第6話 果てしないアウェイ感、けれど憧れのような思いも感じる。
「ここって、普通におしゃべりしても、大丈夫……なの?」
リチャードがソファーに案内してくれて、私に座るように促してくれた。
座ってみると、やはり極上のソファーだ。アイボリーカラーの総革なのだが、堅さをまるで感じない。
体重を掛けるなり、沈み込む、そして包み込まれる。革のソファーとは到底思えなかった。
ただ、リチャードの言っていた「音楽」は鳴っていなかった。
だから余計に、この静かすぎるサロンの中で、図書室の時と同じようにおしゃべりするのはためらわれた。
「そりゃもちろん! 特に今日は僕たちしかいないから、どれだけ騒いでもかまわないよ」
リチャードはそう言うが……生徒の素行を見ているローズさんがいるのだ。
それを意識するだけで、生活指導の先生を前にした時と同じ様な緊張感に、肩が酷く縮こまっているのを感じる。
「お先にアンルィ様のハーブティーをお持ち致しました」
「あぁ、ありがとうマーガレット。食べ物は何になりそう?」
「リチャード様は相変わらず食べ物には目がありませんね。今日は軽めと伺っていますので、シンプルなスコーンとチーズサンド、口取りにはスモークサーモンをお出しします。ご要望があれば伺いますが?」
「いや、そのくらいにしておかないと、僕はともかくアンルィが夕飯入らなくなっちゃうと思うから。その内容で頼む」
「承知致しました。リチャード様のお茶も程なく出ますので、ごゆっくりなさってください。失礼致します」
スコーンにチーズサンド、それにスモークサーモン?
大きさにもよるけれど、十分夕飯に響きそうなメニューに思えるけれど……
マーガレットと呼ばれたメイドさんは、さっきカウンターの中にいた一人だ。
近くで見ると、少し大きな印象を受ける。私たちはソファーに埋もれたままだから、そう感じただけなのかも知れないけれど。
ソファーの前には分厚いガラスの天板が乗ったテーブルがあり、再びこちらに来たマーガレットさんの手で、私の前に上品なカップアンドソーサーが置かれた。
カップは私たち庶民が使う普通のカップより背が低めで、縁に掛けて広がったデザインになっている。一般品よりも白さが際立っている気がする。気のせいかな?
7分目くらいまで、結構たっぷりと、ハーブティー? が満ちている。
「アンルィ、緊張がほぐれるハーブティーだそうだよ。やっぱりまだ、緊張してる?」
「うん……なんだかわたしがいちゃいけない場所にいる様な、そんな気分になっちゃう。ハーブティー、いただくね」
リチャードに言ったとおりの居心地の悪さを感じつつも、ハーブティーのカップを取った。
熱いんだろうなと思ったが、カップ越しに唇に感じたのは、すぐ飲める温度だった。やけどする心配は要らなそう。
ふう、と少し息をついて、ハーブティーに口を付ける。ふわりと草の様な香りがするが、嫌ではない。そのままクイクイと飲む。
ハーブティー、特にこういう草っぽい味わいのものだと、青臭みが鼻につくことが多いけれど、飲み下しても嫌な青さは残らなかった。
と、弦楽器の音が鳴る。いきなり曲を弾き始める訳ではなく、まずは調律をする様だ。音叉の高い響きに、弦の音が共鳴する。
調弦自体も、ごく静かに、けれどとても丁寧にしている。その響きだけで良い楽器なんだろうなと期待してしまうほど。
かすかな音があるおかげで少し気分が楽になったわたしは、カップに残ったハーブティーを飲み干した。
静かな曲調の弦楽器の音は、すぐに室内に馴染んで気にならなくなった。音階も完璧で、音ズレも全くない。
音があるおかげで少し気分が楽になったわたしは、カップに残ったハーブティーを飲み干した。
「ハーブティーなのに、結構美味しいわ、これ」
「あぁ、ハーブティーって味はあんまりなのが多いよね。僕もこれが何を使ってるかは知らないけど、ここで出るハーブティーは、不味かったことはないなぁ」
リチャードがうーんと背中をソファーに預け、のびをした。
両手も目一杯伸ばして、目もきゅっとつむって、リラックス出来ているようだ。
「んー、気持ちいい。ねぇアンルィ、窓の外、見てごらんよ」
「えっ? わっ!」
緊張が先に立ち窓の外など眺めている余裕がなかった私だったが、リチャードに促され、見て、驚いた。
サッシもなく床から天井まである全面窓ガラスの向こうの世界は、深い森。森を、高いところから眺めている。
5階に当たるサロンから見る西部森林地帯は、特に奥の方が、まさに密林という感じだ。
その密林に、日が沈み始めているところだった。
「夕日が、すごく綺麗……」
「僕もこの時間にサロンを使った事がなかったから、初めて見るよ、この景色」
見ていると思わずため息が漏れてしまう。
それ程に雄大で、この王都城塞の外は、まるで自然のままなのだと強く感じた。
ちょっと気になって、横目でリチャードの様子を見てみる。
リチャードは背中を強くソファーにもたれかけ、頭の後ろで腕を組んで、リラックスした様子で夕日を見ている。
ああ……夕日に照らされるリチャードの金髪が、キラキラ輝いてとっても素敵……
「リチャード様。紅茶が入りました。茶葉は抜いてありますので、温め直しが必要であればいつでもお申し付け下さい。まもなくティースタンドもお持ちします」
「ん? あぁ、ありがとうマーガレット。ねぇ、ここの紅茶はいつも抜群に美味しいけれど、どこの商会の物だい? 僕も個人的に買い付けたいんだけど」
「申し訳ありません、リチャード様。サロン内の物は、たとえ消耗品であっても、あくまでサロン内だけで楽しんでいただくルールでございます」
「そうか。やっぱり茶葉であっても、そのルールの縛りはあるんだね。まぁ良いや、飲みたくなったら、また来れば良いだけのことだし」
「ご理解賜りまして、ありがたく存じます」
マーガレットさんは、リチャードと会話をしつつ、空のカップアンドソーサーと白磁のティーポットをリチャードの前に置いた。
リチャードは少し残念そうに口角を下げているが、仕方ない事だとも思っているのか、組んでいた両手を開き、両手のひらを上に向けて目を閉じ、首をちょっと左右に振った。
そうしている内に、ティーポットからサーッと紅茶がリチャードのカップに注がれる。
って、アレ? 紅茶……って言ってたよね。
あんまり紅色じゃなくて、なんか緑っぽい?
「あ、あのー、マーガレットさん……」
「はい、アンルィ様。いかがなさいましたか?」
「リチャードの、そのお茶って、紅茶……なんですか? 色が……」
わたしがリチャードのカップを小さく指さしながら言うと、注ぎ終えたティーポットをカップの斜め前に置きつつ、
「リチャード様はファーストフラッシュの紅茶がお好きなんですよ。この色味は、ファーストフラッシュ独特のもので、間違いなく紅茶でもあります」
「ふぁ、ファーストフラッシュ?」
いきなり知らない単語が飛んできた。
リチャードが好きな紅茶が特別なものらしいことは分かるが、ファーストフラッシュがなんなのか分からない。
「ファーストフラッシュ、って……なんですか?」
私の質問に、マーガレットさんは穏やかな笑みと共に答えてくれた。
「つまり、一番摘み茶です。ダージライン地方の一番摘み茶を、一般的にファーストフラッシュと言うんですよ」
「ダージライン? えっ、あのダージラインの茶葉が、手に入るんですか?!」
ダージラインの茶葉は、特別希少価値が高い。あまりに価値が高すぎて、貴族や王族への贈答用で全て消費される、と聞いていた。
その、庶民にとっては永久に飲むことなど叶わないダージラインの紅茶が、しかもよく分からないが一番摘み茶が、リチャードの前にある。
「アンルィも飲む?」
「へ? えっ、い、いえいえいえ、そ、そんな恐れ多い」
「あはは、アンルィは堅く考えすぎだよ。たかがお茶だよ? ん、されどお茶、だけどね。ファーストフラッシュは一度とりこになったら、もう他ので満足が出来なくなるのは、僕自身で実証済みだ、はは」
リチャードは、明るい笑い声で私の動揺を笑い飛ばそうとしてくれているようだが、いやあのダージラインでしょ?!
でも……一生飲めないダージラインの紅茶、リチャードにお願いしたら、少しだけでも分けてくれたりしないかな……