6A.帰参
長く長く続く塀。その先に、唐突に現れる木製の門。洋風の街並みに現れる、強烈な“和風”。
強くなり始めた日差しをさえぎる屋根の下、その門を見上げて………
──帰ってきた。
感慨深く、クレアは胸中で呟いた。
和風建築はずっと目にしてきたが、ここへの思いはまた違う。この屋敷での暮らしは二カ月ちょっと。それでもつい『帰ってきた』と表現してしまう。一年半ほどと、道場での暮らしの方が長いのに。
……ここの住人は、果たしてちゃんと自分を覚えているだろうか?いや、手紙で呼ばれたわけだから、覚えていないわけはない。ただ、以前と同じ様に迎えてくれるだろうか?
そんな不安は……
─ゴト─
脇戸の内側で音がした。わずか軋んで開かれたそこには、
「クレアさま」
「ただいま」
金色のツインテール、ミニのメイド服。変わらぬ美少女っぷりのルネがいた。
久々に、汗臭くない少女の香りを腕の中でたっぷり堪能する。
「少し背、伸びた?」
「はい、少しだけですが。あの、ご主人様もお待ちですから」
「あぁ、そうね」
名残り惜しいが……それこそこっちのが汗臭いだろう。一歩離れるとルネは、一年半前と変わらぬ綺麗なお辞儀をしてみせた。
「おかえりなさいませ、クレア様」
村雨の屋敷は、まったく変わってないように見えた。がらがらと音のする玄関の戸も、下駄箱も、板張りの床も。障子、ガラス戸も同じ………だが今ならわかる。わかるようになった。
以前は何気なく見ていたが、障子には穴ひとつないし、ガラス戸には拭き跡も残っていない。しっかりと掃除、手入れがされている。
改めて良く出来た子だとルネを見れば………
──………背、だけじゃない……。
体格が変わったせいだけではないだろう。静かで姿勢の良い歩き方だが、なんというか………隙の無さを感じる。それと、幼さを抜け出しかけたほのかな色気も。
長い間この屋敷を離れていたんだと痛感する。
「ご主人様、クレア様が戻られました」
「おぅ、早かったな」
こちらに背を向けたまま、土間で鍋をかき混ぜるくたびれた作務衣姿。それはもう、既視感どころかタイムスリップしたかと思うくらいで。
「師匠は変わらないですね……。あ、いい意味でですよ?」
「……お前も変わってないな」
振り返った村雨は、『少しは変わってる所もあるんだろうな?』と付け加えた。
「む、セクハラですか」
「ちゃうわボケ。何のためにドコに送り出したと思ってるんだ」
それは修行のために“道場”と呼ばれる……───
「山奥です…、なぁ~んにもない所。なんのため?ハハッ、なんのためでしたっけ?」
一瞬にしてハイライトの消えたクレアの瞳に、ルネは思わず一歩引き、村雨は『ヤベ…』と呟いた。
帰って早々あそこを思い出させるのは迂闊だった。
「あ~…領主、領主への挨拶がまだだろ。帰参の報告がてら、なにか喰いに行こうぜ」
「喰…、加工品ですか?」
「あぁ、煮ただけでも焼いただけでもない、ソースとか調味料たっぷりのヤツだ」
「イキマス」
「そうだな。けど、その前にフロ入ってこい。薪割らなくても入れるぞ」
「ハイリマス」
カクカクとした動きで、襟元をゆるめながら去るクレアの背を見送って……。
「ご主人様、クレア様はどうなされたのですか?」
「心配するな。一時的に野生に還ってるだけだ。少しすれば治る」
「野生……。ご主人様、“道場”とは一体………」
「おまえは知らなくていい。知らないままでいてくれ」
ひと風呂浴びて軍服に着替えれば、体に文明が戻って来た。
堅苦しいが、この窮屈さが街に戻って来た実感でもある。“道場”ではずっと動きやすさと丈夫さが優先だったし。
その脱いだ道着を見れば……
──うわぁ、こんなカッコでいたのか…。
汚れやほつれ、繕い跡に落としきれない返り血がうっすらと。捨ててしまおうかとも思ったが、雑巾なり焚き付けなりに使えると思うと手は動かない。
貧乏性というか、物への扱いが『貴重な資源』という考え方になってる。村にいた頃ですらここまでではなかったのに。
………まぁ、“道場”は村以上に何もなかったし。感覚は、いずれ戻ってくるだろう。
少し痛んでしまった髪を気にしながらもまとめ、居間に戻れば村雨も軍服姿になっていた。領主への挨拶というのは本気らしい。
時間は昼過ぎ。予想より早く帰ってきたはずだから、アポもないだろう。
「城門通った時に気付いただろうが、領主邸も出入りは厳しくなってるぞ。さっさと原隊復帰と通行証の手続きしないと面倒だ」
そういえばスラムの壁も直されていた。城壁を通る際も色々確認されたし、そもそも入門の列が出来ていた。
手紙に通行手形のような物が同封してあって、なにを大げさなと思ったけど。クレアが街を離れている間に、色々変わったらしい。
変わった事といえば、これも。
「ルネ、帰りにどこか寄るから着替えてこい」
「はい」
と去るルネの背中と、村雨とを見比べる。
「………なんだよ」
「あれほどメイド服以外を嫌がっていたのに……」
オトナになったのね、と感心していると、
「勘違いするな。一番似合うのはメイド服だ」
それもミニの、とダメな宣言をする。
「だが最上ばかりを選択してその他の可能性を捨てるのはもったいないと気付いただけだ」
「…………。」
この変化を成長とは呼びたくない。というか、これでルネがセーラー服とか着て戻って来たら救いようがない気がする。
──………いや、アリ…?
つい真剣に検討するクレア。
幸いにして、というか。戻って来たルネの恰好は、白のシャツに黒のサロペットスカート。似合ってる、と思うのも当然。それは以前、クレアが選んだ服だ。
「それ、着ててくれてるんだ」
「はい。少々サイズは直しましたが……」
「ありがとう」
ぎゅっと抱きしめる、そんなクレアに若干覚めた目を向けつつ、村雨は促した。手続きを考えると、あんまりのんびりもしていられない。
「じゃ、行くぞ」
「ダメです」
だがきっぱりと、クレアに拒否される。
「あん?」
「この服には、ツインテじゃなくておさげです」
訪れた領主邸の門には、小さな詰め所が出来ていた。門兵もいるし、以前とは比べ物にならない警戒体制だ。それもこれも、襲撃を受けたあの件以来領主がおびえ………警戒したせいらしい。クリニエールも一人、常駐するようになったと村雨が道中グチっていた。
威圧のためだろう。門兵の持つ長い槍を見上げながら、詰め所に要件を伝える村雨を待つ。と………
「ムラサメ様ー!」
エントランスから駆けてくる少年。やや焼けた肌に赤みがかった髪。短く刈り揃えられたその髪のせいか、ともすれば幼さすら感じるが歳は十五、六あたりか。インナーの上に袖無しの上着は伝令兵の制服だ。
「今から伺おうとしていたところです。こちらを」
手渡したそれは一通の封書。ちらりと、領主の印の封蝋がされてるのが見えた。
「急用か?急用っぽい小言か?」
言いながらエクシードをナイフにして封を切る。だが『急用っぽい小言』?
「後者の方ですかね」
苦笑いしながら少年は目をそらす。そらすというか、建物の方と向ける。その視線の先は………聖堂の方だろうか?
意味深なその視線に、村雨は何かを察したらしい。ざっと封書に目を通し、隠す気もない大きなため息を吐く。
「俺は先行く。手続きやら申請やらを済ませたら………モリス、案内してやってくれ」
「了解しました」
と、伝令兵………モリスが敬礼をする。あとは頼んだぞと手をひらひらさせて去ってくその足取りは、かなり重そうだった。
「では、クレア二等兵の許可証についてですが……」
詰め所の兵士が話を進めて………『急用っぽい小言』とやらに見当がついてないのはクレアだけのようだ。街を離れていた間の変化は、この警戒体制だけではないらしい。
あとで行かなければならないようだし、気になる。が、こんな場所で聞ける話でもないだろう。どこかで時間をみつけてと思っていると、
「クレア様、軍服の新調も申請してはいかがでしょうか」
「そう…ね」
久々に着たのだからこんなものだろうと思ったが、どうにもサイズが合ってないらしい。特に肩や“胸”がキツく感じる。あと、ウェストはそうでもない。
「では、サイズを計らせていただきたいと思います。どこかお部屋をお借り出来ますか?」
──なるほどね…。
以前から良く出来た子だとは思ってた。だが自分から動くような積極性はあまりなかった。
が、この一年半でルネも変わったらしい。
領主邸の一室を借り、どこからともなく出したメジャーでクレアの体を計りながら小声で告げる。
「クレア様が修行に出た後、国都からいらした神聖協会の方がずっと滞在しています」
何事もなければ、きっと食事でもしながら村雨が説明した内容だろう。仮に領主邸で会ったとしても、挨拶程度で済んだはずだし。
こうして事前に情報を教えてくれる場を作る機転に感心………というか村雨は、本当に秘書代わりに使ってるんじゃないか?
ともあれ……
「連続する村襲撃に特定の集団の関わりがあると判断し“SU”の符丁を付けてます。一年半前のルミネイト化事件にも関わりがあると思われる事などから、ご主人様は頻繁に打ち合わせをしています」
神聖協会というのは、神々の教えと正しい聖唱を伝える役割を担う機関だ。各地の聖堂、そこで働く司祭などの所属元になる。村にある聖堂では一般教養を教えたり、司祭も相談役といった立場だが、国都から派遣となると違ってくる。
いわゆる創造神や万能の唯一神と違い、この世界の神は人の営みに深く関わる。そのため複数いるし、司るものそれぞれに神聖魔法という形で作用する。となると、主な信仰対象は人によって違うし、絶対の教義というのもない。だから“教会”ではなく“協会”なわけだが………
そんな協会が動く理由というと、聖唱含む神聖魔法か、英雄、ルミネイト関連。
今回は、聖唱……協会は認めてないが……によるルミネイト化に関与したとされる一団の討伐。さらにそれには、英雄こと村雨も同行する。協会が黙っているはずもない。
たびたび村雨が呼び出されているというが、どこまでちゃんとした『打ち合わせ』になってるか。
以前ひっぱりだされた作戦会議を思い出し、ついげんなりするクレア。これから、そこへ顔を出さなければならない。
「終わりました、クレア様」
さらにいくつかの情報を伝えつつも、しっかりとサイズを計り終えて。扉を開けて、ルネはキレイな一礼をした。
「それでは私は、通行証と軍服の申請をしてまいります」
「ありがと」
──メモした様子もないけど……大丈夫なんだろうな。
村雨なんかのメイドにしておくのはもったいないくらいの優秀さだ。
ふと、彼女の単独行動を心配していた事を思い出す。あれは一年半前だし、状況も変わってるのだろう。じゃなきゃ村雨が離れるわけない。
──ご主人様っていうよりパパみたい。
気持ちはわからないでもないが。
「それではクレア様、こちらです」
と、廊下で待ってたモリスが案内をする。が、彼も“様”付けだ。
彼についての情報も、ルネは教えてくれた。フルネームはモリス・メナール。バスチアンの息子だ。半年ほど前から伝令兵として働き始め、階級は一等兵。“様”付けなのは現在のクレアの微妙な立場からか、それとも以前からクレアの事を聞いていたせいか。
──お見合いの話、どうなってるんだろう。
つい、値踏みしてしまう。年下だろうが………。
「いらっしゃるのはピエール司教とヤン様、セヴラン様というパラディン。エピシア卿は執事のセドリック氏のみ連れています」
それと村雨がいるのか。
伝令兵らしく、簡潔に説明してくれる。だが、ルネからも聞いたが………
パラディン。出家し、完全に聖堂で暮らしている信者の中でも、戦闘に関する修行をする人達だ。なんだかんだ言ったところで、神聖協会の武力である。神聖魔法のエキスパートととも言えるだろう。
居るのは当然としても………関係はどうだろうか?仲良くとまではいかなくても、腹の底ではどう思ってても、せめて表面上はビジネスライクに、穏便にしててくれないだろうか。そう思ってしまうのは………
「だからいつまで待たせるかと聞いてる!」
その部屋……たぶん賓客用の応接室……の前まで来た時聞こえた声は、とても『穏便』とは思えなかった。
これを予感……というか。村雨が一年半も猫被ってるわけないと確信していたからか。
ドアをノックする前、モリスがこちらに目を向ける。それは同情混じりだが、準備を尋ねる視線だった。
そのひと呼吸をくれるだけでも優しい。
─コンコン、コンコン─
「モリス・メナール伝令兵、クレア二等兵をお連れしました」
中から響いていた声が一瞬止まる。続いて聞こえた声は、
「入れ」
別の声で、まだしも落ち着いてるように聞こえた。
「失礼します」
扉を開けて、促される。軍隊式の礼などほとんど忘れてしまったが、それでもなんとか敬礼をして。
「失礼します」
室内へと……───
「これが“英雄の弟子”か」
剃っているのか天然かわからないが禿頭の、四十前後と思われる男性に無遠慮な視線を向けられた。臙脂のローブは神官職の証だが、それがなくても胸に下げられたやたら立派なシウラの聖印でそうと知れる。上座のソファーにひとり座る彼がピエール司教とやらだろう。
耳元まである茶色の髭を撫でながらクレア見る目は、完全に値踏みのそれだ。しかも見下す色が強い。
「弟子というからには少しは使えるんだろうな」
挨拶も、移動のタイミングすら失って立ち尽くすクレア。モリスですら、扉を閉めるタイミングを失っている。
とはいえこの場でもっとも偉いのは彼であり、おいそれと口を挟むわけには……
「使える、使えないで弟子は取ってねーですよ。素質っす」
「素質を見抜く目はあるとでも言うのか」
「素質を見抜く目“も”あるんスよ。損得が混じると見えねーモノは、良く見えるんです」
「私の目が曇ってるとでも言いたいのか」
「一般論スよ。肩書きとか権威とかが目を曇らせる事もあるとか………モリス伝令兵、ご苦労様。待機に戻っていいぞ」
ひらひろと手を振り、『おまえはこっち』と自分の後ろを指す。一応領主側のソファーに座ってる村雨は、その領主からも『口を慎め!』という目で睨まれていた。
足は組んでるし体は背もたれに預けきってる。態度で言うなら村雨が一番エラそうだ。
──……あれで敬語のつもり?
ケンカを売ってると取られかねない。というか、内容はケンカを売ってる。だから領主も睨んでいるのだろうが………移動しながらちらりと目を向ければ、久しぶりに見た領主は老け込んだようにも見えた。寂しかった頭髪は一層薄くなり、シワも目立つ。
心労かな~、と。気は重いが、クレアがさしたる緊張を感じないのはたぶん、このピエールという司教から“圧”を感じないからだろう。口調こそ厳しいが、なんというか………襲いかかられても対処できると思う。
いや、仮にも司教ともあろう人がいきなり襲いかかってきたりしないだろうが。そういう判断をしてしまう環境に居たせいで、ついそういう判断をしてしまう。
これも道場に居たせいだと思いつつ………“そういう判断”というのなら、司教の後ろに控えている二人。禿頭で長身、細身の、目付きの鋭い男と、赤毛長髪の筋肉質の男。どちらがヤンで、どちらがセヴランかわからないが、彼らは強い。
こちらの視線に気付いたのか。それともクレアの“英雄の弟子”という肩書きのせいか。探るような視線を返される。その目に余裕を感じるのは………大した事ないと思われたか。
まぁ、クレアの腰に差した剣を見たとすれば、そう思われるのも納得する。いたってシンプルな形状で、意匠も何もない。新兵だってもう少しこだわる。こんなのをエクシードで作って下げてる兵士はいまい。
実際、恰好だけのシロモノだし。飾りのない飾りだし。
……と、そんな探り合いをしている間にも、村雨と司教の話は進んでいた。喰ってかかるような態度のピエールを、のらりくらりと村雨がいなしてるような状況だが………無視とまではいかないらしい。
内容は、例の一団に対する討伐のタイミングのようだ。『今すぐにでも』という司教と、時間が欲しい村雨。
「なら、相手の戦力に対抗するにはまだ準備が必要だと言うんだな?」
「何度目か忘れたけど、そう言ってるスよ」
「だが、その相手の戦力というのはあくまでキミの『想定』だろう?」
「………」
村雨の眉がぴくりと動く。風向きが変わったらしい。
「第一、深度5のルミネイトというのも客観性に乏しい。目撃者は三人だけじゃないか」
と、司教の目が一瞬クレアに向けられた。
──深度“5”?
ルミネイトの深度は3までじゃなかっただろうか。
「……つまり俺の目の確かさを疑ってる、と」
「証明して欲しいだけだよ。客観的に、ね」
風向きが変わったというか、これは風向きが怪しい。渦の中心が近付いてきている気がする。
「キミが目をかけてるその弟子、“ドージョー”に行ってたそうじゃないか。なら大層ウデも上がってるんじゃないか?素質があるのなら、だがね」
「試そうってのか」
「なに、勝てとは言わんよ。ヤン」
──あ~、やっぱり。
呼ばれて一歩出たのは禿頭の方。兵士のようにエクシードを剣にしていたりしないので簡単に実力は計れないが………そもそもこの件に派遣されてるという事は、それなりの腕前である証拠だ。
やる気のないクレアは、少し引いてしまう。その時点で勝負の流れは見えたようなものだが………
「待てよ」
会話の流れの方は、まだ村雨が離してなかった。
「おや?ご自慢の弟子の素質には自信がない?」
勝ち誇ったような司教の言い方に、この時ばかりは領主も苛立たし気な視線を向けた。板挟みの一枚は彼であるからして、本当は言いたい事もあるだろうに。
板挟みのもう一枚、村雨の態度はまったく変わらなかった。
「そっちの、何年も修行に身を捧げてる神官戦士が、勝敗以外の方法で見極める?それこそ客観的とは言えねぇんじゃないか?」
口調が崩れ始めたが、それがどういう状況なのか、クレアにはわからなかった。ただイヤな予感だけはする。ひしひしと。
「……。」
一理ある、か。一本取られた、か。司教の口が止まった隙に、
「客観的に見極めるってならいい場がある。近く、士官学校で競技会が開かれる。それの優勝者との試合」
──いやいや待って待って。
士官学校の競技会といったら、見学に行った時三秒で負けたヤツだ。それも優勝者どころか本戦ですらない。練習中の生徒に、だ。
そりゃ、あの時よりは強くなってる。自信はある。が、優勝者となると相手の強さも違ってくる。
必死に村雨の後頭部に『No!』の視線を突き刺すが、ちっとも気付かない。むしろ対面の司教達にクレアの焦りが伝わってしまいそうだ。
「判断は……三人いればいいか。そっちから一人と……俺は外れた方がいいよな。ここの兵士から一人選べばいい。あとは校長あたりが適任だろう」
どうだとばかりに目を向ける。ジャッジの内一人は身内。一人は選べるうえ、もう一人は士官学校の校長。下手なジャッジをしようものなら、それこそ沽券に関わる。
客観性というのなら、むしろ村雨に不利なくらいだ。
「ふむ、いいだろう。結果、その弟子に素質ナシとなったら……」
「あぁ。可能な限り早く派兵する」
「約束、違えるなよ」
「って。明らかな越権行為じゃないですか」
領主の頭越しに、男爵で特務准尉の村雨が決めていい話ではない。
「うっせーなぁ。領主にさんざん言われたんだから、もういいだろ」
司教達が退室した後。おもむろに上座に移った領主は、村雨に滔々と文句を言った。いや、文句というには正当過ぎたが。
「じゃあ、勝手に競技会の出場を決められたあたしの文句なら聞いてくれますね」
聞く気なさそうな村雨の手からボウルを取り上げて、クレアは不満のこもった視線を正面から突き刺した。
とりあげた小ぶりなボウルには、小麦粉ベースの生地が入っている。
「それこそいいじゃねぇか。ただの試合だぜ?余興だよ、余興」
ボウルを取り返そうとする村雨の手をかわし、
「その余興に何を賭けてるんですか。派兵?素質?久しぶりにのんびり出来ると思ったのに」
「ちゃんと知らせたろ、討伐の件。のんびりする気で戻って来てんじゃねえよ。それに、勝てとは言ってねえだろう」
「そこはウソでも勝てって言うトコじゃないんですか」
「どっちならいいんだよ、おまえは」
「ま、派兵に関してはどっちでもいいのは確かだが……───」
と、クレアの隣りのバスチアンがやんわりと間に入った。
「簡単に負けてしまっては今後に響くだろう」
クレアが『ほら、』と村雨に目を向けると、
「“簡単に”、だろ」
一瞬の隙をついて、エクシードを使ってボウルを奪い返された。中身があるので強く抵抗も出来ない。
ボウルの中身をスプーンでカツカツ混ぜながら、
「負けても力があるとこ見せられればいいんだよ。ってか道場行ってたんだ、学生相手に簡単に負ける方が難しいぞ」
『ってかそんくらいになってるよな?』と付け加えられる。
はて、道場でどれくらいのものを得たかはわからない。失ったものならわかるのだが………さっきからあふれそうなヨダレと、鳴りそうなお腹をおさえてる。
熱された鉄板と油の匂い。そこまでなら道場にもあった。違うのは、乗せられるモノ。解体前から付き合いのあるお肉でも、ちょっとそこまで採りに行った野菜でもない。
他人が作った、加工に加工を重ねた料理である。
村雨がボウルを傾け、鉄板の上に生地を流せば『じゅぅぅっっ』と音を立てて広がる。少し色の着いた白い生地には、千切りのキャベツと小さなエビの干物。立ち上る海産の香りの中には、ほのかに、鉄板に染み付いたソースの香りが混じる。
ここは『しぐれ』。混ぜ焼き、関西風とも呼ばれるスタイルのお好み焼き店。約束通りの、調味料+ソースの外食である。
自分で焼く事も出来るスタイルで、テーブルの真ん中には鉄板がセット、贅沢にもその加熱はガーネット………精霊術を使っている。
もちろん店内すべてが宝石を使ってるわけではなくて。ここは個室、多少広くは作られてても、五人も入れば一杯である。四人掛けのテーブルにクレアとバスチアンが並び、対面には村雨と、追加の椅子を最後までモリスと競い合ったルネ。
ピエール司教との打ち合わせ(と領主の小言)が終わった後、クレアの通行証をモリスが持ってきてくれた。なぜかバスチアンと一緒に。
「久しぶりだな、クレア。少し痩せたか?」
道場での食事や修行についてあれやこれや聞き始めた彼に、
「これからメシ喰いに行くから、一緒に来るか?」
村雨が声を掛け、今に至る。モリスも一緒に、となったのは、伝令兵だけあって事情に詳しいからで。バスチアンの何かの策略、というワケではない………と思われる。
「“ドージョー”での暮らしは俺も気になる。どうだったんだ?ムラサメに聞いてもはっきり答えてくれんし……」
「あぁ、それは……」
思い出したくないような事か、つまらない事か、話せないような事か、話してもしょうがないような事か。つまり語るべきものがないからだろう。
「何も無い所でしたから。話すような事もナイですヨ」
いささか焦点の怪しいクレアの瞳に気付かず、バスチアンは首を傾げる。
「だが優秀な指導者がいるのだろう?紹介状が無ければ入れないというし。秘伝というヤツか?」
──世間じゃそういう扱いか…。
ロクな予備知識もないまま放り込まれたクレアである。紹介状こそ渡されたが、『道場だ。修行してこい』とだけ言われてふもとの村へ行く馬車に乗せられた。その村での評判は妖怪か仙人?みたいな話だったし、会ったところで拍子抜けするほど普通な感じの人だったし。
指導にしたって、手取り足取り教えられたわけじゃない。あれしてこい、これしてこいはあったが、ほとんどが放任………
──……いや、まぁ“試験”はあったけど……。
月に二回ほどある試験………実際の手合わせで成長を見せられなければ、瞑想と素振りを死ヌほどやらされる。
思い出せば『あれしてこい』も行き先が山いくつ先とか、畑を荒らす野盗を退治してこいとかだった。
『普通』の感じで言われるから感覚が狂うが、結構な無茶を言われていた。
「言ったろ?山ん中で野生に帰されるのさ」
クレアの様子の変化を察した村雨が、焼ける生地の様子を見ながら話を継ぐ。
「それだけではあるまい。五年経って“ドージョー”から戻って来たお前は、確かに“戦士”になってたぞ」
「ごねん!?師匠、そんなに居たんですか?」
「…………」
今度は村雨のテンションが下がる。手にしていたコテをルネに渡すと、肘をついて顎を乗せ、そっぽを向いた。
「………いろいろあったんだよ」
言葉少ななそれを、
「ま、こいつの場合は処断のひとつとして送られたようなものだったからな。簡単に戻って来るわけにはいかない事情もあったが」
「処断…って。なにやったんですか?」
「それはだな…───
「いいだろ、それは」
ルネすらも興味深そうにしていた話を、村雨は強引にさえぎった。くいっ、と顎でクレアを指して、
「こいつが強くなったかは、それこそ競技会でわかるし。目的自体はすでに達してんだから」
言われてみれば。競技会に派兵時期を賭けたわりに、クレアの試合内容については何も言ってこない。それこそ結果などどうでもいいかのように。
「そうだな。モリス、出てる連中は四、五日で戻ってくるんだろう?」
「はい。情報の精査、再出発まで一週間の予定に変更はありません」
じっと話を聞いていたモリスが頷く。話はすでにまとまっていて、あのピエール司教を抑えられればよかったのだろう。
と、いうか……。
「競技会って、いつでしたっけ?」
「………」
「…………」
ニヤッ、と。バスチアンまで意地の悪い笑みを浮かべる。モリスは苦笑いをするし、ルネは困ったように村雨の様子を伺う。
クレアの記憶が………というか。領主邸を出る時に確認したのだが、士官学校の戦闘競技会の開催は………
「十日後ですよね?」
準備が整うという予定より、三日もあとに開催である。
そりゃ勝敗なんぞ関係ない。だって開催日の時点で、時間稼ぎという目的は達してるのだから。
「開催日は聞かれなかったからな。承諾したからには約束は約束だ」
「邪悪な笑みを……」
ジャッジだ素質だと相手に有利と見せておいて目的自体は達しているのだから………開催日を知った司教達は、きっと荒れている。
そうなると、是が非でもクレアの素質は認めないだろう。
──あぁ、だから結果はどうでもいいのか。
余程無様な………以前のような三秒負けでもしない限りは、『どんな試合をしても司教は認める事はなかった』とでも言って領主を説得する。クレアの事は別件で有用性を示せれば『英雄とその弟子』の立場は守れる。
神聖協会との関係は悪くなるだろうが………今更という程度だし。詳しい事は知らないが、今回の討伐が上手くいけば領主も一応納得するのだろう。
なかなかに小賢しいテを打つ。
「でもまぁ、勝つに越した事はねえからな」
焼きあがったお好み焼きにソースを塗りながらでは、どこまで本気かわからない。
村雨とは違い、バスチアンはその表情から真剣だと伝わった。
「学生とはいえ、競技会で優勝する程となれば一人前の兵士と言ってもいいだろう。そこで勝利すれば様々な噂を払拭し、一目置かれるはずだ」
『様々な噂』とやらが気になるが。時間稼ぎは別として、期待してくれているらしい。
………それはそれでプレッシャーでもある。
「実際どうなんだ?何か掴んできたのか?」
だから。マヨネーズを網目にかけてカツオ節を踊らせていては、真面目に答えるべきかわからない。
「師匠より教わるものが多かったのは事実です。強く………なれたと思うんですけど、」
こればっかりは断言できない。なにせ明確な計りがない。道場にはとんでもなく強い人か、自分と同じ様に修行している人しかいないから。
強くなったとは言われたし、自信………とまではいかなくても、それなりに手応えみたいなものはあるのだけど。
「一度、誰かと手合わせしておいた方がいいかもしれないな」
切り分けられたお好み焼きにも手を付けず、バスチアンは考え込む。きっと丁度いい相手というのをリストアップしているのだろうが………
「……冷めちまうぞ」
こればかりは村雨の言う通り。彼が手を付けなければ、モリスやルネは動かないだろう。だが幸いにして……
「誰かいないのか?以前のクレアの腕を知っていて、かつそれなりの腕前の者は」
「あ?そんなの……───
まだカツオ節が踊っている内に、その名前があがった。
板張りの広い空間。高めの天井。
冷たく静かなこの感じは“道場”を思い出させる。いや、ここも『道場』という名前ではあるが。
村雨の屋敷内に作られた道場。その上座には、ぴしりと正座したベルナデットがいる。結い上げたポニーテイルも、ぴんとした背筋も、ここの雰囲気に合っている。………軍服なのがやや不似合いか。
対しクレアは作務衣である。軍服も訓練着も、まだ新しい物が届いていない。
まぁ非公式だし、他に人もいないし、もろもろ彼女は承知だし。それに………
「……ムラサメ様はいつもこで訓練なさってるんですね……」
「いえ、滅多に」
キッチンや研究室にいる方が長いと思う。
極めて正確なはずの答えを、彼女は気に入らなかったらしい。やや不満げに表情を歪めて、
「クレアさんは長く空けていたでしょう。それに、ここは掃除が行き届いています。頻繁に使われている証でしょう?」
掃除はルネだ。それは自信を持って言える。だが確かに………
「……確かに使われてた感じがしますね」
ただ掃除していただけではない、使われていたような劣化?経年?中古感というか、そういったものがある。
「そうでしょう」
と満足そうに頷かれては。特に否定する材料もないし、理由もない。仕方なし、
「そうですね」
同意すると、もうひとつ満足そうに頷いた。クレアがいない間に関係に変化があったかは知らないが、道場に入るのは初めてだという。
「では、確認します」
と、モードが切り替わったらしい。表情にも芯が入る。
「今度開催される競技会に、特別試合の選手として出場されるそうですが、ルールは本戦と同じという事で………使用する神聖魔法はシウラですか?」
この競技会は、剣術競技会ではない。なので、神聖魔法による強化も可。大抵は闘神シウラを選ぶ。クレアは短縮詠唱も使えるし、当然シウラだろうとベルナデットは思ったのだが。
「いえ、相手を見て決めようかと」
“道場”でシウラ以外の神聖魔法も使いこなせるようになった。平均的に、しかも戦闘向きに強化出来るのはシウラだが、おそらく相手もシウラを使う。伸び幅がもし同程度なら、結局は地力の差になる。
………本気を出せば、伸び幅が同じとは思えないが。それを観衆の前でやるのはまずい。
「………いいでしょう」
落ち着いたクレアの答えをどう見たか。ベルナデットは静かに立ち上がった。その所作からは………座り方からもだが、慣れが見える。
慣れ………逆を言えば、練習である。床に座るという事への練習。
──前は居心地悪そうだったからなぁ。
この屋敷の暮らしに合わせようといういじましさが滲む。
「以前と同じ攻め方をします。対処の仕方で計らせてもらいます」
合わせて立ち上がったクレアに………剣を構え直し、間合いを取り直すベルナデット。クレアも武器を構えた。
「お願いします」
様子見のはずの手合わせは、クレアがふっとぶまで続いた。