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3A.屋敷暮らし


 なるようにしかならない。

 足掻いても、逆らっても。見上げる事しか出来ない。

 なのに父母は目をぎらつかせる。これはチャンスだ、と。

 もし“英雄”の子を孕めば、正式ではなくとも縁が出来る。それに、“英雄”の子ならばその力を継いでるかもしれない。

 だから決してノーは言うな。

 それはあなた達に対してでもないか、と思いながらイエスと答える。

 それでも………

 言われた事をする。命令通りに動く。ノーはない。

 所詮、なるようにしかならない。



 英雄とは。

 神の遣いであり、天賦の才を持ち、その国へと与えられた剣である。指導者の傍らに立ちうんぬん………というのは読み飛ばす。

 その才は武のみにあらず、人々の生活向上にも恩恵をもたらした。農業、建築、上下水道、新たな料理に至るまで。彼らは神のご意思に従い我らに………というのも読み飛ばす。

 彼らは一様にして強大な魔力を持ち、奇跡のような御業を操る。エクシードならば身の丈ほどの剣を作り、大岩を切る。神聖魔法ならば天翔ける肉体を得、精霊術ならば豪雨轟雷をもたらす。公国の元で彼らは………と、ここまで読んで、クレアは本を閉じた。

 為政者側の都合と誇張を抜けば………ほとんど残らない気もするが………英雄とは、召喚された高魔力の存在となる。

 異世界だとか、そういう話は出てこない。あくまで『神が遣わされた存在』である。

 となると漠然と、神と同じ世界の存在かと思ってしまう。実際はまぁ転生というか、あっちの者をこっちというか………。

 その能力については『すごい』以外書いてない。それもそうかと思う。神の遣いならすごいのが当たり前だ………多分。

 でも『神堂紅亜』や村雨の出自を思えば、すごいのはこちらに来てからで。というか、神聖魔法も精霊術も使えてなかったわけだし。エクシードだってない。召喚に関するなんらかの要因が彼らを強くしたのだろうか。………じゃあ自分は?

 そもそも『神堂紅亜』は召喚されたのか?失敗してクレアの中にいるんじゃないだろうか。いや、召喚の方法は?失敗するようなものだろうか?

 ……残念ながら、召喚方法に関しての本はない。それもそうだろう。召喚術は秘術の類、場合によっては禁術だ。

 召喚については置いておく。

 英雄が振るった力についてはどうかというと、強化版の一言になる。

 いわく、剣を作るところ大剣を出した。神聖魔法で鋼のような頑健さ、鳥のような俊敏さを得た。精霊術で雷を落とした………。

 つまるところ、人が使うものより強力な結果になった、という表現。

 英雄にとっては、召喚されてから当たり前のように使えるその力。それはつまるところ、力の源、別世界との繋がりが強いからとも言える。

 神聖魔法も精霊術もエクシードも。別世界の存在の力なくして使えないといわれている。なぜ?とか、どうやって?とか、この感覚を説明するのは難しいのだけれど。

 クレアの魔力が上がったのは、『神堂紅亜』という存在が自分の中に移る事により、別世界との繋がりが拡張されたから……とも推測出来る。

 ともあれ、そんな事が知られれば“再現”を試されるのは間違いなくて。そしてこれは勘だけど、クレアと同じ状況を作っても………極端な話、クレアが同じ人生を歩んでも、そこに『神堂紅亜』みたいな存在が必ず生まれるとは思えない。

 だからこれらは胸にしまっておこう。幸い村雨も黙っててくれる。あと気を付けなければいけないのは………

 司書に挨拶し、書庫を後にする。さすが領主のコレクション、蔵書は五百近くあるというし、しばらくは通いつめよう。ただ、司書の視線は少し気になった。

 “英雄”の試験に合格したから閲覧許可が出たわけだが、ずっと合格者のいなかった試験だし、どういう方法を使ったのかと怪しまれているのかもしれない。

 いや、怪しまれているというか……

 「な、やっぱり英雄は夜も英雄なのか?」

 「…………」

 泊まりだし、そう思われる事は仕方ないというか………。でも、ド直球で聞いてくるのはどうかと思う。

 聞いてきたのは、一時ルームメイトだったカリーヌ。クレアより頭ひとつ分は背が高く、体格もがっしりしている。クセのある金髪をまとめるのに、毎朝時間が掛かっていた。

 「そういう風に見られるのは仕方ないと思ってるけど、違うから」

 領主の館まで来たついで、あれやこれやと連絡のために動き回っていたところである。兵舎に入ったところで、休憩中のカリーヌにつかまった。

 「本当か?色々と噂は流れてるぜ?英雄様の趣味は………あー…、まぁ、そんなカンジだとか」

 どうせサイズがどーのとか言われてるのだろう。申し込まれている受験者の傾向を見ればわかる。

 クレアという合格者が出た事で、村雨の弟子入り志願者は増えていた。兵士や貴族の娘と出自はともかく、そろいもそろって胸が………───。

 そりゃあ、クレアは平均に届いていないかもしれない。メイドのルネだって。だからって。

 「師匠は、“弟子は”趣味で選んだりしない。たまたま方法を見破れて、少しエクシードの操作が得意だっただけ」

 対外的には、これで通している。

 「そんなモンか…」

 一応は納得してくれた様子である。みんながみんな、この説明を信じてくれれば問題ないのだが………余波で被害を被ってる人がいる。

 「バ……メナール様は?こちらにおいでだって聞いたけど」

 「教官室じゃないか?再度試験を受けたいって人もいるし………そのへんの打合せじゃない?」

 と、なると長引くかもしれない。こちらとしては挨拶と伝言だけなのだが………

 「待つか…」

 兵舎といっても、ここの造りは良いらしい。他を知ってるわけではないが、確かに館と同様の建築をしていて、食堂も清潔だ。………『神堂紅亜』の知識を持って言うと、どうにも“学食感”があるようだが。

 だが食堂で待つわけにもいかない。出入りのわかる、従者用の部屋があるのでそこを使わせて貰う。

 狭い空間に椅子があるだけ。そこには数人、主を待つ若い従者達がいて。おいそれと名乗れないため、軽い目礼だけ。もちろん私語などもってのほか。けれどチラチラと向けられる目は雄弁で。

 他で向けられた『体を使って……』という視線と違い、ここでは『コネを使って……』という視線になる。

 クレアとしては、たまたま地元に派遣された調査隊の隊長。縁あって親切にしてくれた人、なのだが。

 兵士としては新興の家系だったり婿養子だったり。けれど部下の評判は良く実力はあったりとアンバランスな状況………さらに“英雄”との親交。そこへ『英雄の弟子の紹介』が加わった。

 旧家と現場と………極めて面倒くさい立場のお方のようだ。バスチアン・メナールというお人は。

 ──どっちが迷惑かけたとか言う話じゃない気がしてきた。

 伝言の半分はそれの詫び(?)なのだが。『酒でも飲まして忘れさせちまえ』という村雨の言は、『食事でも出して水に流す』と翻訳すれば丁度よい提案とも思えた。

 どうせ苦労はこちらも負うし、あちらはこれを機にコネでも貸しでもばらまけるだろう。

 「!」

 外へと向かうバスチアンの姿を見つけ、立ち上がる。

 「バスチアン様」

 外に出た所を見計らい、声を掛ける。

 「おぉ、クレア」

 傾き始めた日の中で、バスチアンは笑顔を見せた。が、すぐに表情を引き締めると、

 「もう仕事は終わった。少し待っててくれないか。道中で話そう」

 周囲の目が気になるのだろう。クレアは頷いた。


 「そのまま言っていいぞ?どうせ『面倒だからまとめてくれ』とか言ったんだろう」

 明るく笑いながら、バスチアンはクレアが包んだオブラートをはぎとった。

 急増し始めた村雨の試験の事である。再試験も含め希望者が増え、彼らがいちいち屋敷に来てはテストだ課題だと言うのでは他の事が出来ない。事実、クレアも指導を受けるヒマがない。

 なので、今までは新規入隊時季の年一回を基本としていたところ、しばらくは月一程度にしてはどうか?という提案をしたのだが。

 ………提案という形にしたのはクレアだ。それを見事に見破られた。

 「だがまぁ、それはオレも思ってた。こっちにも紹介してくれという話が毎日のように来てな……」

 はたから見れば、村雨と懇意のバスチアンがクレアみたいな女を紹介すれば合格する、とでも思われてるのだろう。

 「その内そちらに寄らせてもらう。細かい打合せはその時に。ムラサメにも言っといてくれ」

 「わかりました」

 と返事をした所で、バスチアンの邸宅前に着く。

 『寄っていくか?食事も出そう』という誘いを辞退し………またの機会に、ゼヒと付け加え。村雨の屋敷へと戻る。辺りは、大分暗くなっていた。

 「ただいま」

 と返事を期待しないで発した声に、

 「おかえりなさいませ、クレア様」

 「……ルネ?」

 金髪の少女が丁寧に出迎えてくれた。いつも通りのミニのメイド服。違和感はそこではなくて、こんな時間までまだいるというところ。

 「今日は泊まり?」

 「はい。両親が出かけている事を知ったご主人様が泊まっていくように、と」

 泊まる事もあると聞いていた。彼女の部屋もあるし。ただ………

 「食事の支度が出来ております。準備が出来ましたらお越しください」

 クレアの荷物を預かると、妙にそわそわした感じで廊下を去る。あまり感情を出さないルネにしては珍しい。

 なんだろう?と思いつつブーツを脱ぎ………和風の造りとブーツは、つくづく相性が悪いと思う。一度部屋に戻ってからキッチンと続く囲炉裏のある部屋、ムリヤリ言うならばダイニングに行く。

 「おぅ。もう少しで焼き上がりだ」

 土間にある、クッキングストーブと並ぶ和の中の洋、レンガの窯の前に村雨がいる。いつもの作務衣、そして頭にタオルを巻いたその姿は皿か壺でも焼いてるように見えたが………

 「ルネ、井戸からパチコーク取って来てくれ」

 「はい」

 勝手口から宵闇の中へと出ていくルネ。贅沢な事に、この屋敷の敷地には井戸がある。いや、それよりも………

 「“パチコーク”?」

 「発泡酒にハーブとカラメル混ぜてアレっぽくした飲み物。ニセモノでも、やっぱあるとないとじゃ違う」

 うんうんと頷きながら窯から取り出したのは、大きなピザだった。板に移すと、囲炉裏を塞いだテーブルの上に置く。それは確かにピザだった。

 具材の主張激しいこちらのピザではなくて。くつくつ音を立てる柔らかなチーズが主役のピザ。それを……──

 村雨が取り出したのは、奇妙な道具だった。握った柄の先、二つに分かれたそれぞれに穴が開いている。たとえばそれは、エクシードを円盤状にしてその穴を軸受けとすればピザカッターになりそうな………

 「持ってまいりました」

 水が滴るカゴを持ってルネが戻ってくる。手早くタオルで拭いてトレイに、コップも乗せて運んで来る。そして、ぴたりと止まった。

 「あの……クレア様………」

 座ったまま見上げ、クレアは首を傾げる。そこに、ピザを切りながら村雨が声を掛けた。

 「いいから座れ。クレア、一緒に喰うけど、いいよな?」

 ──あぁ、そういう事か。

 彼女はメイド。メイドが主人と同じ卓で食事をするなどあり得ない。だが彼女の様子からすると、ここでは普通の事のようだ。クレアに異存はないし、なにより冷めたピザはまずい。

 「もちろん。みんなで食卓を囲むのが普通だったから………気にしないで」

 メイドなどいない生活だったし、生まれでいうならクレアの方が下だろう。

 「で、では失礼します」

 ぎこちなく腰を下ろし、飲み物の用意をする。

 「クレア様もパチコークですか?」

 純粋な瞳でその名前を言わないで欲しい。

 だが、ちょっと迷う。本物ならそっちなのだが、村雨のカクテルした物………まして元が発泡酒というのでは………。

 ビンはもう一種類あった。透明なそれを指して聞いてみる。

 「そっちは?」

 「発泡水です。ライムとお砂糖を加えると、エセライトというカクテルになります」

 「…………」

 ジト目を村雨に向ける。

 「さ、冷める前に喰おうぜ」

 「………そっちでお願い」

 祈りの言葉を捧げ、食べ始める。

 切られたピザを手に取れば伸びるチーズ。これは量もさることながら、何種類かをブレンドして“元のイメージ”に近付けた結果だろう。生地もクリスピーを意識した薄め、耳も堅めの手触り。

 皿に移し伸びたチーズをフォークでまとめ、口に運ぶ。濃厚なチーズが焦げた香りと共に口に広がり………トマトの酸味、タマネギの歯応えとほのかな辛味。ソースは甘め。

 そういえば具材を気にしていなかった。よく見れば半分ごとに違い、もう片方はベーコンが覗いてる。

 「あと二枚あるからな」

 そう言って立ち上がり、窯の様子を見に行く村雨。

 ──あと二枚って……。

 この大きいピザ、一人当たり一枚の割り合いか。『神堂紅亜』の部分が『カロリーが……』と囁くが、こんな贅沢、滅多に出来るものじゃないし。カロリーというのなら、むしろ足りてない日のが多かったかもしれない。

 スプラ……エセライトを一口。次のピザに手を伸ばす。多いかも……と思ったのは杞憂になりそうだ。こちらのピザと違い、生地が軽めだ。チーズといい、生地といい………どこで手に入れたか知らないが、なかなか趣味の良い食事をしている………一部を除いて。

 ふと顔を上げれば。

 小さな口で、夢中でピザにかじりつくルネが目に入った。彼女の家柄はわからないが、こんな食事、他ではやってないだろう。

 「ぁ…」

 村雨が二枚目を持ってきたものの、そちらはトッピングが違う。一枚目、最後の一切れに伸ばしかけた手を、ルネはひっこめた。

 「どうぞ」

 クレアが笑いかける。

 「でも……」

 「好きなだけ喰いな」

 ビンに直接を口を付けて飲みながら、村雨。

 それでも逡巡を見せてから、

 「…………では……失礼していただきます」

 手に取り、もむもむと食べるその姿を、暖かい眼差しで見守ってしまう。

 見れば村雨も同じ目で見守っていて。

 「またやりましょうね、ピザ」

 「あぁ。またやるからな、ピザ」

 ………本当、村雨はいい趣味をしている。


 村雨の屋敷には、道場がある。渡り廊下で繋がった、板張りの広い空間。

 建築当初は何人もの弟子が入る予定だったそこで、クレアは村雨と向き合って立っていた。

 彼の姿はいつもの作務衣。クレアは兵士の訓練着。さすがに道着はないらしい。

 「法術の種類や基礎については、今更オレが教える事ではないだろう」

 試験希望者の問題がひとまずの落ち着きを見せ、やっとクレアの訓練が始められた。

 「一番大事な法術はなんだと思う?」

 エクシード、神聖魔法、精霊術。これらを総じて法術と言うが、それらのどれが一番大事かと問われれば………

 「エクシードです」

 もっとも基礎的な道具にして、武器。常に手元にあり、これの扱いで力量も計れる。

 が、村雨は首を振り、あまつさえ指を立てて『ちっ、ちっ、ちっ』などと言ってきた。

 「武器としては優秀だけどな。どんな攻撃も、『当たらなければどうという事はない』んだよ」

 「…………」

 と、なると。

 精霊術は、宝石を媒体に水や風などを生み出す術である。部屋の明りにも使われる身近な術。神聖魔法は、肉体や精神に作用し、治癒や強化が行える。食事の前の祈りなども含まれるため、これも身近なもの。

 戦闘においてどっちが使われるかというと、

 「神聖魔法ですか?確かに肉体強化は出来るけど……」

 どうしても語尾が鈍くなるのは、強化がそこまでの差を生まないからである。

 確かに力仕事の際などは便利だし、持久力を上げたりは出来る。だが………

 「相手も同じ事が出来るのなら差は変わらない……とか思ってるか?」

 うなずく。

 それならエクシードを強化した方がいいのではないだろうか。相手のエクシードの耐久を上回れば、確実なアドバンテージが得られる。試験も、その辺を考慮してのものだったのではないだろうか。

 「じゃあ、相手を上回る強化が出来ればいい。あー………とりあえず、やってみせるから」

 理屈ではあるが、そこまで出来るものだろうか?

 疑問ばかりだが、ともあれ村雨の神聖魔法の詠唱………聖唱に意識を向ける。指輪を………普段そんなのはしていないはずだが、闘争神シウラの聖印が刻まれた指輪を掲げ、唱える。

 「《打ち鍛えられし御身に願う。灯よ、我が身を燃やせ。消せぬ火となれ》」

 短い。ちゃんと強化が………いや、神聖魔法が発動したかどうか疑いたくなるレベル。

 「行くぞ」

 宣言。村雨はやや身をかがめて一歩を……───

 「ッ!!」

 瞬きをした瞬間に、目の前に。次の瞬間には視界にいない。

 「バトルモノみたいに『消えるほど』ってのはムリだが、充分だろ」

 声は、背後から。確かに横をすり抜けた風は感じたが………。

 振り返り、その姿を確認しながら言う。

 「でも………充分バトルモノみたいな聖唱です」

 「うるせ!」

 茶化しはしたものの、その効果は充分に思えた。兵士達の訓練でも、鎧を着ているとは思えない動き、とか、すごく足の早い人、くらいしか見ていない。それらとは一段も二段も違う。

 忘れていた。彼が“英雄”で、高魔力の存在だと。そして自分も………どこまでかはわからないが、魔力が高まっている。

 これを使えるようになれば……と使い方を聞くのだが。

 「呪文……いや、聖唱か。それはなぞればいい………はず。色々試した結果だし、オレは発動するし」

 「なんちゅうか………バチッってはまるトコがあんのよ。そこを意識しながらぐわってしたイメージで魔力を喰わせるっていうか……」

 「あとは慣れよ、慣れ。頑丈にもなってるから多少はだいじょーぶだって」

 ……………そういえば。バスチアンが村雨を『能力はあっても教練には向かない』と言っていたっけ。

 「教え方、ヘタ過ぎません?」

 「しょうがないだろ。今まで人にモノ教えるなんてなかったんだから」

 「……………」

 これから、もし弟子が増えたらどうするつもりなのか。ある程度の結果を示せなければどうなるかわからないのに。

 「とにかく、出来るようになった経緯を教えてください。あたしの方でなぞりながら試してみます」

 「お、おう。でもかなり前の事で覚えてるかどうか……」

 「逆立ちしてでも思い出してください。それと、聖唱についても聞きたい事が………」

 「……なぁ。オレ、師匠だよな?」

 「そうですよ、師匠。弟子にモノを教えるのが師匠じゃないですか」

 「そう……そうだよな……」

 「だから答えてください。魔力を喰わせるって言ってましたが………」

 なんだか腑に落ちない表情の村雨を質問攻めにし、クレアはひとりで強くなる決意をした。


 涼やかなベルの音が鳴った。

 教練から戻り、玄関でブーツを脱ごうとしていた時の事である。

 「出るからいいよー」

 廊下の奥、おそらく向かってきているだろうルネに声を掛け、門の方へ向かう。薄汚れた訓練着だが、村雨の屋敷には道場もあるくらいだし、予定にない訪問の出迎えなら失礼にはならないだろう。

 軽く埃を払って、脇戸を抜ける。

 「あ、いらっしゃいませ、バスチアン様」

 「元気そうだな、クレア。上がっていいか?今日は少し長くなるかもしれない」

 どうぞと言うと、慣れた様子で脇戸を抜けて行く。追いかけ、せめて荷物をと言うと、

 「あぁ、キッチンに頼む」

 受け取ったのはチーズとワイン。

 「ムラサメはキッチンか?」

 「あ、えっと…」

 帰ってきたばかりなのでわからない。が、第一候補がキッチンというあたり、村雨がどう思われてるかわかる。

 「いらっしゃいませ、メナール様。ご主人様は研究室にいらっしゃいます」

 玄関で出迎えたルネが折り目正しく頭を下げながら告げる。

 「ありがとう。私の分の食事を頼んでも平気か?」

 「かしこまりました」

 案内していくルネとバスチアンの背中を見て、今度こそブーツを脱ぐ。

 長くなる、とはどんな要件だろう。食事というのも初めてだが………ルネの様子から、珍しい事ではないような気がする。なんだかんだ、クレアが来てまだひと月も経ってない。バスチアンの事も………ルネの事も良く知らない。

 キッチンへ行き、ワインを………冷やすべきだろうか?チーズはラクレット。支度途中の食材を見るに、今日はギョーザか。

 ──ギョーザにワインってどうなんだろう……。

 『神堂紅亜』の記憶を探っても、その組み合わせは出てこない。ギョーザと言ったらビールと、合言葉のように繋がっている。

 と、いう事は。

 戻って来たルネに確かめる。

 「はい。井戸にてビールを冷やしています」

 ギョーザの皮は、すでに村雨が打ってある。あとは切って伸ばして具材を包む………

 「ルネ、今日も泊まり?」

 「はい」

 時間と量を考えると、夕食は彼女も一緒と思われた。とはいえ三人分。そこに成人男性一人分が追加と考えると………

 「……わたしは、帰った方がいいでしょうか…?」

 自分の分が減れば。そう考えたらしい。

 「…………」

 何も言わずに、食材を確認する。ジャガイモ、タマネギは常備されている。この時期はトマトも。ギョーザという事でキャベツも一玉ある。昼食の残りというパン。保存の効く食材として、キノコ類。肉は塩抜きした豚肉。他にもソーセージなどはあるが………。

 「ルネ、油って余裕ある?」

 「はい」

 タマゴも確認して。クレアはうなずいた。

 「ちょっと手間は掛かるけど……大丈夫」

 いくつか指示を出して、急ぎ着替える。ルネと二人、休む間もなく動き回ってあとは揚げれば完成、というところで。

 「ビールも冷やしてるし、つまみなら何とかなるだろ」

 村雨とバスチアンがやってきた。

 ──間に合った……。

 大分油を使ってしまったが、そのくらいは大目に見てもらおう。

 「いや、こっちも急だったし……。あぁ、腹に入れてきたから少しで……──」

 後半は、こちらへ向けていったものだったが。給仕を任せたルネが持って行った皿を見て、黙ったらしい。

 「……ギョーザ、と聞いていたが……」

 ギョーザといえば、焼きギョーザである。多分、過去の“英雄”が広めたものだろう。が、本日のギョーザは揚げギョーザである。具も、キノコを足した。

 もちろん、それだけでは大して増えないので、別の物も揚げた。

 「コロッケか…」

 呟く村雨。

 ジャガイモで嵩増し出来るコロッケならば、追加一人分の注文にも応えられる。無論、キャベツは千切りで添えた。

 「さ、召し上がってください」

 冷えたビールを用意する。

 とっさのアイデアといい、間に合わせた手腕といい、自分の事を褒めてもいいんじゃないだろうか。

 ──この街に来てから一番の充足感を、料理で感じるというのもどうだろう……?

 疑問に思わないでもなかったが、共に食事をするルネを見て『ま、いっか』と思う。

 最近は彼女に作法を教わっている。そのお礼もあるが………なにより、一人別のメニューを後で食べる、という彼女を見ないで済んだ。

 それだけでも満足だ。


 「クレアの修行はどうだ?」

 片膝を立てたバスチアンが、ワイングラスを傾けながら問う。それはどちらに聞いたものかはわからなかったが、わずかばかりの師匠という自負か、村雨が答えた。

 「正直、驚いている。これほどまでに………料理のウデがあがるとは」

 「うむ、堪能させてもらった」

 「いや、そっちじゃないでしょ」

 思わずツッコむ。ちょっと酔ってるかもしれない。

 夕食が終わり、片付けを終えたルネはふらふらしだしたので先に休ませた。今は手土産のワインを飲みつつ、スライスしたトマトとタマネギにケッパーを散らしてオリーブオイルをかけたものをつついている。

 「だが本当に驚いたぞ、あのクロケット。チーズも入っていたな」

 広まっているのはクロケット……クリームコロッケとでも言うもので。ジャガイモのコロッケは知られていない。

 「い、イナカ料理のアレンジです」

 潰したジャガイモを焼いたものならある。衣を付けて揚げる………トンカツならある。アレンジと言えば、まぁ誤魔化せるだろう。

 「ギョーザを揚げるのもか?」

 「あれは……師匠が話していたんです。もう、食べ物の話ばかりで……」

 「ん?あぁ、まぁ……」

 曖昧に頷いているが、完全に嘘っていうわけでもない。そばもピザもギョーザも、生地は全て村雨の手作りだ。聞けば料理店に行って教えてもらったというし………この世界でいかにあっちの料理を再現するか、というのは盛り上がる話題でもある。

 「俺にとっては充分な成果と言えるが………正直、法術の方はどうなんだ?」

 クレアが村雨の元に来て、まだひと月も経っていない。だが、もうすぐひと月とも言える。

 成果の有無は、今後に大きく関わってくる。

 「…………」

 クレアとしては、手応えは感じつつもそれをどこまで明かしていいものか……といった感じなのだが。

 「一か月でホイホイ成果が出たら苦労しないだろ。兵達に教えた神聖魔法だって、モノにするのに時間かかったろうが」

 最初に教えてもらった強化の神聖魔法。あれはこの国の兵士にも教えられているものらしい。だが、それを実戦で使えるのは一握り。村雨ほどの効果となると、さらに少ない。

 「それもそうか。だが見込みはあるんだな?」

 「おまえは、コイツを料理番として採用したとでも思ってるのか」

 「いっそそれでも構わないんだが……」

 と、いうのは、酔ったバスチアンが漏らした本音かもしれない。

 ──娘を商人に……だっけ。

 クレアもほろ酔いの頭で考える。兵士としてではなく、“英雄の弟子”として店を構える姿を。

 惹かれてしまうそんな想像を、バスチアンの次の話題が打ち破った。

 「クレアがおまえの弟子となれば、無関係のままでもいられないだろう。いずれ任務に同行する事になる」

 「にん……む…?」

 村雨に目を向ける。

 「師匠……趣味以外に活動する事があるんですね?」

 「当たり前だろ!オレをなんだと思ってんだ」

 「ご隠居」

 はっはっはっ、と笑うバスチアン。

 「言いえて妙だな」

 「仮にも“英雄”だろうが、オレは。隠居なんかさせてくれねーだろ」

 「うむ。活躍してもらわないと、なんのために俸禄を与えてるかわかならいからな」

 屋敷、食材、研究室の怪しげなあれやこれや………。確かに、ただの飼い殺しにしてはお金がかかってる。

 「ルミネイトは知ってるか?」

 グラスを置いて聞かれたそれに、クレアはうなずいた。

 といっても、本で読んだに過ぎない。神に見放されたため、人としての知能を失い、ケモノのように暴れるしかなくなった“元”人間。村では怪談程度の扱いだったが………。

 「人口に応じて発生率は上がってくる。この街では年に一件くらいだがな。少し詳しく説明しよう」

 信仰がねじれ、歪むとルミネイトに堕ちるという。一部の神の過激派や確信犯が教義を逸脱し、その果てにルミネイトとして社会から外れた行動を取る。たとえばそれは、本能、欲求から来るもので、抑圧されたものの爆発とも言える。

 「女、酒、飯、金……そういったものだな」

 タチが悪いのは、その身体能力が強化されている事だ。程度にもよるが、神聖魔法を使わなければ太刀打ち出来ない。相手が一人なら複数で囲むという方法もあるが………

 「どうしても集団で発生しやすい」

 抑圧された市民が過激思想の宗派に走り、指導者ともどもルミネイト化して暴走。そういったケースが多い。………というのは、後日調べた話。なにせビールの後にワインと、いいカンジに酔っていたので。

 「そうなると、個人で大きな戦闘力のあるコイツの出番ってわけだ。力を付ければクレア、キミにも期待される」

 「力を付けられれば、な。で、近々作戦でもあんのか?」

 「いや、まだ調査の段階だ。出動を頼むかどうかもわからん」

 「んじゃ、まだいーじゃねーか」

 「最初に言ったろ、巡回任務に出ると。しばらく街を離れる」

 仲いーなー…と男同士の戯れを眺めていたが、その一言に頭の焦点が少し戻ってくる。

 「バスチアン様、街の外へ行くのですか?」

 「あぁ。収穫の近付いた村をいくつか回ってくる」

 少し目を伏せてトーンが落ちたのは……

 ──…あぁ、あたしの村のことか……。

 たまに、炎の音がたまらなく怖くなる。夜中に目が覚め、震えている事もある。そのたびに数える。失ったものと、得たものを。

 当然失ったものの方が多いが、それでも自分は生きていると思うと、恐怖だけは消えてくれる。

 「………話してください。それで警戒して、防げるなら、それに越した事はありません」

 「………ありがとう」

 デュボワの村が消えた。警戒を促すのには、そう言うのが早い。だがクレアと知り合ってしまった以上、話のネタとすることに抵抗があったのだろう。感謝の言葉には、ほっとした響きが含まれていた。

 「俺がいない間、主な伝達は息子に頼んだ。遠慮せずに使ってほしい」

 ──むす……こ……?

 いつぞやの“見合い”なる話を思い出す。あの時は冗談交じりに『見合う立場になったら』と答えたが………『英雄の弟子』、力を得てある程度の実績を積めば、充分見合うと言える。

 ………諦めていない……のだろうか。

 「さて、そろそろ帰るよ」

 そう言って立ち上がるバスチアン。時計はないが、そろそろ十時といったところだろうか。

 「泊まっていかれてはどうです?」

 合わせて立ち上がりながらも聞いてみる。部屋はたくさんある。

 「いや……」

 と濁した先を、座ったままの村雨が明かす。

 「巡回に出りゃどんなトコで寝るかわからねぇ。今から床で寝るのは勘弁だってよ」

 苦笑い。どうやらそうらしい。

 確かに部屋はたくさんあるが、どれも和室………それも畳ではなく、緩衝材とゴザの“畳っぽいもの”だ。そこに布団を敷くので、ベッドが当たり前の生活だと辛いかもしれない。

 ………ちなみに。この屋敷唯一の洋間は、ルネのためにリフォームした彼女の私室だ。本人は遠慮したらしいが、村雨の『夢を見させろ』というよくわからない一言で押し切られたらしい。

 「では、送っていきます」

 「そしたら帰るクレアを俺が送らなければ。大丈夫だ。それに………ルミネイトまでいかなくても、危ない奴らがいるかもしれない。クレアも……ルネも、日が落ちてから外にだしたりするなよ」

 と、最後の方は村雨に告げて。

 「門までは頼む。戸締りはしっかりな」

 「はい」


 道場から母屋へ戻る途中、井戸の辺りに西日に輝く金髪を見つけ、足を止めた。

 肉体強化での練習を終えたところ。村雨は、助言が役に立たな………ある程度教わったので、今は一人で練習している。

 日の傾き具合を確かめて、時間を推し計る。いや、何時というより、暗くなるかどうかの方が問題で。

 まだ仕事をしているという事は、今日も泊まりだろうか。ここのところ多い気がする。構わないのだが………村雨と二人で食事より、彼女がいる方が華やかになるし。

 ──………親御さんとか……、

 心配しないのか、とありきたりなフレーズを浮かべかけ、彼女の家庭について何も知らない事に気付いた。家庭どころか、『ルネ』という名前以外、プライベートな事はまったく知らない。

 ──聞いていいのかな……?

 悩みながら、風呂に向かう。

 ………風呂。そう、この屋敷には風呂がある。しかもお湯を溜めるのではなく、竈から沸かすタイプ。精霊術を使い、シャワーだって使える。

 湿度が低く、雨も少ないこの辺りで毎日入浴など贅沢の極みだが。『神堂紅亜』の影響で『毎日お風呂』という欲求が湧いてしまったクレアにはとてもありがたい。村雨のこだわりに感謝、である。

 村雨のこだわりといえば、もうひとつ。彼の普段着となってる作務衣。その、レディースを作ってもらった。色は薄めのオレンジ。訓練後、汗を流しても再びきっちり服を着込まねばならず………作務衣を羨んだら、注文してくれた。

 その作務衣へと着替え、風呂から出る。手には、脱衣所に隠してある小さな宝石をふたつ、それと櫛を持って風通しの良い縁側へ。

 「【ミノル・ウェントス】」

 宝石………ペリドットに意識を向け、術句を紡ぐ。濡れた髪がふわふわ揺れ、作務衣の袖や襟から風が入ってくる。

 しばしその風で涼んでから。もうひとつの宝石、ガーネットに意識を向ける。

 「【カリダ】」

 熱を発し始めたそれを、ペリドットと一緒にエクシードで作った筒の中に入れる。簡易ドライヤーの完成である。

 薄暮に沈む庭………最初は枯山水だと思ったが、あまり手入れのされていないそれは、もはやただの石と砂利でしかないが………それを見ながら、髪を梳かす。

 すっかりここでの暮らしに馴染んでしまった。毎日の入浴もそうだが、食事や、こんな気軽に精霊術を使う生活に。

 デュボワの村では、精霊術など滅多に使うものではなくて。そもそも媒体の宝石は村長宅に厳重に保管されていた。それが………

 「【ルーメン】」

 背後で声がして、部屋の明りが灯る。

 「クレア様、食事の支度が出来ました」

 「ありがと」

 立ち上がる。

 「師匠は?」

 「先に召し上がって構わないそうです」

 ルネのその言葉から推察するに………最近村雨は、温度を下げる研究に夢中だ。近頃の食事が、その情熱に再び火を付けたらしい。おそらく研究室に籠ってる、というところだろう。

 精霊術にあるのは火、風、雷、水、光。熱する事は出来ても、冷やす術がない。井戸を使って冷やしているが、もっと冷たく出来る冷蔵庫、冷凍庫が出来れば保存の面でも向上する。

 完成すれば、“英雄”の功績と称えられるだろう。

 とはいえ、一度は諦めたという技術。『神堂紅亜』の知識もあまり役に立たなかったし。お言葉通り、先に頂く事にする。

 今日のメニューはご飯、味噌汁、豆腐、おひたし、魚の干物。村雨のリクエストだが、すっかり和食に染まってしまった。ルネもすっかりお箸の扱いに慣れた………ものの。

 食べ始めてから少しして、もたつく彼女の姿が目に入る。

 座布団に座る事も、箸の扱いも、器を持ち上げて口を付けて味噌汁を飲む事も慣れたようだが、さすがに箸で干物の魚をほぐすのは難しいようだ。

 干物の魚など保存食、携帯食で。そのまま焼いて食べるなど、野外でかじりつく時ぐらいだろう。

 「ルネ、魚にはほぐれやすいところがあってね……」

 骨のある所、身の付き方などを教える。彼女は別段、不器用ではない。むしろ器用で、物覚えはいいと思う。半身分教えただけで、それなりにキレイに取れるようになった。

 「ありがとうございます」

 箸を置き、丁寧に頭を下げられる。

 「いいって。作法について教えてもらってるし」

 年下の子に物を教えるというのは、村にいた頃をちょっと思い出す。寂しさが勝るが、嬉しさもある。

 「魚をお箸で食べるなんて、普通はないから」

 そう言ってしまってから、まずかったかなと思う。じゃあなぜクレアは出来るのか?と聞かれた時に、うまい答えがない。

 「そういえば、ルネの家ってどんな家?」

 急いで聞いてみる。誤魔化しがてら………でも、気になったのは事実だ。

 「………正式にご挨拶した事がありませんでした。申し訳ありません」

 丁寧というより他人行儀な態度に、いやいやと首を振る。

 「ちょっと気になっただけだから。話せない事情とかあるなら、別に……」

 「いえ……。私はルネ・メルシエ・ラ=アパレイユ。ロラン・メルシエ・ダ=アパレイユの娘でございます」

 座ったままながら、スカートを軽くつまんで………その所作には気品が漂って見えた。

 「…………」

 聞いた名前を反芻する。名前、苗字……そして爵位を得た時に得る貴族名。…………貴族名……。

 「あの………爵位をうかがっても……?」

 伺うも何も、ド平民のクレアより上なのは確定しているのだが。

 「子爵の位を頂いてます」

 爵位は五つ。だが上二つはほぼ中央にしかいないし、最下位の男爵は功績を上げた者に一代限りで与えられるような名誉爵位。子爵は下から二つ目とはいえ、地方においては上から二つ目といった方が正しい。

 英雄の屋敷とはいえ、メイド業。役人の娘ぐらいと思っていたが………男爵である村雨より上である。苗字無しのクレアが気軽に接していい相手ではない。

 「ですが、気になさらないで下さい。ここではただのメイドです」

 どうお詫びをして……いやでもいきなり態度を変えるのも………なんて悩んだクレアに、ルネは今まで通りの淡々とした態度で告げてきた。

 「これまで通りにお使い下さい」

 「…………」

 それはそれで寂しい、と思ってしまう。もう少しだけでいい。砕けた態度で接して………いただけはしないだろうか?

 「なぁクレア、コンプレッサーだけど……」

 ガラッ、と唐突に襖が開いて、村雨がやってきた。微妙な空気を察したらしく、一瞬止まる。

 「食事になさいますか?」

 「……あぁ、頼む」

 素早く立ち上がるルネ。魚を焼きに行く彼女の背中を見送ってから、何があったと目で聞いてくる。

 「えっと……ルネ、貴族………」

 「そういえばそうだな」

 「それでいいんですか?」

 「おまえ……オレだって爵位持ちだぞ……」

 そのうえ師匠で英雄だぞ、というのは中身で相殺されてるからいいとして。

 「なんでメイドなんですか?」

 さすがに声をひそめる。それに、村雨はきっぱりと答えた。

 「オレの趣味だ。金髪ツインテの似合う美少女メイドが欲しいと」

 「言ったんですか。言ったんですね。臆面もなく言ったんでしょうとも」

 そーゆう人だ。だが、それにしたって爵位持ち……しかも村雨より上の爵位持ちの娘が来るのはおかしい。なにか良からぬ取り引きでもしたのではないかと疑惑の目を向けると、

 「複雑な家庭の事情だよ。ココじゃ気にしなくていい」

 「そうは言っても………」

 村雨はいい。爵位のない社会で生まれ育っているのだから。だがクレアにとっては、貴族といえば偉い人、失礼あらば処罰される人である。

 「いいんだよ、そういう話で来てるんだから」

 それで割り切ってミニのメイド服を着せてるのだから、村雨の神経はアテにならない。

 「ルネだって、今更貴族扱いされても困るよな」

 土間の端で七輪をぱたぱたしているルネに、村雨が声を掛ける。

 「はい。私はあくまでメイドです。英雄の弟子となられたクレア様が気にする事はありません」

 「…………」

 その“英雄の弟子”というのも、クレア自身の力かというと微妙で。『神堂紅亜』のものと思えば、残るのは“農民の娘”だけである。

 「我が家の没落と現状を話せば納得いただけると思いますが………お聞きになりますか?」

 ふるふると首を横に振る。事実であれ、それを語らせるのは気が引ける。

 「結局あれだろ?クレアが気にしてるのは、ルネとの距離だろ?」

 図星………かもしれない。

 身分がわかる前、“英雄の弟子”と“役人の娘(推定)”なら、クレアが近付いて行けばいいと思ってた。年齢的なものもあるし。

 ところが相手は爵位持ち。そうなると、ルネの方から歩み寄ってもらわなければならない。だが、どうにも壁があるような感じがする彼女から歩み寄るなど………。

 「大丈夫だ。ルネ、これからはクレアの事を“おねえちゃん”と……───

 「待って!」

 とんでもない事を言う村雨と、そのまま呼びそうなルネとを止める。

 「なんだよ。呼ばれたくないのか?」

 「…っ、、」

 答えを、喉で押しとどめる。

 「そう、ゆう、問題では、ないですから、、」

 金髪美少女ツインテメイドに“おねえちゃん”と呼ばれる………それは、“ご主人様”と呼ばせている村雨以上に業が深い気がする。あと、鼻息荒くしているのは『神堂紅亜』の方だ。断じて、クレアではない。

 うつむき目を閉じ悩む………あるいは蓋をするように固まるクレア。

 「お、魚、キレイにほぐせてるじゃないか」

 「教えていただきました、お……クレア様に」

 「じゃ、ますます“おねえちゃん”でいいじゃないか」

 その理屈でいうと作法を教わってるクレアの方が“おねえちゃん”と呼ばなきゃいけない立場だが………。

 「で。どうするよ?」

 気楽に聞いてくる村雨。純粋な瞳で、どのような答えでも受け入れそうなルネ。

 「……………………………保留で。」


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