10 空気になる
「え、ええと……」
実験の準備に、私はとても戸惑っていた。
触れたものと言ったから、てっきり羽根ペンか何かを持つことになるのかと思っていたのだけど……。
私の左手は、なぜかセドさんとしっかり繋がされていた。
他の人を消せるかどうかの実験をするらしい。
「リリアナが消える時に、着ている服も見えなくなったから、理論的にはいけると思うんだよね~!」
エリオット殿下は明るくそんなことを言っている。
「ほら、君たちって魔力の相性もいいからさ! 上手くいくような気がするんだよね~」
「これは実に興味深い実験なのです! さすがエリオット殿下!」
楽しそうなエリオット殿下とアイリスを眺めたあと、私はそっとセドさんを見上げた。
そしたら彼の紫の瞳も私を見下ろしていて、ふいに目が合ってしまう。
「――リリアナ、よろしく頼む」
「は、はい……!」
私の実験だというのに、セドさんのその声はやけに切実さがあるような気がして。
今までで一番空気になれるように、私は気合いを入れることにした。
“私とセドさんは、空気と同化する”
しっかりと魔力を込めながらそう意識する。
自分だけを消した時の感覚をイメージしながら、それよりももっと広く、繋がれた手の向こう側まで全部空気に。
どくどくと流れてゆく魔力。反対に緩やかにこちらに流れてくる魔力。
心地よいその魔力の中でぷかぷかと浮いているような不思議な気持ちになりながら、私は懸命に空気魔法を発動した。
すると——
「おおっ!」
アイリスから思わずといった様子で声が上がる。
「これは……確実に消えていっているのです!」
私はさらに集中する。
——そして、私とセドさんは完全に二人の視界から消えたらしい。
「すごいね~! セドもきれいさっぱり見えなくなっちゃった!」
エリオット殿下がにこにことセドさんのいたあたりを指差す。
「つまり……リリアナが触れたものなら、“空気のように消す”ことができる、ということなのですね!」
アイリスは結果を力強くノートに書き込んでいる。
「これはすごい発見だね~! うん、想像以上だ」
エリオット殿下は興奮気味に手を叩いている。
「大事なものをこっそり隠すとか、誰にも気づかれずに移動させるとかも出来ちゃうじゃん~!」
「……確かに」
空気になったセドさんも、しばらく考え込んだあと頷いた。
「もし敵に狙われた時、リリアナが大事なものを隠すことで、戦況を有利にすることができるな」
「それに、“見えない武器”も作れるのです!」
「……見えない武器?」
私は思わずアイリスの方を向く。
「そうです。例えば、短剣を隠しておいて、必要な時に取り出せば、不意打ちができるのです!」
「……!」
確かに、それはとても強力な戦術になるかもしれない。でも物騒だ。とっても
私の魔法って……こんなに実用的だったんだ。
今まで、ただ”目立たない”ことばかり気にしていたけれど——
こうして実験を重ねることで、私の魔法が”役に立つ力”だと実感できるようになってきた。
私はそっと、握りしめた手を見つめた。
少しこわい。
でも、初めて自分の力が認められたことは、単純にとても嬉しかった。
「ふふふ……面白くなってきましたね……じゃあ、次の実験は『どこまで大きなものを消せるか』やってみるのです!」
アイリスがほくそ笑みながら楽しそうに次の準備を始める。
「えっ、まだやるんですか!?」
「え? 当たり前でしょう。実験は思いついた側からどんどんやるものですよ! はいリリアナ、次はこの本棚に触れてみて!」
「は、はい」
私は慌てて声を上げる。
「……アイリス、ほどほどにしろ」
セドさんがそう声をかけると、アイリスはバチンとウインクをする。
「分かってます。マカロンをいっぱい用意していますから、欠乏の心配はないのです!」
「お、準備がいいね~!」
それって、魔力が尽きても何度でもやるっていうことなのかしら!?
楽しそうなアイリスとエリオット殿下を前に、私の頭には怪訝そうに眉を歪めるレオン兄様の顔が浮かんだ。
……きっとこの調子で、どんどん実験に巻き込まれて行ったのだろう。
ぱちりとセドさんと目が合う。
観念しろと言いたげな瞳をしたセドさんは力なく首を横に振った。
「……すまない、俺ではこの二人を止められない」
それから、どんどん大きくなる対象物を相手に、私は空気魔法を試していくことになったのだった。