3B.ルミネイト
軽いストレッチを済ませ、道場の真ん中、クレアはひとり呼吸を整えていた。
教え………というか、わかってる事を頭の中でまとめ、練習としてやるべき事を確認する。
聖唱、運動能力、肉体強度………あと、エクシードをアシストアーマーとして重ねて使った場合。
「………ふぅー……」
大きく息を吐いて。
それらを始める前に、ポケットから宝石………エメラルドを取り出す。大きさはそれほどではない。指先に乗るほど、カットも最低限。ただ透明度は高い。
精霊術においては、大きさと透明度が重要だ。このクオリティなら、クレアの術精度でも道場周辺まで探査出来る。
「【スピリトゥス・アウスクルターレ】」
風系の精霊術。周囲の“呼吸”を探査する。
さんざん追い払ったからいなくなったけど……と前置きし、本格的な修行を前に村雨が教えた術だ。“英雄”の技や知識を盗もうと………あるいは監視として、何度となく侵入されてきたらしい。
クレアという新要素で、再び監視されているかもしれない。秘密のある身としては、警戒するに越した事はない。
………人の気配はない。それを確認してエメラルドをしまい、聖印を取り出す。手のひらほどの、金属で出来た闘神シウラの聖印。
「《乞い願わくば、焼かれ打たれて咲きし赤、止まる事なき猛き神よ》……」
目を閉じ、感覚を探るように、ゆっくりと唱える。村雨は短縮していたが、今回は発動結果の確認メインという事で。
「《堅牢なる内に灯る熱を、折れぬ砕けぬ意志に沿う身を、我が内にも与え給え》」
かっ、と血が熱くなる。指の先にまでみなぎる力を感じる。
発動は成功。今の感覚で、どれくらい動けるようになっているのか。確かめるために軽く跳ぶ。
「っ!」
二倍、といったところか。滞空時間にまごつきながら着地。その衝撃も、思ったほどではない。
──師匠は、壁を昇れるようになったら次のステップだって言ってたっけ。
壁を昇る………もちろん掴まって昇るわけじゃない。駆け上るのだ。
──なんか、グッて行った勢いが消えない内に上がるとか言ってたけど………。
聞いた時はわかるわけないと思った。が、ダメ元で壁に向かう内、二、三歩なら行けるようになり………。『グッて行った勢い』もわかるようになってきたあたり進歩というか、染まってきてしまったというか………。
ともあれ、次。梁から吊るしてある砂袋の前に立つ。ロープと布の巻かれたそれは、文字通りのサンドバッグだ。
軽く殴って、衝撃を確かめる。拳は………革のグローブだが、痛くない。
さらに二、三発。最初の頃は揺れもしなかったサンドバッグが、ぎしぎしと揺れる。
神聖魔法の強化もそうだが、基礎体力が付き、殴るというフォームが安定したのもあるだろう。教練に通う毎日も、無駄ではない。
──試すか……。
念のため、もう一度周囲の探査をかけてから。エクシードで、右の肩から先だけを覆う。
関節部分は余裕を持たせて。二の腕は薄い膜で。指先は動きが複雑過ぎるので、殴る際に当たる部分だけを。
一度、エクシードの動きだけでサンドバッグを殴ってみる。
─バスッ!─
反動が大きいか。腕の可動だけで行う分、押し返されるような感じがする。
肉体強化と合わせて使うのは、今日が初めてだ。一応左肩、そして両足までエクシードを伸ばす。フォームを確認してから、再びサンドバッグを殴る!
─トス!─
響くは軽い音。当たる前にわかった。問題点は明白だ。
体の動きに、エクシード操作がついてこない。遅れたエクシードの操作が体の動きを制限したようになり、威力が落ちた。
じゃあ、エクシードの操作を重視するか?それだと肉体強化の意味がない。
修行して、体の動きに合わせられるようなエクシード操作を身に付ける?それはもう、“パワーアシスト”の意味がない。『同じ速度で動く鎧』は肉体への負担軽減にはなるけど、操作する事を考えればマイナスだ。
単純に『両方使って威力アップ』とはならないものだ。
エクシードを丸め神聖魔法を解き、うぅむ…と唸ったところで道場の扉が開いた。
「クレア、ルネを送って来てくれないか」
「構いませんけど……」
まだ外は明るい。というか、帰るにしては早い時間のような気がする。
「ルミネイトの件で召集が来てな……。ほら、お前の持ち帰ったのがそれだ」
午前の教練の帰り、村雨に渡す封書を預かってきた。そういえば、ここのところ兵士達の雰囲気はピリピリしている。
「召集って……屋敷を出るんですか?」
「あぁ、しばらくは領主サマの所にお泊りだ」
イヤそうな表情でそう告げる。出撃を控えた泊まりだから……というより、窮屈で面倒な生活を疎んで、といった表情だ。
確かに、作務衣でうろつけないし、食事のタイミングも違う。自分の研究室もなければキッチンにも入れないだろうし。毎日の入浴くらいは出来るだろうが。
「あたしも泊まるんですか?」
「………そーいや書いてなかったな」
いつも通りの文面で寄こされただけらしい。
「誰もいなくなるからルネを帰してたんだが………いや、ルネは帰そう。向こうで聞いてみるから、お前はどっちでもいいように準備しといて」
「準備って……これからルネを送るんでしょう?師匠が領主様の館に行く前に送って行ったらどうです?」
「そっか。あ、いや、ルネの家ってどっちだ?」
「知らないんですか」
なんだかバタバタしている。初めての事ではないだろうに。
聞けばルネの家は北区、それもちょっと離れた場所。かなり遠回りになるので、クレアが送る事にした。
妙にバタついたり、ルネを送ろうとしたりしたのは、今回のルミネイトが街の中心地で発生したからで。すでに数人のルミネイトが捕縛、あるいは処分されている。
その背景にはカルト的な集団があると思われ、街の中心とはいえ………むしろ、事件の発生した中心地だからこそ警戒が必要とされていた。
家に誰もいなかったのが気がかりだが………ともあれルネを送り、屋敷に戻って戸締りなど出かける準備をする。
これ、行かなくていいってなったら無駄手間だなぁ…とか思ってるとベルが鳴った。
「はい」
脇戸を抜けると、鎧に身を包んだ青年が一頭の馬を従え、針金でも入ってるかのような直立の姿勢で立っていた。
こちらに向き直ると、視線を合わせずに名乗る。
「ダミアン・メナール軍曹、クレア二等兵のお迎えに参りました」
完全に上官に対する態度だが、二等兵のクレアの方が下である。
「こちら、召集状であります」
渡された封書を受け取り………“メナール”、バスチアンの苗字である。という事は、彼が息子?
見上げるほどの長身で、鎧の上からでも体格が良いのがわかる。その碧眼は、確かにバスチアンと同じ面差しがあった。だが………歳の頃は二十歳前後。軍曹でバスチアンの息子ともなれば、婚約、あるいは結婚していてもおかしくない。
見合いの話はやっぱり冗談かと思いながらも、ぎこちない敬礼を返す。
「クレア二等兵、了解いたしました」
言いながら、あぁ兵士として軍属になったんだな~と今更ながらに実感する。訓練には参加していたが、あくまで訓練で。演習などには参加していなかったし、あまり命令される、という事はなかった。
「………あの、荷物を取って来てもいいでしょうか…」
「どうぞ」
「………中、入りますか?」
「いえ、ここで待機します」
「…………」
父親とは違い、ずいぶんととっつきにくい印象だ。兵士としてはこちらのが当たり前かもしれないが。
ともあれまとめておいた荷物を持ち、火と戸締りの確認を手早く済ませて戻る。
「お待たせしました」
「いえ。鞄、お持ちします」
「いえ、そんな……」
「では、馬の方に」
………それも、やんわりと断る。
馬は一頭。彼に手綱を引かせて行ったら、今度はどんな噂が広まるやら。
「そうですか…」
と、少ししょんぼりした様子は少し可愛いと思ってしまったが。すぐに顔を上げると、
「では、参りましょう」
馬を引き、歩き始める。その斜め後ろを歩きながら………話しかけていいものか。少し悩むが、のちの事を考えるとここで言っておかねばならない気がする。
「あの、ルメール軍曹」
「なんでしょう?」
足を止め、振り返る。
「その、私の扱いですが……」
「申し訳ありません。不手際がありましたでしょうか」
謝ってから理由を聞くとか……どういう教育を受けてきたのか。
「そうではありません。もう少しその……階級に沿った扱いをしていただかないと、軍曹のお立場に響くかと存じます」
「ですが、父には……」
『粗相の無いようにしろよ。将来、おまえの義妹になるかもしれないからな』
それを聞いた村雨は、部屋中に響き渡るほどの笑い声を上げた。
「ビスタのヤツ、そんなマジなのか」
「酔っていたというからどうとるべきか……。師匠も飲みすぎですよ」
デカンタのワインは、もう四分の一ほどしか残っていない。
「いいんだよ。動くのは明日か明後日。残すのはもったいないだろ」
もっともではあるが………部屋を見回す。クレアが村で使ってたベッドよりおおきなソファーに、果物盛り合わせが乗ってるテーブル。今はカーテンが閉じられてるが、その向こうには騎馬でも出撃できるだろうという大きな窓。当然ベッドには天蓋、サイズは五、六人は充分に寝れるほど。奥の間には、確か風呂もあったはずだ。
もったいないというのなら、普段六畳ほどの部屋で寝ている村雨にこの部屋を使わせるのがもったいない。
「…………なに考えてるかわかるぞ。確かに落ち着かないけどな」
「あたしの部屋と交換します?十分の一くらいですよ」
それでも個室を与えられるだけ、丁重な扱いをされていると言える。
「あの軍曹の扱いは行き過ぎにしても………どうなんですか?あたしの扱い」
ただの二等兵ではないのは仕方ないし、認める。それでも、普通に入隊していればまだ訓練兵のはずだ。
「本当は留守番のつもりだったんだが、色々言われてな……。結局、オレの従兵って形で現場まで行く事になった」
謝りこそしなかったが、その口調には申し訳なさが滲んでいた。
戦えとまでは言われてないが、その可能性はあるわけで。技術の方は未熟だし、でも魔力に関しては隠しておいた方がいいしで、戦闘は避けたい事態だ。
「どう扱っていいか困ってる、ってのが実情だろうな。今のところなんの成果も出てないからって無下にも出来ないし」
目配せと共に、成果が『出てない』という言い回し。
わかっている。どこで誰が聞いてるかわからない。うっかりクレアの魔力がばれれば、それこそ扱いは変わってしまう。
「とりあえず、ルミネイトについて調べとくんだな。せめて予備知識で薄めとかないと………わかっててもキツイぞ」
──ルミネイトか……。
以前、バスチアンが少し話していた。村の本では概要しかわからなかったし………神聖魔法やエクシードを優先していたから、まだここの本では調べていない。
「わかりました。……師匠は何度か戦ってるんですよね?」
「あぁ」
と頷き………
「……小腹空いたな」
「…………」
夕食は終えてる。とはいえ、お偉方と長いテーブルを囲んで政治的な会話をしながらでは食べた気がしない。覚えたてのマナーに苦労しながらのクレアも同様で。
「呼べば来るんですから、メイドさんに頼んだらどうですか?」
「いや、ケーキとか持ってこられても困るんだよ。欲しいのはつまめる食事っていうか………」
「話の続きは………」
「戻ったら」
深々とため息を吐いて。いい顔されないだろうなと思いつつ部屋を出る。
キッチンメイドに断りを入れ、チーズとトマトのオムレツを作って部屋に戻った。
「……寝てるかと思いました」
「まだ宵の口よ」
柱時計に目を向ければ八時過ぎ。宵の口ではないが、寝るにはまだ早い。
部屋を出た時と同じように椅子に腰掛けてはいるが、サイドテーブルの上には紙の束が増えていた。それを汚さないよう皿を置き………
「……資料ですか」
「明日のミーティング用のを貰って来た。今までは郊外ばっかだったが、今回は中心地だからな」
郊外との違いは、建物の高さである。二階程度の小さな一軒家が多い郊外に比べ、邸宅、あるいは高層のアパルトマンが並ぶ。ルミネイトの肉体能力ならば壁を昇る者も出てくるだろう。そうなると、直接追えるのは一部の兵士だけになる。
さらに、避難の難しさ、被害が出た時の影響など問題はあり………単独で複数を相手に出来る村雨が最前線になるのは当然とも言える。
そんな扱いがされる村雨に、新米のクレアがついていけるわけもなく。
「指揮部隊に見習いとして配属されてるビスタの息子の下。ま、無難なトコだな」
従兵と言いつつ、思いっきり離れてる。ほぼ見てるだけになるだろう。
その事に少しほっとしたものを感じつつ、
「相手の強さはどれくらいですか?」
「程度によるな。ちょっと強いくらいから、バケモノみたいなのまで。普通の体してなかったら近付かない方がいいぞ」
中には腕を伸ばすヤツまでいるという。
「あと打撃、衝撃には強い。切っても、浅いとあっという間に回復したりするぞ」
「本当にバケモノですね……。光る怖い人、みたいな印象だったんですけど」
「“元”ニンゲンって思った方がいいかもな。………治療の実績があるんだったかな」
資料をぺらぺらとめくる。その中に、名前の羅列されているものが何枚かあった。
「……それ、被害者の名前ですか?」
「いんや、容疑者の名前だな。調査で上がった名前だろう。………被害者っつったら、どんだけいるんだよ」
首謀者……というか、主導者の名前はわからないが、欲望を司る神“ジェブラーニ”の信仰者らしい。欲を解き放てと説き、多くの市民を巻き込んで………中には、貴族の名前もあがってる。
「これ、全員捕まえるんですか?」
「ちょっと出入りしてたくらいならペナルティとかだろう。ま、ガサ入れの時にいる奴は全部捕まる………か、ルミネイトだったら切り捨てられるか」
オムレツに手を伸ばしつつ、こうも付け加える。
『貴族連中は、現場で“処分”されるかもしれないけどな』
村雨が言っていた通りだ。
翌日のミーティング。指揮を取るカレ少佐が述べた『名誉を重んじる者がいたら慈悲をもって対処すること』とは、貴族がいたらその場で殺してかまわないという意味だろう。
捕まえれば色々と調べなければならないし、下されるだろう処分だって甘いものであるはずがない。
今回の作戦は参加人数が多く、ミーティングには兵舎の食堂が使われた。椅子は階級順に埋まっていて………壁の一部となって、クレアはあくびをかみころした。
立ち見の兵士にまぎれて指揮官の姿は見えないし、概要は昨日見た資料で知ってるし………。
説明は続く。
ルミネイトの注意点を確認しているのは、実戦慣れしていない兵士の参加が多いからか。それとも毎回行っているのか。
現場となるのは、メインから外れた通りにある服屋。その三階で集会が行われているらしい。それも内偵によれば今夜、満月に合わせて大きな規模で行われるとか。そこを押さえようというわけだ。
地図を見て欲しいと言われても見えないが、突入ルートや指揮所の説明がされる。周辺住民にも一切知らせず、一気に取り囲むつもりらしい。
乱暴な、とも思うが、知らせれば察知される。被害を出さないというより、多少の被害を出してでも、といったところか。
一応、想定される逃走ルートが『ここの窓から……』『ここを通って……』と説明されるが、地図が見えないのでわからない。
最後に部隊編成が告げられる。といっても、部隊長の名前が上げられるくらいで。その他雑兵は各自確認である。ただ……
「英雄殿には先陣を切ってもらう」
『おぉー!』と、歓声があがる。歓声があがる……ような存在なのだと、改めて知った。
「一言いただけますか」
──……大丈夫かな。
士気があがる……かもしれないが。昨日はデカンタをカラにした上、邸宅を抜け出している。ヘンな事を口走ったら………想像しただけで背筋が凍る。
がたり、という音。立ち上がったのだろう。静まり返った中、村雨の声が響く。
「諸君らがいるから思いっきり戦える。奮戦、期待する」
ぼそっ、とした声だったが………
『おぉー!』
再び湧く一同。
そーいえば、今でこそ“アレ”だが、出会った時は口数少なく上手く“英雄”に納まっていた。今のがその“英雄モード”なのだろう。
………ただ寝不足、二日酔いでしゃべりたくないだけ……かもしれないが。
ともあれ、部隊割りとなる。そこでやっと、カレ少佐の顔を見る事が出来た。体つきはがっしりしているものの、首回りのたるんだ、五十過ぎと思われる禿頭の男性である。当たり前だが、周りにいる部下たちは階級も高く、だが歳はまちまちだ。
ミーティングで座っていた椅子からそのまま動く事なく、カレ少佐はこちらを見回した。直立不動の下士官達………作戦が始まれば、情報伝達に走り回る使いっ走り達である。彼らの中にダミアンがおり、一応クレアもそこに入る。
「作戦決行時、諸君らには存分に走り回ってもらう事になると思う。だがまぁ、今までにない規模、場所とは言え、こちらもそれなりに手を打っている。精鋭部隊も全員出動をかけたし……───
『今回の作戦も、問題なく終わるだろう』
──って、言ってたのに。
もはやフラグでしかなくて。メインの通りにある食堂を貸し切った作戦指揮所は、入ってくる情報だけで蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「突入隊負傷者三名、医療班に回収されます」
「東側路地にて、ルミネイト一体と交戦との事」
「三階部分突入、ムラサメ特務准尉、他五名」
「クリニエール4から8、現場周辺で交戦」
「三区に複数のルミネイト目撃情報」
ルミネイトによる被害者は、すでに出ていた。捕縛者も。そのうえで集団を一網打尽にするために大きな集会の日を狙ったのだが………相手側もそれは予測していたらしく。突入より先、ルミネイトが暴れだして被害が出たらしい。
村雨の活躍は途切れる事なく報告されてるので無事らしいが。負傷者による部隊再編とか、後方部隊の再配置とか、状況は芳しくないようだ。
もともと飾りとしてここにいるためか、ある意味クレアが一番冷静に状況を見ていた。まぁ、色々と心配事でドキドキしているけど。
「北、A、6区屋上に複数のルミネイトの目撃!」
「クソッ、どこに向かう気だ」
苛立たし気に少佐が言うが、答えなど期待してまい。というか、集会所と目撃地点を結んだ延長線上にあるのは………
「第六から第九までを領主邸へ。クリニエールも交戦中以外は下がらせろ」
ルミネイトのほとんどは南下している。集会場所のある北A地域から南に行けば領主の邸宅、そしてその向こうは貴族が住む高級住宅街。
予想するに………。
首謀者は貴族社会に不満を持つ人達を集めたのではないだろうか。お金や食べ物に飢えてる人達ならば郊外の方が集めやすいはずだ。街の中心近くに住む人達は、あまり食べ物には飢えていまい。お金は………わからないが。
中級層の不満は、どうしても上流社会に向く。それは平民が貴族に抱くものでもあるし、貴族の中でも下層になってしまった者が抱く。
そんな彼らをルミネイトに誘導、蜂起させればどこに被害が行くかは考えずともわかる。蜂起点となる集会所だって中心地に作れるし、資金だって集められる。
洗脳………までやったかはわかないが、似たようなものによるテロ。それがこの事件だろう。
と、いまさらわかったところでどうしようもない。首謀者は集会所で、戦闘の末に殺害されたと報告が来た。この事件はもう、『どこで火を消せるか』という段階。だがそれももう………
「指揮所を移す」
領主邸から南の防衛となれば、すでに突破されたここは指揮所として相応しくない。
カレ少佐が席を立ち、
「他は頼んだぞ」
と、なんともアバウトな命令を部下………階級章からして大尉に残し、店を出ていく。
他ってのは『南以外に向かったルミネイト』という意味だろうが………大尉は地図の前に立つと、残った兵を三部隊に分けた。
「それぞれ北、西、東に別れ索敵。発見次第捕縛ないし処分せよ」
命令は勇ましい。が、
──こういう時、どのタイミングでどう意見したらいいんだろう。
軍属というのは面倒くさい。北は住宅街、それも離れれば離れるほど低所得者層の家になる。西はいわゆる武家屋敷だし、離れた所での目撃情報はない。南に防衛が移った以上、警戒すべきは商業地区にあたる東………。
「我々は西、ジョルジュ中尉は北、アモン少尉は東だ」
その東の部隊に、
「クレア二等兵、指揮下に入ってもらう。かまわないな」
疑問符も付けずに告げられる。まぁ聞かれたところで否が無いのが軍隊だ。
「了解しました」
敬礼をして………果たしてどの程度の戦力と思われているのか。ダミアンと同じ部隊なのが辛うじて救いと言える。
軽装だが鎧は身に着けているので、ライト、バックラーを持って外へ出る。かがり火に照らされた石畳には、伝令兵の走る足音と遠ざかる馬蹄の音。鎧戸の閉められた周囲の建物は静まり返っていて………指揮所内の慌ただしさが消えれば、不気味な夜の街に放り出されてしまったようだ。
「東地域との堺まで一気に行くぞ」
指揮を取るアモン少尉はまだ若く見えた。体もまだ出来上がっていない………多分二十歳前だろう。彼が先頭に………
「行け」
立つわけないのはわかってた。部隊と言っても急造の五名。少尉を中心に、クレアも一角を担当する事になる。
「【ルメール】」
筒の先に金属板と石英を取り付けたライトを点け、周囲を照らしながら進む。この辺りはまだ平気だが、少し行けば戦闘報告のあった近くを通るはずだ。
鎧と剣の音、そして消しきれない足音と……
「こちらにも何部隊か来ていたよな。クリニエールもいただろうか」
問いかけとも独り言ともつかないアモン少尉が呟きが響く。
クリニエール特務部隊。村雨の教えた肉体強化が使える精鋭部隊だが、人数は十二人しかいない。クレアの聞こえてた範囲では、多分一人、東に移動したルミネイトを追いかけていたはずだ。
………村雨はまだ集会所付近だろうか。そこが沈静化しても、次は南の方に呼ばれるだろうけど。
数区画は進んだだろうか。緊張と夜の闇とで、いまいち把握しづらい。指揮所を出たのは日付が変わる前だったと記憶してるが………。
─……っ─
悲鳴…?それと、物が壊れる音だろうか。路地を抜けた先から聞こえた気がした。
他の兵士に目をやると、皆気付いた様子で………いや、少尉だけが気付いてない様子で、きょろきょろしながら歩いている。
「少尉」
先頭を進んでいた曹長が、通りに出る前に足を止める。
「音がしました。この先の通りと思われます」
「なに?」
聞き返す少尉の声が一番大きい。路地に反響する。
─…っ!─
また聞こえた。今度はしっかりと。それに………
「複数の足音と声…。他の部隊が来てるんじゃないですか?」
「よし。援護に向かうぞ」
思わず口を挟んでしまった。何か言われるかと思ったが、少尉はむしろ迷いを消せたようで。
なんだろう。階級とは関係なく、どうにも頼りない人が多い気がする。指揮所で見ていた時もそうだったが、やはり若い人はどこか頼りない。
………若いといっても、クレアと同世代くらいなのだが。
通りに出れば、音のした場所はすぐにわかった。馬車が行き来できる大きな通り、その反対側、左の方百メートルも行かない辺り。服かアクセサリーか、商店と思われるその店先で、青白い光を纏った女性が腕を振り回している。囲むように数人の兵士がライトと槍を向けているが、攻める事は出来ていないようだ。
「状況は?」
近付いた所で、先頭の曹長が声を掛ける。
「深度二のルミネイト、単体と思われます」
牙を剝きだして唸る姿は獣のようだが、形は人間だ。あちこち破けてしまっているが、深紅のタイトなドレス。ヒールの折れた靴。まとめていたであろう髪はほどけ、ぼさぼさの前髪の奥に青白い目が炯々と光ってる。変化の影響だろう、長く伸びた爪を構え………だが片手に抱いた宝飾品は離さない。
ここは、宝飾店らしい。入り口は大岩でもぶつかったかのように壊され、わずかに見える店内は何かの破片が散乱。警備の傭兵だろうか、倒れている足も見える。
「1体だけだろう。一気に仕留める。構えろ!」
呼吸を整えていた中尉がポケットから宝石を出す。カットは荒いが、五センチほどのルビーだ。
「【グランディス・イグニス】!」
熱気。一瞬置いて、ルミネイトの周囲で純白の炎が上がる。
「ギャーッ!」
断末魔……ではない。体を燃やしながら、ルミネイトは取り囲む兵士の一人に突っ込んでいった。繰り出される槍をぎりぎりで躱すと爪を一閃する。
「うっ!」
うめき声と共に血が舞う。闇の中へと飛んで行ったアレは指………だったりするのだろうか。
通りの中ほどに抜けたルミネイトは振り返る。逃げ出すでもなく、こちらを仕留める気でいるのか。それとも店内の商品に、まだ執着があるのか。
「お前たちも行け!」
道の真ん中では、槍の兵士達だけで囲み切れない。ダミアンなどはケガした兵士の槍を拾い、さっさと囲みに向かっている。
「お前もだ、クレア二等兵」
──…うっ。
指揮下に入ってしまった以上、従うしかない。
──落ち着け…。
いや、落ち着いている。不思議なほどに。やれというのならば、やるべき手順はわかっていた。
「《乞い願わくば、焼かれ打たれて咲きし赤……──》」
聖唱が口をついた。シウラの聖印は、鎧に刻まれている。
「《折れぬ砕けぬ意志に沿う身を、我が内にも与え給え》」
唱え切り、エクシードを剣に変える。未だ燃え続ける精霊術の炎が照らす中、なぜか揺れる自分の影が目に残った。
「……あと、頼みます」
細かい打ち合いなどは、技術が伴わない。先手、一撃。それだけならば力だけで押せる。
聖唱で浴びた注目に、剣を構えた姿勢で答える。
─ッッ!─
踏み出した一歩は、石畳にヒビを入れた。反応出来ない兵士の横を抜け、ルミネイトに……───
─ギッッ!─
出された爪に軌道を変えられながらも、胴を薙いで駆け抜ける。即座に振り返って構えた剣には、燐光纏う血が滴っていた。
「ハァァッ!」
「ぅりゃアッ!」
ダミアン達がすかさず槍を突き出す。そのひとつを腹に受けながらも、残りの槍は躱し、剣で切りかかった二人を体当たりで弾き飛ばすルミネイト。抱えていた装飾品は、地面に散らばった。
そして囲みを抜けた先、今度は路地へと逃げていく。
「追え!」
それは誰に……と、見たクレアと目が合った。確かにあの速度について行けるのはクレアだけか。
──追いついたって戦わないからね。
走り出しながら………今になって呼吸が乱れてくる。剣を握る手は震えていた。血のりはもう残っていないが、嫌な感触だけが残ってる。
さっきは平気だったのに………なんでもいい。その感覚をもう一度得なければ、待ち伏せなどされたら対処出来るかわからない。
──……ルミネイトが、待ち伏せなんかする?
それも、手負いの状態で。
浅い傷ならすぐ塞がるというが、さすがにまだらしい。地面の所々に落ちた血が、闇の中で光を放ってる。落ちた血液がこうもはっきり光ってるという事は、報告通りの深度二。
深度が上がれば理性は削れていくというが、あのルミネイトが今求めているのは何だろう。また商店でも襲うのか。あまり詳しくないが、もうこの辺りはアパルトメンが並ぶだけの………───
「っ!」
嫌な予想に総毛だった。
もし、ここが北区の、昨日ルネを送り届けた近くだったら。
もし、昨晩領主邸を抜け出した村雨のメッセージがルネに届いてなかったら。
もし、あのルミネイトの女性がシモーヌ・メルシエ・ラ=アパレイユだったら。
資料にあった容疑者の名前。その中にアパレイユ………ルネの貴族名があった事にはすぐ気付いた。詳細まではわからないが、男女の名前が乗っている。
最近、ルネは両親が出かけているとかでよく屋敷に泊まっていた。この二人がルネの両親なら………。
幸い、ルネの家は見てきたばかり。村雨に場所を説明し、『外出などせず皆で過ごすように』と曖昧なメッセージを渡す。突入時に集会場にいなければ、まだ処分の軽くなる可能性がある。
だけど“もし”………
血の跡を辿りながらスピードを上げる。さすがにこの闇、別方向から来たしルネの家の正確な位置はわからない。だが建物の前まで行けばわかるだろう。入り口に少し洒落た門のある、青いタイルを壁にあしらったアパルトメン………
……それが見えた。見あげれば四階、出窓のひとつにルミネイトの姿。間違いない。ここでルネがあの窓を指し、あそこが自分の家だと言っていた。
「っ!」
なにをするかわからない。でも、あんな姿をルネに見せてはいけない。
窓の中へと消えるシモーヌと思われるルミネイト。彼女が居た窓に剣を向けた。
………村雨の試験を思い出す。あれは刺したタマネギを引き寄せるだったけど。
切っ先を伸ばし、窓枠に刺す。形状を変えてフックにし、縮めながら壁を駆け上がる。
窓から覗けば、そこは広いとは言えないダイニングキッチン。振り返ったルミネイトと目があった。
「ッシャー!!」
飛び掛かってくる。
──マズい…!
体当たりを喰らえば、窓の外へと真っ逆さま。仕方なし、こちらも突っ込む。
─バンッ!─
テーブルにぶつかった。割れたと思われるその破片が飛び散る。
なにをどうしたのかわからない。とにかく相手の両手を押さえ、有利な体勢を求めて転がる。だが………
─ガンッ─
鎧の肩当てがぶつかる。気付けば壁際、倒れたクレアの上にルミネイトが乗る形で止まった。
「ッァアアー!!」
敵意?殺意?わからないが、気を抜けばやられる。相手の肉体強度が上回ってもやられる。肉体変化をされてもやられる。そうならないためには………
こちらは動けない。だがエクシードなら。フックにしたあと回収して腕に巻きつけてある。それを使って………使って、どうする?
ナイフにして刺すのは簡単だ。だが、
『治療の実績があるんだったかな』
村雨の一言が蘇る。あの後調べた。深度によるが、ルミネイト症状の治まったケースがある。深度二だと………どちらとも言えない。
──どうしよう。
光る目がこちらを見てる。腕の力が上がってきている気がする。気のせいか、爪も伸びてないだろうか。
……ダメなのか。ダメなのだろうか。でもここは、彼女の家で、彼女の母で……───
迷うクレアの頬に、ぽたり…、と液体が落ちた。落ちてきた先は、シモーヌの胸から伸びた切っ先………。
ふっ…と力が抜ける。目の光りが弱まる。その体を支え、壁へともたせかけた。虚ろな目のまま、唇だけが動いて何かを紡ぐ。
「……こい……わくば…、……き…じ、ゆう…」
聖唱。だがそれが手遅れである事は明らかだった。胸から滲む血は、ドレスを輝かせながら床に広がっていく。
「………みよ………このてを………」
もはや何も見えていないのだろう。目の前に娘がいる事にも、気付いていないのかもしれない。
「……ルネ……」
髪を下したルネは、特になんの感情も見せずに立っていた。その頬は赤く腫れ、くたびれた部屋着には光る返り血が飛んでいる。
「……こうするしか……ないと思って………」
目が、聖唱を続けるシモーネの方へと向いて。
「っ!」
それを、クレアは抱きしめた。
なにをしていいかわからなくて。なにを言えばいいかわからなくて。
「…あるが………まに……………きたまえ……」
消えていく聖唱と命の中……───
『ごめん、ルネ』
掃除の手を止め、クレアは何度目かもわからないため息をついた。
事件から数日、村雨の屋敷に戻ってきている。この広い屋敷は掃除するだけでも大変なのに、度々あの時の事を思い出しては手を止めている。
胸を占めるのは後悔。
結局、自分は謝る事しか出来なかった。もっと何か出来たのではないかという思いが、ずっとのしかかっている。
事件後、報告書を書いて簡単な聴取だけで解放されたクレアと違い、村雨とルネはまだ領主邸にいる。その事も気分が晴れない理由のひとつだ。
村雨にルネの事は伝えられたから、そう酷い事にはなっていないと思うが………。
「はぁ……」
ため息。体が重い。
神聖魔法の肉体強化がそこそこ使えるというのがばれてしまった………のは、まぁいいとして。一般兵なら注目もされるだろうが、“英雄の弟子”としては当然というレベル。アパルトメンの壁を昇ったのは見られてないし、誤魔化した。
だから考えるのは………
「帰ったぞ~」
玄関から響く村雨の声。それに、雑巾を握ったまま廊下を走る。
「おかえりなさい、ルネは……」
いない。靴も脱がず寝転がった村雨ひとりだ。
「いくつか手続きがあるんで、先に帰ってきた。説明しといた方がいいと思ってな」
「…………」
ルネの父、ロラン・メルシエ・ダ=アパレイユ、位は子爵。その妻、シモーヌ。共に今回の首謀者が行う集会に参加。ロランは集会所にて、突入した部隊により死亡。シモーヌは逃走の果て、自宅に戻った所を娘の手により死亡。唯一の子、ルネについても処罰が与えられた。
「結果的には、ルネ自ら手を下したって事で直接の処分は免れた。家名と財産の没収だけでな」
さすがに『よかった』などとは言えない。でも、捕らえられた参加者やその関係者は投獄、懲役といった処罰が下されている。『没収だけで済んだ』と表現してもいいだろう。
さすがに場所を移して囲炉裏のある部屋。荷物を置いて、お茶を前にしている。
「……………なんで、集会に参加したんでしょう……」
聞いたところで詮無い疑問が、つい口をついた。
「………元は、首都に住んでたらしい」
前から知っていたのか、それとも今回の事で説明でもされたのか。村雨が語ったところによると………。
何代か前には国都マルトで伯爵の地位にあったらしい。当時の英雄の功績に寄与したとかで………だがその後、貴族階級の見直しがあって降爵。それに伴いこの街に転居。以降、目立った功績もなく俸禄を削られ、今では役人とほとんど変わらぬ下級貴族。
そこへ、今回の集団からの誘いである。その教義は大まかに言うと、この社会構造は既得権益者が作り守ってるもので間違っている。ならば一度壊すべきじゃないか。欲望の女神ジェブラーニの名の下に、抑える事無く欲望を解き放ち、あるべき本来の姿から始めるべきだ…………
この教義は、下級貴族には大いに刺さったらしい。だからか、多くのルミネイトが南………領主邸や貴族の住む南を目指していた。
「そういえば、師匠は無事だったんですね」
「今更かよ。ま、心配されるほどの事じゃなかったけどな」
事件が収束を見せた後、村雨とは聴取前に少し顔を合わせただけだ。その時はルネの事を伝えるので精一杯だったし、お互い見た目の無事は確認している。
「クリニエールも全員出てたし、敵の目的地はバラけてたし………振り回されたが、最初の戦闘以外はそんなじゃなかったな」
ごろりと寝転ぶ村雨。ルネ関係の事や事後処理、報告などを堅苦しい領主邸で行わなければならなかった。戦闘後、ゆっくり出来る時間もあまりなかったし………疲れというのなら、そちらの方が大きいかもしれない。
「あたしは………」
何を言いたいか、わからない。でも死んでいくシモーヌの、それを見るルネの姿が思い出されて………
「初めての戦闘だろ?ケガがないなら、それで充分さ」
「でも……」
表情を変えぬまま、淡々と指示に従い、保護されていったルネ。
「でも………あの結末だけは避けなきゃいけなかった……」
早く追いついていれば。その前に無力化出来ていれば。
漠然とした後悔が、ひとつの言葉に収束する。
「あたしが、もっと強ければ…!」
ぎゅっ、と拳を握る。
「あんまり気負い過ぎるなよ。そんな事は誰もが思うんだ。言ったように、最初はちゃんと戻っただけで充分だ」
それに……と、体を起こして村雨は続ける。
「おまえは強くなれるさ」
「……根拠は?」
「なんとなく……じゃないから」
「?どういう意味です?」
「根拠があるって事だよ」
「??」
疑問符だらけのクレアに、村雨は話はお終いというふうに手を振って、また寝転がった。
「ルネを迎えに行ってくれ。オレは風呂沸かしてメシ作っとくから」
「わかりました。………その似合わない軍服、さっさと着替えた方がいいですよ」
領主邸を出た所で足を止めた。
両親、財産、家………全てを失った。名前も、もうただの『ルネ』だ。傾いた陽に伸びる影を見て………思ったより落ち着いている自分に気付いた。
あの日……あの夜、出ていく両親を止められなかった。ひとり残された部屋で、その結果をただじっと待っていた。
止められなかった時点で、もう結末は決まっていた。いや、それを言うなら村雨がルネに手を出さなかった時点で決まっていたのかもしれない。
娘を使ってしか未来に希望を持てなかった人達。過去を、失ったものしか見てこなかった人達。
─どきなさい─
ノーはない。それでも『ノー』と言った。言ったら殴られた。
残ったのは、頬の痛みと『やっぱり…』という思い。だから………
─ごめん、ルネ─
謝らなくていい。自ら選んだ結末だから。逆らってみたところで、なるようにしかならかったのだから。
……………ただ、もし………
なにか意味を求めるなら。
母が最期に家に来た事と………
─…あるが………まに……………きたまえ……─
途切れ途切れの聖唱が、『あるがままに生き給え』と聞こえた事に意味があるのかもしれない。
彼女に『ノー』はないのだから。