた。


「……悪くない。少しずつ勘を取り戻してきたな」


 そう言いながら、兄様が剣を引いた。


「今日のところはここまでにしておこう。だが……お前、次はもっと鍛えるぞ」


 兄様は、ニヤリと笑いながら言った。


「はい! よろしくお願いします!」


 私は、息を整えながら深く頭を下げた。


 再び剣を握ることができた。

 この手で、自分の未来を掴むために。


 今日という日を、私は一生忘れないだろう――。



 それから。


 『騎士団の訓練場に剣が上手い謎の長髪騎士がいたんだけど!』という目撃情報が城仕えの侍女たちの間で噂されることになるのだった。

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■ 『空気みたいだとあなたが仰ったので。~地味令嬢は我慢をやめることにした~』
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