13 侍女
朝の空気は、王宮でも変わらず澄んでいた。
柔らかい朝陽が広い回廊を照らし、窓から差し込む光が磨き抜かれた大理石の床に反射している。
王宮の空気は、どこか冷たく、それでいて品位を感じさせるものだった。廊下を行き交う侍女や騎士たちは、皆静かに、それぞれの役目を果たしている。
──よし。
私はそっと息を整え、セドリック殿下の部屋へと向かった。
護衛とはいえ、"影"として王子のそばに仕えるのだから、侍女としての仕事も兼ねることになる。
少しでも役に立とうと、朝食の準備や衣服の整理を整えるつもりだった。
(王宮での生活が始まったばかり……まずは慣れないといけないわ!)
扉の前で一度深呼吸し、そっとノックをする。
「セドリック殿下、おはようございます」
返事を待って扉を開けると、目に飛び込んできたのは、すでに身支度を整えたセドリック殿下の姿だった。
陽の光が差し込む窓辺に立ち、深い紫の瞳を伏せ、書類に視線を落としている。
黒い髪はしっかりと梳かれ、隙のない服装に、整えられた襟元。
軍務をこなす者のような鋭さを持ちつつも、どこか冷静で気品のある佇まいだった。
「……あら?」
思わず声が漏れる。
普通、貴族の男性は朝の身支度を侍従に手伝わせるものだ。それなのに、彼の準備はすでに完璧に整っている。
「……おはよう、リリアナ」
セドリック殿下は、書類から顔を上げることなく挨拶を返した。
「おはようございます。殿下のお世話をするよう命じられているので、何か必要なことがあればお申し付けください」
この宮の侍女長には、既に先日引き合わされた。
事情があって城仕えをすることになった旨をリリアナが伝えると、彼女は大変優しい眼差しで頷いていた。
『この宮には専属の侍女が少ないから助かる』とも。
今朝もリリアナしか来ていないことを不思議に思っているところだ。
「特にはない」
「……殿下は身支度も、ご自身でなさるのですか?」
「なんでも自分でできるからな」
淡々とした答えに、私は改めて彼を見つめる。
それは彼の育ち方を物語っている気がした。本来、王族であれば侍従が身支度を整えるのが普通だ。
だが彼は、それに頼ることなく、当たり前のように自分でこなしている。
ふと、彼が書類に視線を戻しながら呟いた。
「本当はここにいるより、魔塔の方が落ち着くんだがな」
「……王宮よりもですか?」
「王宮は……安心できない」
静かな声だった。
顔を上げ、窓の外に広がる王宮の庭園を一瞥しながらセドリック殿下は言葉を続ける。
「表向きは病弱な第二王子。人々は俺をそう呼ぶが……それを装っているのは、命を狙われる可能性があるからだ」
「……!」
彼の言葉に、私は息をのんだ。
「王宮にいると、誰が味方で誰が敵かもわからない。だから、俺は魔塔にいることが多い。すまないな、それでエリオットがこうして君を招いたのだろう」
「……」
「君にはできるだけ安全なところにいてほしいが……そうもいかないかもしれない」
言葉の端々から滲む、彼の過去の孤独。
王宮という場所は、彼にとって守られるべき"家"ではなく、"生き残るための戦場"だったのかもしれない。
――彼はずっと、誰にも頼らず生きてきたのだろうか。
「私、がんばります。こうして自分を必要としてもらったのだから、できるだけのことをやりたいです」
「……リリアナ」
「お兄様にお願いして剣の練習も再開することにしましたし、馬の練習もします。実はエリオット殿下がすごい馬を用意するとおっしゃっていて」
「エリオットの用意するもの……末おそろしいな」
セドリック殿下は、ふと視線を私へ向けると、少しだけ困ったように眉を下げた。
そして、頭をかく。
「なんだろう……君のもつ空気感が心地よくて、つい話してしまうな。王家のごたごたになど関わらない方がいいのに」
「……え?」
その言葉に、思わず目を瞬かせる。
「君は、適度な距離を保つし、変に干渉してこない。それでいて、そばにいても違和感がない……こんな感覚は初めてだ」
さらりとした言葉に、胸が少しだけ熱くなる。
(そんな風に思ってくれていたなんて……)
「ありがとうございます」
「……?」
「セドリック殿下が、私を"そばにいても違和感がない"と感じてくださるなら、それだけで護衛としての役割を果たせている気がします!」
私は小さく微笑んだ。
気合いを入れて頑張ろう。
姿を消す魔法が重宝されるような、そんな状況にある殿下の助けになれるように努力しないと。
「……そうか」
部屋には静かな空気が流れる。
ほんのわずか、心が温かくなるような感覚がした。
そして、何もしない侍女だと思われても私が困るだろうとの事で、お茶を一杯淹れることになった。
……初めてのことだったので、お茶はすごく苦かった。失敗だ。
それでもセドリック殿下は笑いながら飲んでくれた。「毒よりいい」って笑っていたんだけど、物騒ではありませんか!?