第4話 突然のお誘い ~彼にとってはリフレッシュなだけだけれど~
「はぁー、さすがに頭が受け入れなくなってきた……ねぇ、サロンにでも行かない?」
大分虚ろな目が天井に向いてしまったリチャードだったが、サロンでのひとときを思うと急速に回復するようだ。
サロン、と私に顔を向けて言った瞬間、目の輝きが倍化した。キラキラね。
サロン。平民だけでは決して入れない、貴族子弟専用区画。
貴族子弟、の中でも、品行方正な生徒しか使えない、特別なリフレッシュ施設だ。
以前にも、リチャードからサロンに誘われたことはあった。
けれどその時は、まだサロン自体が伏魔殿の様なイメージがあって怖くて、首を震わせて断った覚えがある。
「サロンって、もちろんわたし行ったことないんだけれど……大丈夫? わたし、リチャードに恥をかかせなきゃいいんだけど……」
怯えて反射的にお誘いを断ってしまったあの日から、調べた。
事実と噂は混然としているが、情報自体はあの時よりうんと増えた。
サロンの中にいるのは、もちろん利用者である貴族子弟と、一団のメイドさん達。
たくさん利用者が来ても良いように、メイドさんも多いらしい。
ただ、調べた今でも気持ちが縮まるのは、メイドさんの数ではない。質だ。
メイド団を率いるのは、なんとあの公爵家でメイドを管理している、現役の「トップメイド」。
立ち位置こそメイドだが、実質公爵家執事と同じ観察眼と執務能力があると聞く。
それでいて年齢も若い。20代だと聞いた。更に言えば未婚だそうだ。手を出す貴族子弟がいないものかと思ったのだが。
このトップメイド――サロン内ではメイド長さんらしいんだが――生徒の気品を審査する人員でもあるらしい。
だからこそ、品の良い貴族子弟にだけ開放されているサロンではあるものの、おそらく息苦しさを感じるのだろう、そう人気は無いとのことだ。
「恥なんて! 僕の雑さでもあれこれ言われない所なんだから、アンルィなら大丈夫だよ、僕が保証するさ!」
「そ、そう? じゃあ、教科書とか忘れ物しない様にして、えっと、ホントにこのまんまで良いのかしら、机とか」
「良いんじゃない? そんなに汚してる訳でもないし」
さっきまでの消耗した顔も動きも一転、いつもの爽やかな笑みと元気な雰囲気に戻っているリチャード。
いや、机の上には図書室の借りてきた本が積んだままなんだけど……
「さ、じゃあ持つ物は持ってさ。サロンへ行こう! サロンのルールは、道すがら説明するね。ややこしい事はほとんど無いから」
「そ、そう?」
なんだかわたしの方がオドオドしてしまう。
片付けもせずほったらかしで行こうと言われるし、かなり異色な場所の予感しかしないサロンのルール説明は、道すがらにちょっと程度、っぽい。
不安と言うほど強い感情では無いが、足下の床板が突然割れて落ちそうな所に立たされている様な……いや、もう十分に不安なのか、これは。
「サロンのメイドさん達も、やっぱり良いところでメイドさんしてる人たちだから、すごく気が利くんだよ。頼めばいろんなサービスもあるよ」
そう言ってリチャードは立ち上がった。
うん、机の上に彼の忘れ物はなし。わたしもショルダーバッグのひもに手を通し、立ち上がる。
「じゃあ、僕の後ろに付いてきて。アレ? それともサロンの場所とか行き方とか、もう知ってる?」
リチャードがふとした感じで振り返り尋ねてくる。これ、素直に知ってると言うべきか迷う。
ただ、ずっと答えない訳にもいかないので、聞いた事があるくらい、と答えた。実際それが真実でもある。
「そっか。だったら分かると思うけど、サロンは西棟の最上階。ここからだと、階段と渡り廊下渡って、もう一回階段上れば着くよ」
「んー……貴族様の休息の場のはずなのに、ちょっと場所的に不便よね。遠くない?」
「そうだね、実際の距離は、あるね。でもそのおかげで、生徒の騒ぎ声すら無い、静かな空間になってるんだ。あ、でも音楽はあるよ」
えっ? 音楽が、ある? 誰か演奏者が常時詰めてるってこと?
音を記録する魔法や魔道具はあるけれど、あんなの軍用や諜報用にしか使わない。
一度授業で音声記録魔道具の『音』を聞いたけれど、とても『音楽』なんて言える音質じゃなかった。
やっぱり、『サロン利用者ら聞いた人に聞いた』、そんな『また聞き』の情報だと、抜けも多いわね……
ルール違反をうっかりして懲戒退学、みたいなのだけ避けられれば、まあこの際良い。不安を抱えても良いことは何も起きない。
リチャードとの時間を精一杯楽しむことに、今からはそれだけに、とにかく集中しよう。
「音楽があるのがなんだかすごいわ。でも、そんな所だと、やっぱりルールも厳しいんじゃない?」
「守らなきゃいけないルールは、そうだなぁ……、騒ぐな、喧嘩するな、議論をするなら外でしろ、くらいだった気がする」
なにそのザックリしたルール。絶対そんな大雑把なはずが無いわ。リチャードのことだから、自然にルールを上手くこなしてるだけな気がする。
自然に。だって、リチャードだから。とても礼儀正しくて紳士的で……
……ハッ。
そうか。
いつもクラスで接してくれるリチャードの姿。平民に寄せてくれている話し方とか、それが彼の常だと思い込んでた。けれど……
サロンに行けば、リチャードはあくまで貴族家の方。リチャードが本来持っている貴族ならではの気品みたいなものに、もしかすると初めて触れることが出来るかも知れないんだ、わたし。
「えっと……ルールもそこまで厳しくないなら、わたしが行っても大丈夫……かな? 少し安心してきたよ」
「えっ、もしかして、不安だった? ごめん僕気づけなかった。ホントに、サロンは気難しい所じゃないから、安心して来てくれれば良いよ」
わたしが頑張って表情を隠していたら、やっぱりリチャードには気づかれなかった。
けれど、自分で言った、安心、って言葉に、つい顔が緩んじゃった。リチャードに頭下げさせたくないのにな。
「大丈夫よ、リチャード。やっぱり、新しい所に行くって、誰でもちょっと不安じゃない? そのくらいの話だから」
「う、うん……とは言え僕の、アンルィの気持ちを考えるのが」
「もう、そのくらいでいいの。女の子の気持ちがあんまり分かんないリチャードの方が、変に気の利く男よりよっぽど素敵なんだから」
ちょっと勇気出して踏み込んだ。
リチャードはちょっとだけ、一瞬だけ、驚いた様な表情を浮かべたが、すぐに優しい笑顔になった。
「それじゃアンルィ、仕切り直しって訳じゃないけど、サロンのこと話すね。これからの予定は、何かある?」
「ううん? 普通に家に帰るくらいの話だけど?」
「アフタヌーンティー、というには少し遅いけど、サロンは食事も出してくれるんだ。結構おいしいから、一緒に食べない?」
「えっ、わたしも良いの? サロンからすれば、よそ者って感じなんだけど……」
「サロンメンバーが連れてきた人は、そのメンバーに準ずる扱いを受けることになってる、みたいだよ。いつも僕、サロンは一人でしか行かないから詳しくは知らないんだけど」
ハハッ、とリチャードが苦笑い含みな顔で笑った。
そっか、リチャードはサロンを使うけど、一人で利用するパターンなんだ。
まぁ確かに、リチャードがたくさん女子生徒連れてサロンでハーレムしてるトコ、ちょっと想像つかないなぁ……
次話は、本日午後6時に公開します。