14 秘密の通路
――王宮に来て三日目。
王宮の空気に朝から妙な違和感があった。
それは、宮廷の侍女や使用人たちの様子だ。
彼らの動きがいつもより慎重で、どこかぎこちない。会話も少なく、時折何かを気にするように視線を交わしている。
何だか、ざわついているようだわ。
そしてその異変は、すぐに言葉として耳に届いた。
「……聞いた?」
「ええ、まさか……」
通りすがる侍女たちが、ひそひそと声を潜めて話している。その表情には驚きと戸惑いが混じり、明らかに何かを警戒している。
「第二王子のセドリック様が、執務に復帰されるんですって!」
「快癒されたって……本当なの?」
「そうみたいよ。王宮も人を増やすって」
「へえ、そうなんだ。応募してみようかな」
王宮の廊下を満たす空気が、ざわめきを帯びる。
宮廷内にいる貴族や使用人たちは、一様に落ち着かない様子で、耳をそばだてていた。
侍女たちだけではない。廊下の先で控えていた近衛騎士たちも、交わす言葉に微妙な間が生じている。まるで、何か大きな秘密が暴かれたかのような沈黙。
私は胸の奥がざわつくのを感じた。
これまで王宮にいる者たちは、セドリック王子の病弱を当然のものとして受け止めている。
わたしも、第二王子のことはほとんど知らなかったもの。
第一王子は華やかに夜会にも参加されていたイメージがある。もちろん壁の華である私は話したこともないけれど。
……セドさん、健康そうだったわよね?
ここ数日一緒にいても、病気を感じることはなかった。つまり、病気というのはなんらかの事情があった上での虚偽なんだろうなと感じる。
侍女たちの囁きが、私の推測を裏付けるかのように広がる。
「第二王子って、優秀な方だったのよね? 不運にも病に倒れてしまったけど」
「第一王子よりも頭がいいって聞いたわ。まあ、第三王子は別格だけど……」
「これ、なんだか大変なことになったりするのかしら……」
まるで、水面に投じられた一滴の雫が、大きな波紋を描くように、王宮全体がこの噂に揺れ始めていた。
近くに私がいるのに、侍女たちはそんなことは気にとめず、おしゃべりに熱中している。
やはり、私は影が薄いみたい……!
「セドリック殿下、イケメンらしいわよ!」
「ええ~! それは見てみたいなあ」
「ねえねえ、騎士団の練習、今日も見に行く?」
「いくいく。洗濯のあとに時間できるから」
侍女たちはもう騎士団の話題に移っている。
なんとも自由なことだ。
シーツを抱えた私は廊下を抜け、セドリック殿下の部屋へと向かった。
***
(殿下はこの状況をどう捉えているのかしら……?)
王宮内に広がる「病気が快癒した」という噂。それがどんな意味を持つのかを知るためにも、まずは直接王子に話を聞かなければならない。
扉の前で一度深呼吸し、ノックをする。
「失礼します。リリアナです」
「入ってくれ」
いつもの落ち着いた声が返ってくる。しかし、扉を開けた瞬間、私は意外な光景に目を見張った。
「リリアナ! こんにちは~!」
軽やかな声の主。第三王子、エリオット殿下がそこにいた。
「エリオット殿下……!」
私は思わず姿勢を正した。
エリオット殿下は相変わらず朗らかな表情で、ふわりとした笑みを浮かべながらセドリック殿下の椅子に座っていた。
「リリアナ、王宮の空気がピリピリしてることに気付いたでしょ?」
「……はい。王宮中が“セドリック王子殿下の快癒”について話しています」
「まぁ、そうなるよねぇ。今までずっと“病弱”ってことになってたんだから、急に元気になったらみんなびっくりするよ!」
エリオット殿下はまるで他人事のように言うが、その赤い瞳にはどこか鋭い光が宿っていた。
「リリアナに、面白いことを教えちゃおうかな~!」
エリオット殿下はいたずらっぽく笑うと、すっと立ち上がった。
「ちょっとこっちに来て」
そう言って彼が向かったのは、セドリック殿下の部屋の奥にある扉だった。
「……ここは?」
「本とか色々なものを置いてる小部屋だよ~! ……まぁ、厳密にはそれだけじゃないんだけどね~」
エリオット殿下が扉を開けると、その先には小さな書斎のような空間があった。
書棚に並ぶ本の間に、妙な空白がある。そして、その奥には見たことのある模様が刻まれた壁があった。
あれ、これって……?
私は思わず手の甲を見る。
「魔塔の転移陣と同じ模様ですね……?」
「正解! ここ、魔塔と繋がってるんだよ~!」
エリオット殿下の言葉に、私は驚きに目を見開いた。
「王宮の一部と魔塔は、特定の場所で繋がってる。まぁ、知ってる人は限られてるけどね」
「……そんな抜け道があるなんて……」
「うん、だから兄さんは必要ならここから魔塔に戻れるんだよ。もちろん、リリアナも」
エリオット殿下は悪戯っぽくウインクしてみせた。
「王宮の中にいたら動きが制限されることもあるでしょ? でも、ここなら魔塔との行き来ができる。いざという時の避難経路としても優秀なんだ~」
私は思わずセドリック殿下の方を見た。
「殿下は、これを以前から……?」
「ああ。病弱だということになっていて暇だったからな。魔塔にいたんだ」
セドリック王子殿下は淡々と答えながら、扉の縁に手を添えた。
「だが、今後は違う意味で活用することになるかもしれないな……」
「だよね~! 兄さんのために用意した身代わり君人形が一体何体ダメになったか! 狙われすぎててボクも開発に力が入りすぎちゃって」
エリオット殿下は楽しそうに頷く。
「でも、気をつけてね。王宮の雰囲気が変わったことで、さらに動き出す人間が増えるかもしれない」
エリオット殿下の赤い瞳が、一瞬だけ鋭く光る。
「リリアナ、覚えておいてね。ここから魔塔に逃げられるから」
「……はい」
私は自然と背筋を正した。
王宮での任務は、これから本格的に動き出す。
命を狙われているらしいセドリック殿下と、それを阻止したいエリオット殿下。二人の関係性がさらに強くなったように見えた。