初恋は無関心へと変わる1
別邸に着くなり私は動きやすい服に着替えた。
一緒に帰ってきた侍女のアンリは戸惑っていたけど、気にしない。多分、今を逃すと遅いような気がするんだ。
「アンリ、少し探し物をするから先に休んでいてね」
「あの……探し物でしたら私も」
「ううん、多分私にしか視えないから大丈夫よ」
侍女のアンリは不思議そうな顔をしていたけど、特に気にせず私を自由にさせてくれた。
別宅の奥の奥にある書庫。お祖父様が集めた書籍を保管している場所。
私に優しかったカイン・カーマインお祖父様。……優しかった……というぼんやりとした記憶しかない。
……やっぱり幼少期の記憶が無いと寂しいな。私が小さい頃お亡くなりになっちゃったんだもんね。
私はお祖父様似と言われる。
そんな事を考えなからも書庫の中でドッタンバッタン――
「この本じゃない……、えっと、あそこの棚はもう見たし……、きゃっ!?」
平置きされてあった本が倒れてしまった。床に散らばった本を直して再び立ち上がると、目的の本が机の上にあるのを見つけた。
「……あれ? こんな所にあったっけ?」
古めかしいけど重厚感がある皮の装丁に星の印が記された表紙。私は古書を手に取った。
「確かこの本だ。……うん、ちゃんと読める」
何故か私にしか文字が視えなかった不思議な古書。
題名は――
「『成長スキル※※習得』」
うぅ、なんか掠れて読めない所があるけど……うん、この本で間違いない。
ペラペラと中身を確認する。
えっと、『スキルの力によって対象者を成長させる。心と身体を成長させる事により、眠っていた能力を瞬時に引き出す。また、それにより無駄な感情というものが削がれ――』。
うん、無駄な感情がなくなる。
決して恋心とは書かれていなかったけど、今のこの苦しみは私の精神性が幼いのが問題だと思う。
ディット様を想う気持ちがなくなればこの苦しみから解放される。
書庫の机の上に置いたジゼルの魔法論文。私はそれを書庫の棚にしまう。
だってこの論文はもう読んだもん。ちゃんと理解している。でも、私には実践出来ないだけ。
「よいしょっと」
そして、私は書庫の椅子に座って古書を読み耽る事にした。
一度見た本の内容は大体覚えている。
私は本が好き。
本の内容を理解していてもそれが実践出来ない。
それでも、本が私を救ってくれた。物語が、作り出された世界が、私の心を癒やしてくれたんだ。
「――使用者の無駄な感情を消費して成長を早める。そして――」
ページをめくる手が速くなる。この古書の作者の想いが段々と自分の心に伝わってくる。
――共感性。それを今この古書から感じる。
ディット様は私を愛していない。
なら、私もディット様を愛さなければいいんだ。
そんな単純なことが出来なくて苦しんでいる。
本を読み進めていくうちに、眼の前に文字が浮かび上がってきたような気がした。……本を集中して読んでいると似たような経験が起こるけど……これははっきりとしすぎているかも?
もしかしたら魔書の類かも知れない。
もしかしたら呪いの書かも知れない。
それでも。
それでもっ。
それでも私はっ――
古書が頭の中で私に語りかけてきた――
『対象者の感情を変換して成長します。……根源魔法による『枷』を確認。スキル使用のために破壊します。――『スキル成長』を実行しますか?』
「うんっ!!」
よくわからない言葉もあったけど、私は心の中で強く同意した。
その瞬間、書庫が光に包まれる。これ古書が光っているんだ。
ガラスが割れるような音が頭の中で聞こえた。自分の身体を覆っていた視えない何かが砂のように崩れる。
『枷の一部の消滅を確認――星の海から記憶のバックアップを補足――………………計測不明、計測不明、認識再確認――認識可能……完了、感情変換開始』
それはまるで何千枚という写真を瞬時に視ているような感覚だった。今までの私の人生が走馬燈のように浮かび上がる。浮かび上がるなんて生優しいものじゃない。
焼き付けられるというのに等しい。
赤ちゃんの私、初めて声をあげた時、自分で立てた時、外で駆け回っている私、ドロだらけになりながらも笑っている私、両親への疑問、初恋の想い――
吐き気が込み上げてきた。身体の中から軋むような音が聞こえる。頭が痛い……。
それでも――
私は――もう、
……
…………
……………
気がつくと私は机に突っ伏していた。
上半身を起こす。全身に痛みが走る。それでも精一杯の力を振り絞って状況を確認する。
頭の中で記憶と思い出が乱流していて整理が付かない。
情報の精査を別思考のリソースで再構築させる。主思考で身体的な変化を確認する事にした。
「あれ? あの古書が無くなってる? ……不思議な本。でも、お祖父様に会えたみたいで懐かしい気持ちになれた……」
手で身体をまさぐると、着ていた服が小さすぎてところどころ破れてしまっている。パツンパツンだ……。
「……えぇ、太ったの!? 身長が伸びたのかな? 心と身体が成長するって説明あったし……なんかすごい事になってる……」
髪も随分と伸びてしまった。元の長さよりも三十センチほど長い。薄い黒色の髪はシルバーがかった黒へと変化していた。
「お祖母様と同じ髪色だ……」
お祖父様が愛していたリディアお祖母様。大恋愛の末に結婚したと言われている。
恋愛……か。
胸に手を当てる。
私の中にあった『愛情』は確かに消えていた。そんなものがあったのかさえもうわからない。
ディット様の事を考えても、関心がいかない。
「無関心……。どうでもいい存在。私は今まで何をしていたの? 本当に無駄な時間だったんだ……。もしもディット様に恋したままでも、きっと数年後には愛想を尽かしていたんだね」
子供の初恋が淡く消え去った。
記憶の整理はまだ終わっていない。けれど、これだけはわかる。
私はお淑やかで大人しい令嬢になんてなりたくなかったんだ。
ディット様の好みで自分を変えようとしていた。記憶が無くなったから、それが自分だと思っていた。
スキル『成長』によって幼い頃の記憶がどんどん蘇ってくる心の裡。
別思考で記憶の整理を進めながらも自分を取り戻せて行くのがわかる。よくわからない力が身体の中で渦巻いている。
今までの自分が自分じゃないみたい。
「あははっ……、もう必要ないんだ……」
もしかしたらお祖父様とお祖母様が私にくれた贈り物だったのかも知れない。別宅の書庫に置いてあって私にしか視えない古書。
私は……救われた。
私は……もう自由なんだ。
「もう他人に振り回されない。もう自分の意見はちゃんと言える。私は――自由に生きていくんだ」
自由人だったお祖父様とお祖母様のように。
胸に手を当てる。古書から感じた温かい想いが残っているみたいだった。
私は決意した。この想いを忘れない。
「もう恋なんて無駄な事――二度としない」
バタバタと足音が聞こえてきた。書庫の扉から侍女のアンリが顔を見せる。
いつも冷静な彼女が焦った表情をしていた。
「ピオネ様……大丈夫ですか? 何か大きな物音が聞こえたので……え? ピ、オネ様??」
息を切らして書庫の中へ入ってきたメイド。
「大丈夫ですピオネ本人です。少しめまいがしただけですから」
「ほ、本当にピオネ様ですか……? あ、あの、お身体が大きく……それに、大人びた雰囲気が……。あっ、お洋服を新しいものに」
「詳細は追って話すわ。身体の検査をしたいから明日朝一番で聖教会病院へ向かうわ」
「はいっ、すぐに準備いたします。……帝都病院の主治医のウォーロック様でなくてよろしいのでしょうか?」
「彼はヤブ医者よ。聖教会病院のマルクさんという医者なら腕は確かよ。予約をお願いねアンリ」
その言葉にアンリ恭しくお辞儀をして応えて書庫を出ていった。
私も立ち上がり書庫を出ようとした。
最後に振り返り、私は書庫にある本に向かって頭を下げた。ここにある膨大な本。私はそれを全て読んだ。今まで読んだ本の数は数え知れない。
それは私の心を作り、糧になり、経験として存在している。
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だから――言葉を伝えたかった。
「――ありがとう。私、行ってくるね!」