0.襲撃
轟々と、炎が舞い上がる。
灰が、火の粉が、黒煙と共に夜空に舞い上がる。
家を、畑を呑み込んだ炎が風を纏い、渦を巻いて立ち昇る。
その、揺れる明かりに照らされて。男が二人、大きな卵のような物を担いで村の外へと避難する。
村人………ではない。ざんばら髪に無精ヒゲ、なめした革の上着に、腰には手斧。
村の境界にある石垣の脇へと来ると、その卵を降ろす。金属光沢が赤い炎を反射するそれは、高さ1メートルほどもあるだろうか。
「おい、ホントだろうな?中に女が入ってるってのは」
「う、うそじゃねえ。逃げた小屋ン中にあったのはこれだけだ」
「でもよぉ…」
軽く表面を叩いてみる。確かに中は空洞のようだし、材質はエクシード………人間が操る魔導銀だ。
人が作った物。そこに疑いはないが、これだけのコントロールをするヤツが、こんな田舎にいるだろうか?それも若い女だと言う。
「一回切りつけてあっから、その内出てくるんだな。そ、そしたら……」
ハァハァと息が荒くなる。その様子を若干冷めた目で見つつ、
(コイツの言う事がホントだとして。ここまで反撃も無かったし、たまたまこの形に慣れてるだけかもしれねぇ。こんだけ移動して、もし中に主がいなかったら丸に戻ってるはずだし)
つまりコイツの言ってる事はホントである可能性が高い。ま、嘘を言うような(知恵がある)ヤツではない、という信用もある。
「わかった。お前はソレ持ってそこにいろ」
「で、出てきたら……」
「あぁ、好きにしていい。後で迎えに来てやるから」
村が燃え尽きる前に持ち出すべき物があるし、モタモタしてたら他のメンバーが殺してしまって楽しめない、という可能性もある。ここでたった一人の女に………それもどんな女かわからないタマゴの中身に構ってるヒマはない。
燃え盛る村へと………戻る前に。びしりと指を突き付け、一言言っておく。運ぶのを手伝ったのだから、
「いい女だったら、殺すなよ」
「おぅ!」
コレに関してはいまいち信用できないよなぁ…。そう思いつつも、取り分を求めて村へと戻る。
………男と、タマゴが残された。
夜、聖堂で本を読むのはクレアの楽しみだった。
月明りを、エクシードで集めて手元を照らす。明るい時間は本を読むヒマなどないし、満ち欠けする月の明かり、そのままでは字を読むには苦労する。
エクシードは人により大きさ、コントロール出来る形状など差はあるが、形状の方は練習により割と自由が効く。光りを集める凹面鏡の存在を司祭から聞いて、まっさきにランプ代わりにする事を考えた。
薄く、滑らかに。最初は苦労したが、今は晴れてさえいれば、下弦を過ぎても充分な明るさを確保出来るようになった。
生活……もっと言えば生きる事にすら苦労する中、わざわざそんな練習をし、睡眠を割いてまで本を読む理由は………楽しいからだった。
エクシードのコントロールもそう。役に立つかわからないが、ひとつ、出来る事が増える、ひとつ、知ってる事が増えるというのが楽しかった。
だから……と言うのも癪だけど。少々変人扱いされ、婚期を逃してると言われるのは納得がいかない。そりゃあ同年代のほとんどは相手を見つけているようだけど。
“まだ”十八歳だし、知識も技術も役に立つ………事もあったりする。
まぁ、夜更かしが結婚後や子育てに悪影響だと言う意見については反論しづらい所があるが。
その日も、そうやって結婚より大切なモノがあるさと聖堂の窓辺で本を読んでいた。ふと顔を上げたのは、なにか聞こえた気がしたからだ。
手を止め、耳を澄まして………静かなものだ。本へ目を戻そうとして、
「…………」
──……静かすぎる。
この時期、虫の声はうるさいほどなのに。まったく聞こえないわけではないが、近くで鳴く声が聞こえない。
エクシードを丸め、手元に戻す。野盗、獣……あるいは獣でも、魔導の肥大した魔獣。危険はいくらでもある。
気配を探る……なんて器用な事は出来ないが、それでも感覚を研ぎ澄ませ、扉に近付く。
ここは物置に使われている小部屋で、掃除道具やら古い机、椅子が置いてある。その内一組を窓際に移して使わてもらっているが、扉と窓辺を繋ぐ細い空間しか余裕はない。書庫は別にあり、読みたい本だけ借りてくるのだが………。
扉に耳を押し当ててみる。何か……聞こえる気がする………
─バタンッ─
「……っ、」
「…、……」
扉の音、足音、人の声。急に騒がしくなったそれらは、聖堂にいるだろう唯一の人間、司祭を始末したからなのだが、当然そんな事はわからない。
ただ、低い男の声とわずかに判別できる単語から、野盗の類が来た、という事だけはわかった。
時々聞く、どこかの村が襲われた、という話。その被害は、多少尾ヒレが付いていたとしても悲惨なもので………。
見つかったら……という恐怖が全身を包む。振るえる手で口を押え………逃げ道は?この扉を開けていくなんて無理だ。となると窓しかない。
幸いにも、明日の畑作業のために動きやすい服を着ている。ここは一階だし、すぐ隣りは村長の家。そこには用心棒として雇ってる傭兵がいるはずで……───
窓に手を掛けて、気付く。最初に聞こえた音は、村長の家からだったのだと。少し離れたその建物から飛び出した人影が、背後から切られる。
飛び散る液体。人とは思えない叫びが耳に届く。
切りつけた人物は辺りを見回すと、村長の家に戻っていく。二階建て、それなりに広い家だから、人にせよ物にせよ、探すのに時間がかかるだろう。
─バタン!─
「っ!」
近くの扉が開く音で、我に返る。
野盗ならば用心棒を真っ先に警戒するだろう。村長宅に野盗が入ってる時点で、あまりいい想像は出来ない。
ともあれ、窓を開ける。人はいない……ような気がするし、家と、周辺の人たちに襲撃を知らせないと。その先は………わからない。
足元がわからないほど暗くはないし、走ればアランさんの家まではすぐ…………なぜ、こんなに明るい?
月が出てたとはいえ、こんな影が映るほどの明るさではなかったはずだ。
村長宅と聖堂は、小高い丘の上にある。昼ならばなだらかな道と、近くの家々、その先には麦や綿花の畑が見えるのだが。
その畑が燃えていた。
先行したグループが用心棒がいるだろう村長宅を襲撃、時間差を付けて外から別のグループが逃げ道を塞ぐ。人も物も奪い、小さな村など壊滅させるやり方。
冷静にそんな推理をしたわけでもないが。それでも、それなりに規模の大きい一団という事は想像がついた。
──逃げる。逃げなきゃ。どうやって?
空回りする思考……──
「あっ」
声。顔を向ければ、聖堂の物置小屋を開けた男と目があった。はっきりとは見えないが、片手に下げた斧からしたたる液体が、こちらを見る下卑た笑みが、その正体を語っていた。
「っ!」
反射的に走り出す。行き先は………行き先は?
村長宅と聖堂を背にすれば、道は坂を下り、近くの民家の方へと向かっている。
もっと速くという脳の命令に、脚が追いつかない。半ば転げるように下った先、アランの家は………
人の声が、壊された扉の奥から聞こえる。
──………なんで……
どうして?ついさっきまでは、いつも通りの時間が流れていた。もう寝なきゃを繰り返しながらつい本を読みふけり、明日の朝、眠気でぼやっとした頭のまま畑に行けば怒られつつもいつもの作業が始まり………そんな、変わらない一日が来るはずだったのに。
目の前にあるのは、炎に照らされ、悪魔に蹂躙されている……まるで異世界にでも放り込まれたかのような悪夢。
「っ!」
右腕に衝撃。なにがぶつかったのかと手を当てれば濡れた感触。少し先の地面に、手斧が落ちてる。当たり所が悪ければ死んでいた。いや、それよりも。
振り返れば……二十歩ほどか、離れた場所に聖堂で見かけた男がいる。
──逃げなきゃッ!
家の脇の道へと入る。どこか隠れる場所は……───
目に入り、飛び込んだのは馬小屋だった。ここなら馬が気配をごまかしてくれるはず。
中へと入り軋む扉を閉め………なんで扉が開いていた?番犬のアルムは?わからないが、ここはダメ───
─ぎっ!─
閉めたばかりの扉が開きかけ、音を立てて止まる。歪んでいるそれは、勢いよく開けようとしてもダメだのだ。ちょっとしたコツがいる。が、蹴りのひとつも入れられれば壊されてしまうだろう。
戦う?とても敵うとは思えない。
隠れる?どこに?興奮した馬が3頭と、ワラの山、樽、荷車………
樽の中にと向かうより先、扉が破られる音。振り返りつつもクレアは、ただ拒絶感からエクシードを展開していた。
エクシード。魔導銀と呼ばれるそれは、人間が操る事の出来る金属塊である。
サイズ、耐久度などは個人差があり、作る事の出来る形状には力量が出る。騎士、貴族などは剣にするのが一般的であり、農民なら農具に使う。
分割は出来ず、コントロール下を離れれば球体になり、やがて消える。新たに作り出す事は可能だが、時間がかかる。
いくつかある魔法の内、これが人間の魔法だと唱える学者もいるが、確かに誰かに学ばなくとも使えるようになる技能である。
─ガキンッ!─
そのエクシードの殻に守られた内側で。クレアは痛み始めた腕を押さえながら震えていた。
馬小屋に逃げ込み、とっさにエクシードの作った殻に閉じこもった。数度、外からの衝撃はあったが、その後は転がされ、話し声がしたかと思ったら運ばれる感覚。
どこかに降ろされ、話し声もしなくなった。諦めたかと思ったが、再びの衝撃。
エクシード同士では『強度』で明確な差がつく事はない。一撃で壊れる、なんて事はまずないが、複数回叩かれる内に形状が保てなくなる。
どちらが?かは考えるまでもない。あちらは斧という、おそらく慣れた上に単純かつ密度のある形状。対してこちらは薄い殻。
これが破られたら………
感覚の鈍り始めた右手を握る。その先の想像などしたくない。したくないけど、なにかしなければそれは現実になる。
──なにか…、なにか…、
持ってるものは?服や靴、せいぜいベルトくらい。エクシードを剣にでもして………剣術など習った事はない。戦闘など、せいぜい子供の頃のケンカと野生動物相手くらい。
せめて外の様子がわかれば、とも思うが、穴を開けるのは『硬い殻』のイメージが壊れかねない。そうなれば打開策の無いまま放り出される事になる。
──なにか…、なにか…、
息が荒くなる。出血のせいか目眩がしてくる。それでも、今はこの『殻』を解くわけにはいかない。
──なにか、なにか、なにか、なにか……
嫌な想像、恐怖ばかり湧いてきて、ぎゅっと目を閉じる。
ズキリズキリと傷が痛みだした。この時になって、思い出したように神に祈った。
回復も、屈強な男に敵う力も。神聖魔法ならば可能性が生まれる。
──神様神様どなたでも構わないです。終わりそうな私に救いと力を。もう遠慮も加減もなく奴らを圧倒するナニカを下さい。それくらいないと………そうじゃないと!この世界に希望があると信じさせて!
「おい。こっちはあらかた終わっちまったぞ」
男が、タマゴと弟分の事を思い出したのはそれなりに楽しんだ後の事だった。本当はもう少しゆっくりしたいが………思ったより火の回りが早い。戦利品は火の届かない所へと運んであるが、さらに離れた場所に待たせてある馬車へと運ぶには人手が欲しい。
正直、もうタマゴの中身に関しては興味を失っていた。わざわざヤツの後でなくても………。それに、エクシードを回収してそろそろ立ち去らないとこの辺りも危ないかもしれない。
「……おい」
石垣の向こうの人影に、もう一度声を掛ける。満足して余韻にでも浸ってるのかと思ったが………
「ッ!──」
炎の照り返しを受けたその姿に、距離を取りつつエクシードの斧を構える。
小麦色の三つ編みが熱風に揺れてる。簡素なシャツの上、軽装鎧を着込んだその姿は………無手。だがその足元には、彼女の倍はありそうな男の体が倒れている。
(この女がヤツを倒した?どうやって?)
鎧を着ているという事は傭兵の生き残りだろうか?いや、そんなワケはない。傭兵なら、こんなトコへ連れてこられる前になにかしている。武器を持ってないのもおかしい。
ゆらり…と振り返ったその姿に。青白く光る瞳に。知らず後退りをして………踵を返して逃げ出す!
この世界には、神も悪魔もいる。あの小娘が見た目通りの小娘であるとは限らない。連れの状態は確かめてないが、おそらく……───
─ッゴ!─
重い物が蹴とばされるような音。背後から飛んできたのは、その連れだった。
なら、さっきの音は、コイツが蹴り飛ばされた音だとでも言うのだろうか?
力なく、あり得ない体勢で自分を追い越していくソレを見送って。自分の想像が正しかった事を知る。
連れの息がもう無い事でも、奇跡のような出来事であの小娘が生を拾った事でもない。
『こんなコトをしてればロクな死に方をしない』。その想像が正しかったと。
もし男が振り返っていたならば、獣のような速度で迫るクレアの姿が見えただろう。
わずかばかりの後悔を最期に、男の意識は飛んだ。