元人間の閻魔様、人の世にあきれて。
僕はベランダに出てふと空を見上げる。もうじき夜明けが来るこの空が僕は好きだった。いつか僕の暗い22年の人生にも夜明けが来ると無意識に思っていたのかもしれない。
そんなの思い違いだった。
僕は下を見下ろす。そこには目の前のパチンコ屋の裏手の荒廃したドス黒い暗闇がひろがっている
(そうだ、これが僕の人生だ)
いつもこうだった。夜空のように希望をはらんでいないただ呑み込むことしか知らない闇。それが僕の人生だ。もう諦めはつけてきた。僕には金だけ与えて何も期待しない祖父母も、幼い頃から障害を抱える弟とそれにかかり切りの両親にも。僕を見て欲しいなんて甘い考えなんてとっくに捨て去ったものだ。僕の心を辛うじて繋ぎ止めていたのは彼女の存在だけだった。僕自身も決死の思いで彼女に縋っていたと思う。大切にしていたつもりだ。
だから裏切られた時の苦しみはその分大きかった。身が捩れる思いだった。気づくとベランダの柵に片足をかけていた。もう自由になれるんだ。そこにあるのが地獄でも解放されるんだと思うと気が楽になった。
「先に行くだけだから。」
それが僕、鏑木大輔の最後の言葉だった。体が重力に引かれて加速する、あっというまに目の前に地面が来る。痛いとは思わなかった。
〜〜〜〜〜
「……んっ」
目が覚めると見知らぬ天井があった。
(ここはどこだろう、体もなんか重いし。)
とりあえず起き上がって辺りを見回す。
「うっ、嘘だろ…」
僕の目に入ったのは部屋の片隅にあった鏡だ。いやどちらかと言えば鏡に映っているものに目が行った。そこには赤黒い肌に緑の髪、『大王』と書かれた帽子、爛々と光る金の目。
「これって…」
うん、閻魔大王だこれ。つまり僕は一回死ぬかなんかして閻魔大王になったのか?って、
「納得なんかできるかー!」
「閻魔様ー!朝ですよぉー!」
「ぎゃぁぁ!」
いきなり子供のような影が部屋に飛び込んできた。その子供はよく見ると…赤い肌に2本のツノ、そして虎の毛皮のパンツ。
「お、鬼か?お前?ってか僕閻魔?」
「はい、そうですけど何か?」
まじか、ここはどこ私は誰君はどちら様?
「とにかく、お仕事の時間ですよ!さあ行きますよ!」
「小鬼!って、仕事?何するんだよ…まさか」
流石に察した。閻魔大王だ。多分あれだろう。
「決まってるじゃないですか、死んだ者の魂を裁くのです。」
お決まりですね、はい。
そのままずるずる引きずられるようにして連れて行かれた。その道中で、
「おい、鬼、お前はなんなんだ」
「え、まだ寝ぼけてるんですか?」
ええい、うざいないちいち
「いいから答えろ」
「わかりましたよ、私はここ魔界の住人であり魔界を統べる王である貴方様に支える僕の鬼であります。」
ほう、わからん。
「そんなことよりつきましたよ」
そこはまるで地球の占いの館のような狭いパーテーションで区切られたテーブルと椅子があるだけの場所だった。もうツッコミたくて仕方ない。ちゃっちいな!おい。
「閻魔様にはこれから終業まで死んで未練を持った人間の魂の記憶を見て、そのものを天国行きか地獄で罰せられるべきかを決めていただきます。」
「わかった」
つまりは裁判だな、まかせろ、法廷ゲームは得意だったぞ。
「今日はざっと5000人ほど裁いていただきます。」
「え?多くないか?」
「なんてったって地球では一日十六万人死んでますから。では、また終業後にきますね」
そんなに死んでいるのか。僕は驚きながらも席につき、裁かれるものを待つことにした。
5分ほど手元にあった裁き方ガイドブックを見ていると、
「閻魔様、どうぞ」
さあ、もうやるしかないぞ僕。
〜〜〜〜〜〜〜
もう三千人くらいチャチャーっとこなしたかな?僕って結構優秀だったかもしれない。
案内の鬼が次の魂を連れてきた。その魂は揺らめく青い火の玉で弱々しく光っている。今までずっと緑色だったから珍しいのかな?
まあいい。始めよう
「お前は前世でどのように死んだんだ?」
「わっ、私は崖から落ちて死んでしまいました。」
嘘をついているなこいつ、僕は手元の尺を見る。この尺は不思議な尺で僕が何かとわからないことがあるといちいち教えてくれるのだ。今は机の上の水晶を指している。
「これを使おう。」
手をかざすと水晶が光る。この水晶は真実の泉と言われ、その魂の前世を全て見ることができる優れものだ。しかも使っている間は時間は進まない。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「…んっ」
目覚めたのは、鬱蒼とした森の中だった。周りには巨大な木がたくさん生え地面や木の幹まで苔むしてしまっている。
「どうですか?僕の前世は、ほんとに真っ暗で何もないでしょう。」
目の前に現れたのはさっきの火の玉と同じ声のする光をすべて吸収しているような影だった。
「確かに何もないな、まるで誰にも見つけて欲しくないみたいな森だな。」
歩いていると、時々誰かの叫び声や罵声が聞こえてくる。生前も、このように罵倒され続けけて生きていたのだろう。
その時。
「…くそっ!尺!」
木の陰から飛び出してきたのは犬だった。決死の表情でこちらを睨み今にも噛みちぎろうというふうに尺に噛みついている。尺も暴れているが振りほどけない。
「仕方ないな、ごめんよ。」
僕は懐刀を取り出し犬の脳天に刺した。血も出なかった。犬はビクッっと痙攣すると、灰になって消えていった。影はどこか寂しい雰囲気をして犬が消えたあとも空をみていた
「あれはお前と一緒に過ごしたものか?」
「家族でした。私より先に逝ってしまいましたが、」
それほど大切にしていた犬なのだろう。しばらく歩くと、真ん中に紙垂のついた巨大な杉の木が一本生えた広場のような。開けたところに出た。
「これがお前の心の芯だな。」
生き物は皆心に芯を持っている。それがなければ生きられない。折れれば勝手に死んで行く。芯にはその者の生き様がすべて映っている。ここからが本番だ。
「失礼する。」
「はい、」
「……!」
木の幹に触れた瞬間、金淡く光るの細かな糸が宙を舞い、ゆらめきながらものの形に変わっていく。
現れたのはケージから出てきた子犬と、嬉しそうにその犬を迎える人だった。
「それが私です。初めての出会った時ですね。」
「すごく嬉しそうだな」
「暖かくて優しかったです。」
この頃はまだ幸せだったんだなと思う。
すると人と犬が解けてまた金の糸が景色を紡ぎ始めた。今度はさっきと変わらない人と、大きくなった子犬が現れた。その人は犬に向かって怒っているようにも見える。犬はあっけに取られていたもの怯えている。
「これは初めてすれ違った時です。この時は悪いことをしてしまいました。」
「ここから君は崩れていくのか?」
「はい、ここまでは幸せでした。」
そしてまた金の糸に戻って紡ぎ直す。しばらくすると、家の外なのだろうかリードをつけた犬と何かを言いつけている人が写った。そのリードは柱につながれており犬は身動きが取れなくなっていた。また別の人がスーツと鞄を持って家を訪ねている。
「これじゃ身動きとれなくないか?」
「これでよかったのです。悪いのは私ですから。」
次に出てきたのは、さっきの崖の場面だ。つながれていたリードを噛みちぎったのか半分ほども長さのないリードを首につけ、口は血で染まっている。今にも飛び降りそうなほど崖の端に立っていた。このままでは落ちてしまうと焦った矢先、近くの藪の中から飼い主が飛び出して犬を抱きしめた。
「この時、彼は“ごめんよ、もう君を見捨てたりしないから、一緒に帰ろう。”と言ってくれました。」
「よかったな、って…ん?もしかしてお前ってこの飼い主じゃなくて犬の方だったの?」
「はい、そうですが何か?」
やばい、今更気づいたなんて言えない。そうドギマギしていたその時。
「あっ…」
なんとも呆気なかった、飼い主が急に腕の力を抜いて犬を崖下へと落とした。
(そんな………)
そこで水晶の効果は切れて、現実に戻っていく。
「これが私の一生です。飼い主に引き取られてから楽しかったのは最初のうちだけです。あの人はずっと私に呆れていた、何も愛情などなかった。」
そう話す犬の魂は怒り、赤く輝いている。
しかし、僕は気づいていた。
「そうでもないぞ。」
「何故ですか!あなたに何がわかるんと言うんだ。」
「わかるさ、人だからな。
確かに飼い主はお前を崖から落とした。でも、その目には涙があったぞ。」
「嘘だ」
「いや、ほんとだ。しかもお前を外に繋いでいた時、ちゃんとえさは置いてあったし、本当に嫌ならエサもあげないはずだ。まだあるぞ、いつも飼い主は疲れていた。しかもそこに写っていたスーツの男は借金取りだろう。つまり、君の飼い主は貧しく生活に困窮していた。その中でもやりくりして君を飼っていたんだろう。しかし、それにも限界がある。だろ?」
「そうですね」
「…!」
現れたのはもう一つの魂、正体は犬の飼い主だ。
「実はあの時お前が崖から落とされて死んだ後。飼い主も後を追ったはずだったんだが死に切れずに保護されてしまっていたんだ。だけど、今連絡して特別な方法でここに呼んでいる。
「うぅっ、本当に私のご主人様なんでしょうか?」
「あぁ、間違いなく本物だ。」
犬は泣きながら主人の胸元に魂だけになってしまった体を寄せた。
5分ほど犬は泣きつづけた後、こちらを見据えて言った。
「閻魔様、これで私はこれから与えられる地獄の恐怖と苦痛にも抗わず、前世の行いを反省することができます。」
その目には固い決意が宿っていた。ん?僕まだ地獄行きか天国行きか何も言っていないんだけど。
「えーと、そのー。実はですね、あなたは地獄ではなくて天国行きになっていまして。」
「へ?」
そうなるのも当然だ。なんせ死んだらいきなり閻魔大王の所に連れて行かれて尋問される。これじゃあてっきり地獄行きの人が、どの地獄に行くかを決めているようなものじゃないか。
「よかったじゃん!ポチ!」
「あ、お前ポチって言うんか。初めて知ったわ。」
「なんか皆さんひどくないですか?」
「つーわけでお前天国行きな。」
また泣き出してしまったポチを宥めつつ判決を伝える。するとポチの魂がゆっくり光となって散り始めた。
「また会えるんですかね?閻魔様。」
「今度会うのはお前が転生する時だな。それまで天国ライフを楽しんでこい。」
「ありがとうございました閻魔様……ご主人さま〜!次会うのは天国にしましょう!」
「わかったポチー!待っててね〜!」
そしてポチの魂は完全に消えてしまった。後に残ったのは僕とポチの飼い主だった人間だ。あいつには幸せになってもらわなければならない。ただの被害者だからだ。そして必ず悪人は罰せなければいけない。あいつのためにも。
「行っちまったな。」
「はい。これでもう悔いはないです。」
「ではもう一度自分の罪を言ってみろ」
そう言った瞬間飼い主は微笑みを消した。その後に残ったのはドス黒く醜い笑顔だ。
「俺は、ポチの世話をしている裏で、生活を回すためにインターネット詐欺の主犯をやっていた。途中まではうまく行ってたからなんとかなったけど、警察にカン付かれてから一気に生活が厳しくなって日々のストレスをあいつにぶつけていた。そしてあの日警察に見つかって逃げた先の山の中でポチを殺し偽装に使って逃げようとして捕まった結果がこれだ。散々だったよ。」
「クズめ、お前にポチの飼い主を騙るけ権利なんてなかったんだよ。せいぜい地獄で苦しんできな。」
言い切った瞬間飼い主の足もとの床が抜け落ちた。
「じゃあな、閻魔サマ。また会おう。」
「二度とくんなボケ。」
落ちて見えなくなる瞬間まで気味の悪い笑顔は張り付いたままだった。僕の背中は、冷や汗でビッショビショだ。着替えようと入り口のドアを開けて更衣室に…
「閻魔様〜〜!」
ドスッ
「うぐっっ!」
今度は思いっきりタックルを食らった…
「終業の時間ですよーっ」
「うっ…わかったからノックぐらいしろよ」
小鬼とならんでそんなことを話す。
まだ一日目だった。