11 勧誘その2
色々と実験を終え、途中でマカロンやパンケーキの差し入れを食べたとはいえ疲労困憊だ。
ぐったりとしていると、アイリスとなにやら結果を話していたエリオット殿下が私の所にやってきた。
「リリアナ、今少しいいかな?」
「はい。大丈夫です」
どうしたんだろう。まだ実験をするのかしら?
そう思っていたところで、エリオット殿下はにんまりと微笑んだ。
「リリアナ。君に仕事をお願いしたいんだ」
「仕事ですか……? 私に務まるのでしょうか」
「君にしか出来ないことだよ~!」
首を傾げると、エリオット殿下はその赤の瞳を無邪気に輝かせながら言った。
「ボクの提案はね——リリアナ、君には王子の護衛になってほしいんだ!」
その言葉に、私は思わず目を瞬いた。
……護衛? 私が?
それはまったく予想していなかった展開だった。
私は確かに、魔塔で魔法の訓練を少しだけ受けてきた。
けれど、それはあくまで研究の一環であって、誰かを守るためのものではなかったはず。
驚いているのは、私だけではなかった。
「……本気で言っているのか?」
セドさんが低く静かな声でそう言った。
いつも寡黙だけど優しく見守ってくれているセドさんの、少し怒気を孕んだような声色に背筋がひやりとしてしまう。
──怒っているわ、確実に。
「……いくら魔塔で鍛えたとはいえ、護衛はそんなに甘いものではない」
私は、セドさんが腕を組みながらじっとエリオット殿下を睨むのを見た。
「この世界は、あくまで力がすべて。貴族の令嬢が、護衛として通用するとは思えない。それに、むざむざ命の危険にさらす必要はないだろう。レオンとの約束を違えるつもりか?」
「でも、リリアナの魔法は護衛に最適じゃない?」
セドさんから発せられる圧にも負けずに、エリオット殿下はひょうひょうとした様子でセドさんを見つめる。
「誰にも気づかれずに存在できるなんて、暗殺の危険がある王宮でこそ役立つ能力だよ!」
「……確かに、それは一理あるが」
セドさんの表情が少しだけ変わる。
「しかし、敵と戦う力はどうする? いざという時、剣すら握ったことのない者が何ができる?」
「でも、リリアナには護衛と言っても侍女としてそばにいてもらうだけだし~」
「いつ狙われるか、わからないんだぞ!」
「……」
私は口を開きかけて、一度息を飲み込んだ。
……剣なら、私は握ったことがある。だけれどそれを言うのが憚られてしまった。
不安とともに、一つの記憶が蘇る。
『女が剣を振るうなんて見苦しい。そんなことをしている暇があるなら、淑女らしく刺繍でもしろ』
聞き覚えのある声が、頭の中で回る。
乗馬も剣も、お父様やレオン兄様と一緒に練習した。お母様はいつも心配そうにはしていたけれど、咎められたりはしなかった。
よい婚約者であろうと、よい淑女であろうと、私は一度自分を手放してしまった。
……ううん、もうあの言葉に縛られるのはやめよう。
私は静かに顔を上げる。
「——私は剣術も乗馬も、できます」
セドさんが僅かに目を見開いた。
「……何?」
「幼い頃は、父や兄と一緒に鍛錬していました。でも、元婚約者に『そんなことは女がするものではない』と言われて、やめてしまっていたんです」
静かに、でもはっきりと伝える。
「今は少し鈍っていると思いますが……これから、また鍛え直せばいいだけです」
一瞬、沈黙が流れる。
セドさんは驚いたように私を見つめていた。
貴族令嬢が、剣を? 乗馬を?
その考えが彼の中になかったことが、表情から読み取れた。
「……君は、本当に護衛の仕事をやりたいのか? 表向きは侍女の扱いになる、危険な仕事だ」
低く、真剣な問いだった。
私は迷いなく頷く。
「はい。今まで、やりたくてもできなかったことがたくさんありました。でも……これからは、自分のやりたいことをやってみようと思います! この力も……どなたかの役に立つならとても嬉しいです」
自分の口から出た言葉が、妙に心地よかった。
今までは、自分が望んでいても、誰かに否定されればすぐに引き下がっていた。
でも、もうそんなのは嫌だ。
私は、私がやりたいことをやるんだ。
そう思ったら、心が軽くなった。
私は、まっすぐにセドさんを見上げた。
自分でも驚くほど、すっきりとした気持ちだった。
ふっと肩の力を抜いた私を見て、セドさんは目を細める。
「……そうか」
そして、ほんの少しだけ、柔らかな雰囲気を纏う。
きっと同じ護衛の立場として、甘い気持ちで受けることが許せなかったんだろう。危険な仕事であることはセドさんのほうがよく知っているもの。
決意が認められたようで嬉しい。
「よーし、だったらリリアナには来週から早速お願いしようかな~。ちゃんとした護衛も他にいるし、リリアナはひとまずは彼の生活リズムに合わせたらいいから」
「はい!」
そう元気よく返事をしたあと、私は少し首をひねる。
『彼』ってどういうことだろう……?
だけれど聞き返す前に、エリオット殿下が別の話を始めてしまった。
「——そうそう、そういえばね。エドワードのこと、聞いてる?」
「……エドワード様、ですか?」
その名前を聞いた瞬間、私は少しだけ眉をひそめた。
「アイツ、今になって君のことを探してるみたいだよ?」
「……!」
思わず息を飲んだ。
「……自業自得なのに、何を今さら」
セドさんが低く呟く。
「どうせ大した理由ではないだろう。だが、ここを出て王宮に行けば、どこかで接触される可能性もある」
……会いたくない。
今さら、何を言われたとしても、私はもう振り回されるつもりはない。
でも、直接対峙することになれば……少しは動揺してしまうかもしれない。
「……」
私は一度深呼吸して、二人を見上げる。
「大丈夫です。私、もう振り回されません」
そう言ったら、エリオット殿下が楽しげに笑った。
「そっか! じゃあ、決まりだね! さっそく王宮に戻って、正式に護衛としての手続きを進めようか!」
「……はい」
「リリアナ。例の男が君に接触しないよう俺も細心の注意を払う。……引き受けてくれて、ありがとう」
「……はい!」
セドさんの言葉に、私は今度は迷いなく頷いた。
どんな道が待っているか分からない。
でも、私はもう怖くない。
やりたいことをやるって決めたんだから。
そうだ。剣も乗馬もまたしっかりと習うんだから。
あのエドワード様に遭遇したとして、一発殴っても誰にも怒られないと思うわ!
護衛に向けての気合いと共に、私はこっそり心の中でそう誓った。