努力で全てを乗り越えようとした男2
待ち合わせはジゼルが好きな帝都の最高級カフェ『グランカフェ帝都』。
目立つ場所のテラス席に座る。一杯で俺の一日の食費を超えてしまう価格のコーヒーを注文して待つ。
待ち合わせの時間から三十分が過ぎた。
――まだ三十分だ。予想の範囲内。……耐えろ。
一時間が過ぎ……二時間が過ぎ――心が少しだけ痛くなった。
この痛みは何の痛みだ?
店員さんには待ち合わせだと伝えていた。店が混んでしまったら迷惑になるから出ようと思っていた。幸いと言っていいのか、平日なので店はそこまで混んでいない。
テーブルの上に置いた論文とブローチを包んだプレゼント。
俺はそれを見つめながら、ただ待っていた。
冬の寒さで身体が凍えそうになる。身体が凍えるのは慣れている。
心が凍えるのはもっと慣れている。
ジゼルは来ると言った。なら俺はジゼルを信じなければ婚約者ではない。
しかし、閉店まで待ってもジゼルが来る気配がなかった。
「あ、ありがとうございました。あの、またいつでもいらして下さい」
「すまない、閉店まで迷惑かけた。気にかけてくれてありがとう」
そう言って、俺は店員さんにチップを渡し店を出た。
そして俺は信じられないモノを見た。
ディットと二人で仲良く歩いているジゼル。どっからどう見てもカップルにしか見えないその様子。
ジゼルはディットのマフラーを奪って二人で一つのマフラーを使っていた。
仲睦まじいその様子は流石の俺でさえ目を疑うものであった。
何かの間違えだと思った。あの時のジゼルは信じてもいい、と思える態度だったからだ。
ジゼルも婚約者として将来の事を考えていると思っていた。
伝えた日時と場所は間違えていない。
店の前で立ち尽くす俺と目が合うジゼル。
「あ……、わ、忘れてたわ……。や、ち、違うの、これは寒いから仕方なく……
」
忘れていた……。そうか、忘れていたのか……。理由が知れて問題はこれで解決した。
「べ、別に忘れて無かったけど、魔法研究が忙しくて……。というか、今最後の研究論文の時期なんだからもう少し先でもいいじゃない! 年度末は忙しいのよ! もう、気が利かない男ね! ただ、まあ、待たせてごめんさないね。私に渡したいものあったんでしょ?」
罪悪感に近い感情をジゼルから感じたが、それも一瞬でかき消えた。
ジゼルは「はいっ」と言いながら俺に両手を前に差し出した。
軽い、態度も言葉も感情も全て軽い。なぜ笑っていられるんだ?
なんてことはない、俺に対する気持ちなんて一片も無いからだ。
ディットは寒そうにしながら「早く終わらせろよ……。帰って論文まとめるぞ」とのたまう。
俺も笑いたくなった。
自分の決意が馬鹿みたいだった。もしかしたら自分に天罰が下ったのかも知れない。
ジゼルを愛そうと努力をしたのに、魔道具はうさぎの形になってしまったんだから。
それでも――
こんな結末は……とても悲しい。
「申し訳ない。……家に忘れてきたようだ。二人とも気を付けて帰ってくれ」
「はっ? プレゼント無いって……手紙であんなに熱烈なアプローチしたのに? 信じられないわ……。まあ、別に私はセイヤ様の事なんて気になってないし、そんなものいらないわよ」
「うわぁ、雪が振ってきたぜ!? ジゼル、痴話喧嘩なんてどうでもいいから寒いし帰ろうぜ。じゃあなセイヤ君! 高等部入学楽しみにしてるぜ!」
不機嫌になるジゼルの表情。寒そうに身体を震わせるディット。
もう俺に関心がないばかりと、二人は歩き出した。
二人の背中を見つめる。
――信じられない、か――
……そんな事はわかっていた。ジゼルが愛している人はディットだっていう事は。
凍えた身体と一緒に、俺の心が凍りついて砕けたような気がした。
雪が強くなってきた。
空を見上げる。雪があの時の『サクラ』みたいに花が舞い散っているようで綺麗だった。
咆哮をあげそうになった。それを理性が抑える。
わけもわからない悲しみが込み上げてきた――
涙を流す事は俺の過去が許さない。こんな事で泣いてたまるか。
「少し、寒いな」
フィルガルド貴族学園の学生寮までゆっくりと歩く。
頭の中で術式が勝手に構築されて、火魔法が発動した。
低体温となった身体を温める。それでも――心の冷たさは消えない。
「なんで、こんなに、寒いんだ?」
カバンの中にしまい込んだ論文を取り出した。俺の中での最高傑作。これを見た人は必ず興味が沸くと、珍しく自画自賛したほどの出来。
もしかしたら、ジゼルが喜んでくれると思った。ジゼルの笑顔を見たら愛する事ができるかも知れない。そう思っていた。
論文を強く握りしめる。
あれだけ大事だった論文が陳腐なものに見える。こんなものはどうでもいい。俺に必要のないものだ。
気がつくと――
「少し、暖かい、な……」
俺はそれを――燃やしていた。