閑話 レオン・エバンス
リリアナの兄、レオン視点です
とある日のお昼ごろ。
「君と話すことはない。帰ってくれ」
自宅であるエバンス伯爵邸の玄関先で、俺は来客に冷たい声で言い放った。
目の前に立っているのは、妹のリリアナの元婚約者——エドワード・バークレー伯爵子息。
尤も、その肩書きの大半はすでに失われている。
リリアナとの婚約が正式に解消されたあと、彼は廃嫡され、バークレー伯爵家からも見放された。
かつての余裕や自信はすっかり消え失せ、今目の前にいるのは、焦燥感と苛立ちをにじませた男だった。
「……リリアナは、どこにいる?」
唐突に、本題を切り出される。
俺は静かに息を吐いた。
「それを知ってどうするつもりだ?」
「……僕は、彼女と話したいだけだ」
エドワードの目がぎらつく。
その奥には焦りが混じっていた。以前はきらきらとした貴公子だった男が、手入れの行き届いていないシャツを着て、少し酒精の香りまで纏わせている。
なぜお前と妹を会わせると思うのか、その頭の中がどうなっているのか割って覗いてみたいほどだ。
「婚約解消はもう決定事項だ。エドワード、君もそれを望んでいたと聞くし、リリアナもそうだ。今さらお前に妹と会う理由はない」
「……そんなはずはない!」
エドワードが一歩詰め寄る。
「リリアナなら、話せば分かってくれる。あいつは優しいから……! 僕のことを見捨てたりしないはずだ!」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中に冷たい怒りが湧いた。
「……まだそんなことを言っているのか?」
鋭い視線を向けると、エドワードは歯を食いしばった。
「お前がリリアナにどんな扱いをしていたか、忘れたとは言わせない。
リリアナを“空気のような女”と蔑み、好き勝手に振る舞ってきたのは誰だ?」
「……!」
エドワードの顔が引きつる。
「お前のせいで、リリアナはずっと“目立ってはいけない”と自分を押し殺してきた」
婚約が整った日。
幼いリリアナとエドワードはお互いにあどけなさの残る頬を赤らめて微笑みあっていた。
兄としてそれを微笑ましく思ったし、昔から知っていたエドワードが義弟になるのも悪くないと思っていた。
だが、年齢が上がるにつれて、リリアナはため息が増えた。
暗く塞ぎ込んでいることも多かったが、俺が聞いても「大丈夫です、レオン兄様」と微笑むだけ。
お茶会や夜会に参加せず、鍛錬ばかりしていたことが仇となった。
エドワードが妹にそんな振る舞いをしているなど、思ってもみなかった。俺も愚かだ。
「それでもリリアナはお前に尽くしていたのに、お前は浮気相手を堂々と連れ歩き、挙げ句に婚約解消したいなどと宣ったんだろうが!」
俺が凄むと、エドワードは顔を伏せる。
だが、次の瞬間、顔を上げたエドワードは苛立ったように唇を歪めた。
「……全部、あの女がそそのかしたんだ。カミラが……!」
俺は呆れた。
「何を言っている? 自分の行動を人のせいにするつもりなのか?」
エドワードは何かを言いかけたが、拳を握りしめて黙り込んだ。
どうやら、少しは自覚があるらしい。
俺は、もう一度冷静に告げた。
「リリアナの居場所を知っていたとしても、お前に教えるつもりはない。妹はお前とは無関係だ」
「……っ!」
エドワードは俺を睨みつけるが、俺は一歩も引かない。
「お前の話を聞くつもりはない。もう帰れ。……お前も、もう少し身の振る舞いを考えた方がいい」
正直なところ、エドワードの立場はもうあってもないようなものだ。
ここから持ち直せば、少しくらいはバークレー伯爵からなにか許しが得られるかもしれないが……
そう考えてしまうのは、エドワードも一応ずっと義弟として接していた弊害なのだろう。
もちろん俺も、家族も許すことはないが。
俺とエドワードの間にはしばらく沈黙が続いた。
エドワードはしばらく拳を震わせていたが、やがて忌々しげに舌打ちをした。
「……ちっ。もうレオンには頼まない。いいさ。どうせ、リリアナなら僕のことを忘れてなんかいない。あいつなら、話せば分かるはずだ……!」
悪態をつきながら、エドワードは足早に去っていった。
俺はその背中を見送りながら、静かに息を吐く。
——あいつは、まだリリアナを自分のものだとでも思っているのか。
愚かだ。
俺は玄関の扉を閉めると、そのまま執務室へ向かった。この件は、皆に報告しておく必要がある。
……念のため、警戒を強めておいたほうがいいな。
幸い、リリアナはこの王都で最も安全な場所にいる。
エリオット殿下の突飛な行動には皆手を焼いているが、これまでのどの魔塔の主をも凌ぐ天才魔術師であるため、護衛がいなくても自由に過ごせる実力者だ。
もう実験に参加するのは遠慮したい。
そう思った時に、急に背筋が冷えた。
なんだか今、笑顔の殿下が悪魔的な実験を思いついているような気がする。絶対に参加したくない。
「……リリアナの元婚約者のことは殿下がたにも伝えておこう 」
心の中でそう判断しながら、俺は執事を呼びつけた。




