第7話 羨望の紅茶
唐突かつ自然に、その機会は巡ってきた。
「アンルィも紅茶、飲んでみなよ。ハーブティーの口直しにもなるしね。マーガレット、今回のはどこの茶園?」
「ピュッタルボーン茶園のファーストロットでございます」
「ヒュウ、一番ロットか。是非アンルィにも」
「かしこまりました。カップをもう一揃えお持ちします」
えっ、ええっ?! ほ、本当に、飲めるの?
わたしって、今から『あの』ダージラインを、飲むの?!
「アンルィ? 口が開いたままだけど、どうかした?」
「えっ?! あっ、ごめんなさい、ちょっと本当に驚きで」
胸がドキドキする。手も小刻みに震えている気がする。
そうしているうちに、私の前に新たな、また別のデザインのカップアンドソーサーが置かれる。
マーガレットさんは、置いたその手でハーブティーののカップをスッと横によけた。
「ポットを拝借致します、リチャード様」
さっきからの事ではあるが、マーガレットさんは私たちの前を横切らない。必ずソファーの後ろを通る。
リチャードに向け、私の座る位置から、頭を少し下げながら声を掛け、そのままソファーの後ろに回ってティーポットを取りに行く。
メイド服のポケットから小さなキルト生地の様な、ハンカチより小さな布を出した。ティーポットにそれを添え、再びこちらに。
「それでは、失礼致しますね」
マーガレットさんが、私のカップにダージラインの紅茶を注いでいく。やはり緑色が強い。
貴族や王族しか飲むことが出来ない、庶民の手は決して届かないお茶が、今目の前で、カップに注がれた。
紅茶、と言われないと、他の種類のお茶だと思ってしまう様な、緑色の強めな水色をした紅茶。
ふと。手を伸ばそうとして、その手が自然と止まった。
「……本当に、わたしなんかが飲んでも、良いんだよね? 後で請求書とか、来ないよね?」
「来ない来ない。心配しすぎだって、アンルィ。さ、冷めないうちに、飲もう」
うろたえている私に苦笑いをしながら、リチャードは自分のカップをひょいと持ち上げ口を付けた。
ハーブティー同様、飲み頃の温度に調整してあるようだ。リチャードは目を閉じて、少し飲んではゆっくりうなずき、また少し飲んでいる。
そっか。あの飲み方が、高級な紅茶の飲み方なのね。私も覚悟を決めて飲もう。
カップに手を伸ばし、持ち上げ口元に運ぶ。と、ふわっと濃密な花のような香りがした。
恐る恐るカップを傾け、口の中に紅茶を流す。リチャードのまねをして、少しだけ。
一番に感じたのは、なにより甘みだった。砂糖の甘さとはずいぶんと違う、香りを強くまとった上品な甘さ。
「甘い……」
「んー……ピュッタルボーン茶園の物は初めて飲んだけれど、甘さが薄いね。香りはとても良いけれど」
「えっ?! これで『甘くない部類』に入るの?!」
「うん。本当に甘いダージラインは、砂糖入れたっけと勘違いする程、甘さがあるよ」
ちょっと衝撃を受けつつも、わたしは二口目を口に含んだ。
口の中で転がすと、普段飲んでる紅茶の香りとはまるで違う、摘み立ての花の様な強く甘い香りが、鼻腔全体に速やかに広がる。
なにこれ凄い美味しい……リチャードが『他のが飲めなくなる』みたいに言ってた理由が、よく分かった。
「ティースタンドをお持ちしました。真ん中でよろしいですか?」
リチャードもお茶に夢中な様で、マーガレットさんの問いかけに、飲みながら首を縦に振るだけだった。
もう一口……うわぁあ、やっぱりこの紅茶、後戻りできないことになりそう、明日からどうしよう。
美味しくて切ない。多分もう二度と飲めない、たった一度の出会いに、ため息。
あんまり時間を掛けても冷めてしまうので、わたしはダージラインにさよならを思いつつグイッとカップを傾けて飲み干した。
はぁ……あぁ、自分の吐息がダージライン紅茶の香りになってる。
わたしだって紅茶くらい色々飲んできたけど、こんなに後味と風味が続く紅茶なんてなかった。
「口の中が幸せすぎて、食べ物食べて良いのか迷っちゃう」
言ったことは間違いなく本心ではあるが、別の気持ちもある。
私とリチャードの、近づきすぎない距離感での座り方。これ以上近づくのは、きっと近すぎる。
けれど、軽食のチーズサンドとスモークサーモン、スコーンとケーキの乗った三段ティースタンドは、二人のド真ん中。
ソファーが広いのでドキドキし過ぎない距離で座れて少しホッとしてたけれど、ティースタンドの食べ物を取るには、わたしもリチャードも、ソファーの真ん中に寄る必要がある。
三段ティースタンドは、とても華奢な作りだ。細い金色の金属を曲げて作った持ち手、同色の、金属の粗い目の網のトレー。
そのトレーの上に、花の絵が描かれた皿が乗り、その皿に食べ物が乗っている。
上から、ショートケーキ、スコーン、そしてチーズサンドとスモークサーモン。二人分なので、二つずつ。
スモークサーモンは小さなココット皿に少しだけ入っていて、細いピックが添えてある。
「紅茶、まだあるよ。ティーポットが、小さく見えるんだけど結構入るからね。どう? もう一杯」
ティースタンドに集中していたわたしは、リチャードの言葉にちょっとだけ不意を突かれ驚いた。
リチャードの言葉を反芻して、もう一回驚いた。まだ飲めちゃったりするの?!
浮かれかけたが、不意に冷静になった。
ここは、貴族子弟様のためのサロン。
平民のわたしがあれこれワガママを言って良い場所ではない。
かと言って、要らない、は違う。
飲みたいのは間違いないし、もう表情とかから伝わってると思う。
リチャードがとても気さくに接してくれるから誤解しそうになるけれど、ノブレスと平民は違うんだ。
「嬉しいお誘いだけど、リチャードが飲む分がなくなっちゃうし……」
「このティーポット、今日は重さから言ってフルチャージだから、お互い2杯ずつ飲んでちょうどいい位だよ。遠慮する必要はないさ」
「そ、そう……? じゃあ、その……お願いします」
あーん私のバカバカバカっ。
ダージライン欲求にまるで勝ててないじゃない……!