ピオネの決意
「初めて学園を早退しちゃったね、ピピンちゃん……」
あの『公爵令嬢ジゼル婚約破棄事件』の後、私は学園の噂話を聞きたくなくて別邸に帰ってしまった。
自室にいても何か気持ちが落ち着かない。そこで私服に着替えて街に出ることにした。その時何故かピピンちゃんを連れてきてしまった。
多分、一人になりたいけど、一人にはなりたくなかったんだろうね。
「セイヤ様、すごいね。婚約破棄しちゃったよ」
帝都中央駅から駅馬車に乗り、自然公園へとたどり着く。公園の屋台で簡単なサンドウィッチを頼んで、あのベンチで私は海を見ていた。
船の警笛の音、鳥の囀り、波が防波堤に当たる音、虫の鳴き声、時折小動物の声も聞こえてくる。
世界はどんな事が起こっても時間は等しく過ぎていく。
薔薇会は明後日。あの後、ディット様が教室に来たっていう連絡があったけど、私はそれを無視した。
「薔薇会、行かなくていいかな? おうちでゆっくりしようか? それともアリスさんと一緒に遊ぶ?」
私は自分の気持ちが整理がつかなかった。
ディット様の事はどうでもいい。ジゼルの事もどうでもいい。
でも、二人は私の人生に関わってくる。
ディット様は私の婚約者、ジゼルは私の姉でありセイヤ様の元婚約者。
「セイヤ様、婚約破棄したからどうなっちゃうんだろ……」
「俺か?」
「わっ!」
海を見ていたから全然気が付かなかった。制服姿のセイヤ様が私の横に立っていた。
「隣いいか?」
「もちろんです……、あの、セイヤ様」
「ピピン、か。懐かしいな。やっと逢えた。久しぶりだ」
セイヤ様は私が抱きしめているピピンをそっと撫でた。ピピンはぬいぐるみだけど嬉しそうな表情をしているように見えた。
想いを込めるとそれに魂が宿る。きっとピピンちゃんには魂が宿っていると思う
だって、こんなに愛らしいんだもん。
「セイヤ様、婚約破棄大丈夫なんですか?」
「ああ、レオン様に呼ばれて面談が行われた。……薔薇会の後、自由都市側と調整が入る。といっても、『誓いの署名』が燃えたから親父はもう知っているだろうな」
「あれは魔道具……でしたっけ?」
「ああ、俺の監視の役割も兼ねている。まあ気にしてないよ」
海風に吹かれるセイヤ様の髪。その横顔はとても穏やかでスッキリとした表情。
思わず見惚れてしまう。
「すごいですね、セイヤ様。皇子様なのに婚約破棄を宣言して……。私にはとても真似出来ないですよ」
「……俺一人の力じゃない」
セイヤ様はそう言いながらベンチに腰掛けた。私が抱いていたピピンを優しく撫でる。
「自由都市皇国、魔力至上主義、皇帝ハヤトの命令は絶対。少し前の俺だったら婚約破棄なんて出来なかった。だけど――俺はピオネさんと出会えたんだ」
「私と?」
「ああ、君は君が思っている以上のモノを俺に与えてくれたんだよ。だから決意した、行動した、後先なんて考えない。……いや、少しは考えないといけないな」
セイヤ様が微笑を浮かべながら胸に手を当てていた。
私はその表情を見て、厚かましくも羨ましいと感じてしまった。
「ここにさ、あるんだよ。ずっと子供の頃から押し込めていた『何か』の感情が。……それが成長して蕾になり、花が開いたとしても……俺はもう後悔しない」
とても難しい表現なのに、意味はわからないのに、この身が感覚で理解できる。
共感性。セイヤ様と私の共通点。
想いが伝わる。
私も自分の胸を手に当てる。
確かにそこにある、小さな感情の蕾……。それを見ないようにしていた。それを感じないようにしていた。意識したら駄目、一瞬で花が開いてしまう。
「あ、あの、自由都市に帰るんですか!」
「……ああ、いずれな」
「そう、ですか……」
セイヤ様はこの先苦難の道を進むかも知れない。でも、セイヤ様はもう自由なんだ。
ジゼルじゃない、本当の好きな人と恋をして、結婚できる。
うん、とっても良いことだよ。だって、一番のお友達が幸せになる選択肢が選べるんだもん。
「……わたし、セイヤ様に会えて良かったです」
「俺もピオネさんと出会えて良かった……。この世界は不条理ばかりだ。それでも俺達は幸運にも出会うことが出来た。なあピオネさん、全て壊してもいいんだ。ピオネさんの思う通りに……君は自由なのだから、君の幸せのために――」
言葉が重なる。静寂が広がる。想いが共有される。
お互い、お互いの幸せを願っている。
私はピピンちゃんときゅうっと抱きしめた。想いを具現化させる。
――決意。
頭の中でその言葉が生まれた。なら私は――もう二度とディット様と関わりたくない。
「セイヤ様、お願いがあります。……明後日の薔薇会、私をエスコートしてくれませんか?」
セイヤ様は立ち上がり、私の前で跪き手を取って口づけをした。
身体が熱くなるほどの恥ずかしさなのに、私はそれ以上に高揚している自分に気がついた。




