2-1 今時、廊下に立ってなさい
とりわけ勉学も得意ではない、どの教科をとっても落第点を取らないのがやっとのことだ。
特に苦手な数学の授業、
不運とは重なるもので、うちのクラスの数学担当は特に厳しいで有名な矢車先生、
50代後半のベテランおじさん先生だ。
「姫野、まだわからないのか?、1年生で習うとこだぞ」
「す、すいません、」
「廊下で復習してきなさい」
「はい・・・」
今時珍しい教育方針だ、
少しうるさい生徒や保護者だったら問題になるんじゃないだろうか、
だがこの先生は厳しい指導が当たり前、声を張るのも当たり前、そういった空気が出来上がってしまっている。
言われるがまま、教科書とノートを持って廊下へ出るしかない。
季節がら、廊下はまだ肌寒い。
たださえわからない数学の内容が、廊下に立って何度見返したところで理解できるはずがない。
どれだけ前のページに戻ってもわからない、
本当、自分で自分が嫌になってくる・・・
静かにたたずむ廊下の中、ガラッと扉の開く音が鳴る、
臆病なわたしは、当然ビクッとなってしまう。
「廊下さみ~な~」
「あ・・・」
教室から追い出されたであろう京さんは、何も持たず眠そうな目をしてわたしの隣にドカッと座り込んだ。
「京さんも、立たされたんですか?」
「ああ、気持ちよく寝てたら起こされた」
「あのおっさんうっせぇからな~」
なんだろう・・・こんな状況なのに、ひとりじゃないというのは、心強い。
ちょっとだけ、口元に笑みがこぼれてしまった。
・・・
程なくして、また扉がガラッと音を立てた。
先生が見に来たのかと思い、慌てて教科書に目をやるが、違った。
「あ、委員長、」
「・・・」
扉から現れたのはうちのクラスの委員長、月美 聡音だった。
キリッとした目つきに細淵の眼鏡、長い黒髪は後ろにまとめ、なびかせている。
口調ははっきりとした物言いをするが、常に冷静に物事を見つめている。
見た目も中身も委員長を形にしたような真面目な女性である。
嫌われているわけではないが、特に誰かと仲良く話したりしている様子もない。
ペアの授業の時も、ひとり余りそうな3人組の近くにいたりしていて世渡りも上手い。
同じクラスになって日も浅いが、怒ったり笑ったりと眉を動かしたところを見たことがない。
わたしたちを呼び戻しに来たのかと思ったら、並んで一緒に立ち始めてしまった。
「なんでお前が立たされてんだよ」
「委員長、凄く成績いいのに・・・」
「・・・もうこの教科書なんてとっくに全部覚えたから、違う教科の勉強してたら、見つかった」
「ぷははっ!嫌味だな、おまえっ!」
「すごい・・・」
笑いながら、でもうるさくなりすぎないように、
「おい委員長、どうせ突っ立ってんならこいつの勉強でもみてやれよ」
「私が?」
「そんな・・・委員長に迷惑かけられないです・・・」
「京さん、あなた別に勉強できないわけではないのだから、あなたが教えてあげたら?、あなたたち、最近仲良しみたいだし」
「あたしゃ人にものを教えるなんて出来ねぇよ」
仲良し・・・
確かに体育の時間は一緒にいたり、移動教室で二人掛けの席になる時は隣に座らせてもらっていた、
たったそれだけのことかもしれないけど、わたしにはそれがとんでもなく嬉しかった。
京さんがどう思っているかは露程もわからないけど、周りからはそう見えたのだろうか・・・
わたしたちに向けられた”仲良し”って言葉が、温かい。
「別にいいけど、姫野さんがよければ」
「い、いいんですか、お願いして」
「かまわないわよ、全然」
「ここなんですけど、序盤過ぎて恥ずかしいんですが・・・」
委員長は嫌な顔一つしないで近づいて来てくれた。
相変わらず表情は変わらないが、それで全然いい。
側に寄る委員長の眼鏡に、うっすらとわたしが写り込んだ。