公爵令嬢ピオネの初恋2
帝都フィルガルド貴族学園高等部一年、公爵令嬢ピオネ・カーマイン。
第五皇子ディット・フィルガルドの婚約者であり、公爵令嬢ジゼル・カーマインの出来損ないの妹……それが今の私の肩書。
このフィルガルド帝国は男女平等が進んでいる。女帝であり帝国最強の魔法使いでもあるマリア・フィルガルドが治めている強国。
男女関係なく能力が高い人間が優遇される。
そんなこの帝国で最高の教育が受けられるとされる『帝都フィルガルド貴族学園』は中等部と高等部に分かれている。
貴族中心の学園だけど、一部の優秀な平民と近隣友好国の留学生も受け入れている。
魔力の強さだけが評価の基準じゃない。
在学生ながら帝国に貢献できる論文を評価される生徒もいれば、魔力を使わない物理工学の分野で活躍する生徒、活発な部活動で他国を圧倒する勝利を収める生徒、天才的な剣術の持ち主、そんな生徒たちも学園は平等に評価してくれる。
多分、他の国……例えば魔力絶対至上主義のハヤティス自由都市皇国に比べれば先進的な国だと思う。
それでも、私みたいに……なんの取り柄もない生徒は……落ちこぼれとされる。
落ちこぼれの公爵令嬢ピオネ、優秀な姉のジゼルと比べられる日々。
帝国は実力主義。
だから、無能な令嬢の私は誰からも見向きもされない。
私に話しかけてくれる令嬢令息の生徒は誰もいない……。
今みたいに休み時間は教室の自席で本を読むだけ。返事が返って来ない手紙を書くだけ。
もうそれも慣れっこになってる。中等部からずっと同じ生活だから……。
私は中等部から貴族学園に入学し、公爵家の帝都別邸から学園へ通っている。別邸には姉のジゼルと数人の従者だけが住んでいる。時折、両親が仕事の合間に顔を出すくらいだ。
姉は別邸にはほとんどいない。……私の婚約者のディット様と学園で実験の日々を過ごしているから……。
「あら、ピオネ様ったらまた本を読んでいますわ」
「お淑やかで寡黙なお方ですから……。ふふ、最近の流行りではないですわね」
「あれはお淑やかというよりも……」
「おやめなさい、ジゼル様と比べてはいけませんわ。きっと心も身体もまだ子供ですのよ」
教室にいる貴族の令嬢たちの世間話。雑音を聞き流すことには慣れてしまった。なんの取り柄もない私が唯一できる事はお淑やかにする事だけ。
それにディット様はお淑やかな令嬢がお好きだと聞いた事があるからだ。
姉のジゼルみたいに頭が良くない、魔力も少ない、魔法もうまく使えない、運動も全然出来ない、淑女としての作法も姉のジゼルの方が上だった。
魔法の腕を磨くよりも読書が好きだった。
(……あれ? 私、なんで本が好きになったんだろう? うろ覚えだけど公爵家は本を読む環境じゃなかったような……)
――頭の中で考え事をしながらも眼で本の文章を進める。私の特技って言えるのかな? 読みながらでも考えることができるのは。
私が今読んでいる本は自由都市皇国で流行っている小説『ブルーファイア』という本。両親に恵まれなかった少年が妹を助けるために恋人と奮闘する青春小説と呼ばれるもの。
小説を読んでいると心が晴れやかになれる。その世界に入り込めてあたかも自分が経験したような気持ちになれる。感情が揺さぶられる、嬉しい気持ちになったり悲しい気持ちになったりする。全部ひっくるめて、私は本が好きなんだろうな。
魔法の稽古をするよりも詩を書くのが好きだった。
本を読むのを止めて机の上に出している書きかけの手紙を見つめる。432通目のお手紙にはすっごく時間を費やして書いている。
今度こそちゃんとお返事をもらいたい。私の気持ちをちゃんと知ってほしい。そんな想いを簡潔にそれでいて情熱的に書き上げた手紙。
私とディット様との関係は婚約者……。なのに、私はディット様から関心を持たれていない。
勇気を振り絞ってお声をかけても――
『ピオネちゃん、悪いけど生徒会長の仕事が忙しいからまた今度でいいかな? ごめんね。あっ、ジゼルッ! 帝都ダンジョンの申請したか!』
お手紙の感想をお聞きしても――
『手紙……、ああ、うんっ! いつもありがとうね! ちゃ、ちゃんと読んでるよ。あははっ、筆不精だからまた今度返事するね! えっと、おっ、ジゼルいいところに。ははっ、ちょっとジゼルと生徒会の事を話さなきゃね。バイバイ、ピオネちゃん』
夜会のときにおそばにいられると思っていても――
『あっ、ピオネちゃん、ちょっとジゼルと大事な話してるからまた後でね。……? 踊りたい? ああ、それならレオン兄さんはどうかな?』
『ディット! デリカシーないわね……。ピオネはあなたと踊りたいのよ。といっても今日は私が先約ね。ほら、ディット、今夜だけしか咲かない花が帝都の外れの森にあるのよ。魔力のゆらぎが普通とは違って――』
『ジゼル、ワクワクするな。早く夜会を抜け出して採取しようぜ。それにしてもジゼルは本当に俺がいなきゃ駄目だな』
『なによ、あなたこそ副生徒会長の私がいないと駄目でしょ?』
『ははっ違いない』
――極稀に二人っきりになれたとしても。
『あぁ、うん、そうじゃない。あのね、その魔法は……。はぁ、ジゼルだったらすぐに分かってくれるのに。あっ、なんでもない。ごめんね、デートなのに魔法研究所に行きたいって言い出して。ははっ、おや、あそこにいるはジゼル? ジゼルじゃないか!」
彼は私の事を見ていなかった。ジゼルだけを見ていた。
ジゼルを見かけると嬉しそうな顔に変わる。私といるととってもつまらなそうな顔をする。
ディット様が私に向けるのは感情が籠もっていない冷たい言葉。それは蓄積されて鋭い槍となって私の心を突き破る。
彼は私には『無関心』なんだ――
2歳年上のディット様はこの貴族学園の生徒会長として実績を重ねている。その隣には寄り添うように常に副会長のジゼルが立っていた。
才色兼備なふたり。誰もが二人の間柄に憧れている。理想のカップル。誰もが疑問に思っていた。何故ディット様とジゼルが婚約者ではないのか? 何故落ちこぼれのピオネが婚約者なのか?
そんな言葉を聞くたびに落ち込んでいたけど、今は大丈夫……。ただ、悲しいな、って思うだけ。
もちろんジゼルにも婚約者はいる。隣国のハヤティス自由都市皇国の第五皇子セイヤ・マシマ様。
――見つめていた手紙を手に取る。「ふぅ……」とひとつ吐息。願いを込めて。胸の嫌な気持ちを吹き飛ばすように。
この気持ちの理由はわかっている。寄り添う二人を見たくない。
私の初恋はこんなにも脆くて壊れそうで痛くて……苦しいんだよ。
――手紙に封をして眼を閉じる。…まだ大丈夫。きっと私が大人になれば振り向いてくれる。魔法もろくに使えない落ちこぼれな私がいけないんだ。
ディット様と出会ってから今まで、私が手紙を送っても返ってくることは一度もなかった。時折学園ですれ違う時、手紙の礼を言われるだけ。
『ああ、手紙ありがとう! 楽しみにしてるよ!』と言われただけで嬉しかった。
夜会に誘われる事はほとんどない。私から誘っても魔法の研究があると言われて断られる。極稀に誘いを受けたとしても、隣にはジゼルが必ずいる。
ジゼルとディット様だけが話していて、私はただそばで立ってそれを見ているだけ。
三人でいるのに一人でいる感覚。それが嫌で嫌で仕方なかった。
それでも、ジゼルに笑顔を向けているディット様はとても素敵だった。胸が高鳴ってしまう。……初恋がこんなにも苦しいものだとは思いもしなかった。
多分、ジゼルもディット様の事が好きなんだ。
二人はお似合いだもんね。
中等部の私は何者にもなれない平凡な令嬢だった。公爵令嬢という身分があるだけ。何でも出来て魔法の才能に優れたジゼルに勝てる要素が一つもない。
平均よりも低い身長、魔法の才能は人並み以下、唯一の取り柄は本を読む事……。
――眼を開けて深呼吸をする。感情的になっていた私の心が少しだけ落ち着く。
「ねえ! ディット様がこちらの校舎にいらしたわよ!」
「わぁ……、歩いてるだけで素敵よね」
不意の言葉に私の心がかき乱される。嫌な汗が背中から吹き出す。教室の中まで響くディット様の笑い声。それの後に続く――姉のジゼルの明るい声。
私達の教室を通り過ぎようとする二人。教室のざわめきは一層すごくなる。
私はディット様を見つめていた。ディット様は……姉との会話に夢中で、私の教室を一瞥もせずに通り過ぎていった。
笑い声の残響だけが私の頭に残った――
より一層ざわめく教室。
「はぁ、素敵……」
「お似合いにお二人ね……」
「ピオネ様に会いに来たんじゃないんだ?」
私は胸が痛くて痛くて苦しくて、この場から逃げたかった。手紙を強く握りしめて足早に教室を出ようとする。後ろから聞こえる他の教室の令嬢の声――
「公爵令嬢の妹の方だわ。本ばっかり見てる落ちこぼれよね」
「見た目は可愛らしいのにちょっとウジウジし過ぎじゃない? あれでディット様と釣り合うと思ってるのかしら」
「あのさピオネさんってディット様とは婚約者なのに、一緒にいるところを見たことないよね? ジゼル様が本当の婚約者じゃないのかな」
「あら、わたくしはディット様とピオネさん喋っているのを一度だけ見たわよ。あの子ったらどもっていたわ。男性慣れしていないのよね。可哀想で見てられなかったわよ」
「ぷっ、一度だけ……?」
背中越しの声。顔の見えない令嬢子息。唇を噛みしめる私。
どんな事を言われようが私はディット様の婚約者。だから婚約者として、ディット様に相応しい令嬢になる努力をした。
でも……その努力が実ることはなかった。だって、ディット様は私に関心が無いから――
初めてディット様と出会ったあの帝国城の庭園で一人ぼっちの時みたいに……私は胸から込み上げてくる感情を抑えられなかった。それでも唇を噛み締めて我慢する。口の中が血の味がしても、鼻水が出そうになっても、私は涙は流さなかった。
――だって、これが私の日常なんだもん。