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4A.”英雄の弟子”


 澄んだ高い空に、鐘の音が響く。

 放たれた鳩の群れが飛ぶ光景は、ともすれば結婚式のように見えるけど。

 『神堂紅亜』の知識を排して見れば、これは一般的な葬式の光景で。参列者といい鳩の数といい、そして聖堂の大きさといい、むしろ立派な部類に入る。

 先日のルミネイトとの一戦で、兵士に死者が出ていた。兵士以外にも一般人1人、傭兵1人。合計四人。

 あの襲われた店の傭兵………店先から見えた足が思い出される。彼が犠牲になったらしい。

 ブーツに白いズボン、丈の短い上着は深緑。今日は同色の軍帽もした正装に身を包み、敬礼をして棺を見送る。弔辞を述べたカレ少佐の号令で、数人の兵士が手のひらを空に向けた。

 ここからでは見えないが、その手にはタンビュライト………透明な宝石が乗ってるはずだ。

 「【レクトゥス・ルーメン】」

 「「【レクトゥス・ルーメン】」」

 生み出された光りがまっすぐ空へと伸びる。といっても、昼の明るい時間の事。よほど近くでもなければわからない。

 ともあれ、弔鐘と鳥、光りで埋葬地へと送り出す。その後、精霊術で荼毘に付して埋葬する。故人のエクシードが消えないうちに行うのが通例だ。

 だが、例外もある。

 墓地へは主だった関係者のみが行く。解散となった兵士達は自由時間となるのだが………クレアは急ぎ、屋敷へと戻った。門を抜けるとすぐそこに、荷物を持ったルネがいた。

 いつものメイド服ではない。飾り気のない黒のワンピース。髪もおさげにし、黒のトーク帽をしている。

 「ルネ……」

 準備は?と聞くまでもないだろう。

 「戸締りも火の確認もしてあります」

 いつも通りの無表情。けれども今日は、その見慣れない恰好も相俟って人形のようにすら感じてしまう。

 「じゃあ…」

 鞄を持とうと手を伸ばすのだけど、首を振られる。

 おそらく支度もかなり早く済ませ、ずっと待っていたはずだ。そこまでしなくてもいい、と思うのに、掛ける言葉がみつからない。

 決して隣りを歩こうとしないルネを気にしながら、街の外れを目指す。

 爵位を剥奪されたルネの両親は、一般市民と同じ墓地に埋葬される。村雨が動いたのか、貴族が関わってた事を隠したいのかわからないが………罪人扱いではないだけましだ。刑場の近くにまとめて埋葬されてしまう。

 ルネの歩調に合わせながら、時折斜め後ろを確認する。ややうつむき気味に歩く彼女に…………やはり掛ける言葉がみつからない。

 彼女が屋敷に戻ってから………いや、領主邸に迎えに行ってから。いくつか言葉は交わしている。簡潔な説明や、言葉少なめの返答は以前通りといえば以前通りなのだが………。

 結局、ふたり黙ったまま墓所へと着く。街の境界もわからないような森の中、わずかばかりの柵に囲まれて並ぶ墓石。その隅の方に、棺を運んだと思しき男が二人立っていた。

 棺と墓石を確認し、チップを払って男たちを返す。掘られた穴の底の並んだ棺を見つめるルネを見守り………

 「悪い、遅くなった」

 馬の駆けてくる音がして。村雨が手綱を柵に結んで、その柵を乗り越える。

 「…………馬、乗れたんですね……」

 「おまえ…、オレをなんだと思ってるんだ」

 ともあれ、参列者が揃った。三人並ぶと、村雨は光る羽の聖印を掲げて聖唱を紡いだ。

 「《乞い願わくば、光の源、凪ぎたる虚空、遥か天に座す神よ。束縛解かれし魂に導きを、残されし我らに安らぎを、その御心によって示し給え》」

 死後の魂を導く神、その祈りを唱える。

 「…………」

 少しの間。村雨はやおら聖印を仕舞うと、手を合わせて『ナムアミダブツ』と唱えた。

 「……宗旨違いかもしれないが、どうにも呼び名もわからないカミサマに祈るってのもな」

 この神の名だけ、不明とされてる。知ると命を失うとか、命を集める存在になるとか言われている。

 言い訳のようにルネに顔を向けると、

 「オレが居たトコロの念仏………あー……なんつーか……」

 「…死者に安らぎを求める言葉……?」

 「あー、そんなカンジ」

 村雨の言葉を継ぎつつも、クレアにも自信はない。ただ、

 「悪い意味ではないから」

 「………」

 うなずくと、ルネも手を合わせる。

 「…………やるぞ」

 宣言すると、村雨は鞄の中から宝石を出した。研究室から持ってきたダイヤとルビー、共に指輪では収まらないくらいの大きさがある。

 そのダイヤを、ぽいっ、とクレアに投げ渡す。

 「っと。価値、わかってるんですか?」

 「使ってこその価値だよ」

 天に差す光りと、荼毘に付す火。その二つは精霊術を使うが、儀礼的な光りはともかく、火は焼き尽くすほどの熱が必要である。となると大きさか、透明度の高い宝石が必要となる。もしくはそれを補う高い魔力か。

 精霊術の威力は、宝石のクオリティ×魔力で決まる。高価な宝石を用意出来ない場合は、故人のエクシードを使って火力を上げるのが常だ。

 だが、今回は刑場行きは免れたとはいえ街の治安を大きく乱した罪人である。エクシードは取り上げられている。

 ダイヤを握りしめ、クレアは空に向けた。

 まぁ今回は、それが必要のない程の宝石と魔力があるけれど。

 「【レクトゥス・ルーメン】」

 光りが伸びる。絞った光りは、陽光の中、それでも数十センチほどの輝きを見せる。

 「【グランディス……──」

 ルビーを握り、村雨が集中する。その魔力の気配に、思わずルネをかばって一歩下がった。

 「……フランマ】!」

 ─ゴゥッ!─

 巻き込まれた風が唸る。うねり、捻じれながら立ち上る火柱は見上げるほど。近くの木々から鳥が逃げてく。

 「……ふむ」

 それを見上げ、満足そうに頷く村雨。

 クレアとしては文句のひとつも言いたいところだが………腕の中、ルネが火柱を見上げている。

 この火が高ければ高いほど、死者の魂は神の御許の近くに行けるという。それを思えば、何も言う事は出来なかった。


 「問題がある」

 それは、葬儀の終わった日の夕食。ローストビーフをつついてる時だった。

 テーブルを囲んで畳の上、ワイングラスを置いて村雨は唐突に、だが厳かに告げた。

 「……そうね。あたしも思った」

 クレアも同意しつつ、対面、ルネに目を向ける。

 「ずっとメイド服じゃなくても……部屋着とかでもいいのよ?」

 「いやソレじゃなくて!いやソレゆずれないから!」

 わめく村雨を無視してルネに話し掛ける。

 「正式にここが家になったんだし。もっとラクな恰好で大丈夫だから」

 「家主、オレ!」

 「慣れているので問題ないです」

 「そう?師匠の事なら気にしなくていいからね」

 「気にして!」

 家を含む財産を没収されたルネは、正式にこの屋敷に住む事になった。立場としては住み込みのメイドになる。そこに落ち着けるのに………

 「まぁ師匠も苦労したでしょうから、新しい服を買うお金を出させてあげますよ?」

 「え?なにそれ。新手のカツアゲ?」

 「貢がせてあげるって言ってるんです。それとも………あ~んなカッコや、こ~んなカッコのルネを見たくないとでも?」

 「うぐっ…」

 実際、ルネは素地が良い。そもそもが村雨の『ツインテの似合う金髪美少女』という注文で来たのだから。………まぁ、その言い方があらぬ誤解を生みまくったのだが。

 そんな彼女にメイド服だけ、というのはもったいない。領主の住む街とはいえあまり選択肢はないだろうが、せめてかわいいネグリジェぐらいは用意せねば。

 「あの、ご主人様。ご要望とあらばどのような恰好でもしますが、最低限の衣服さえあれば問題ないのでお気遣いなさらないで下さい」

 控え目に言ったその言葉が、むしろ村雨の背中を押した。

 「………任せた。ついでにぬいぐるみでも買ってやってくれ」

 「でっかいクマですね?」

 「でっかいクマだ」

 そんなこんなでルネと買い物に行く約束を……───

 「いや、話が反れたが問題ってのは……ルネ、新しく脅されたか?」

 ──おどし!?

 ぎゅりん!とルネの方を見れば、淡々としたまま、

 「いいえ。確認をされましたが、それだけです」

 「そうか……」

 「いやいやいや、ちょっと待ってください。脅しってなんです?」

 ん?と村雨はこちらに目を向けると、説明してなかったかと聞いた。

 「聞いてないですよ。脅されてるんですか?」

 「オレの生活を覗けるメイドだぜ?情報流せってヤツもいるさ」

 「師匠のだらしない生活に価値があるんですか?」

 「え・い・ゆ・う」

 言われてみれば。異世界の知識だけでも、利用の仕方によってはひと財産………あるいはそれ以上。隠している技術があるなら知りたいだろうし、弱点でもあれば掴んでおきたいだろう。つまり相手は………

 「……領主様、ですか……」

 「…………」

 沈黙は、肯定を意味していた。

 となると『新しい脅し』という言い方にも納得がいく。今までは両親………おそらくその地位を盾にされていたのだろう。が、それらがなくなった今、ルネに対して有効な脅迫材料がない。

 「面倒な事になるかもな。新しくメイドを雇わないかとも言われたし……。しばらく一人で出歩くなよ」

 頷くルネ。クレアはその注意に、

 「実力行使してくるかも、ですか?」

 「一応、な。といっても、オレは呼び出されたら行かないわけにはいかないし、おまえだって忙しくなるかもしれないし……」

 「名目は違っても実質訓練兵ですよ?今回みたいな事がなければそうそうは……」

 「色々話が来てんだよ」

 「色々?」

 そんな話が来るほどの事があっただろうか。肉体強化が使えるのはバレてしまったけど、そこまで目立った効果じゃなかったはずだ。エクシードの変化はバレてないはずだし………。

 マッシュポテトを口に運びながら首を傾げる。

 「おまえも大概呑気だな。多少なりとも『使える』ってトコを示した上に、無派閥で未婚だろ?善意だけで身内にしようなんて、ビスタ以外にいなくなるぜ」

 「あ…」

 そういう事か。“英雄の弟子”というのがただの飾りじゃないとわかれば、養子や婚姻を使ってクレアを身内に取り込もうとする人達が出てくるかもしれない。というか、そういう人達が活動を開始した、という事だろう。

 「モテ期……ですかね」

 苦笑いをしながらワインを傾ける。茶化される……かと思いきや、

 「あの手この手で騙してくるからな。気を付けろよ」

 ──……?

 手を止め、ワインで流し込むのは苦い思い出か。その横顔は………

 「なんかヤな思い出でもあるんですか?」

 「………ノーコメント」

 考えてみれば、それこそ村雨は無派閥の未婚、まして本物の“英雄”。誰かが抱き込もうとしてもおかしくない。実際にそういう経験があったのかもしれない。

 「とにかく。いろんなヤツが寄って来るだろうから、気を付けろよ」


 「あの、」

 食や公衆衛生、その他目立たないところでも英雄の恩恵というのは受けている。

 「あの……お客様?」

 それは非常にありがたい。英雄がいなければ、過去に彼らが何ももたらさなければ、文明レベルが今より低かった事は明白だ。

 「そろそろ……ですね、」

 だから感謝こそすれ、文句を言うなど本来あり得ないのだが………それでも言わせてもらうならば。

 「どれになさるかお決め頂いても………」

 ファッション関係にももう少し恩恵が欲しかった。

 「すいませんもうちょっと待ってください。あ、Iラインのものも見せてくれます?」

 ルネを連れてやってきた服屋。メインストリートにある、庶民では気後れしそうなお店である。クレア自身の服を選ぶのであれば、こんなショーウィンドウがあるような店には入らない。が、今日はルネを着飾るという崇高な使命がある。

 これは“英雄”村雨のテンションにも関わる………つまりこの地の防衛力を左右すると言っても過言ではない使命であるからして、予算もたっぷりと用意させた。

 まぁ、似合いそうな服を片っ端から試着させて、ルネ(と、店員)は若干お疲れの様子だが、妥協は許されないので仕方がない。

 ──とは、言うものの……。

 街中でのファッションは画一的で。とても“ファッション”とは呼べない。職業的な服装を除けば、男性はジャケット、女性はジャンパースカート。少々の差異はあっても、ほとんどがそれである。

 そんな中で奇抜にならず、かつルネという素材を活かす服装となると………

 ──生地にはこだわりつつシンプルなデザイン。あとは髪型と……大きなリボンでも……

 小物はあっただろうか、と店内を見回す。生地の並んだ棚と奥へと続く扉、試着室のある一面とショーウィンドウ。あとは吊るしの服と、腕の無いマネキン。リボンの生地くらいは買えそうだが、その他は別の店か………と、ショーウィンドウを覗く姿が目に入った。

 フードを被った………少女だろうか?くすんだ赤毛がたれている。ガラスに手を付き、食い入るように見るのは豪奢なドレス。社交界にでも着ていくような物で、薄汚れた恰好の彼女に必要な物とはとても思えず……───

 ─ピシッ─

 音……?どこからと思う間もなく、

 ─ぱきっ─

 「ッ!」

 今度ははっきりと。ショーウィンドウにヒビの入る音が聞こえた。

 少女の手のひらから広がる蜘蛛の巣状の亀裂に、とっさにエクシードを展開する。

 ─パリンッ!─

 という音と、

 ─ッシャアアン!─

 破片の散らばる音が重なる。盾にしたエクシードの内側で、店員の女性が悲鳴を上げた。

 ──ウソウソウソウソ、ルミネイト!?

 つい先日、商店を襲うルミネイトを見た。でなければ、すぐにその発想にはならなかったかもしれない。

 エクシードを畳んで様子を見れば、フードの下の少女の目はほのかに光っていた。飾られていたドレスをマネキンごと抱きかかえ、ガラスで切れてる手足を気にもせず店内へと入ってきている。

 「店員さん!裏口は!?」

 「…っ、、、」

 かくかくと頷く。

 「ルネ、店の人と外に……近くの兵士を呼んできて!ルミネイト1体、深度……多分1!」

 「……」

 頷いて試着室から出てきたルネはピンクのフリフリロングスカート姿。せめてもう少し動きやすい恰好ならば良かったかもしれない。

 ──今度スポーティなのも試してみよう。

 決意しながらエクシードを剣に、少女………ルミネイトと奥の扉の間に立つ。

 「なにご……ぅあっ!」

 奥から出てきた人と店員を、まとめて押し返すルネ。

 ──あとは時間を稼げばいいんだけど………。

 店内はさほど広くない。間口も奥行も7,8メートルくらいだろうか。服を物色するルミネイトとは一足の間合いである。

 剣から片手を離し、ポケットに入れる。今日も午前中は教練があったので、訓練着のままである。探ったポケットの奥には、シウラの聖印。

 通りには野次馬が集まってきた。外から見ればただの強盗かもしれない。だが暴れだしたならば、その被害は強盗の比ではなくなる。

 ──というか………彼女の目的は服?

 ショーウィンドウを眺めていたのだからそうだろう。だが、そんなドレスは何着もない。そもそもがデザインと生地を選んで作ってもらうための店だし。かろうじて庶民の手が届く、というドレスが数パターン飾ってあるだけ。

 ルミネイトが通りの方へと顔を向ける。

 ──マズい、逃げる……。

 どこへ行くかわからない。どんな被害が出るかわからない。逃がしちゃダメだと思った時には、

 「《打ち鍛えられし御身に願う……》」

 聖唱が口をついていた。

 ──深度が浅いルミネイトには……

 手近にあった商品のベルトを掴む。

 深度の浅いルミネイトは、強化はされていても肉体変化はまだ乏しい。つまり、通常の拘束がまだ有効。

 「どいてぇ!」

 野次馬に叫んで場所を開けさせ、外に出ようとしたルミネイトの足にベルトを叩きつけて絡ませる。バランスを崩したその背を蹴れば、マネキンを放り出して倒れた。倒れたその肩を踏みつけ、もう片方の手も踏んで。手にした剣の……──

 ─ざんっ!─

 剣の先をU字にして、首を抑え込む。暴れる動きを重心を変えて抑え込めば………

 ──捕縛……出来た……。

 「ッゥウー!」

 あとは援軍を待って縛り上げればいい。唸るルミネイトの上、まだ油断は出来ないが、見事と言ってもいい手際じゃないだろうか。とても自分とは思えないくらい……と、低い自己評価を踏み台に満足していると、

 「おぉー!!」

 「すごいぞ、ねーちゃん!」

 野次馬から歓声があがる。意識していなかったが、強盗を捕まえた訓練兵という風に見えてるのだろう。だからと言って……

 ─ちゃり~ん!─

 コインを投げ込む感性はわからないが。

 とりあえず、愛想よく手を振っておいた。


 白い石柱の並ぶ廊下。教室の方を覗けば、精霊術用の照明にガラス窓。大きな黒板も見える。並べられた机と椅子はちょっと豪華で………それらがシンプルな木製なら、もうちょっと“学校”というイメージに近かったかもしれない。

 いや、ここも『学校』ではあるのだが。

 「普段なら学科の時間ですが、競技会が近いので自習なんですよ」

 教室に向けた視線に、隣りを歩くブラウンの巻き毛の青年………クリストフが答える。

 彼はここ『マルセル士官学校』の生徒会長であらせられ、わざわざクレアの案内をしてくださっている。

 歳は同じくらいと思われるが、身長もあり筋肉もついていて、なにより自信に満ちた表情が一層圧を感じさせる。………いや、“圧”というのはクレアの被害妄想だろうけど。

 「競技会、ですか?」

 会話をする義務感だけで聞き返す。

 「はい。新入生達も一息ついたであろうこの時季、志願者による剣術競技会を開いているんです」

 学年、性別関係なくトーナメント式で競い、前期の剣術首席を決めるらしい。

 見れば少し下がった位置にある校庭で、木剣を振り回している生徒が多数いる。

 「練習ですが……クレア様も参加されますか?」

 これまた視線の先を見てクリストフ。クレアは即座に首を横に振る。

 「いえ結構です」

 「そうおっしゃらずに。少し指導をお願いしますよ」

 ──くっ…これは……、

 断れない流れ。そもそもが、この前ルミネイトを一人で捕縛してしまった所から来た『士官学校見学』の話。入学の誘いは前からあったようだが、ルミネイトの事件、それに捕縛と“活躍”が評価され過ぎて………結局、断り切れずに『見学だけでも』となった次第。

 ──本当に見学だけで済ませるつもりだったのに。

 あれよあれよと革の防具を着せられ、木剣を握らされる。相手は、

 「“英雄の弟子”の腕前、見せてもらおうか」

 二学年、今大会の期待株、アンドレ・アンベール・ダ=シランドル君。角ばった顔に広い肩幅、身長こそ百七十に届いてないと思われるが、長めの木剣を軽々と扱う様はすでに戦士の風格を備えていた。

 十代半ば。男女の筋力がそこまで決定的な差にならない………なんてのは、鍛えていた場合の話。穴埋めするような技術だってない。

 ……いつの間にか、周囲の生徒たちが囲みを作って勝負の行方を見守っている。審判役のクリストフが『構え』なんて言ってるが………

 いいだろう。仕方なし剣を構えながら、クレアも肚を決めた。

 ここまでするならやってやる。けど……

 ──後悔しないでよ!


 「…で、三秒で負けた、と」

 夕食時。村雨、ルネと食卓を囲みながら、士官学校見学の報告をしていた。

 「三秒もった、って言って下さい。こっちはクワとかカマ握ってた時間のが長いんですから」

 兵士として訓練を受け始めて一か月と少し。つまり剣術を習い始めて一か月と少し。

 敵うわけがなかった。

 「ま、相手は歩き始めると同時に剣握らされたような貴族様だからな。オレも剣術競技会じゃからっきしだったし」

 今日のメニューはキャベツとトマトのサラダ、チャーハン、タマネギと人参のコンソメスープ。チャーハンは村雨が作った。

 「師匠、士官学校に行ってたんですか?」

 「学校でいい気になるのはお約束だろ?いや、あんまいい気にはなれなかったけど」

 そういえば“特務准尉”なんて肩書きも持ってたか。召喚されてからこの屋敷で暮らし始めるまで、それなりの経験をしてきたのだろう。

 「で?」

 「で?…ってなんです?」

 「コナかけてくる男はいなかったのか?」

 “英雄の弟子”を取り込み、あわよくば結婚、親族に……なんて指令を受けた生徒は沢山いたのだろう。実際チヤホヤされたし、生徒会長のクリストフだって今度ディナーを的な事を言ってきた。

 「いましたよ、剣でボロ負けするまでは。まぁ法術ナシってのがどこまでフォローになってるか……」

 クレアについての噂は、尾ひれ込みで『肉体強化の神聖魔法がすごい』といったところだろう。剣術が素人並みでも、『そっちはダメ』で済んでるのはないだろうか。

 「で?」

 「で?……って、まだあります?」

 正直、もう報告するような事もない。冷たくなった周り視線や、クリストフの必死のフォローなど………あまり思い出したい事じゃない。

 「入学だよ。するのか?」

 「しませんよ」

 即答。そもそもが……

 「戦術の知識は欲しいですが、指揮を取りたいわけじゃないですから。というか、あの御子息御令嬢の中に飛び込むとか………」

 スープを飲んでいたはずの胃が冷たくなる。首を振って怖気を払いつつ否定する。

 「かまいませんよね?」

 村雨経由で来た話でもあるし、仮にも“師匠”。一応断りを入れておくべきだろう。

 「あぁ、オレも勧めはしないよ。剣術からきしってのがわかったんなら、向こうも執着しないだろう」

 士官学校、しかも法術のある世界。それでも“剣”というのは重要視されているようで。エクシードを剣にするし、その意匠に凝ったりする。そんな中で剣術素人とわかれば、がっかりもされよう。

 『士官学校入学』の話は置いといてよさそうだ。だが………

 「じゃあまぁ、そっちはいいとして、だ」

 『そっちは』という言い方に、クレアは思わず顔をしかめる。もう食後のお茶に手を出しているというのに、気の進まない話は続きそうだ。

 「この前おまえが捕まえたルミネイト、あれも問題になっててな」

 その件で呼び出されたんだが、と村雨の説明によると。

 身元はすぐに割れた。北区の端、いわゆるスラムの住民。というのも、捕縛後すぐに治療の効果があったそうで、正気を取り戻した本人の口から聞き出した。処断の方は決まってないそうだが、問題なのは、彼女をルミネイト化に導いたと思しき存在がいた事だ。

 「そんな事が可能なんですか?」

 「オレも初めて聞いた」

 聞き出した事情はというと………

 先日のルミネイト事件で夜の街からは人が消え、しばらく収入が途絶えたそうだ。……その時点で、彼女の職業がどういったものか想像はついた。ドレスに執着したのは、社交界にでも憧れたか。

 ともあれ、そんな所に赤いローブのソイツは現れたという。フードを目深に被っていて容姿はわからなかったが、食事付きで彼女を買うという。一も二もなく飛びつき、久々の豪華な食事をして………その後の記憶は曖昧だという。部屋まで行ったかもわからない。ただ、なにか語りかけられたような…………

 「治療にあたった奴らによると、他のルミネイトに比べあっさり治ったそうだ。深度そのものが浅かったんじゃないかって言ってたが………」

 「そう……かもしれません。目こそ光ってましたが、力の方はそれほどでも………」

 言いながら、疑問に思わないでもない。ガラスを握って割る力が『それほどでもない』?でも、そのガラスで負ったケガは回復してなかったし。

 「この前の事件と関係があるかは置いといて。その赤フードがルミネイト化に関与してると見て捜査されてる。それと兵士による巡回と住民への注意をするんだと」

 紅茶にブランデーを入れて飲みながら、村雨はクレアを指さす。

 「その巡回に、おまえさんも指名されてる」

 「…………」

 思いっきり顔をしかめる。そうしたところで意味はないし、村雨の一存でどうにかなるようなものでもないだろうけど。

 人を、対ルミネイト用の兵器とでも思ってるのだろうか。

 「んなカオすんな。オレだって他の部隊に引っ張り出されてる。代わりといっちゃあなんだけど………」

 用意しておいたらしい。部屋の隅にあった革の小さなポーチを引き寄せ、こちらに押し付ける。

 なんですか?と言いつつ中を覗き、言葉を失う。

 「護身用にな。ヤバくなったらそれ使って、あとは逃げちまえ」

 逃げるまでもなく終わりそうな気がするが………。

 「そんなにヤバそうですか?」

 「念のためだよ。悪い方に考えといて損はない」

 「損はないって………うっかり失くしたらすごい損ですよ」

 「じゃあうっかりするな。あと、ルネ」

 プレッシャーからうっかりはしないかもしれないが、挙動不審にはなりそうである。

 皿を片付けていたルネは返事をすると、村雨の前までやってくる。その姿を………そのメイド服姿をじっと見た後、村雨は血を吐くように言った。

 「しばらくは、動きやすい恰好でいろ」

 「師匠!?」

 ルネは無表情だったが、クレアは思わず声を上げた。そりゃあ、この前服を買ってきた。運動用とは言わないが、今のメイド服より身軽な服も届いている。

 だがそれを、村雨が、自ら着ろと言うなんて。

 「……そこまでの事態なんですか……」

 「オレもクレアもここを離れる機会が増える以上、ルネ自身がある程度の事態に対処しなくちゃならない。その時にメイド服がジャマになったら、オレは悔やんでも悔やみきれない」

 拳を握り、その嚙み締めた奥歯の音はこちらにも聞こえそうなほど。それでも“メイド姿”ではなくルネ自身を優先した決断に、クレアはちょっと感動する。

 ちゃんと人としての心が生きていた、と。

 「でもな!」

 がばり!とルネに迫る。瞳の奥に炎でも灯しそうな勢いで。

 「これからルネにも戦闘術を学んでもらう。そしたら、さらなる高みに行けるんだ」

 ざっ、と斜め上を指す。梁しかないが、習ってそちらを見るルネ。

 「ルネは、戦うメイドさんになれる!」

 「…………」

 とりあえず、手近なトレイで村雨の頭を叩いておいた。


 街の北側。中央に近い区域はともかく、離れれば離れるほど治安は悪くなっていく。家も、木材を集めた小屋とでもいう物になり、道端にゴミなどが目立ち始める。そもそも住民登録が怪しく、その為納税も定かではなく………となれば行政は半ば管轄外と放置する。

 今回のような件が無ければ、巡回ですら来る事はないのかもしれない。

 ルミネイト化に関わってると思われる赤いローブの男(?)の手掛かりを求めて。あとルミネイト化への注意喚起のため、クレアは数人で割り振られたエリアを回っているのだが。

 ─ばたんっ!─

 一言も発さず、その老婆は扉を閉めた。あまりにも勢いよく閉めたので、低い屋根からパラパラと何かが落ちてくる。

 「………次、行きますか」

 振り返り、苦笑いを浮かべるマルソー少尉。そばかすのある、士官学校を卒業したばかりの少年である。背も、クレアよりやや高い程度。短くしたブラウンの髪は襟足だけ少し伸ばし、結んでいる。

 彼が、この中でもっとも階級が高い。が、

 「ま、どこも似たような反応になりますわな。石投げられないだけいいや」

 ひょろりとした印象のバルビエ伍長が、辺りを見回しながら言う。四十才近い叩き上げ

で、彼だけ槍を持っている。

 「次は隣りの家………なんですが」

 手にした地図を見て、今日何度目かわからないため息を吐くダミアン。彼は軍曹。

 マルソー少尉がこの二人より実戦経験が豊富だとは思えなかった。単純な聞き込み任務、新米士官でも一小隊の指揮なら簡単と任されたか。それとも“英雄の弟子”にアプローチを掛ける番なのか。

 ……まぁ顔は悪くないし、母性をくすぐりそうなタイプではある。

 「……家、ないですね……」

 隣りと思しき敷地を見て、クレアは呟く。

 壁だったと思われる板。屋根らしき三角があるが、その内側が覗ける。で、あとはゴミ。当然、悪臭に悪臭を混ぜたような悪臭がしている。それはもうこの地区のあちこちから匂うので、いまさらという感じだが。

 計四人、一応一小隊として行動している。軽装鎧も身に着け、ヘルメット、バックラーも持ってきている。バルビエやダミアンが周囲を常に警戒しているのも、この辺りの治安が悪いからだけではなくて。見た通り、行政が半ば放置しているのでその不満をぶつけられる可能性があるからだ。

 『石が投げられないだけいい』というのは比喩でもなんでもない。もちろん、そんな所での聞き込みが順調なわけもない。かろうじて、

 「夜に来てくれたらもっとイロイロ教えるけど?」

 という女性から噂話を聞けた程度。

 「適当な所で切り上げましょうや」

 バルビエが、一応槍の石突でゴミを突く。扉でもないかとチェックしてるようだが、そもそも人が通れる場所がないと思う。

 「地図上は半分くらい来たはずなんですが、地図の信頼性に疑問を持たざるをえません」

 家があったりなかったり、道があったりなかったり。本当に街の一部かと思うほど。

 マルソーは割りと気さくな感じで(それが逆にクレアの猜疑心を生んだのだが)、こちらの意見も聞いてくれる。適当に切り上げるかはともかく、ダメと思われる所はさっさと見切りをつけてもいいとだろう。

 ──他の部隊も似たようなものだろうし……。

 そう告げようとしたところで、

 ─…ーッ─

 音。近くの鳥が飛び立ったのは、多分その音のせい。

 「聞こえましたか?」

 マルソーが振り返る。頷くクレアとダミアン。

 「…?」

 バルビエにはわからなかったようだが三対一だ。それに、おそらく呼子笛の音。気のせいかもで見過ごす事は出来ない。

 耳を澄ましてみるが、もう聞こえない。

 「とにかく行ってみましょう」

 マルソーが聞こえたと思われる方向を指すが………ゴミの山。ダミアンが眉間に皺を寄せつつ、

 「道があった場所を行きます」

 来た道を戻りながら先導する。廃墟のような家の間を抜け、おそらく隣りの通りと思われる場所に出たところで、

 ─ピィィーッ!─

 今度ははっきりと、そして何回も聞こえる。駆け付けた救援の部隊が鳴らしているのだろう。その音を頼りに進めば他の部隊とも合流して。

 全部隊、四十人ほどが集まったのは、それなりに大きな家があったと思われる敷地。かろうじて立っている壁が、かつては二階建てだった事を示している。あとは崩れた建材と雑草、さして大きくもない枯れ木が一本だけ。

 さすがに全員は敷地に入れず通りにあふれているが、話だけは伝わってくる。どうやら部隊のひとつが襲われたらしい。

 「相手はわからない。ここの住民にそんな事が出来るとも思えないけど……」

 話を聞いてきたマルソーが首を振る。

 「襲われた部隊の様子はどうなんですか?」

 気になるのはそこだ。ルミネイトなのかどうか、ケガの具合は。

 クレアの問いに、視線をそらされる。

 「一人は息があるけど、動かすのは難しいそうだ」

 ──“一人は”?

 その言い方に引っかかる。三から四人で行動していたはずだ。一人の事しか言わないというのは、その他の人は………

 これだけの人数、妙に静かなのはさすが兵士と思っていたけど、それだけが理由ではなかったらしい。簡単な巡回任務のはずなのに、死者が出たとなっては話が違う。

 付近の住民も、これだけの兵士が集まったとなればどこかへ行ってしまうのだろう。時折聞こえる鳥の声と、小さなざわめきと。重苦しい空気に蓋をされて、皆の動きが止まってしまう。もちろん伝令は走ってるのだろうけど。

 そんな中、声は唐突に響いた。

 「“英雄の弟子”はいる?」

 やや低い女性の……あるいは高い少年の声。声の方を探るが、こうもごちゃごちゃした場所に、しかもこれだけの人数が集まると姿など探す事も出来ない。

 「何の用だ!」

 声のした方、兵士と思われる声。その返答は………

 「《乞い願わくば、昏く冷たく灯した炎……》」

 ──聖唱!?

 警戒し、武器を構える音が響く。

 声はひとつ。このタイミングでわざわざ聞こえるように唱える意味は?強化しても、この人数を相手に出来るとは思えない。というか、闘神シウラの聖唱じゃない。

 ともあれ、相手の聖唱が終わるより先、クレアもシウラの聖唱を簡略して唱える。

 「《……彼の身も冷たい。その心、喰らいて燃やせ。一切染め上げ給え》」

 思えばこの時、姿が見えずに響いた聖唱に相手の出方を待ってしまった。それはすなわち、相手に初手を譲るという事。その一手が、勝負を決していた。

 聖唱が終わっても何も起きない。そう思った一瞬の沈黙の後、

 「っうぅ」

 呻いてしゃがみこんだのはマルソー。驚いてそちらを見る間に、似たような症状が周囲に数人。だがほとんどの兵士は………

 「ァアアアーッ!」

 「ッシャー!」

 叫びを上げて、なぜかクレアを見る者が多数。

 「…え?」

 思わず後退る。見えない所では、すでに剣戟と思われる音も響き始めて………

 「シャッ!」

 ─キンッ!─

 突き出された槍……バルビエの槍を、ダミアンが弾いた。クレアをかばうように前に立つ。

 「正気を失ってるみたいですね」

 「軍曹は平気なんですか?」

 「少し目眩がするだけです。クレア二等兵は………」

 大丈夫か?と聞きたかったのかもしれない。だがそれよりも、周囲の兵士の殺気に当てられて。

 「……逃げた方が良さそうですね」

 一も二もなく賛成する。そんな恨まれるような事をしただろうか?

 ──って、さっきの神聖魔法の影響だとしたら、犯人があたしを恨んでるってこと?

 他人を操る神聖魔法など聞いた事も無いが。

 この街に来て約二か月。そんな恨まれるほど深く関わった人物もいないし。

 「行ってください」

 「軍曹は…?」

 「なんとかしますので、まずご自分の心配を」

 確かに。数十人の兵士に殺気だった目で見られているのは自分だ。幸いにも強化は済んでいる。一瞬敵前逃亡かどうか心配するが………正気を失ったと思われる味方相手なら、倒してしまう方が問題かもしれない。

 「……すいません。ご武運を」

 言って駆けだす。その速度は強化も掛けていない人間が追いつけるようなものではない。のだが……

 ──なんで!?

 全員ではないが、それでも十人以上は追ってきている。狭い道を選び、頑丈そうな屋根に乗り、それでも数が減ったようには見えない。

 その動きは強化されたそれであり………でも神聖魔法なんてかけてただろうか?というかこの強化レベル、並みではない。

 ちらりと振り返る。その目が光って見えるのは気のせいだろうか。

 不安定な足場を素早く見定め、次へと繋がるルートを一瞬で判断しなければいけないクレアに対し、追いかける方は同じ場所を使い、ミスするのを待つだけでもいい。

 街の中心に向かえば助けは呼べるかもしれないが、被害が広がる可能性もある。というかこんな兵士の姿、見せられるわけがない。ならいっそ………

 考えを固めて北、城壁へと進路を変える。この辺りには崩れ、役に立ってないものもあるという。そこを探し、街の外へ。周囲は切り開かれていて、森まではわずか距離がある。

 本来なら城壁に見張りの一人もいなくてはおかしいのだが………ともあれ、少し開けた所で、ベルトに留めたポーチに手を伸ばし、剣にしていたエクシードを抜く。

 ここで勝負を決める………つもりだが。士官学校の生徒にすら敵わないクレアが、現役の兵士たち相手に勝てるわけがない。神聖魔法による強化も、引き離せるほどの差がないわけだし。

 頼りは村雨に渡された物………五センチほどのトパーズ。

 精霊術の媒体となる宝石で、その属性は雷。この大きさなら半径十メートル以上、人を気絶させるくらいの威力は充分に出せるはずだ。………やりすぎてしまったらゴメンナサイという事で。あくまで自分の身を優先させていただく。

 「【ラートゥム・タンゲレ……】」

 迫りくる兵士達を見据え、トパーズを軽く放り投げる。発せられる雷撃は無差別で、故に攻撃なら火属性が好まれるのだが。

 エクシードは、伝導率が極めて低い。自分すら巻き込みかねない雷撃だが……───

 「【トニトルス】!」

 術句を完成させながら、クレアはいつかと同じ、エクシードの殻に閉じこもった。


 迷いながらもスラムを歩き、不穏な空気を頼りに進めば規制をかけている兵士がいて。彼が正気らしいのを確かめてから声を掛ければ、スラムとの堺、大きな通りの一本裏という建物に案内された。

 三階建ての食堂兼安宿といったそこに、慌ただしく兵士が出入りしている。中に入れば大きなテーブルと最低限の椅子以外は壁に寄せられ、報告と指示とがひっきりなしに飛び交っている。

 「クレア二等兵、出頭しました」

 入り口脇の兵士が告げる。と……

 「「………」」

 あれだけ騒がしかった室内が、一瞬だけ静まった。すぐにざわめきが戻るが、むしろそれが怖い。

 「クレア二等兵」

 呼ばれたのはテーブルの上座から。明かにここの指揮官………というか、どこかで見た顔だと思えば、この前の事件のカレ少佐だ。

 「単独行動後の報告をせよ」

 「は、はい!」

 敬礼をし、たどたどしくも説明をする。言葉遣いに気を回さなければ、もっと簡潔に、手早く説明できるのに……。

 「………以上の状況により、雷の精霊術を用いて攻撃、のち捕ば………行動を制限してあります」

 手を縛って数珠繋ぎにし、大きな木を囲う形で縛ってきた。ちょっと頭を使えば逃げられてしまうが、そんな知恵があるなら正気に戻ったという証拠。それに完全に拘束しては、スラムの住民、あるいはこれから日も落ちる中で獣に襲われてしまうかもしれない。

 「雷の精霊術?媒体は?」

 「師しょ……村雨特務准尉より渡されていたものです」

 さすがにこれは隠し通せない。村雨ならなんとかするだろうと丸投げする。

 「わかった。部隊を連れて拘束現場に戻り、治療部隊が来るまで待機せよ。以上だ」

 「了解しました」

 と、敬礼して………。

 その後、現場で待ちぼうけ、戻って聴取、報告書の作成………この時点で日付が変わり、兵舎の仮眠室に泊まる。翌日は対策会議に引っ張り出され、ほとんど突っ立てるだけの晒し者のような扱いを受ける。で、領主邸に泊まりとなる。

 「飲まなきゃやってらんないですよ」

 グラスの赤ワインを飲み干し、ソファーの背にもたれかかる。ふかふかのクッションが心地良い。会議の居心地の悪さを味わった後だから、余計に。

 「飲み過ぎるなよ」

 と、いつだかの逆のような立場で、村雨。彼も当然呼び出されている。部屋もあの時と同じ。違うのは、ソファーの端にちょこんと座るルネがいる事。あと夕食を運び込んでいる事。

 クレアも村雨も領主邸に泊まるため、ルネはこっちに呼び寄せたのだ。屋敷の方は今、数人の兵士が警備についている。

 食事の方は、会議と明日の行動を理由に早めに用意してもらった。このうえ食事にまで付き合いたくないというのが本音ではある。

 「だって……あの会議、なんですか」

 持って回った言いまわしに、腹の探り合い、揚げ足狙いに責任の押し付け合い。座っているお偉方はいいけれど、こっちはわずかな仮眠で引っ張り出されて立ちっぱなし。………正直、何度か寝落ちした。立ったまま。

 そして決まったのが囮作戦というのだから、クレアだって飲んで愚痴りたくもなる。

 「あんま期待しない事だ。御多分に漏れず、長く続く貴族社会ってのは腐ってくから」

 見学に行った士官学校。生徒のほとんどが貴族であり、卒業後は最低でも軍曹、ほとんどは少尉からという。マルソーなどはこの例だろう。

 しかもここ長らく大きな戦はなく、あるのは圧倒的に有利な対野盗戦くらい。無難に過ごして階級を上げてった彼らにとって、敵とは同僚であり、戦いとは揚げ足取りなのだろう。だから今回の事件も、そういった失点探しに気を取られ、重大な問題が話題にならない。

 「自分の身は自分で守れって事ですか?守ったら、危うく軍法会議ですよ」

 兵士たちが唐突に正気を失った事について、列席のお偉方は一様に否定的だった。なにせ自分の、あるいは懇意にしている家の息子がいたりするのだから。

 そしてそんな御子息方を、クレアは雷の精霊術で感電させた。幸い後遺症だのという事はなく………うまく威力調整出来たというわけだが、それでも任務中に同僚の女子を襲おうとし、あげくまとめて返り討ちに遭った、なんて認めるはずない話だった。

 「事実認識をしっかりしないから、囮なんて受け身な作戦になるんですよ」

 ワインのボトルに手を伸ばすが、それより先に村雨に取り上げられる。

 「飲みすぎですよ、お客さん」

 「………。」

 ジト目を向ける。まだ二杯、ペースは早かったが、明日に残るほどではない。

 「師匠は怒ってくれないんですか?」

 酔ってるんじゃねえか?という目を返された。

 「諦めてるよ。自分が損してまで誰かの得を選べるヤツは少ないんだ」

 それよりも……と、スラムであったの事の詳細を聞いてきた。会議でも説明したのだが、

 「聖唱、だったんだよな?」

 確認したいのは、そこのようだった。

 「《乞い願わくば》の始まり、あと《妬心の女神よ》と言ってました」

 「妬心……なんだっけ」

 髭に手をやり天井を見上げる村雨。

 「レ………レ……レ……」

 クレアも名前が出てこない。というか、調べようと思っていたのにその時間がなかった。

 「よろしいですか?」

 それまで静かにしていたルネが、小さく手を上げた。ちなみにメイド服である。着替える暇がなかったらしい。

 「嫉妬の女神、レヴィア。聖唱では《昏く冷たく灯した炎、一切染まりし妬心の女神》と謳われてます」

 「それ!」

 思わずルネに詰め寄る。引っかかってた名前が出たというのもあるが、気になる事がもうひとつ。

 「ルネ、続きはわかる?」

 「………《我が血も昏く、我が身も冷たい。この心……》」

 「そこよ、そこ」

 あの時聞いた聖唱に、どこかひっかかりを覚えた。それが……

 「確か、《彼の血も昏く、彼の身も冷たい。その心……》って言ってた」

 聖唱において“我”はあっても、神以外を指すような“彼”が出てくるものは少ない。そこに違和感があったのだ。

 「対象が他人だってのか」

 もしそうであるならば、クレアを追ってきた兵士達が、強化されたとしか思えない身体能力を発揮したのも頷ける。他者に神聖魔法を掛ける事自体は、限定的ながら例がある。

 「嫉妬心を大きくするとか、そんな感じの。ないですか?」

 「う~ん……」

 勢い込んで聞くが、村雨は腕組みをして唸る。天井を見たり床を見たり。

 その間に、ふと気になってルネに聞いてみる。

 「あまり使われないレヴィアの聖唱まで……良く知ってたわね」

 「作法と知識は身につけておけと教育されました」

 返り咲きを狙う両親の教育が役に立ったという事か。

 ──………もしかして、中身も逸材?

 「まとめてみるぞ?」

 ぴっ、と指を一本立てて。それでも片手はシワを寄せた眉間を抑えながら、村雨は、むしろ自分の考えをまとめるように続けた。

 「犯人……まぁ犯人って呼んでおくけど。犯人は、嫉妬の女神の聖唱で兵士達の正気を失わせた。これは神聖魔法を他人に掛けた、と推測する。正気を失った兵士達は………いや、範囲内の兵士達の反応は、効果なし、目眩などの軽い不調、混乱、クレアへの襲撃だが記憶なし、等だな」

 言われて、もう一度あの時の記憶を探る。クレア自身に影響はなかった……と思う。ダミアンが目眩と言っていた。動けない人や………これは後から報告で知ったが、その場で同士討ちを始めた人もいるらしい。

 そして彼らの症状は………

 「時間が経って戻るヤツもいたが、ルミネイト化と判断され、その治療で戻った……と」

 数日前、クレアが買い物中に会ったルミネイトと同じだ。症状自体は軽いものの、ルミネイト化の症状が出ていた。

 ちなみに治療法はというと、鎮静剤と遮絶陣という魔法陣である。法術の源である他の世界との繋がりを抑えるのが遮絶陣。その中に入れ、影響を抑えるというのだが………

 ここの所のルミネイトとの関わりで、疑問が浮かんでくる。

 「師匠、聞くだけ聞くんでわかるんなら答えてください」

 「物の訊ね方として最低の前置きだな」

 「ルミネイトって………」

 神に見放されたため、人としての知能を失い、ケモノのように暴れるしかなくなった“元”人間。そんなふうに本には書いてあった。だが、おかしいのだ。

 ルネの母親は、最後に聖唱を口にした。今回は、他者に向けた聖唱でルミネイト化と思われる症状が出た。

 さらに言うなら、ルミネイトの肉体強化、回復力は、神聖魔法そのものに見える。

 「ルミネイトって、本当に『神に見放された』存在なんですか?」

 「…………」

 その質問に、ルネがこちらを見る。それは驚きを表していたが、村雨は特にリアクションを示さなかった。ゆっくりと、息と一緒に吐き出した言葉は、

 「そうしとかねえと、まずいからな」

 食事の前に祈りを捧げる。眠る前、起きた時、不安、恐怖に襲われた時、あるいは治療のため、仕事の前にも。それだけ身近で、恩恵を授かっているものなのに、危険と直結していると言われたら?

 「そもそも、敬虔な信者が祈りまくるとルミネイト化するってわけでもない。なにか別の要素もあるはずなんだ。その『別の要素もあるはず』を理解出来ない奴らがコレを知ると、『祈ったらやばい』って噂になっちまう」

 噂話には尾ひれ葉ひれが付くというけど、逆に大事な情報が抜け落ちたりする。『祈ったらヤバいかも』という話はそれだけで衝撃的で、誤解を含んだまま広まる可能性は高い。

 「じゃあ、神に見放された存在じゃないんですね?」

 「あぁ。神云々は置いといて、使ってるのは神聖魔法と同種。だから治療法が遮絶陣なんだよ」

 他の世界との関わりを阻害する遮絶陣。それがルミネイトの治療というのは、神界の影響を抑えるため。

 納得しつつも、これも聞いておかないといけない。

 「それを師匠が語れるって事は、一部では知られてる事実って事ですか」

 頷く村雨。

 一部というのが正確にどこまでかはわからないが、兵士全員ではあるまい。おそらく階級の高い人達と、ルミネイトの対処で関わりの深い人達。

 知る人の少ない方がいいというのはわかる。だがこれらの情報があるとないとでは、事件への対処も変わって………いや、過去に起きてるような少人数、散発的な事件ならそれでも良かったのかもしれないが。

 「明日同行してくれる人達は、“知ってる”人達ですか?」

 「クリニエールは全員知ってるし、オレが選んでおいた」

 なら、明日の部隊は大丈夫か。いや、知ってるイコールルミネイト化しないではないが。まだ“不確定要素”があるわけだし。

 ──…………。

 考える。だが今回の事件は………

 「犯人は………犯人“も”知ってるし、それはこちら以上の知識……ってことですかね」

 軽度とはいえルミネイト化させた。という事は、その手法を確立させているという事だろう。………思えば、あの買い物中に会ったルミネイトも、同じ犯人の手によるものなのかもしれない。

 「だろうな。犯人生け捕りの話も来てるし、囮ってのはそこらへん含めての事かもな。あ、忘れんなよ」

 「?なにをです?」

 「そんなヤツが“英雄の弟子”の事を聞いた。どんな理由かはわからんが、おまえが狙われてる」

 「忘れるわけないじゃないですか」

 なにを当たり前なと思うが………甘かった。兵舎も併設された領主邸。そこが絶対安全とは言い切れないし、明日の作戦まで相手が待ってくれるとは限らないのに。

 すでに、明日の心配だけをしていた。


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