第67話 そして渚留衣は彼に出会いたい
「あんたと話すことが用事だから」
「……そうなの?」
「そ」
「そっかぁ。ちなみに拒否権は――」
「あると思う?」
「ですよねぇ」
× × ×
てなわけで……テクテクと。
現在俺は、渚と二人で帰路についていた。
途中まで帰り道が一緒であるため、そこまでだと思うが……。
それにしても『俺と話すことが用事』……ね。
とんでもねぇ用事を持ってたもんだなオイ。
流石に断るわけにはいかなかったため、了承したけども……俺になんの話があるのだろうか。
「ねぇ青葉、合宿……楽しかった?」
前を見て歩く渚が、司と同じような質問をしてきた。
俺も同じように前を向いているため、渚がどんな表情で話しているかは分からない。
とはいえ、わざわざ俺とこうして一緒に帰ってまで聞くようなことなのだ。
無意味ではないのだろう。
「んー、まぁな。そこそこ楽しかったぜ」
「そう」
「お前はどうだったんだよ」
「楽しかったよ」
「……そうか」
こちらの質問にノータイムで返答をする。
嘘ではないのだろうが……あまりにもあっさりとしているため一瞬『ホントにそう?』と疑ってしまいたくなった。
そこは渚だしね。仕方ないね。
軽く言葉を交わしたあと、俺たちの間に静寂が訪れる。
渚は積極的に話すタイプではないため、俺が黙るとこうなるのも必然だ。
「……わたし、さ」
しかし、意外にも渚から口を開いた。
これはいよいよ本題……ってところか?
俺はなにも言わず、続きを待つ。
「昨夜、あんたと話したでしょ」
……やっぱり、話はそれか。
なんとなく予想は付いていた。
渚が俺と話したい理由なんて……結局、そこしかない。
「みんなの中にあんたはいないこと。そして、ハッキリとは言ってなかったけど……わたしたちを友達だと思ってなかったこと」
前者についてはともかく、後者は渚の言うようにハッキリと口にしたわけではない。
渚が自分で考えて、自分で思ったことだ。
……ま、正解ではあるのだが。
俺はまだ……なにも言わない。
「わたし……ムカついた。かなり……ムカついた」
たしかに、あのときの渚はいつもと様子が違った。
真剣な表情で……声を荒げ、怒りを表に出していた。
ムカついた、というのは本当にその通りなのだろう。
「だけどね、青葉。わたしはそれ以上に――」
それ以上に。
渚は呟くように……口にした。
「悲しかった」
悲しい。
すぐにその意味を理解することができなかった。
どうして、悲しむ?
どうして、怒る?
どうして……こんな俺にそこまで感情を向ける?
「でも、それってやっぱり……さ」
渚は歩く足を止めた。
その横を通り過ぎるように二、三歩ほど進んで……俺も足を止める。
どうしたんだ――?
振り返ると、渚が俺をジッと見ていた。
「青葉」
表情を緩め、穏やかな声で――俺に言った。
「あんたはわたしの……友達なんだよ」
「――え?」
声に、出る。
友達――?
「どうしてあんなに怒ったのか。どうして……あんなに悲しかったのか」
こちらを見つめたまま、渚は淡々と言葉を紡ぐ。
俺の返事を聞くつもりがないように、ただ自分の言いたいことをぶつけていた。
俺はその言葉一つ一つを受け止めるように……ただ黙って立っている。
「それは……あんたが大事な友達だから」
友達。再び出てきたその単語。
「悩んで、苦しんで、考えて……考えて、わたしが出した『答え』を……今からあんたにぶつける」
「答えって――」
「青葉」
もう一度名前を呼ばれて、言葉に詰まる。肩に力が入る。
渚の声は決して気だるいものではなく……決意を感じる、凛とした鋭い声だった。
そして、その鋭さをもって……俺を貫く。
「わたしは――あんたを理解りたい」
俺を……理解りたい?
分からない。
目の前に立つこの少女が、俺になにを伝えたいのか。
なにをもってそう……口にしているのか。
全然、分からなかった。
俺は小さく息を吐き、苦笑いを浮かべる。
「ちょっと待てよ。お前さ、俺のことが嫌いなんだろ? だったら別に――」
「嫌いだよ。嫌いだから」
「……は?」
「嫌いだから――あんたを理解りたいの。これって、なにかおかしい?」
「……いやいや、意味分からねぇって」
首をかしげる渚に、俺は首を左右に振る。
話の主導権は完全に握られていた。
「あんたを……青葉昴を理解って――それで」
渚は目を瞑り、深呼吸をする。
自分の中にある『なにか』を整えて、組み立てて……一つの言葉へと完成させて……。
――目を開ける。
強い意志を宿した薄緑の輝きが……俺を射抜いた。
「あんたに出会いたい。ほかの誰でもない……あんたに」
ハッと目を見開く。
ドスン、と重たいなにかにのしかかられたような圧迫感に襲われた。
なんだよそれ。
そんなこと──
俺は……初めて言われた。
「ふふ、なにその顔。驚いてるの?」
楽しそうに笑う渚に、俺は呆れてものが言えなかった。
「……んだよ、全然分かんねぇっての。出会いたいってなんだよ。今こうして顔を合わせてるじゃねぇか」
なんなら去年からの付き合いだ。
今更『出会いたい』なんて……頭がおかしくなったのか?
渚は俺の問いかけに「そうじゃない」と首を左右に振って否定する。
「あんたはさ、わたしを……わたしたちを見ていないのかもしれない。別にそれでいい」
渚は一切視線を逸らすことなく、俺をずっと見つめていた。
まるで俺の中にいる『誰か』を覗くように……真剣な眼差しで俺を見ていた。
「でもね」と渚は言葉を続ける。
「わたしは……あんたを『見てる』」
「俺を……見てる?」
「うん」
渚は目線を上げて……まずは俺の頭を見る。
「あんたのその『灰色がかった髪』も」
次に目を見る。
「綺麗な……その『深い青の瞳』も」
次に顔を見る。
「『そこそこ整ったその顔』も」
次に身体を見る。
――っておい、そこそこって失礼だろ。いい感じに整ってるでしょ。
「百八十近くある……? 分からないけど、その『高い身長』も。その『細身の体格』も」
そしてまた。
視線を俺の顔に戻した。
「あんたは自分を『見ていない』のかもしれない。自分なんて『どうでもいい』のかもしれない」
ただ渚は俺に話し続ける。
自分の想いを。
自分が出した『答え』を。
悩んで、怒って、悲しんで、考えて……辿り着いたその『答え』を。
「それでもわたしは……あんたをずっと『見て』きた」
目の前に立つ、青葉昴という一人の人間『だけ』にその答えを……語る。
「ずっと見てきたあんたが……仮に、偽りでできているものだとしたら」
渚留衣は穏やかに笑う。
昨夜とは正反対なほど……穏やかに言葉を紡ぐ。
怒るような、焦るような……あんな様子は微塵も感じない。
探して、集めて、紡いで。
「だからこそ――わたしは、あんたを理解りたい。あんたに出会いたい」
渚留衣の……たった一つの『答え』。
しりたい。
あいたい。
シンプルなその言葉の中に、いったいどれだけの覚悟が詰まっているのだろう。
「第三者でも、部外者でもない。あんたは──ここにいる」
俺は──ここにいる。
ザワっと、嫌な感覚が胸を撫でた。
「というわけで青葉、先に宣言しておくね」
「宣言……? なにをだよ?」
考える時間は与えてくれない。
渚は俺をビシッと右手で指差し、力強くその宣言をした。
「わたしは――あんたを理解するから。どんなに時間がかかってもね」
一秒、二秒……三秒。
渚の言葉を呑み込むまでにかかった時間。
「は……はぁ?」
「そんなわけで、よろしく」
指差したその手を……今度は『ぶい』に変えて。
よろしく、とピースサインを俺に向けた。
なんとも……一方的な宣言だった。
攻略――って。
ゲームじゃねぇんだぞ。
いや。
むしろコイツにとっては、これほど相応しい言葉はないのかもしれない。
「よろしくって……なに一人で勝手にまとめてるんだよ。俺は――」
「どうでもいい」
「なっ……」
バッサリと俺の言葉を切り捨てる。
「あんたがわたしをどうでもいいように。わたしも……あんたの事情なんてどうでもいい」
――どうでもいい。
昨夜、俺が渚に言ったその言葉。
「わたしが理解りたいから。わたしが出会いたいから。重要なのはそれだけ。全部……わたしの勝手な感情」
渚は胸に手を当て、自分自身の言葉を、想いを貫く。
俺の言葉を切り捨てて。
俺の感情を無視して。
ただ自分がそうしたいから。
理由は――たったそれだけ。
あぁ……なんて――
「ははっ」
なんて。
「はははっ……!」
面白いのだろう。
ここまで化けやがったか、渚留衣。
俺からしたらお前は三、四番手の登場人物だったのだが……。
なにがお前をここまでさせたのかは分からない。
俺の言葉が、お前の中のなにかを変えてしまったのかもしれない。
戸惑いや、疑問や、そのほか浮かび上がる感情すべてを通り越して。
ただただ、今だけは。
――面白かった。
俺はひとしきり笑ったあと、ニッと笑みを浮かべて渚を見た。
「そうかそうか。『どうもでいい』なら仕方ねぇな。俺に拒否権ないじゃねぇか」
「そういうこと。あんたも得意でしょ? 『勝手』にやるの」
「ああ、それが一番得意だぜ」
勝手にそう思っているのなら、止める術はない。
人間はアレコレいろいろなことを考える生き物だ。
しかし結局御託を並べても、最後に従うのは自分の感情。
やりたいならやる。
やりたくないのならやらない。
他人にどう言われても。思われても。
先に待つ結果が見えなくても。
自分がそう決めたのなら。
自分が勝手にそう思ったのなら。
――誰にもそれを止める術はない。
他人が否定する権利なんて、ない。
「なら勝手にやれよ。だけど、お目当ての青葉昴は、そんな簡単に攻略できないぜ?」
「上等。知ってる? わたし、結構高難度ゲーガチ勢なんだけど?」
「ああ、よく知ってるよ。レベル1縛りとか大好きだろ、お前」
「まぁね。けど、今回は縛りとか無しにやらせてもらうから。ガチプレイ」
「おーおー、そりゃ怖い」
軽口を叩き、笑い合う。
ゲーマーならではの言い回しが、なんとも渚らしかった。
俺が勝手に動くように。
渚は渚で好きに動いてもらうとしよう。
俺には俺の目的があるのだから、渚がなにをしようが……それこそどうでもいい。
だが。
もしも、障害になり得る存在にまで登り詰めてきたとしたら。
そのときは――
「物好きなヤツだぜ……ホントに」
たかが俺に目を向けようとするなんて……バカなヤツだ。
渚は満足したように「よし」と呟くと歩き出した。
俺もそれに合わせて、隣を歩く。
「あ、そうだ」
「なんだね」
渚は隣の俺を見上げて、「そういえばね」と話題を切り出す。
先ほどまでの真剣な雰囲気はどこかに消え去っていた。
「駅前のゲームセンターあるでしょ?」
「あるな。それが?」
「そこに先週、新しい格ゲーが置かれたんだよね」
あ、そうなのか。
駅前のゲームセンターは、学校から近いということもあり高校生たちの遊びスポットの一つだ。
俺たちもよく遊びに行っているから親しみがある。
「そういうことで……これから行かない?」
「え、今から?」
「そうだけど」
なんでコイツ、ゲーム関係になるとコミュ障じゃなくなるんだよ。
普段だったら誰かを遊びに誘うとか絶対できないでしょ。
「お前疲れてないのかよ。バスであんなに爆睡してたのに」
「ゲームは別。――というかあんた、まさか寝顔見た?」
ジトーっとした視線を隣から感じる。
「……あんなに堂々と寝ておいて見るなは無理があるぞ」
「最悪……」
「大丈夫大丈夫。可愛らしい寝顔だったぞるいるい」
「は?」
「なんで褒めたのに怒られるんだよ」
嘘は言ってないのに。
写真撮って見せつけてやればよかったわ。
自分の寝顔見せられるとか地獄でしょ。
「はぁ……で、どうするの? ゲーセン行くの?」
ゲーセンねぇ。
別にこれ以上コイツと交流を深める理由もないが――
「――仕方ねぇな。ボコボコにしてやんよ」
俺がそう言うと、渚は「……!」と分かりやすく表情を明るくさせた。
……まぁ、この嬉しそうな顔で今回は許してやろう。
家に帰っても暇なだけだしな。
「そうと決まれば早く行こう」
渚は嬉々とした様子で歩く速度を上げる。
「そんな急ぐなって。ゲーセンは逃げませんよ渚さんや」
俺の言葉を聞くことなく、渚はずんずんと歩いていく。
その自由っぷりに呆れつつも、俺は大人しく後を追った。
友達同士でもなければ、恋人同士でもない。
好き合っているわけでもなく、なんならハッキリ嫌いだと言われている。
そんな俺たちはいったい、どういう関係と言えるのだろうか――
俺はなんとなく、空を見上げる。
熱を帯びたジメっとする風が頬を撫でた。
六月も終わり、もうすぐ七月がやってくる。
来月はいったい、どんなことが待っているのだろう。
どんな『舞台』を見られるのだろう。
相応しくない期待を胸に秘めて。
俺は、歩く。
「なんで空見てるの」
「あ、いや、ヘラクレスオオカブトが飛んでて……」
「飛んでるわけないでしょ。バカなの?」
夏はまだ、始まったばかり。