6C.遠征
ざりざりと聞こえる複数の足音。
ぎりぎりと車軸の軋む音と、心地良く響く蹄の音。
木漏れ日はまだ湿り気の残る空気を染めて。
少し冷たい空気を、クレアは胸いっぱいに………
「…ふぁあ~……っふぅ」
「でっかいあくびだな」
隊列の中ほど、馬車と共に歩みを進めながら、クレアは眠気を払えずにいた。
「ししょうはねむくないんですか?」
「コンディションの管理も兵士の務めだからな」
「…………」
兵士としてというのなら、もっと務めなきゃいけない事があるような気がする。
というか、クレアだって普段だったら翌日に引き摺ったりしない。けれど昨日は、競技会が終わった事と、少しは強くなったという安心と………あとはまぁ、ガテン系打ち上げのノリとで、少し飲み過ぎたかもしれない。気が緩んだと言ってしまえばそれまでだけど。
そう。村雨は、司教との賭けに使った競技会の翌日に討伐隊の出発を予定していた。
本っ当に勝っても負けてもいいような試合だったという事だ。
「じゃあ、そろそろいち兵士として、作戦概要の説明をしてもらっていいですか?」
ちらりと前と、そして後ろを目で指す。
前にはモリスとベルナデット含めた数名。後ろにはダミアンなど数名。馬車の周囲にも数名いるが、合わせても二十名。村ひとつを壊滅させるような野盗を討伐するには少なすぎる。戦力としては充分だったとしても、だ。
「いいけどよ…。眠くて理解出来なかった、ってのはナシな」
クレアは手紙を受け取って戻って来たわけだが、それに詳しい内容は書かれていなかった。誰に見られてもいいような表現で、『村でみつかったものがある。受け取る気があり、そこでの暮らしに区切りが付いてるのなら顔を出せ』と。
クレア宛てで単に『村』と言ったら生まれのデュボワ村。再開発などで見つかった物があってもおかしくはないが、わざわざ手紙にして知らせるほどの物があるとは思えない。
となると、『デュボワ村に関する情報を得た』。そして『そこでの暮らしに区切り』、つまり『道場の修行で手応えを得たなら』戻って来い、となる。
ただ、『受け取る気』の有無も聞いている。そんな気を使われる話となると、村を襲った連中の事くらいだろう。
戻れば、案の定討伐の話。唐突に決まってしまった試合だの会場設営だので詳しくは聞けなかったが、てっきり大隊規模の討伐隊に組み込まれるものだと思っていた。
が、今朝準備をして出発してみれば三小隊プラスアルファ。しかも馬車はポルト家所有の二頭立て………さすがに四頭立てはやめさせたらしい。荷馬車としては豪華すぎる屋根座席付き、御者は見た事のある気がするベテランメイドっぽい女性だが、そのへんが妥協点だったのか。
ともあれ、その他のメンバーも含めて村雨との繋がりが濃い編成だった。司教や将校の居る本隊はというと、先行していたり後から来るというわけではなくて………
「簡単に言うと、一カ所に絞り切れなかった」
本隊は、別の場所へ向かっている。こちらの隊は、ぎりぎりまでその情報を隠していた。
「ずいぶん慎重じゃないですか」
まるで身内からの情報漏洩を疑ってるかのような。
「本気で疑うまでのものはねえよ。でも、それくらいの相手と思うべきだ」
シリアスに言い切る村雨。
クレアを修行に行かせた頃から調査は始まっていた。といっても、最初は村の襲撃犯を探していたわけではない。神聖協会主導で、探っていたのはあくまでルミネイト化事件の背景。当然、それには“犯人を倒した”村雨の聴取もあったりしたわけだが………
思えば、慌ただしく決まった道場への出発によって、クレアは神聖協会の聴取を避けられた。高い魔力や知識の事もあるし、このタイミングは村雨の配慮があったのかもしれない。
事件の調査は、スラムの処遇改善と共に進んだ。多少は協力的になった彼らからの聞き取りにより、犯人である“アニー”の行動はある程度掴めた。
その容姿はともかく、スラムの住人としては目立つ所の無かった“アニー”。その明確な変化は、一人の人物と出会ってからと思われた。その人物はジェブラーニの騒動にも関与していたようで、実際ジェブラーニの集会で“アニー”とも接触したと思われる。
騒動ののち、少ししてその赤いローブの人物の目撃情報は消える。
“アニー”の方はというと、客から“英雄の弟子”の噂を聞き、執着を見せ始める。そういった『目的』を感じさせる行動は、それまでになかったものだ。自ら情報を集め始め、カルケール元子爵へと取り入り………。
マルセルの街で起こったのはそんなところだが、他の街でも騒動は起きていた。一部の住人が信仰による集会からルミネイト化という、神こそ違えどジェブラーニの騒動と似たものが。
そしてその集会には、赤いローブの人物の噂もついてまわった。この人物と村襲撃の一団を結びつけたのが、村雨とバスチアンである。
当初、バスチアンは村襲撃犯を追っていた。バスチアンの掴んだ村襲撃の人員募集、そのタイミングが赤いローブの目撃情報と一致する事に、一時的に血行が良くなり普段とは脳の働きが違う中で村雨と話をしている時に気が付いた。
「…………お酒飲んでグチってる時に気付いた、ってことでいいですか?」
「そうは言ってないだろ」
冷静に返す村雨。だがその目は泳いでる。
これは、『そうじゃないとも言っていない』という事だろう。
「とにかく。赤いローブが男じゃないか、ってくらいしかわかってないが、首謀者なのは間違いないだろう。目的や、例の手段もわかってないけどな」
“例の手段”……とは、ルミネイト化の事。濁したのは、周囲に兵士しかいないものの街道という事で一応気をつかった………つかってる事をアピールしたのか。
「そんなわからない事だらけで、よく襲撃場所の予想とか立てられましたね」
「それは……」
「それは、是非とも私にも教えて下さい」
馬車の陰から距離を詰めてきたのは、アピールしたかった相手………禿頭で目付きの鋭い男性。パラディンのひとり、ヤンだ。
「私どもは、隊を分けて別方向に派遣するなど聞いてはいなかったと思いますが?明確な根拠があっての行動なのですよね?」
──あ~、怒ってる。
クレアはそっと距離を取る。
この部隊にいる神聖協会関係者は彼だけだ。なにせ出発寸前に別動隊がいる事を伝えたのだから。司教ともうひとりのパラディンは、大隊の方にいる。
「あ~…、突き詰めりゃ最後はカンってことになっちまうが、」
ヤンがここまで黙っていたのは、作戦を無闇に乱さないためと、気持ちを落ち着かせて冷静に話を聞くためだろうに。小指で耳を搔きながら、逆撫でするような言い方をする村雨。
わざとか?と心配するクレアをよそに、
「今までの襲撃の場所、時期の情報は、あんたらも見たよな?」
完全に普段の口調で説明を始める。ヤンは………何か言いかけた口を閉じ、聞く事に専念したようだ。
「狙いはある程度の規模、つまり収入の見込める村。時期は収穫物を換金した頃」
そうだった。デュボワが襲われたのは、小麦を納め、一部を換金した後だった。
「場所に法則性はない。少なくともみつけられてない」
メッセージがあるわけでなし、狙いたい村人がいるわけでもないだろうし。となれば、ターゲットは『実入りが良さそうな』以外にはなくなる。
「逆に人員募集をかけた場所から離したり、襲われた村の近くを狙ったりして、読ませないようにしてるフシすらある」
そんな彼らの襲撃予測を、どうやって立てたか。
行動パターンではなく、『可能な範囲』から導き出した。
襲撃は、少なくともタイミングは予想出来る。収穫物を換金した後。それと、わかってる事がもうひとつ。人員募集、その時期と場所だ。
募集をかけた場所からは、なんらかの手段で移動しなければならない。馬や馬車を借りれば足が付くし、自前の馬がそう何頭もいるとは思えない。移動用の聖唱を使えたとしても、その速度は『最も足の遅い者』に合わせる事になる。
「つまり、募集を切り上げたタイミングから予想移動範囲が広がっていき、換金したタイミングと合いそうな村が危ないって事だ。……わかるか?」
と、クレアに確かめる。
募集を切り上げたタイミングから移動を開始したとして、その移動距離は時間と共に広がっていく。それを同心円でイメージし………その円の端と重なった時に、収穫物を換金し終わったくらいの村があればそこがターゲット。の、可能性が高いという事だろう。
頷きつつも、ヤンの様子を見る。村雨の説明の仕方に慣れてなければ難しいと思うのだが………慣れてるのか。いや、これくらいは事前に説明してあるのだろう。でなければ、討伐隊本隊の出発自体がアテのないものになってしまう。
と、そこまで聞いて理解した。確か村雨達は、伝令だか偵察だかの帰りを待っていた。ぎりぎりまで募集についての情報を集めていたのだろう。
とはいえ、こちらだって移動がある。それも大部隊での。行軍速度は相手より劣ると思えば、司教の焦りも理解出来る。
「情報収集が大事だったのはわかりましたが……間に合いますか?」
具体的な場所は聞いてないが、二日や三日の距離ではあるまい。敵だって、主力兵士のいる領主街の近くは避けるだろうし。
「………」
ヤンが、村雨の方を見る。表情こそ変わらないが、その目は失策を認めるのを待ってるようだった。
「間に合うっつっても、『何に対して』だな。標的の近くに集まるのに間に合うか、村を襲うのに間に合うか、逃げる前に間に合うか」
「!捕まえればいいってことですか?」
最も遅いタイミングだとそういう事になる。反射的にクレアは問い返してしまったが、低い声でヤンが否定した。
「いや……本隊こそ間に合わないが、情報だけは早く伝わる。軍隊が近くにいるというに村を襲う馬鹿はいまい」
クレアの問いに答える形にはなったが、ほぼ独り言といった様子で。少し先の地面をみつめたまま何か考え込んでいる。口調が変わったが、こちらのが素かもしれない。
「そういう事だ。大隊の“情報”はあっという間に伝わる。おそらく村の襲撃を始める前に」
「そうなると、逃げられますよね?」
頷きつつも村雨は、『だが役目は果たしてるだろ?』と。
名称こそ『討伐隊』だが、討伐だけが目的ではない。役割としては、村の襲撃を防げればいいのだ。ただ『討伐』が今後の事も考えれば最上というだけで。
「…え?ってことは、」
この小規模で、情報を隠しつつ進んでいる部隊は………とても『情報による抑止力』たりえないのだが。じゃあ、その目的は………
恐る恐る、目だけで村雨に問いかける。にやりとしたその笑みは、悪魔のようだった。
「だから聞いたろ?道場での暮らしに区切りがついたなら、って」
──くぅ。そりゃ覚悟はしたけど!してきたけど!
腕に自信がついたなら、って事か。
もうちょっと有利というか、集団における負担の少ないトコとか。そんなのを期待しなくはなかった。
こちらの人数は二十……といっても、その中には御者やルネもいる。伝令兵もいるし、彼らは何かあれば部隊から離れるのが役目だ。
対し、村ひとつを丸ごと襲う野盗となると二十人という事はあるまい。募集もかけてるくらいだし、四~五十くらいか。だとしたら、倍以上を相手にしなければならない。
十人単位での倍、である。これは相当に気を使う。使わなければ、為す術もなくやられる。
厄介と困難と面倒に唸るクレア。その代わりというわけでもないだろうが、ヤンが村雨に問いかけた。
「この小部隊の理由はわかった。では、行き先についてはどう決めたのか」
「だからカン……いや、百パー勘ってワケじゃねえ。いくつか根拠があって、あ~……」
つらつらと指折り挙げるのは、襲撃における『頭の良さ』みたいなものだった。
襲撃場所のランダム性、人員募集の際の用心深さ。襲撃後はあっという間に解散するし、そもそもこれといった拠点がないように思える。メンバーの大半は、募集を繰り返してる点からもわかるように『使い捨て』。中核のメンバーは数人いると思われるが、彼らは顔も名前も明かしていないそうだ。
「元メンバーとか捕まえたんですか?」
気付いて、クレアは口を挟んだ。野盗内の情報が伝聞系だ。
「あぁ。募集されて一度参加、金回りが良くなってるトコを捕まえた。そういう簡単にシッポ出す連中を切り捨てるのにも、募集ってのは便利なんだろうな」
彼らからある程度の情報は得られても、本体までは辿り着けない。辿り着くような情報を与えられていない。
「ま、形は見えてくるけどな。別の野盗や盗賊団をまるごとスカウトして使った事もあるとか、募集の時は“T”って符丁を使ってるとか、槍使いと格闘の猛者がいるとか」
「符丁と言えば……」
前にルネから聞いた。襲撃犯を示す符丁は確か……
「“SU”って呼んでるって聞きましたけど、何の略ですか?」
「………」
もう何度目か。でも今回のは、“ドヤ顔”の混じった笑みだった。
「略じゃねえよ。向こうの符丁を表すのに、それだけ抜いたって事だ」
それだけ抜いた?“T”だけを抜く………
──あぁ、アルファベット順。
“T”を示すのに、その前後の文字を使ったのか。単純だが、略称と思い込んでしまったら永遠にわからない。
「“T”の意味はわかってないんですか?」
「ない」
と、これはやけにきっぱりと言う。
「というか、そこに意味はあまりないだろ。手掛かりになるほどの意味を持たせるとは思えないし、そもそも意味があるかもわからんし」
まったくの気まぐれで付けただけなら考えるだけ無駄。逆に深い意味を持たせていたとしても、その先に重要情報を隠す意味がない。切り捨てるかもしれない臨時雇いを集める符丁に、そこまでする理由がない。
「敵の狡猾さはわかったが、尚の事どうやって行き先を決めたかわからない」
太い腕を組み、首を傾げるヤン。ここまでの話を聞いて、勘だけではないと認めてくれたらしい。
村雨は眉間にシワを作りながら………これは、言葉を探しながら喋っているようだ。
「本隊を送った場所を候補から外した場合……というか、人員募集が陽動だった場合、その近くに本命は置かないよな?」
人員募集という情報がフェイクだったとして、それで誘導した場所をわざわざ襲うのは間抜けすぎる。誘導した場所以外で襲うはずだ。それも離れた場所を。
「しかも募集から移動って制約も受けねえ。赤ローブも“T”も外して情報集めるよう言ったが、特にひっかかってもいないし」
どこかで人を募集していたのなら、そこからまた、移動と収穫時期という範囲で絞り込める。だが、姿や募集の仕方を変えて行った様子もない。
「だから“本命”から遠く、ある程度の収入が見込める村、かつそこまでの大人数じゃなくても襲える村ってのをいくつかカバー出来る場所を拠点にする。それでもいくつも候補はあったんだ。だから最後はカン、てワケだ」
「なるほど。貴方は“赤いローブ”というのも陽動と考えている、と」
──…お。
ヤンの口元が緩んだ。鉄面皮かと思ったが、そうでもないらしい。
「わかりやす過ぎるんだよ。それに、中身が入れ替わったとしてもわからねえ」
“赤いローブ”は服装の特徴であって、本人の特徴ではない。だがその強い印象によって、情報としてはそればかりが残ってしまう。
そこまで聞いて、ヤンはひとつ頷いた。
「わかった。戻ったら、ピエール・セカンには私から伝えよう。ちゃんと理由があったと」
“セカン”とは、協会内で司教を表す敬称だ。説明をヤンが請け負ったという事は、村雨の勘混じりの推測を信じてくれた、という事だろう。
この一行の中で彼の存在というのは大きいが、ひとまずはおとしなしく従ってくれそうだ。
──なにせ出発直前に、目的地も教えずに行き先変更させたし。
わかってくれて助かったと思いつつ、村雨の言葉足らずはいつか問題を起こすかも………いや。もしかしたらすでに起こしていて、だから階級が低いのかも。
「?なんだ?」
「…いえ。」
当たってそうな推測の先は、きっと聞かない方が良かった話に繋がってる。そんな確信を持って、クレアは歩く事に意識を戻した。
目的地はデルブという村だというが、そこまでは野営が続く。情報を隠すためには、宿を予約しておいたり、おいそれと現地の有力者を頼ったりは出来ない。食事も町や村で取れればいい方、休憩しつつ保存食をかじるだけなんてのが普通になる。
それでも、そんな事が何回もあれば慣れるのが人間というもの。まして訓練した兵士ならば………
「クレア嬢、ひとつ手合わせ願えませんか?」
いや、訓練した兵士でもそこまでの余裕が生まれるのか?
各々の関係性も把握して、距離感も計れてきた頃。昼食後だった。
今晩の宿とする村には、急がずとも日暮れ前に着く。急いだところで村を過ぎ、野営をすれば余計な物資が必要になる。
つまりは、ちょっとした時間潰しが欲しかった。
「なんでそんな話になるんですか」
及び腰のクレア。相手はルガル中尉。ベルナデット、バスチアンの息子カロルと共に三小隊の内のひとつを任された隊長である。
やや小柄だが筋肉質。褐色の肌に黒髪、歳は三十後半くらいだったか。シャツがキツそうな二の腕と、太い首。いかにもといったファイター。
と、そこまで反射的に観察して。もしや隙あらばと狙われていたのではないかと思った。特別試合は、つい先日の事だ。
「特別試合の話を聞きまして。シランドル子爵の御子息に勝利されたというじゃないですか」
──あぁ。で、こう付け加えたいわけだ。
『しかも、棒で』
まぁルガルからはそんな嫌味は感じられず、純粋な興味のようだが。というか、興味というのならもはや全員から向けられている。
「俺も気になってんだけどな」
村雨が………彼はそうだろう。前からそう言っている。でも状況的には外堀を埋められた。師匠の許可が降りた形になる。
「よろしいんじゃありませんか?触れ回るような人は、ここにはいませんし」
ベルナデットまで。
休憩していたのは川べりで、街道からは見えないし、村雨の人選で集まった隊だからその辺りは大丈夫だろうけど。唯一の例外であるヤンは………おそらく見当はついてるだろうし、この先戦い方を見られる機会くらいはありそうだ。
「そーいやベルナデットは知ってるんだよな?どうなんだ?」
問われて彼女は、なぜか自慢げな笑みを浮かべた。
「考え無しに切りかかれば、一撃です」
おぉ…と。なにせ精鋭クリニエールの言である。それはもう期待というか、『やる、やらない』ではなく『どんなものを見せてくれるのか』という眼差しで。
断る、という選択肢は消されてしまった。
「…………手合わせじゃなく、少し見せるだけなら」
「かまいません」
語尾を食い気味に返事したルガルは、すぐさま立ち上がりエクシードも剣にした。スペースのある場所へ移動しつつ、クレアもエクシードを変化させる。
──なんでこんなやる気かなぁ。
左半身を引き、やや膝を落として、斜め下を指すように“杖”を構える。距離は三メートルほど置いた。そして、
「打ち下ろしてきてください」
試合でも手合わせでもなく、あくまで『見せる』なのだから。指定させてもらう。
「わかりました」
両手で握った剣を、肩の辺りで上段に構えるルガル。さすがに隙のない構えで……───
「…行きます」
──早ッ!
踏み込みも速かった。だが、
─カンッ─
振り下ろした剣は半身躱したクレアの横を抜け。振り抜いた姿勢のまま止まったルガルの側頭部には、寸止めの杖が突き付けられた。
「………」
クレアが体勢を解くと、観客の誰かが『ほぅ…』と呟いた。
「お見事です。攻防一体、これは“棒”などと侮れませんね」
と、小隊長のひとり、カロルが軽く拍手などしてくれる。それに合わせて何人かは拍手をしつつ感想など言い合ってるが………
村雨の視線は探るようだし、ベルナデットにいたっては不満そうだ。
今クレアがやったのは、半身を入れ替えつつ打ち下ろしを受けた杖の対、逆側で攻撃するというもの。攻撃の勢いを持ち手を支点に反転、そのまま攻撃に使うというものだが………アンドレとの特別試合では使っていない。
確かに攻防一体、たかが“棒”などと舐めた相手には大抵これでカタが付く。でも、それだけでやっていけるほど“道場”での修行はぬるくない。
それに、“杖”の扱いはもっと深く広いということを………
未だ動かず、振り下ろした際の違和感に首を傾げるルガル。彼と、村雨など数人は察してるだろう。
そもそも、試合では最後以外は攻撃していない。ということは、防御の方にタネがある………というのは、村雨には試合後に話した。ベルナデットが不満そうなのは、あの捌き方は連続する攻撃の中でこそ効果が発揮されるからで。
村雨が勘繰る“隠し玉”については、それこそおいそれと見せられない。下手に見せても悪影響があるかもしれないし、
──本当に打ち下ろしの”攻撃”をしてくる人に教えたら、何を試されるか……。
わかっていても、間合いの内で振り抜かれるというのは本当に怖かった。ちゃんと防がなきゃ怪我をしていた。踏み込みといい振りといい、もうちょい手加減してくれても良さそうなもの………いや、手加減すべきものだ。
何かある。それを試すとなるとブレーキが甘くなるのは兵士のサガなのだろうか。
ベルナデットと目が合い………彼女もそうだった。あげく“捌ける限界”まで試すんだから。
あくまで自分の身を守るため………決して技の出し惜しみとか、ピンチの時に出して注目されるためとかではなくて。悪影響と自分の身を考えて、披露する機会がない事を、クレアは願った。
テントの中で目を覚ましたクレアは、反射的に空を探した。
感覚としては夜明けまで二時間といったところだが………当然ながら空は見えない。ただ天幕に、焚火に映し出された影が踊っている。
隣りを見れば、ルネはまだ静かな寝息を立てていた。彼女が寝過ごすとは思えない。やはり起きるには少し早い時間のようだ。だが………
そっと寝袋を出て、テントの外へ。寝直す気にはなれなかったし、目が冴えてしまった。
ブーツをつっかけ背中を伸ばすと、カロル大尉と目が合った。湖水を思わせる碧色は父親とそっくりだ。ブラウンの混じった金髪は伸ばし、うなじで結んでいる。
視線だけで軽く挨拶すると、ポットを指してみせた。
紅茶だろうか?頷いて、焚火の近くに移動する。
「早いですね」
「目が覚めてしまって…」
小声ながら、その低い声も父親似だなと思う。
フルネームはカロル・メナール。バスチアンの長男で実子。星明りに指輪輝く妻子持ち。この部隊ではベルナデットと並ぶ大尉で階級としては最上位だが、一等兵であるクレアにも丁寧語を使う。“英雄の弟子”というのもあるのだろうが………。
そう。クレアは昇格し、一等兵になっていた。
「今日、目的地に着く予定ですから。今夜はゆっくり出来るでしょう」
長旅の疲れ、と思われたか。実際は夢見が悪かったせいだ。目的地が近いという事で、たぶん意識してしまっているのだろう。
それとも……と、様子を伺えば。その眉間には、少し申し訳なさそうなシワが刻まれている。昨日の出来事を悔いてるのかもしれない。だが、バスチアンの子なら、それは『助けた事を』ではないはずだ。
昨日、昼頃の事………
「馬車が一台、止まってます」
先頭を歩いていた伝令兵が隊列を止めた。
山道に入ってどれくらい経っただろうか。見上げれば木々の間、かなり先の方に馬車らしき影が見える。荷車と言った方がいいようなタイプで、数人の人影もあり、こちらを警戒しているようだった。
「傭兵がいるか?」
前に出て目を凝らしたカロルが呟く。
言われれば、確かに武器らしきシルエットも。密生した森ではないとはいえ、視界は良いとは言えない。この距離、しかも神聖魔法も使っていた様子はないのに、よく見分けるものだと感心………している場合ではない。
「警戒を。モリス、オブリ、行くぞ」
「《乞い願わくば 天からの眼 遍く見透かす光芒の神よ……」
数人が、知覚の神”ヘェイエル”の聖唱を始める。
馬車や旅人で注意を引き、その隙に周囲に潜んだ仲間が襲う。野盗などがよく使うテだ。だが……───
「師匠。師匠はそんなに警戒してないですね?」
知覚拡大に配慮して、クレアは小声で隣りの村雨に尋ねた。緊張感がない……というと語弊がありそうだが、戦いに備えたピリピリがない。
「そういうおまえもな。野盗が仕掛けるにしちゃヘンだ」
村雨も小声で、ぼそりと答える。
そうなのだ。道は緩やかな昇り、木は生えているものの身を潜めて待つには少ない。大岩や崖といった遮蔽物も見当たらず、せいぜいが小川と呼ぶにも躊躇いそうな水の流れがあるだけ。
注意を引くはずの馬車にしたって、これだけの距離を置いて気付かれるようでは互いに戦力を分断し、どちらが有利というものにもならない。
警戒はしつつも、カロル達が馬車の元へ行くのを待ち………やがて口笛が聞こえた。行ってみればやはり、
「近くの村の住人だ。馬車が壊れたらしい」
もちろんそれも疑っただろうが。それでも、こうやって無事合流した事が証拠でもある。盗賊ではないようだ。
「破損具合は?」
聞きつつも、村雨はカロルに対して目で何か訴えている。
「車輪にヒビが入ってます。修理は難しいでしょう」
馬車は一頭立ての二輪式。屋根は無く、荷車を馬が引いてるといったタイプ。ぬかるみで滑ったらしい跡が、腰掛けるにはちょうど良さそうな岩に続いていた。車輪には、ヒビというか亀裂。引いてる馬もだいぶ高齢のようだし、クレア達が通りかからなければ荷物は放置、となっていたかもしれない。
荷物は樽が五つ、ロープで固定されている。よく見れば武装してる人達も、傭兵というわけではないらしい。弓に槍、革の鎧を着ているが、こちらとの合流に明らかにほっとしていた。
あまり裕福な村ではなさそうだ、とクレアは推測して。ついでに、この辺りで樽で運ぶような物だとワインだろうか?と推測して。
村雨の懸念に気が付いた。村というのは、なにも街道沿いにあるとは限らない。宿場なら道沿いだが、畑や牧地があるとその分ひっこんだ場所にある。このすぐ近くというのならいいが………
「彼らも朝、村を出てきたそうですよ」
困ったような表情で壊れた馬車を見るカロル。
こちらも町を出て半日ほどかけてここまで来た。もし彼らの村に寄る、となると半日くらいはロスとなる。
かといって放置すれば、それこそ野盗に襲われるかもしれない。荷物だけでもと思っても、そんな余裕もない。馬と人だけなら近くまで送れるだろうが………。
「……なんとかならないか?」
カロルが聞いたのは、オブリという彼の配下。
壊れる確率の低くない馬車。利用する際は、構造に詳しい兵士を付けるのは常識だ。
「縛れば少しはもつでしょうが、見える距離くらいしか行けないと思います」
なにせ荷物が重い。スペアタイヤなど積んでないし、時間があればなんとかなるかもしれないが、その時間がおしい。
腕を組むカロル。ここで彼らを助ければ、目的地への到着が遅れて致命的な状況が発生する“かもしれない”。そこまでタイトな日程ではないが。
ここで無視して進む事を選択すれば、彼らは野盗に襲われる“かもしれない”。新しい荷車を用意して戻ってくるまで無事、という可能性もあるが。
どちらも可能性で、どちらも切羽詰まったものはない。だからこそ、決断は難しかった。
──あたしだったら……。
目の前の人を見捨てる方が寝覚めが悪い。とはいえ、後々『まっすぐ向かっていれば』なんて後悔もしたくない。一番良いのはさっさと助け、旅程を急いで遅れを取り戻す事。でも馬車の車輪を直す方法など、“知識”を探っても見当たらない。ってことは、村雨にだって無理って事で……───
「ビスタのお人好しの血はそこまで濃いかねぇ」
大きく息を吐くと、
「悩んでる時間ももったいねえ。要は車輪あればいいんだろ?」
村雨は馬車に近付いた。破損個所を見ると、オブリになにやら確かめる。
「なんとかなるんですか?」
「するんだよ、強引にな。おい!そっちの代表は?」
村側の代表を呼ぶと、
「条件がある。イカれちまった分、車輪ごと車軸を切り落とす。行き先はあんたらの村まで。出来るだけ急いでもらうぜ。あと、俺らの事は出来るだけ人には言うな」
それらの条件でなんとかなるというのなら、ここで立往生を続けるよりはるかに良い。が、車輪を切り落とした馬車はどうするというのだろう?荷物もあるというのに。
と、クレアの疑問は村人も同じようで。
「あぁ、かまわんが………樽と馬車は置いてくしかないのか?」
「だから。それをなんとかするから黙ってろって条件だ」
言うと村雨はエクシードを剣にした。剣………いや、片刃で反りのあるそれは、刀というべきか。そのまま片手で振るうと、車軸は綺麗に切れた。
さすがの切れ味に舌を巻く。刃の鋭さはそのままエクシードの操作技術だ。わからないほどの物にして手元に隠していた事といい、やっぱり“英雄”なんだなと………こんな時でもなければ思わないけど。
「動かしてくれ。大きさは調整する」
村雨の作ったそれを見て。兵士達のほとんどは感嘆や驚嘆、村人達はただただ驚き、クレアはその力技に、自分はまだここの“常識”に捕らわれてると知る。
エクシードを車輪にして、なおかつ車輪の方を車軸にはめようなんて、普通は思わない。質量もそうだし、構造もそうなのだが………なにより、真円に近い形を作るというのは難しい。
球ならば、元の形というか、安定するのでやりやすい。それを薄くすればいいとはいえ、円を、しかもキープするとなると………夜中に本を読むためだったのにそれを忘れてムキになって練習でもしないと出来ない。あるいは………
──“英雄”なら可能なのかな。
ゴトゴトと揺れながらも、だんだんと安定していく村の馬車を見て思う。いや、このただの円盤のような車輪は何かを思い出させる。こんな大きな物じゃなくて、もっと小さくて、香ばしい記憶と共に………
──……あ。
やはり“英雄”といえど、いきなりではなかったようだ。この回る銀の円盤は、アレにそっくりだ。ピザカッターの刃に。
目的の村は、エピシア領外にあった。街道の分かれ目、宿場……というか休憩場所を兼ねた小さな村。旅人への提供用も含めた畑もあるが、この村が襲われる可能性よりも他へのアクセスを考えた拠点、という事だろうか。
領地外への遠征になる。当然根回しはしているだろうが、領主同士のやり取りになる。時間もかかるわけだ。
で。
そんな村に二十人の旅人が長期滞在、なんて事をすれば目立ってしまう。かといって少人数で出入りを繰り返しては、本来の目的がおろそかになる。
兵士という身分を隠したまま、ある程度の人数が長期滞在しても目立たない方法。そのために、この村にも事前に協力を申し込んでいた。偵察、連絡に常に何人かは村の外に出しつつ残ったメンバーは………
「畑の勉強しに来たっていうけど、あんた手つきいいな」
才能あるよ、などと日に焼けたおじさんに言われる。
「ありがとうございます」
なんと答えていいかわからずにお礼だけ言うが………才能もなにも、村でやってたのだから。
ここでの収穫は主に野菜だが、生まれたデュボワだって小麦と綿だけ栽培していたわけじゃない。自分たちのために野菜も育てていたし、家畜だっていた。当然その世話もあったわけで。
「それに比べ………兄ちゃん達、もちっとがんばんな」
カゴいっぱいにズッキーニを入れ、荷車へと戻るクレアとおじさん。対しベルナデット小隊のメンバーは、割り当てられた範囲の半分も収穫できていない。
「「はい!」」
「返事だけは元気いいな」
──そりゃ兵士だもの。
考えるより先、命令には返答するよう訓練されている。
農業研修という名目で村に入ったわけだが、兵士であるという事実を知ってるのは村長など数人だけだ。実際指導する人達には、都市部で増え過ぎた人口を農地の労働力にするためと説明している。
なので部隊は比較的若いメンバーでそろえられたし………一部を除いては。戦力、指揮、信頼性など考えると、どうしてもベテランが入る。だから彼らに、主に偵察に出てもらうとして。
あと、さすがにベルナデットに畑仕事はさせていない。ルネや御者をしていたメイドと一緒に宿屋で働いている。ワケありとだとは思われているだろうが、兵士としてよりは目立たずにいられるはず………
「姉ちゃん別嬪だな。ベッドでもサービス…───
─タンッ─
「失礼。ナイフを忘れていました」
「…………。」
皿のウィンナーに刺さったナイフを見て、さすがに口を閉じる客。
「ご用のない際は呼ばないでください」
そこは『ご用の際はお呼びください』のはずだけど………ベルナデットは一瞥だけ残して厨房に戻って来た。
「早いですね」
涼しい顔でクレアに言うが、静かに怒気を秘めている。それはすぐに騒がしくなり、また懲りずに別の客がちょっかいをかけてくるだろう事にだろう。
「教える事はないと言われて先に戻ってきました。これ、収穫分です」
カゴを渡しながら、改めて地味な村娘姿のベルナデットを見る。
少しよれた生地のジャンパースカートは褪せた小豆色。地味だ。無地で飾り気のない麻のシャツ。これも地味だ。エプロンもシンプルなもので服と同じくここで借りたもの。地味。なのにその金色のポニーテイルと滲み出る気品ある振る舞い、意思の強い瞳と芯のある声とが田舎の食堂から浮きまくっている。
クレアはオーバーオールのズボンに麦わら帽子と、馴染みまくっているのに。
「……ルネはどうしてます?」
もう一人の目立ちまくる金髪少女を探す。下品な客を、ベルナデットのように容赦なく拒絶………上手く躱せないだろう。
「個室のお客様の対応をしています」
と、目で階段を指す。
木造二階建て。一階は食堂と経営者家族の部屋があり、二階は個室、お金がある人達の部屋が並んでる。別館に雑魚寝の大部屋もあるが、ここはこの村の宿屋の中でも高級な方で、来ている客だって上等な方である。あれで。
とはいえ、
「大丈夫ですか?」
兵士でもない、ただの従順な美少女メイドであるルネが下品な絡まれ方をされたらと思うと心配になる。護身術のひとつも教えておけば良かったかもしれない。
「大丈夫よ、ム…ーランがしっかりと言い聞かせていたし、ヘンなお客様でもないわ」
言いながら微妙な表情になったのは、未だ“ムーラン”という名前に慣れてないせいだろう。
黒髪黒目、肌の色も珍しい村雨は、さすがにここにはいない。研修の監督という名目で村にはいるが、村長宅に滞在している。そして名前が特殊過ぎるため、一音目が同じ“ムーラン”という偽の名前を付けたのだが。
呼び慣れないだけのベルナデット達と違い、クレアはどうしても笑いがこみ上げて……。だって“むらさめ”が“むーらん”って。理由はちゃんとあるし、姓としてはわかる。風車という意味だって、まぁ許容範囲内だ。だけど、どうしても“むら”から取った愛称に思えて。
最初呼んだ時は吹き出した。仕方ないと思う。
『でも…』と尚もルネの心配するクレアに、
「まぁかわいい子だからね、気持ちはわかるよ」
と、響くような声で。この宿のおかみさんが会話に入って来た。
ベルナデットと似たような服装だが、そのサイズは倍以上。この厨房を所狭しと動きまくる、パワフルな女性だ。紹介の時に『ジャスティーヌ』という名前は聞いたが、皆『おかみさん』としか呼んでいない。
「上等なお客さんばっかじゃないからね。あたしも注意したけど気になって、ダンナ使って試してみたんだよ。そしたらちゃんと断ったよ?結構しっかりしてるじゃないか。だから大丈夫だよ」
しゃべってる間も手は止めず、ちらちらと客席の様子も見てる。この宿は、このおかみさんを中心にして回ってる。
正直、あの旦那さんなら誰だって簡単に断れそうだ。おかみさんとは違い、骨が浮くほどの細身で口数も少ない。メガネをかけて、いかにも事務方という感じだし。なんの気休めにもならない。
村雨がここにいない以上、ルネを守るのは自分の役目。様子を見に行こうとするクレアの裾を、ベルナデットが掴んだ。
「さすがに過保護よ。あの子だって成長してるわ」
「…………」
……言われれば、思い当たる節もある。それに、絡まれる様は安易に想像出来ても、それに流される姿は想像出来ない。
「さ、“本来の”仕事に戻りましょう」
そうだった。ここに来たのはなつかしい畑仕事で他の兵士にマウントを取るためでも、接客を覚えて『しぐれ』の手助けをするためでもない。
取ってきた野菜を仕分けしてしまいつつ、今度は食堂の手伝いをする。ちゃんとお客の様子に気を配りながら。
宿兼食堂に居候したのは、人の出入りを見るためだ。話す内容も気にしていれば、近隣の村の様子もわかる。もちろん………
「ビールもう一杯~」
第一は、注文だが。