第65話 学習強化合宿は終わりを告げる
「よし、それじゃあみんなお疲れさん! 適当にバスに乗り込んでくれー」
大原先生が手を叩きながら声を出す。
先ほど合宿の閉会式が終わり、管理人さんをはじめとするスタッフさんたちにお礼の言葉を伝えた生徒たちは、ぞろぞろとバスへと乗り込み始めた。
そんなわけで。
二泊三日に及んだ学習強化合宿、終了である。
俺はバスへと乗る前に、クルっと振り返る。
そして、改めて敷地内をぐるっと見渡した。
蓮見と渚のぎこちない騒動とか、それ以外にもいろいろあった合宿だったけど……うん、なかなか楽しかったんじゃねぇかな。
勉強時間はひたすら苦痛で退屈だったけども。
あー……でも一個だけ。
キャンプファイヤーがどんなものか見られなかったのは、少しばかり心残りではあるが……まぁそれは仕方ない。
素敵な山菜さんたちと出会えただけで良しとしよう。
それに、合宿は今年だけじゃないし。
キャンプファイヤーは来年見られるでしょ。知らんけど。
「あざした!」
俺は声を上げて、合宿所に向かってお礼を告げる。
男女イチャイチャリア充イベントには恵まれなかったけど、それ以外は文句無しの楽しいイベントでございました。
あざしたあざした……。
「ん? なにやってんだよ昴」
突然お礼の言葉を言い出した俺に、司が不思議そうに声をかけてきた。
司は……今回の合宿をどう思っているのだろうか。
楽しくやれたのだろうか。
少なくとも、退屈なものではなかったと思う。
コイツが楽しめたのならオールオッケーとしてやろう。
昴くん親友想い〜!
「見りゃ分かるだろ? 合宿所と大自然に改めて感謝の気持ちを伝えてたんだよ」
「なるほど。それじゃあ俺もお礼しておくか。……あざした!」
「ひゅー。ノリいいねぇ」
司も俺と同じようにお礼を言うと、丁寧に頭を下げた。
なんとも真面目な好青年である。
「ほらアンタたち、早く乗りなさいよ」
バスに乗らない俺たちに痺れを切らした月ノ瀬が言う。
呆れた視線をこちらに向けて『はよ乗れや』と急かしてきた。
「んだよ月ノ瀬。俺は司と男同士の熱い──」
俺はムッとして反論しようとしたが、月ノ瀬がなにか思い出したのか「あっ」と声を上げた。
そしてニコッと可愛らしく笑うと、俺にその笑顔を向ける。
ド、ドキィ──!
急にそういう笑顔向けてくるのやめてくれる!?
うっかり惚れちゃうでしょ! 責任取れんの!?
「アンタ、バスに乗らないんだっけ?」
声を弾ませて、楽しそうに月ノ瀬は言った。
「……んぇ?」
その言葉に思わず変な声が出る。
え? 俺バス乗らないの? なんで? なんでですか?
俺がハテナマークを六個くらい頭上に出して困っていると、月ノ瀬の後ろから渚がひょこっと顔を出す。ひょっこり渚参上。
「そうだ。あんたバス乗らないじゃん」
口を開いたと思ったらこれである。
俺は両手をブンブンと振り拒否の意思を示す。
「いやいやいや、よくないって。そういう仲間外れよくないって」
「あー、それって一昨日の話か? バスの中で話したやつ」
「バス? そんな俺が悲しくなるような話――あ」
そのとき、俺の頭に月ノ瀬のとある発言が過る。
アレはたしか……朝の点呼で俺がふざけて、渚が怒って……。
次蓮見たちに変なことをしたら云々とか……。
――『……あっ。そうね、留衣。むしろコイツはバス乗らなくていいんじゃない?』
……あ、言ってたわ。言ってましたわ。
トランクにぶち込むだのなんだの言ってましたね。
てか、その話生きてたのかよ!
普通にみんな忘れてると思ってたわ!
……え、俺ホントにバスに乗れないの? そんなわけないよね?
「じゃあ、そういうわけだから気を付けて帰ってきなさい」
「じゃ、乙」
月ノ瀬、渚両名はサラッとそう言うと俺の横を通り過ぎてバスに乗り込んでいく。
冷たすぎない!?
なにその仕打ち!
あと渚、その乙って言うのやめて。
俺は二人と一緒にいたはずの蓮見に顔を向ける。
まだバスには乗り込んでおらず、苦笑いを浮かべて俺たちのやり取りを見ていた。
「蓮見……!」
俺は胸の前で手を組んで、うるうるキュートスマイルを向けた。
ふっ、落ちたな。
俺のこの可愛い姿を見て断れる女子なんていない!
ましてや優しい蓮見なんて尚更――
「あっ、それじゃあ青葉くん! またね!」
「蓮見ちゃん?????」
ヒラヒラッと手を振りながら蓮見も俺の横を通り過ぎて行った。
おいおいおい。
残るは一人しかいないじゃねぇか!
俺はバッと勢いよく残りの一人に身体を向けた。
「司さんっ!」
ムフームフーと鼻息を荒くして、俺は隣に立つ司を見る。
一言言ってくれ!
昴は仕方ないなぁ……みたいな感じで一言ちょうだい!
ほら! いつものように!
表情をキラキラさせて司の言葉を今か今かと待つ俺に、「はぁ……ホントお前は……」とため息をついた。
ふふふ、勝ったな。
司はニカッと素敵な笑顔を浮かべると、俺の肩にポンッと手を乗せ――
「気を付けて帰って来いよ。またな!」
グッ! と力強いサムズアップ。
そのままバスへと乗り込んで行ってしまった。
残された俺。
立ちすくむ俺。
ヒュー……と寂しい俺を嘲笑うかのように風が吹いた。
えぇぇ……悲しいって。それはしんどいって。
目から水が……なるほど、これが涙か。
初めて感情というものを理解したロボット状態になっていると――
「あ、そうだ青葉」
おん……?
後ろから、誰かが俺の名前を呼んでくる。
振り向くと、そこにはすでにバスに乗っていたはずの渚が降りてこちらに歩いて来ていた。
「え、なんすか」
「……あんたさ、なんで毎回名前を呼ぶと警戒するの」
思わず戦闘態勢のポーズを取った俺に、渚は『うわぁ……』と引いている様子だった。
「……本能?」
俺はキリっと勇ましい顔を作って答える。
本能だからね。仕方ないね。
「まぁなんでもいいけどさ」
渚は小さく息を吐いた。
というか、実際なんの用だろうか。
まだ戦闘ポーズ中の俺を、渚はジッと見つめてくる。
「ありがとう」
……え?
――は?
思わずポカーンと口が開く。
コイツ今……なんて言った?
『ありがとう』……って言った?
お礼なら一昨日の夜にも言われたけど……アレはちょっと違ったし……。
正面から目を合わせてお礼を言われたのは……初めてかもしれない。
「あの渚が……素直にお礼……!?」
「……素直に? お礼?」
「あ、やば。口に出てた」
ビックリしすぎて口に出しちゃったよ。
いろんな感情より驚きが勝っちゃったよ。
渚は『やれやれ』といった感じに首を左右に振り、話を続ける。
「あんたのおかげで晴香と仲直りができた。ちゃんとお礼を言ってなかったと思って」
「いやいやいや……別に俺はなにもしてねぇだろ? お前らが話して――」
「いいから言わせて。――ありがとう」
『ありがとう』。
再びそう口にした渚の表情は……真剣だった。
なぜ今になってお礼を?
なぜこのタイミングで?
そもそも昨日あんなことがあったのに……普通お礼を言うか?
自分たちのために動いたわけじゃないって分かってるんだろ?
疑問が次々に浮かぶ。
渚はとても冗談を言っているようには見えない。
仕方なく言っているようにも見えない。
本当に……俺に対して感謝の気持ちを抱いているようだった。
その視線に耐え切れず――
俺はサッと顔を逸らした。
「へいへい、どういたしまして。だったらせいぜいちゃんと感謝しろよ?」
ひとまず、流すように返事をする。
どうしてお礼を言われているのかが……理解できなかった。
そんな俺に対して、渚はスッと目を細める。
「――やっぱり」
なにかを呟いた。
渚は納得したように頷くと、俺に背を向ける。
一方的にお礼を言って、一方的に納得して。
渚はなにを考えていたのだろう。
「お、おい渚――」
「早く乗りなよ」
呼び止める俺の言葉を遮って、渚は淡々とそう言った。
「うぇ?」
「バス、乗りなって。ほかの人たちに迷惑でしょ」
「乗れって言ったり、乙って言ったりどっちなんだよ……」
「ふーん? 乗りたくなければホントに歩いて帰れば?」
後ろで手を組み、短く言い残すと再びバスへ向かって歩いていく。
「ったく……勝手なヤツだぜ」
小さなその背中を見て笑みがこぼれる。
なにがあったか知らないけど……すっかりいつも通りだなオイ。
逆にこっちが戸惑うじゃねぇか……。
はぁ……まぁいいや。
渚様に乗車の許可をいただいたことだし、俺も乗り込むとするかね。
ここでウダウダしてるとほかの生徒に迷惑だしな。
俺が一歩を踏み出したとき――
「昴!」
おっ……と?
再び俺を呼ぶ声が聞こえた。
おいおい、さっきから名前呼ばれすぎでしょ? 俺大人気なの?
「青葉くん!」
「青葉」
さらに声が聞こえる。
俺はその主たちを探して視線を動かした。
そして……バスの後部座席付近の窓へ目をやると、そこには窓を開けて俺を見ている三人の男女がいた。
「早く乗って来いよ!」
「そうだよー! 本当に置いて行かれちゃうよー!」
「まぁ、アンタなら走って帰ってこれそうだけどね」
笑顔で思い思いに言葉を口にしている……司、蓮見、月ノ瀬。
本当に……勝手なヤツらだ。
お前らが俺を放って先に乗ったんじゃねぇか。
バスに乗れない……なんて、本気で言ってないことは当然理解しているけど。
というか月ノ瀬。お前は俺をなんだと思ってるんだ。
無理に決まってるだろ!
「青葉」
今度は誰だよ――と、正面に視線を戻すと渚がこちらを振り返っていた。
「ほら、みんなが待ってるよ」
フッと柔らかい笑みを浮かべて――俺を見た。
みんなが……か。
きっとコイツは、分かってるうえでそう言っている。
わざと……『みんな』という単語を口に出した。
いったいなにが目的だ――?
湧き出る疑問を抑えて、俺はため息をつきながらガリガリと頭を掻く。
「だーもう! 分かってるっての! 今すぐ行くから待っとれ貴様ら!」
待っている『みんな』とやらに向かって……俺は一歩、踏み出した。
――改めて。
学習強化合宿、終了である。
いやー……うん、濃かったね。
それと。
補習は二度と御免だわ。
× × ×
余談。帰りのバスにて。
「ふふ、るいるい爆睡してるよ」
「徹夜してたんだもの。むしろよく耐えたんじゃない?」
「そうだな。ここは寝かせておいてあげよう」
バスが走り出してしばらく経ったあと、気が付けば渚は爆睡していた。
後ろの席を確認してみると、それはもう穏やかな顔で寝ていた。
年相応、見た目相応の……なんとも可愛らしい寝顔だった。
静かに寝息を立てる渚を見て、俺は思わずイラっとする。
人に散々言っておいて呑気に寝やがって……。
「落書きしたろかコイツ」
ぐぬぬ……と眉間に皺を寄せて言う。
日頃の恨みを晴らすチャンスかもしれない。
なんかこう……額に『愛』とか書いてやろうかな。
どこぞの戦国武将みたいで面白そう。
「アンタ……そんなことしたら窓から投げられるわよ」
「マジでありえるから困る」
「二人とも……るいるいを超人みたいに思ってない?」
「「別に?」」
あら仲良し。これぞまさに以心伝心。
「えぇ……なんでそこ揃うの……?」
蓮見は戸惑いの表情で俺と月ノ瀬を交互に見る。
呑気に寝ているのはムカつくが……ここはそっとしておいてやろう。
徹夜してヘロヘロだったのに頑張ったことは事実だしな。
それに、今こうして寝られるということは……渚の中にあった、なにかしらの荷物が軽くなったのだろう。
それがなんなのか……どうして軽くなったのかは、俺には分からないが。
「なぁ、昴」
隣に座る司が声をかけてきた。
窓の外への視線を移した俺は、「なんだね」と返事をする。
「合宿、なんだかんだで楽しかったな。お前はどうだった?」
質問から答えまでに……間が空く。
俺はその問いに対して、この三日間の合宿を振り返った。
勉強のやる気は一向に出ず、自習時間ではふざけて。
軽い山菜料理を蓮見に食べてもらって……アイツの気持ちを聞いて。
志乃ちゃんと電話をして……相変わらず可愛いその言動に癒されて。
落ち込む渚と話して、ゲームをして。
最強カレーを作って。
補習を受けて。
そして……また、渚と話して。
いくつか思い返すだけでも、内容はかなり濃いものと言えるだろう。
記憶には……ちゃんと残っている。
俺は……呟くように答えた。
「ああ……楽しかったよ」
「……そっか、それなら俺も安心だ」
バスは、俺たちを乗せて帰っていく。
いつもの日常へと――帰っていく。