第40話 青葉昴は勉強したくない
「つまり! これがこうなるから……こう! こうなって、こう! どうだ見ろ野郎ども!!」
昼の自習時間にて。
授業を受けたときと同じ大会議室に集まり、班ごとに自習を行っていた。
この自習時間は『個人学習』ではなく『教え合い』を最重要視しているため、勉強時間にも関わらずガヤガヤとした雰囲気に包まれている。
といっても楽し気なものではなく、真剣なガヤガヤ感だが。
真剣なガヤガヤってよく分かんねぇな。
テーブルをくっ付け、それぞれの班員は向き合うようにして座っている。
それで現在、左端に座る俺は隣に座る男子二人組にとっておきの『教え』を施していた。
「おぉ……! すげぇ青葉……」
「これは見事だ……」
広田と大浦に関心され、俺はフッと自慢げにほほ笑む。
魅せちまったか……俺様の『力』ってやつを……。
「ねぇねぇ。盛り上がってるけど……三人はなんの勉強してるの?」
月ノ瀬と一緒に前に座っていた蓮見が、ニコニコしながら俺たちが見ている教科書を覗き込んできた。
あ、やべっ。
俺はとっさに教科書を隠そうとしたが……時すでに遅し。
蓮見は俺の教科書を見て顔をひきつらせた。
「あ、あの……青葉くん? これってー……」
「フッ、バレちまったなら仕方ねぇ……」
俺は教科書を持ち上げて、蓮見に堂々と見せつける。
ドドン!
「見よ! 俺の特技の一つ、どんな歴史的人物でもセンター分け陽キャに変身させる落書き術――」
「ちゃんと勉強しなさい!」
「いてっ!」
バシッと頭をノートで引っ叩かれる。
気が付くと、いつの間にか月ノ瀬がノートを丸めて俺たちの後ろに立っていた。
表情こそ笑顔だが、明らかに目元は笑っていない。
せっかく人が最強の落書き術を伝授していたのに……。
俺の手にかかれば、例えあの正岡子規だってイケイケ陽キャ大学生に変身させられるのである。
どしたん? 話聞こか?
ってかおい。待てよ。
「なんで俺だけなんだよ? 野郎どもだって――」
ふざけていたのは俺だけではない。
ここは三人で平等に叩かれるべきだ。
俺は不満MAXの表情で隣を見る……が、しかし。
「そうそう、つまりここで使わないといけない公式はだな……」
「ほうほう。さっすがトシ。なかなかやるじゃねぇか……」
………。
めちゃめちゃ勉強してるっ!
さっきまで俺と一緒にキャッキャしてたのにっ!
「おめぇら裏切ったなオイ!」
俺が声をかけると、二人ともこちらを向く。
まるで俺の言っていることが分からないかのように、眉をひそめて首をかしげた。
「おい青葉……さすがにちゃんと勉強しとけ?」
「うむ。補習になっても知らんぞ」
こ、こいつら……!
月ノ瀬が怖いからってこの野郎……!
わなわなと沸き上がる怒りに手が震える。
その怒りをどこかにぶつける……前に、俺の肩に丸まったノートが乗せられた。
ひえっ――。
背後からそれはもう……恐ろしい圧を感じる。
振り向くとそこには……。
「野郎どもが――なんだって?」
夜叉がいた。
「さ、さーせん月ノ瀬の姉御! 大人しく勉強しやす!」
おかしい。
いつもだったらそのポジションは渚だから今回は自由に遊べると思ったのに。
おかしい。
鬼だの夜叉だのなんなの? 妖怪学校なの?
「誰が姉御よ。はぁ……まったく。留衣の苦労が少し分かった気がするわ」
「ハッハッハ! そいつは良かったな!」
「は? なに?」
「いえなんでもないです。ホント迷惑かけてすんません。勉強しゃす。うす」
こえぇ……。
やっぱコイツら無理だわ。怖いわ。
あーもう怒った。
この怒りは帰ったあと日向で発散しよう。今決めた。弄り倒してやろう。
アイツいつも俺に弄られてるな。かわいそうに。
月ノ瀬はため息をついて自分の席に戻っていく。
えぇ……勉強しないとダメなのぉ……?
周りはめっちゃ勉強してるんだから、一人くらい落書きしててもバレないって。
この自習時間が夜もあるって考えたら結構苦痛だな……マジで……。
「広田、大浦。なにか分からなかったら遠慮なく聞いてね。もちろん晴香も」
「お、おお……! 月ノ瀬さんマジ神!」
「助かる」
「あ、うん。ありがとう! 頼りになるなぁ」
月ノ瀬は転校生でありながらも、間違いなくクラスで一番頭がいい。
そんなヤツと一緒の班である以上、この自習の時間は実質勝ちと言っても過言ではない。
実際、月ノ瀬の教えるスキルの高さは身をもって経験しているし……。
心強いことは事実だ。
……あれ? というか月ノ瀬さっきなんて言ってた?
広田、大浦、晴香って言ってたよな?
「えっと……月ノ瀬さん? 俺の名前が聞こえなかったんですけど……」
「アンタは一人でできるでしょ」
「あ、はい……」
うーーーん。その言葉はどの意味でかなぁ?
一人でもちゃんと勉強できるから教えることはない、なのか。
アンタに教える気はないから勝手にやりなさい、なのか。
アンタが好きで恥ずかしいから教えられない、なのか。
俺的には三つ目の選択肢がありえると思うんだけど……どうっすか?
え、絶対ないって? うん知ってる。
しゃあねぇなぁ……。
適当に国語の勉強でもするかなぁ……。
俺は問題集をパラパラとめくり、形だけでも勉強の姿勢をとった。
「えー、なになに? 文章問題……? とりあえず文章を読んでいくかぁ」
ほかの四人がそれぞれ勉強を教え合っている間、俺はブツブツと文章を口にする。
「ある日、都会から田舎に帰った男は道端で真っ黒の『とろりんぽ』と遭遇する……と、ふむふむ。男は『とろりんぽ』と交流も深めるも、暗くなると同時にその姿は消えていってしまった……ほぇー」
なるほどなるほど。
んでんで?
「実家に帰って母親に聞いてみるも、『とろりんぽ』はこのあたりで出ないようで……。もし遭遇したとしたら……それはとても珍しいことのようだ」
ふむふむ。
「男は言った。あんなに真っ黒な『とろりんぽ』は初めて見た。それなら明日はいいことあるかな? しかし……その瞬間、母親の表情が一変した。顔を真っ青にして男を見ていた」
「……」
「……」
ん? なんか蓮見たちこっち見てないか?
……と思ったが、そんなことはなかった。
それぞれノートに視線を落としていたし。
俺の気のせいだったようだ。
どれどれ……続きは、と。
「あんたが見た『とろりんぽ』は真っ黒だったのかい? 男は頷いた。それがどうしたの? と」
「……れ、玲ちゃん」
「……シッ」
……?
「すると母親の顔色はみるみるうちに悪くなっていた。肩を震わせ、歯をガタガタを鳴らし……まるで化物を見るかのように、息子である男に恐怖の目を向けた」
これはこれは……。
俺はごくりと唾をのみ込む。
「母親はゆっくりと……震える手で男を指さした。そして口にした。あんたの後ろ……後ろ……後ろ……。気が付けばその目は虚ろになっていた」
「…………」
「わけが分からない男は後ろを振り向いた。そして、男の目に飛び込んできたのは――」
パタン、とそこで俺は問題集を閉じた。
「飽きたから世界史でもやろーっと」
「「「「とろりんぽはー!?」」」」
「おおう!?」
突然の班員の叫びに俺は思わず席を立つ。
え、なに? 怖いんだけど。
「青葉くん!」
蓮見がなにかを訴えるように俺の名前を呼ぶ。
「な、なんだよみんなして……なんかあったの?」
「とろりんぽってなに!? 結局どうなったの!?」
「そ、そうよ! 同じ問題集だから探してみたけどそんな文章問題なかったわよ!? とろりんぽってなに!?」
蓮見と月ノ瀬の言葉に、男子二名も凄い勢いで頷いていた。
なんだコイツら。
さっきからなに言ってんだ?
――なんて、冗談は置いておいて。
くくっ……なんか笑えてきたな。
まさか、勉強したくないがために作った適当な話にこんなに食いついてくるなんて……。
途中から明らかに聞き耳たててたもんなぁ。
愉快なヤツらめ。
せっかくだからもう少し楽しむとしよう。
「い、いやお前ら……勉強しろよ。俺に散々言ってきたくせに……」
俺はドン引きの表情でそう言い、椅子に座りなおす。
「コイツらなに言ってるんだろう……」と首かしげもセットで。
「いやいやいや! とろりんぽが気になって勉強できねーから!」
「そうだぞ。真っ黒のとろりんぽってなんなんだ? 男は結局どうなったんだ?」
むしろ俺が聞きたい。
適当な話だからオチも考えてないし。
「じゃ、俺世界史やってるから……なんかあったら言ってな」
「「「「とろりんぽはー!?」」」」
コイツらもうダメかもしれねぇ。
結局青葉班はまともに自習できなかったとさ。
めでたしめでたし。
× × ×
「昴のヤツ……まーたふざけてみんなの邪魔してるなぁアレ」
「はぁ……ホントにね。晴香と月ノ瀬さんは一回本気で怒ってもいいと思う」