第63.5話 渚留衣は――【中編】
いつもヘラヘラしてて、ふざけてて、うるさくて。
だけど言葉にできない『不気味』さを感じる。
それが……青葉昴という男子に抱いた印象だった。
× × ×
「昴って──『おかしい』だろ」
耳を疑った。
『おかしい』。
一番の親友である朝陽君からのその言葉に。
最も予想していなかった人物からのその言葉に。
わたしは――耳を疑った。
なにも言えず……ただ呆然とするわたしに、朝陽君は話を続ける。
「君は昨夜、昴と話したんだよね?」
「……うん」
「アイツが今日、渚さんを見る目が一瞬いつもと違った気がしたんだ」
見る目が……違った?
それに一瞬って……。
わたしからはいつも通りに見えたけど……。
不自然なほど、『いつも通り』で晴香たちも疑問に思っていなかったはずだ。
朝陽君には……青葉とわたしはどう見えていたの?
「それに君は寝ていないって言ってたよね。その理由に昴が関係してるんじゃない? これは俺の推測でしかないけど……」
図星だった。
なにも……言い返すことができなかった。
わたしはただ……黙って、俯くことしかできない。
この状況での沈黙は、イエスと言っているようなものだった。
「……あのさ、渚さん。君から見た昴は……どんなヤツ?」
「わたしから見た、青葉?」
「そう。君が知っている昴ってどんな人間?」
その質問にどんな意図があるのかは分からない。
けれど……なんとなく、答えたほうがいい気がした。
わたしから見た……青葉昴。
モヤモヤとする気持ちを抱きながら……わたしはアイツの顔を思い浮かべる。
「うるさい」
「うんうん」
「うざい」
「……うんうん」
「無駄にうるさい。ヘラヘラしてる」
「う、うんうん……」
朝陽君が苦笑いを浮かべる。
別に嘘は言っていない。
思ったことをそのまま伝えているだけだ。
「だけど……ビックリするくらい、人の感情に敏感で。みんなを……盛り上げてくれる」
その理由は……朝陽君という存在が大きいのだろう。
朝陽君が関係しているか、していないか。
青葉の中で最も重要なのは恐らく……そこだから。
「……うん、そうだね。間違ってないと思うよ」
わたしの答えに、朝陽君は頷く。
そのまま微笑んで、わたしの言葉を引き継いだ。
「いつもバカみたいに騒いで、笑って、盛り上げ上手で。それでいて肝心なときにはビシッとキメてくれる。これが多分……君たちが思う昴なんだと思う。そうじゃない?」
「うん。そうだと……思う」
朝陽君の言ったことはその通りだった。
わたしが……わたしたちが抱いている青葉の印象はそんな感じだろう。
去年から知っている、青葉昴という男子だ。
幼馴染の朝陽君だからこそ、それは最も深く理解しているはず――
……なんだけど。
青葉のことを話すその表情は……どこか納得がいっていない顔だった。
「……でもね、渚さん」
「……?」
「アイツは――昔はそんなヤツじゃなかったんだよ。むしろ、正反対だった」
え――?
素直に驚いた。
そんなヤツじゃなかったって……どういうこと?
「わがままで、身勝手で、不愛想で、いつも他人を見下している。自分が誰よりも優れた人間だって信じて疑わない。それが……俺が出会った青葉昴って男なんだ」
「うそ……」
「ははっ、信じられないだろ? 今のアイツからは想像できないだろ?」
朝陽君の言葉を否定するわけじゃないけど、微塵も想像できなかった。
できないけど……ここで朝陽君が嘘を言う理由は一つもない。
わがまま。身勝手。不愛想。他人を見下す。
わたしたちが知る青葉とは……全然別人だった。
これ、青葉の話……なんだよね?
実は違う人の話でしたってオチじゃないよね。うん。
「俺はアイツと長い付き合いだけど……決して出会ったときから仲が良かったわけじゃない。むしろ……仲は最悪だった」
いつも楽しそうに話している二人の姿が思い浮かぶ。
見ているだけで二人が親友だということが伝わってくる。
あんなに仲が良いのに、昔はそんなことなかったの?
「最悪……?」と問いかけるわたしに、朝陽君は頷いた。
「アイツは俺を嫌っていたし。俺も……アイツのことは好きじゃなかった。好き勝手して周りを困らせるアイツが……好きじゃなかった」
「今も十分好き勝手してると思うけど」
「いやいや、今とは比べ物にならないよ。それにあの頃の好き勝手は……みんなを不快にさせるものだった」
話している内容はなかなか酷なものではあるが、過去を懐かしむように朝陽君は笑った。
わたしはただ……その話を理解することで精一杯だった。
あまりにも……わたしが知っている二人とはかけ離れているから。
「……全然想像できない。てっきり二人はずっと仲良しだと思ってた」
「だよね。最初はまぁ……ホントに仲悪くてさ。楽しい会話……なんて一回もしたことなかったよ」
「で、でもどうして今はそんなに仲良しなの? 朝陽君が言っているような要素まったくないけど……」
「――まぁ、《いろいろ》あってさ」
いろいろ。
その単純な言葉に、いったいどれだけの『記憶』が詰まっているのだろう。
どれだけの『想い』が詰まっているのだろう。
きっとわたしには到底考えられないほどの……『いろいろ』なのだろう。
いつか……それを知る日は来るのかな。
「徐々に徐々に……アイツは、君たちが知る昴になっていった。中学に上がった頃にはもう……すっかりあんな感じだよ」
「そう……だったんだ」
「別にそれ自体は嫌じゃないんだ。俺は今の昴のほうが好きだしね。一緒に居て楽しいし」
「だけど……」と朝陽君は悲しそうな顔で、空を仰いだ。
「アイツは多分……変わっていく過程のどこかで、『自分』ってものをどこかに落としてきたんだと思う」
「……自分?」
「切り捨てて、削って、壊して、捨て去って……。そうして完成したのが……今の『青葉昴』なんだと思ってる」
思わず口元をキュッと結ぶ。
――ゾッとした。
アイツは『アイツ』なるために……なにをしたの?
なにを捨てて……なにを壊してきたの?
なにをすれば――
あんな風に『空っぽ』な目になるの?
考えれば考えるほど……ゾッとする。
アイツはいったいなんで……それほどまで――
「朝陽君は……」
「ん?」
空を仰いでいた朝陽君がこちらを向く。
わたしは……俯いたまま小さな声で話した。
「そこまで分かってて……青葉となにも話さなかったの?」
「あー……やっぱりそこは疑問に思うよね。ずっと一緒に居てお前なにやってんの……って」
「ご、ごめん。別にその、責めてるとかじゃなくて……」
「分かってるよ。俺も渚さんの立場だったら同じことを聞くだろうし」
幼馴染として、親友として、幼いころからずっと青葉を見てきた。
そして……変わっていく過程を見てきたはずだ。
そんなアイツを……朝陽君が放っておくはずがないって思った。
気付いていながらも放置をするなんてことは、ありえないって。
「一回、話したことがあるんだ。お前はなにを抱えてるんだ、お前はなんでそうなったのか、俺を頼ってくれないのか……って。そんな感じで聞いたことがあってさ」
「うん」
やっぱり、朝陽君なりに青葉と話をしていたんだ。
朝陽君は呆れたようにため息をついて話す。
「そしたらアイツ……なんて言ったと思う?」
「……なんだろう」
「『え? なんの話?』――って、笑顔で言ったんだ。張り付いたような笑顔で……そう、言ったんだよ」
「朝陽君……」
朝陽君の声は、いつもより元気が無かった。
それだけ彼にとって青葉は大きな存在なのだろう。
「それを見て思った。あぁ、これは俺じゃダメなんだって。俺では……昴の心を揺らすことはできても、触れることはできないって」
揺らすことはできても、触れることはできない。
なんとも抽象的で……けれど、的を射た言葉だと思った。
青葉が変わったきっかけは……間違いなく朝陽君にある。
でなければ、あんなに朝陽君に固執するはずがない。
その朝陽君の言葉だからこそ……尚更――届かないのだろう。
最も近い人間だからこそ……最も届かない。
最も近い距離だからこそ……最も遠い。
触れることは……とてつもなく難しい。
「もちろん、諦めたわけじゃないぞ? あんなヤツだけど、俺にとってはたった一人の親友だし。昔はともかく、俺は昴が好きだからね」
そう言って笑う朝陽君の顔は楽しそうで、本当に青葉のことが好きなのだと伝わって来た。
「だから俺は……一生、アイツと関わり続けるよ。俺なりのやり方でさ」
どれだけ覚悟がいるのだろう。
変わってしまった親友を、自分では変えることができない親友を……想い続けるのは。
どれだけの……強い覚悟がいるのだろう。
仮に、晴香が青葉だったら。
わたしが朝陽君だったら。
同じことを……笑顔で言えるだろうか。
本当に。
本当に難しい問題だと……思う。
「……どうしてその話をわたしに?」
これまで聞いた話は、恐らく朝陽君しか知らない特別なことだ。
きっと川咲さんや志乃さんだって……あの様子を見ていると、知らない話なんだと思う。
そんな大事な話を。
わたしたちの関係を変えかねない……大事な話を。
どうしてわたしに話したのだろう。
わたしなんかに……どうして……。
「渚さんはさ……昴に対して怒ってたよね?」
「怒ってた……?」
「アイツが補習って知ったとき……君は戸惑うんじゃなくて、本気で怒ってた。あんな君、初めて見たよ」
「それは……そう、だけど」
真っ先に湧き出てきたのは『怒り』だった。
これまでのアイツの行動が……すべて繋がったから。
戸惑いとか、そういうのより真っ先に……アイツに対しての『怒り』が湧き出てきた。
その結果が……アレだ。
わたしの行動が正しかったのかどうかは……分からない。
あのとき青葉のところに行っても、行かなくても……なにも変わらなかったかもしれない。
わたしである必要も……なかったかもしれないんだから。
「俺はあのとき、嬉しかったんだよ」
「嬉しい……? え、どうして?」
「今まで、昴に対してあんなに感情を向けてくれる子なんていなかったから」
言葉通り、朝陽君は嬉しそうに話をしている。
考えてみれば、晴香はわたしを呼び止めようとしてたけど……朝陽君は違った。
わたしじゃなくて……むしろ晴香を止めていた。
晴香になにを言っていたのかは聞こえなかったけど……。
なにも聞かないで……わたしを行かせてくれた。
「怒りでも、憎悪でも、なんでもいいんだ。そこまで昴に強い感情を向けてくれたことが……嬉しかった。昴を『見て』くれる子がいて……嬉しかった」
そんなことを言われても……わたしは喜べない。
だって。
「……わたしは、なにもできなかった。話したけど……なにも届かなくて。怖くて……逃げたんだよ?」
「だからこそ、だよ」
「え……?」
「君の言う通り、最後には逃げたのかもしれない。なにも届けられなかったのかもしれない」
「……うん」
そう。
わたしには、なにも――
「だけど君は――本気で昴と向き合おうとしたんじゃないの?」
――。
その言葉にわたしは息を呑む。
ずっと俯いていた顔を上げて、隣に立つ朝陽君を見つめた。
フッと笑い、朝陽君はわたしに優しい目を向けている。
「あの歪さを目の当たりにして恐怖心を抱いた。それでも君は本気でアイツの『言葉』を……『想い』を聞こうと思ったんじゃないの?」
微笑んで、首をかしげる。
その瞳から……目が離せなかった。
わたしが――?
わたし、は。
思考が纏まらない。
朝陽君の言葉が……頭に響く。
わたしは。
青葉と……向き合おうと――
「そんな君だから、俺はこうしてアイツの話をした。君なら、渚留衣ならきっと――」
……買いかぶり過ぎだ。
あのときはたまたま、わたしが青葉の思惑に気が付いたからで――
わたしじゃなくてもいい。
むしろわたしじゃないほうが……上手くいく。
アイツはわたしのことなんてどうでもいいんだから。
わたしも、アイツのことなんて……嫌いなんだから。
だったら、わたしじゃなくても――
それなのに……なんで。
なんで。
「青葉昴に『触れる』ことができる。『見つける』ことができる。──そう、思ったから」
――『よっ、お姉さん。なにか嫌なことでもあったのかい?』
――『次はきっと……上手くいく。だから』
――『自分の気持ちを疑うな。お前のそれは……過ちじゃない』
あんたはわたしの心を……こんなにかき乱すの――?