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01 空気みたいな女

 陽光が降り注ぐ王宮の庭園は、華やかな貴族たちの談笑で満たされていた。


 色とりどりの花々が咲き誇り、甘い香りが春の風に乗って漂う。

 銀のティーセットが日の光を反射し、貴婦人たちの笑い声が優雅に響いている。


 私、リリアナ・エバンスは、その賑やかな光景から少し離れた四阿(あずまや)の近くで静かに過ごしていた。


 今日のお茶会は社交の場とはいえ、最低限の挨拶は済ませた。今は少し休もうと腰かけたところだった。



「……カミラ、君は本当に可愛いな。まるで春の妖精のようだ」


「まあ、エドワード様ったら」


 聞きたくもない甘ったるい声が耳に飛び込んできた。


 思わず視線を向けると、四阿の柱の影でとある令息が金髪の令嬢を抱き寄せていた。

 あの男性はエドワード・バークレー伯爵令息。私の婚約者だ。


 そして彼が恋人然とした態度でうっとりと見つめているのは男爵令嬢のカミラ・アルトマンだ。


 カミラは昼間のお茶会にはふさわしくない深く胸元の開いた深紅のドレスを身に纏い、艶やかな髪を妖艶に風になびかせながらエドワードに微笑みかけている。



「もう、エドワード様ったら……そんな風に褒めてくださるなんて。でも、わたしなんかより、もっと美しいお嬢様がたくさんいらっしゃいますのに」


「いや、君以外にこんなに魅力的な女性はいないさ。君の瞳は宝石のように輝いているし、君が笑うだけで僕の世界は満たされるんだ」


 二人は私の存在にはまるで気付いていない。

 見ているこちらが赤面しそうなほどの甘い言葉の応酬。だが、それだけではなかった。



「それに比べて……リリアナなんて、全然面白くないんだ。地味で空気みたいな女だよ」


 私の名前が出た瞬間、全身が凍りついた。

 ひゅ、と小さく息を吸う。


「ええ、そうですわね。わたし、リリアナ様と何度かお話ししようとしたことがありますけれど……まるで空気のようでしたわ。申し訳ないのですが、見つけきれなくて……」


「だろう? あいつは本当に影が薄い。僕の婚約者なんだけれど、そばにいても全く存在感がないんだ。何を話してもつまらないし、華やかさもない。だから、こうしてカミラと一緒にいる方がずっと楽しいんだよ」


「まぁ、うれしい……!」


「婚約破棄したいんだが、エバンス伯爵家はなにかと厄介だからな……。だが僕は絶対にリリアナとは破談にして、カミラと幸せを掴んでみせるよ」


「お待ちしておりますわ、エドワード様っ……!」



 二人は再び甘ったるい雰囲気になり、絡みつくように抱きしめ合う。

 そしてうっとりと見つめ合ったかと思うと二人の影はしっかりと重なった。


 長い。そして長い。

 耐えられなくなったリリアナは静かに立ち上がり、二人の前へと歩み出ることにした。



「お邪魔いたしますわ」

 

 エドワードとカミラが驚いたように私を見る。


「え……リリアナ?」


「驚きましたわ。『まるで空気のよう』な私が、ちゃんと目に映っていらっしゃいますのね」


 言葉に棘を込め、じっとエドワードを見つめる。



「お二人が仲睦まじいのは結構なこと。でも、私のことを『つまらない』ですとか『存在感がない』ですとか……随分な言いようですこと」



 エドワードはバツが悪そうに顔をしかめ、カミラは怯えたような表情を浮かべた。


「いや……その、リリアナ、これは……」


「……もう結構です。私は、あなたの求めるような華やかさも、可憐さも持ち合わせていませんもの」


 静かに微笑み、言葉を続ける。


「ですが……私が影のように慎ましく生きてきたのは、他でもないあなたがそう望んだから、でしょう?」


 エドワードの顔が強張る。


 幼い頃から、祖父の頃の縁だとかで婚約することになったエドワード様には何度も言われてきた。


『控えめにしろ。慎ましくしろ。俺より目立つな』


 なにかと注文の多い人だったけど、合わせるよう努力した。

 貴族令嬢として。政略結婚ではあるけれど、彼の理想の婚約者であるために。


 剣術の稽古も、意見を述べることも、舞踏会で目立つことも――全て「エドワード様のため」と信じてやめた。



「お前が、そんなふうに……」


「そう。あなたの婚約者として、あなたの望む令嬢でいようと努めましたわ。でも、それも今日で終わりですわね」



 婚約者なのに彼は私をエスコートすることはほぼなく、舞踏会でも別の令嬢とばかり踊り、私は隅に追いやられたままだった。


 用があるときだけ「お前、そこにいたのか」と声をかけるくせに、社交の場では私を「何もない空間」のように扱った。


 今日のお茶会だってそうだ。

 エバンス伯爵家まで珍しく迎えには来たが、会場に着いた途端にエドワード様は一目散にいなくなった


 どうやら全ては無駄な努力だったようだ。


 私はそっと息を吸い込み、落ち着いた声で告げた。



「──婚約解消いたしましょう。父には私から話しておきます」


「……なっ?!」



 エドワードの表情が引きつる。


「ま、待て! そんなに簡単に決めることじゃないだろう!? 婚約は家同士の約束だ! 君が少し考え直せば──」


「考え直す必要はございません」



 私がきっぱりと言い切ると、エドワードはさらに焦ったように手を伸ばしてきた。


 先程あんなに婚約解消したいと言っていたくせに、何を言っているのかしら?



「リリアナ! そんな冷たいことを言わないでくれ! 僕たちの仲じゃないか。さっきのは冗談だよ。わかるだろう」


 ヘラヘラとした笑顔を浮かべるエドワード様。またいつもの言い訳タイムだ。

 私を蔑ろにした後、父たちに露見しないように私のことを丸め込もうとするのが常だった。


(もう我慢はいたしません)


 私は微笑んだまま身体中に魔力を巡らせる。


 周囲の意識を遮断し、それから空気に溶け込むようにと念じて気配を消す。

 まるで空気のように、この場から姿を消すことが出来るのだ。


 これは生まれ持った特性を極限まで引き出す魔法。

 

 私以外、家族も誰も知らない魔法だ。


 その手が届く前に、私は()()()()()()消えた。



「……え?」


 エドワード様が呆然としている。


「リ、リリアナ!? どこへ行った!?」

「どういうこと!?」


 カミラも目を丸くして辺りを見回すが、私の姿を見つけることはできない。

 

 うまくいったみたい。

 私は誰にも気づかれないままその場を後にし、お茶会を抜け出した。



 ***



「へえ……面白いね!」



 少し離れた庭園のベンチに腰掛け、興味深げにその様子を眺めていた男がいた。

 柔らかな白金の髪をした男は興味深げに目を輝かせたあと、隣に立つ黒髪の男の方を振り向く。



「ねえ、セドリック。あの子、君の護衛にぴったりだと思わない?」


「……不謹慎だぞ、エリオット」


 彼は苦言を呈しつつも、目はリリアナが去った方角を見据えていた。


 人の波の中、誰にも気付かれずに走り去る令嬢が《《見える》》。




 ――この日、誰にも知られぬまま、「空気令嬢」は運命を変えることになった。



お読みいただきありがとうございます。新連載を始めました。

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