第3話 図書館の個室でふたりきり
「もっと早く気づいているべきだった、ごめん」
リチャードが申し訳なさそうな、少し困った様な表情を浮かべながら頭を下げる。
別に、全然大したことじゃないの。貴族子弟は図書室の個室を、申請すれば自由に使えるってこと、わたしが知らなかっただけ。
パーティーの申請書を先生に出しに行ったら、先生からこれからの予定を聞かれて、図書館へ、と。そしたら先生の方が気を回してくれたのよね。
パーティーの内々の事もあるだろう、ノブレスのパーティーなら一番いい部屋が良いだろう、って。
一番いい部屋? って何言ってるのか分からなかったけれど、先生が鍵を取ってきて渡してくれた。
そこでリチャードが、あっ! って声を上げたの。図書館の個室、僕も使えたんでしたっけ、って消え入る様な声で言ってた。
気にいらない事なんて何一つないわ。
図書室で、静かに教える時に「少し耳元に寄れた」のも嬉しかったんだもん。
それが今日から、リチャードとのお勉強の時間は、個室で二人きり。
そんな嬉しいことが、今になって初めて訪れただけの話。
***
図書室の端にある、鍵付きの扉を開け放つと、中には黒板まである、教室の半分くらいの部屋だった。
長机が四角い形に組まれている。んー、ここってもっと大人数で会議する様な部屋よね、きっと。
「部屋のことは、全然気にしてないから、大丈夫よ? あ、帰る時には掃除とかするものなの?」
「いや、使いっぱなしで言いそうだ。ほら、僕たちって、清掃活動も元々免除だから」
「あー、そうよね。やっぱり貴族様って大切よね……」
「僕には実のところそこまで関係ない話なんだけどね、次男だから。さすがに退学は困るから勉強はしないとなんだけど」
貴族社会では、よほどの事がない限り、爵位と家を継ぐのは長男。それが普通だし、当たり前だ。
リチャードはシスト男爵家の次男。確か爵位を継承する長男は騎士団……だっけ。前にリチャードが言ってたような?
「そう言えばリチャードって、進路どうするの? ちょっと今の成績は横に置いとくとして」
「成績を考えずに、かい? 出来れば僕も、兄と同じく騎士として務めたいと思ってる。ただ成績が、ね……」
「でも騎士団って、貴族子弟優先でしょ? お兄様のコネもあったりすれば、入れるんじゃないの?」
「コネねぇ。僕の兄は結構なカタブツで、弟を優遇させることに力を割いてくれそうには、ちょっと思えない」
あらま。実は兄弟仲が悪かったりするのかしら。
いくら堅物って言っても、同じ領地から更にもう1名、騎士団の栄誉を受けられるなら、動かないのは絶対損なのに。
「ただコネも何も結局、僕の頭だと騎士団に入った後も相当苦労しそうだから、僕自身はそれ以外を考えてはいるよ」
「それ以外? それって、わたしが聞いても、大丈夫?」
「うん。僕、冒険者になろうかなって思ってる。魔法込みの戦闘ならイケるし、領地で子供の頃から魔物狩りの手伝いもしてたから、魔物も怖くない」
へえー、リチャードって冒険者志望なんだ。ちょっと意外。
リチャードくらい甘くて可愛いマスクだったら、冒険者絡みでも冒険者ギルド所属で、窓口なんてもう適任だと思うんだけどなぁ。わざわざ危険な冒険者なんてしなくても。
リチャードがギルドに入ってくれたなら。
わたしは、用事も無いのに毎日依頼書を見るフリをして、リチャードを眺めに行くんだ……この可愛らしい顔も、いつか大人びていくのかな。
「アンルィは? 将来何になるの? アンルィくらい成績が良ければ、魔法院なんかも入れるんじゃない?」
「魔法院?! ムリムリっ! あんな、1日中ずっと古書とにらめっこ出来る様な、そんなほどには頭良くないよ」
「そうかなぁ。何も分かってない僕に、すごく分かりやすく教えてくれる才能はあるんだし……じゃ魔法学院の先生とか? 王立校か民生校か、アンルィだったら、ここでも大丈夫に思える」
「うーん、学校の先生かぁ。そうするとアレよね、今受けてる授業をわたしがする、みたいな。ちょっと考えが及ばないなぁ……」
実際、考えが及ばないわ。先生って言っても、ここの先生たち、皆、出来すぎだもん。
ここ、ルティニール王国サルデア魔法学院は、この国随一の魔法学校だ。そして王都直轄の王立校というトップブランドでもある。
リチャードの口からも出てきたけど、他にある魔法系の学校は、皆、民生校。つまり庶民のために庶民が運営している学校で、幾分レベルも下がる。
また、民生校にはノブレスがいない。
貴族が民生校に入ってはいけない規則は無いのだが、基本的に貴族は、王立校に通う。
基本的に、面接試験が初等科であって、そこからはずっと持ち上がりで進むから、ノブレスメイトが民生校にしか入れない、みたいな事態はない。
ただ、初等科・中等科はそのまま進級出来るのだが、高等科は、落第がある。試験の成績が悪いと、ノブレスか否かを問わず、容赦なく留年となる。
ただ留年は、まだくつがえる。次回の試験、または希望制の追試験で良い点が取れれば、留年しなくても済む。学年最後の試験は、追々々試験まであるという救済措置付きだ。
問題なのはむしろ、1年の内に3回以上落第を取ってしまうこと。教科を問わず、全ての教科での落第が対象だ。
3回落第を取ってしまった時点で、即時退学処分となるのだ。3回退学制もまた、ノブレスにも平等に襲いかかる。
まあそうは言っても、落第は制度としてはあるが、むしろそう取れない。退学など更にだ。
全ての教科の試験に、三択とか四択とか、偶然でも点数が取れる問題が必ず一定量含まれている。その「確率点」に少し足せれば、落第ラインは超える。
ただ、リチャードに魔方陣学を教えた感触で言うと、その「少し足す」が難しそうという印象を受けた。確率点を上げて通ったのかな……運が良いのも実力だけど、学力ではないわね。
ちなみに民生校だと、落第自体がないって聞いている。
王立校と違って、民生校は学校自体がある種の商売だから、お客さんである生徒を切り捨てはしないんだろう。
王立学校自体は、魔法学院のここサルデア校の他にも、狩猟学校、農業学校、商業学校、行政予備学校の4校がある。
魔法学院との違いは、行政予備学校にしろ狩猟学校にしろ、学ぶ内容が特化していて、進路もあらかた、入学と同時に決まってくること。
次期貴族になる貴族の長男は、領地経営のノウハウが学べる行政予備校を目指す事が多いらしい。
ただ、行政予備学校は官僚育成機構も兼ねており、とても狭き門だ。入れなかったから他で間に合わす、みたいなパターンもまた、よくあるって聞く。
魔法学院は、先の進路については自由度が高い。魔法で出来ることが幅広いから、選べる仕事も幅広い、というシンプルな理由だ。
狩りも農業も、少なくとも王都近郊の地域では、魔法が無ければまるで成り立たない。商業も、王都へ・王都からの運搬に魔法なしだと、物資の輸送力で大きくつまづく。
うぬぼれた言い方をするならば、魔法は全ての上位に当たるだけの力がある。
けれど、魔導師だけで田畑の開拓は出来ない。立木は焼き払えても、その後に残る根っこを掘り出してどける農民の力が無ければ、森を畑に開拓出来ない。
結局、魔法は幅広いことが出来るけれども、それぞれの領域の専門家と協調して働いて初めて、効率と成果が積み上がる。職業に貴賎はないのだ。
「うーん……わたしだけはっきり言わないままで悪いけど、将来の話はキリがなくなっちゃいそうだからこの位に。今日は魔法学総論についてやってきましょ」
「げっ、総論か。先生に当てられてああ答えたけれど、多分、総論を理解してない返答だったんだよね、きっと。アンルィから見てどうだった?」
「良かったと思うよ? リチャードらしい実戦的な解釈で、らしさがとてもあったし。総論は理屈がすごく多いから、理屈に合わせないといけないって思いがちだけど、結局先生も言ってたけど『目的を達する』のが魔法なんだからさ。勝てるリチャードの答えは、正解よ」
少し嬉しそうにはにかむリチャードの顔を見ていると、こちらも思わずほころんでしまう。
いけないいけない、今日はあくまで、リチャードに勉強を教えるために図書室の個室にいるのよアンルィ。
いくらこの個室が教室の半分くらいに広くて、それでいて二人きりで、四角く配置されたテーブルのせいでリチャードとはすぐ横に並んで座るのが自然だと言っても、にやけちゃダメ!
本日の投稿は以上になります。
明日の投稿は、本日に準じ、午前7時30分・午後6時の2回になります。
引き続き、よろしくお願いいたします。