閑話 第二王子
〇第二王子セドリック視点
静寂が支配する夜の王宮。
漆黒の闇の中、一つの部屋の扉が慎重に開かれた。
カチッ——
誰にも気づかれぬよう、音を最小限に抑えながら、影が滑り込む。侵入者は五人。
身を隠す術に長け、暗殺の訓練を受けた者たちだった。呼吸さえも抑えながら、慎重に室内を進んでゆく。
狙うは、第二王子セドリックの命。
彼は、王宮の奥深くにある静かな部屋で眠っている。病弱な王子として知られる彼に、護衛はつかないと聞いている。
通常ならば、彼の身を守るものは何もないはずだった。
(——簡単な仕事だ)
暗殺者の一人がそう確信し、短剣を抜く。
鋭い刃が月明かりを鈍く反射する。
静かに、慎重に距離を詰め、寝台に横たわる王子の喉元を狙う——。
しかし、その瞬間だった。
「っ……!? な、なんだ!?」
突如、侵入者たちの身体がふわりと宙に浮いた。
「うおっ!?」
「ぐっ……!?」
異変に気づいた時にはすでに遅かった。
五人全員が見えない力に引っ張られ、抵抗する間もなく天井に張り付けにされる。
「くそっ、身体が動かねぇ……!」
「何だこれは!? 魔法か!?」
混乱しながらも、彼らは何とか状況を把握しようと足掻いた。
そして、ゆっくりと目を開けた者がいた。
寝台の上、微動だにしなかったはずの王子——セドリックだ。
彼は静かに起き上がり、冷ややかな視線で天井を見上げる。
そこには、五人の賊がまるで虫のように張り付いていた。
「……完成していたのか」
セドリックは低く呟く。
そう、これはエリオットが仕掛けた魔塔製の浮遊魔法による防護壁の成果だった。
騎士たちが数名張り付けになった、あの。
(試しに仕掛けたと言っていたが……なるほど、存外使えるな)
セドリックは静かに寝台を降り、肩を軽く回す。
「……さて」
彼は無表情のまま、天井の賊たちを見上げた。
「誰の差し金だ?」
低く鋭い声が部屋に響く。
五人の暗殺者たちは息を呑んだ。
答えることは許されていない。
王子を殺せなかった時点で、彼らの命も尽きる運命だ。
「……答えないか」
セドリックは小さくため息をつく。
(そうだろうな)
静かに思考を巡らせる。
ついに、命を狙われた。
これまでも牽制や圧力はあったが、ここまで露骨な襲撃はなかった。
(王位継承権を巡る動きが本格化したか)
セドリックは「病弱な王子」を演じてきた。
それは、争いを避けるためだった。
だが、それでも敵対する者たちは彼の排除を決めたらしい。
(……もはや、穏便には済まないか)
セドリックは一瞬、考え込んだが、それ以上は深く考えなかった。
「まあ、いい」
彼はゆっくりと振り返り、扉の方を見た。
バンッ!!
「セドリック殿下!!」
数人の近衛騎士が、緊迫した表情で部屋へ駆け込んできた。
「ご無事ですか!? 侵入者が——」
騎士たちは天井を見上げ、言葉を失う。
そこには、まるで虫のように張り付いた暗殺者たち。
「……」
「こ、これは……!」
騎士たちは呆然としながら、次々と状況を確認し始める。中にはこの状況に見覚えがあるものもいるようで、胡乱な目で見あげている。
「縄を持ってこい! すぐに引きずり降ろして捕らえる!」
「はい!」
隊長らしき茶髪の男が指示を出すと!部屋の中が慌ただしくなる。
セドリックは無言のまま、それを見つめていたが、やがてぼそりと呟いた。
「エリオットに、礼を言わなくてはな」
静かに寝台へ戻ると、騎士たちに命じる。
「……俺はあちらに戻る。あとは任せていいか?」
「は、はいっ!」
命令を受けた騎士たちは、賊たちを捕縛するために動き出す。
セドリックはゆっくりと目を閉じながら、最後にもう一度考えた。
(……王宮の陰謀が本格化する)
王位を巡る争いが、いよいよ動き出したのだ。
(護衛は必要だが、あの令嬢を巻き込んでも本当によかったのだろうか……)
弟であるエリオットの狙いは分かっている。
類稀な認識阻害の魔法は、きっとセドリックの助けになるだろう。だがその反面、彼女の身にも危険は及ぶ。
リリアナ・エバンス伯爵令嬢。
エリオットによって、影の護衛として選ばれた少女。
彼女の能力は確かに特異だ。
“空気”のように目立たず、意識しなければそこにいることすら忘れそうになる瞬間がある。
だが、セドリックにとっては、一度視界に捉えるとなぜか目を逸らせなくなる不思議な魅力があった。
茶色の柔らかな髪は、陽の光を受けると金色を帯びる。空色の瞳は、どこか穏やかで優しげで……だが、芯の強さも宿しているように思う。
普段は物静かに見えるが、何かを決意したときの彼女の目には、躊躇いのない強さがある。
『これからは、自分のやりたいことをやってみようと思います!』
そう言ったときの彼女の表情を思い出す。
あれは、誰かに指示されたからではなく、自分の意思で決めた人間の顔だった。
ふと左手を見下ろす。
あのとき触れた彼女の魔力はなぜか、不思議なほど自分に馴染む感覚があった。温かく、穏やかで、それでいて芯の強さを感じさせる力。
(……妙なことを考えているな)
ふっと、セドリックはわずかに眉を寄せた。
彼女の決意に恥じぬよう、自らも彼女を守れるように精進しなければならない。
明日からは剣と馬の鍛錬にもより邁進することを決め、セドリックは転移陣の上に立った。
いつもありがとうございます〜!!!