青葉家の物語はきっと、この先も賑やかに紡がれていく
――夢を見た。
間違いなく、夢だと言い切れる。
なぜならば。
もう、二度と会えないあの人に……もう一度会えたのだから。
× × ×
「――昴」
名前を呼ぶ声が聞こえた。
優しくて、落ち着いた……耳に心地いい声だ。
オレはこの声を知っている。
「ん……」
まどろんでいた意識が、ゆっくりと覚めていく。
たしかオレは学校から帰ってきて、リビングの椅子でスマホゲーしてて……。
そのまま寝――
「昴、大丈夫か?」
再び聞こえたその声に、オレは勢いよく身を起こして周囲を見回した。
場所は慣れ親しんだ我が家のリビング。
どうやら、スマホゲーで遊んだまま寝落ちしてしまったらしい。
寝落ちなんて久々にしたな……。
ハッキリとしてくる意識の中、オレは目を擦って視線を前に戻した。
――その瞬間。
「え」
自分でも驚くくらい――困惑した『え』だった。
「あぁ、やっと目が合ったな」
《《いつの間にか》》目の前の座っていた『男性』が、安心したように笑みをこぼした。
何度か聞こえていたオレを呼ぶ声は、きっとこの人のものだろう。
――いや待て。声?
今はそんなこと重要じゃない。
「なん……で……」
絞り出すような声で、オレは男性に向かって言葉を投げかける。
鼓動が速くなる。
頭が理解を拒む。
グラグラと視界が揺れる。
この家にいるはずのない、その人。
もう二度と会えるはずがない、その人。
だけど――
最初からずっと家にいたかのように、なんの違和感もなく馴染んでいるその人。
「なんでって、そんなの決まってるだろう?」
「え……?」
オレとは対照的に冷静な表情で、その人は口にした。
「僕は昴の父親だぞ?」
父親。
オレそっくりの灰色の髪。
線が細く、あまり健康には見えない身体。
弱々しいが、それでも優しい光を宿す黒の瞳。
――記憶の中に残る、数多くの思い出が一気に頭を過ぎる。
この顔を見ただけで、胸がギュッと締め付けられる。
あぁ、夢だ。
これは間違いなく、夢だ。
そう、分かっているのに。
頭では理解しているのに。
それでも――
「父……さん」
オレの頬に一筋の涙が伝った。
青葉隼。
すでに亡くなっているはずの父親が、目の前に座っていたのだ。
あの頃となにも変わらない姿のままで。
だからこそ夢だ。
これは、夢なのだ。
「急に泣いてどうしたんだ? 父さんに会えてそんなに嬉しいのか?」
「っ……ちげぇっつの。これはただ……アレだ。目からビームを出す準備をしてただけだし」
「そうかそうか。それはすごいな」
しょうもない冗談に、その人……父さんは微笑んだ。
間違いない。
この声、この顔、この雰囲気……絶対に父さんだ。
間違えるはずがない。
視線を下げ、オレは袖で目元を拭う。
こんな情けない姿、見せていられない。
「それにしても、昴は大きくなったな。もう僕より身長が高いんじゃないか?」
「……おうよ。もうとっくに父さんを超えてるよ。なんなら、来年には二メートルくらいまで伸びる勢いだぜ」
身体が弱いせいか、父さんはそこまで身長が高かったわけじゃない。
とはいえ、ガキの頃はオレよりもずっと大きかったのに……。
いつの間にか追い越してしまっていた事実に、時間の流れを感じた。
この人の時間はもう……止まってるんだよな。
あの頃からなにも変わらない姿が、その切ない事実を物語っていた。
そう思ってしまった瞬間、胸が痛くなる。
「……おかしいな。僕の息子なのにそんなに身長が伸びるはずがない。……実は僕の子じゃないのか?」
「おいコラ父親」
「冗談だ。昴は正真正銘、僕の息子だ」
「分かればよろしい」
「本当に……大きくなったな、昴」
「……ああ」
オレを見る表情は、まさに父親の優しい表情で……。
息子の……オレの成長を本当に喜んでいるのだと分かる。
「花とは上手くやれてる? 喧嘩はしてないか?」
余計なことは考えるな。
これは夢なんだ。
今はただ、目の前にいる父さんとの会話に集中しろ。
気持ちを抑えるようにテーブルの下で拳をグッと握り、父さんの質問に対してため息をついた。
「母さんなぁ……ほんっと毎日自由人過ぎて困ってるよ。目を離したら、なにやらかすか分かったもんじゃない」
「ははっ、どうやら上手くやってるようだね」
「あの年になっても、まだ元気が有り余ってるんだぜ? 父さんの気持ち、今ならよく分かるわ」
母さんがふざけ倒して、父さんがそれを呆れたように返して。
当時はよく見た……あの光景。
今なら、父さんが呆れていた理由もよく分かるぜ。マジで。
「でも、それが花のいいところだからね。むしろ、元気がない花なんて見たくないだろう?」
「それはまぁ……たしかに?」
これに関しては父さんの言う通りである。
あの母さんが大人しくしてたら、心の底から心配するレベル。
病気かなにかを疑って、速攻で病院に連れて行くもんね。
あの底無しのハイテンション具合こそ、青葉花の良さと言えるだろう。
オレが頷いていると、父さんがなにかを思い出したように「あっ」と声をあげた。
「ちなみに昴、料理のほうは――」
「そこはバッチリだぜ」
グッとサムズアップ。
「なんかちょくちょくキッチンに立とうとしてるけど、そのたびに全力で阻止してる。この家が滅びかねないし」
挑戦心を潰すな、とか。
だからいつまで経っても料理できないんじゃ? とか。
いろいろ思うことはあるだろうけど。
――そのために家を無くす覚悟はあるのか? オレはない!!! 無理だね!!!
「さすがは僕の息子だ。その様子だと、料理の腕も問題なさそうだね」
「まだ父さんには遠く及ばないけどな。昴シェフはまだまだ成長中だぜ」
「それにしても『あの年』……か」
父さんが目を伏せる。
複雑そうな表情を前に、オレは首をかしげた。
「当たり前だけど、僕がいなくなってからも……花は年を重ねてるんだよね」
時が進めば年齢も増えていく。
当たり前のことなのに、なんだかとても寂しい言葉に聞こえてしまった。
父さんが亡くなってから……約十年が経過している。
同い年だったはずの二人の間に、それだけの年の差ができてしまっているのだ。
こみあげてくるものを抑えて、オレはただニッと笑う。
「……年齢だけだけどな。見た目もそうだし、中身も若過ぎるぞ? そこらへんの若者にだって負けてない」
「元気があり過ぎるのも困るけど……花はそれでいいよ。彼女には、いつまでも元気でいてほしいから。……でも」
「……でも?」
「僕の存在が、まだどこかで彼女を縛ってしまっているとしたら──」
「安心しろよ父さん。そんな要素は微塵も感じねぇから」
遮るように言ったオレの言葉に、父さんの黒い瞳が揺らいだ。
なにを言おうとしていたのかなんて、すぐ分かる。
だからこそ、それ以上は言わせない。
「そうなのか……?」
「ああ」
あんたがいなくなったあの日、ずっと泣いていた母さんをオレは見ていた。
あんなに泣いていた母さんを見たのは初めてだった。
そして、それからはたった一人の家族として、バカ息子であるオレとずっと向き合おうとしてきた。
いろいろなことを話して、いろいろな時間を共有してきた。
そんなオレだから分かることを……ここで教えてやるとしよう。
もう二度と、父さんが不安にならないように。
「知ってるか? 母さんって、父さんのこと超大好きなんだぜ? 離れてしまっても……会えなくなっても、あの人にとって最愛の人はあんたのままだ」
「僕のまま……?」
「ああ。縛られるとか、囚われるとか、そんなのじゃねぇ。あの人はあの人の意思で、あんたのことをずっと想ってるんだ。だから……そんなこと言うなよ」
「そう……か。息子からそんなことを言われるなんて、少し恥ずかしいね」
「んでもって、それはオレも変わらねぇ。青葉隼は、オレにとってずっと最高の父親だよ」
「昴……」
最愛の人を失う苦しさを、オレは分からない。
でも、大事な家族を失う苦しさはよく分かる。
十年にも満たない時間だったとしても、青葉隼は青葉昴にとって最高の父親だった。
そして青葉花にとって、最愛の夫だった。
その事実は、未来永劫変わることがない『確かなもの』なのだ。
「……ありがとう、昴。あんなに生意気だったのに……本当に成長したんだな」
「ふっふっふ、成長期だからな!」
「そういうすぐ調子乗るところも、母親そっくりだね」
「……それ褒めてる?」
「褒めてる」
ならいいだろう。
あまり褒め言葉に聞こえないけど。
……母親そっくり、か。
オレは場の雰囲気を変えるように咳払いをしたあと、改めて父さんの姿を見た。
母さんが選んだ、世界にたった一人の男。
その逆もまた然り。
そこでふと、頭の中にひとつの疑問が浮かんだ。
「……なぁ、父さん」
「なんだ?」
「父さんはどうして……母さんを好きになったんだ?」
親のそういう話なんて、子供の頃はまったく興味がなかった。
だけど今だからこそ、聞いてみたいと思ってしまった。
「……おやおや、昴もそういうことが気になる年頃か?」
「そんなんじゃねぇっつの。好奇心だよ」
「僕が花を好きになった理由……か」
両親の昔の話は詳しく知らない。
理由は単純、オレ自身が知ろうとしていなかったから。
きっと、母さんに聞けばたくさん聞かせてくれるんだろうけど。
今は同じ男である父さんの視点で、母さんのことを聞きたかった。
「――花はね、僕の世界に色を与えてくれたんだ」
過去を懐かしむように目を細めて。
父さんは、明るい声音で話し始める。
「色?」
「そう、色」
まだピンとは来ないけど、なんだか父さんらしい言葉選びだと思った。
いちいち口を挟むのも野暮であるため、オレは話の続きを待つ。
「まだ昴くらいの年齢のとき、僕の世界は灰色だった。ただ時間の流れに身を任せて、流れるままに毎日を過ごす……そんな灰色の毎日だった。僕の心には、ぽっかりと穴が空いていたんだ」
「……そうだったんだ」
「僕はこれでいい。僕にはこれが相応しいって、ずっと思ってた。灰色の世界で、この先も生きていくんだろう……と」
「ほーん。父さんにもそんな時期があったのか」
「あったよ。どうして自分が生きているのか分からないくらいに……ね。いろいろなことを諦めてた」
オレと同じくらいの年齢……っていうと高校生くらいのときだよな。
二人の出会いが高校時代ということは知っている。
父さんは当時なにを思い、なにを抱えて……その灰色の世界で生きてきたのだろう。
「そんなつまらない僕に、花だけは関わり続けてくれたんだ」
『色』を与えてくれた存在との出会い。
父さんはそのとき、なにを感じたのだろう。
その色は、父さんになにをもたらしたのだろうか。
「うるさくて、身勝手で、適当で……。僕の事情なんて関係なしに土足で踏み込んでくる。出会ったときから、ずっとね」
「……おーおー、まさに母さんって感じだな」
うるさくて、身勝手で、適当で。
――なんだか、聞き馴染みのある言葉だった。
「そうだろう? それに出会ったときから、花は僕に対してずっと『あること』を言ってきた。なんだと思う?」
「え。うーん……『自分が美少女過ぎてつらい! 助けて!』みたいな?」
「あぁ、それなら僕に関係なく毎日似たようなことを言ってたよ」
「……おぉう」
……なんだろう。これが親子ってやつかな。
オレも毎日そんなことばかり言ってるせいか、いたたまれない気持ちになってきた。
とはいえ、実際なにを言われたんだ?
うーむ。
オレが答えを分かっていないことを悟ると、父さんはふっと笑みをこぼした。
「『私は青葉くんのことが嫌い。嫌いだから理解りたい』──って。おかしいだろ? そんなこと生まれて初めて言われたよ」
「…………」
「そのうえで、花は最後に言うんだ。『君は私の友達だから。君を助けたいから』って」
なにも言えなかった。
おかしな話だと、笑い飛ばせなかった。
オレはその言葉を知っているから。
何度も何度も伝えられてきた言葉だから。
――『わたしはあんたが嫌い。だから理解りたい』
――『私は昴さんを支えたい。助けたいって思ってます』
「僕自身、本当に理解できなかったよ。なんでこんな僕を友達だと言うんだろう。なんで僕と関わろうとするんだろう。心の底から……分からなかった」
どうしてオレと関わろうとする。
どうしてオレを理解しようとする。
友達だなんて――堂々と言い切る。
それが本当に分からなくて。
何度も何度も……オレの前に立ちはだかった。
「分からないなりに、彼女と時間を共にして……。気付けば僕自身が『日野森花』という存在を知りたいと思っていた。彼女が歩む道を、共に歩みたいと思うようになっていた」
日野森花。
母さんの旧姓だ。
「自分の価値も分からなくて、なにもかもを諦めていた。そんな僕の世界に、彼女が色を与えてくれたんだよ」
分からないことばかりでも、少しずつ前に進んだ。
無価値な自分に関わろうとする人を、今度は知りたいと思うようになった。
……あぁ、くそ。
めちゃめちゃ分かる。
分かってしまうんだ。
父さんの気持ちが。
「……なるほど」
動揺を見せないように努めて、オレは頷いた。
「つまり? 端的に言えば、父さんは母さんに落とされたってわけだな?」
「落とされたって……。ま、まぁそうだね。自分で話してて恥ずかしくなってきたよ」
母さん自身がよく言っていた。
隼くんを落とすのは大変だった――と。
恐らく、相当な時間と覚悟を費やして父さんと向き合い続けてきたのだろう。
だからこそ、日野森花は青葉隼の手を取ることができたのだ。
「あまりにも適当だったり、掃除しなかったり、サボろうとしたり……大変だったことも多いけどね」
「あー……うん。それはマジでお疲れ様って感じだわ」
「でも、ずっと楽しかったよ。彼女と出会ってからの毎日は、僕にとって刺激的で……宝物だった」
「本人が聞いたら泣いて喜ぶだろうな」
灰色の世界に、色をもたらしてくれた存在。
嫌いだと。
理解りたいのだと。
助けたいのだと。
自分に価値を与え、そばで支えてくれた存在。
それが――二人の原点。
「サンキュー父さん、聞けてよかったよ。ガキの頃だったら、こんな質問できないからな」
「花と出会えてなかったら、こうして昴と出会うこともできなかったからね。だから――産まれてきてくれてありがとう、昴」
「……おう」
ずっとずっと、父さんの声は優しくて。
その声で『ありがとう』は……ズルいだろ。
「僕の話はしたし……。それじゃあ、次は昴の話を聞こうかな?」
「んぇ?」
「好きな子はできたのか?」
「おい。急に親みたいなこと聞くじゃねぇか。緩急どうなってんだ」
なんだよこの怒涛の展開は。
さっきまでしんみりとした雰囲気だったじゃねぇか。
「親だからね。どうなんだ? 昴ももう高三だし、そういう話をしてもおかしくないだろう?」
「……ちなみに黙秘権は?」
「無し」
「ですよねー」
こういう展開、身に覚えがあり過ぎる。
「だって今聞けないと、次にいつ聞けるか分からないからね」
「ぐっ……それを言われたらなにも言えねぇ」
「別に好きな人じゃなくてもいい。友達や……大事にしたいと思う人はできた?」
親とこういう話をするのは、変な感じがしてこそばゆい。
だけど……父さんが安心してくれるのなら正直に話そう。
父さんの言う通り、次にいつ話せるか分からないから。
「……そう、だな」
息を吐き、オレは真剣に父さんを見つめる。
嘘偽りなく……答えようじゃねぇの。
「――できたよ。『友達』も『大事にしたいと思う人』も」
オレの答えに、父さんの口角が上がる。
「へぇ、てっきり僕に似て友達がいないのかと思ってたよ」
「失礼すぎるぞ、この父親」
「ちなみにそれって男の子? それとも女の子?」
「……ぐいぐい来るじゃん」
「楽しくなってきちゃってね。息子の恋愛事情を聞くのって、こんなに楽しかったのか」
「もう恋愛事情って言っちゃってるし」
まさか父さんとこんな話をする日がくるなんて。
嬉しいような、複雑なような……。
「昴にはどういう子が似合うかなぁ……」
「勝手に話も進めちゃったし」
「やっぱり花みたいに、笑顔で寄り添ってくれる女の子かな?」
――笑顔で寄り添ってくれる。
頭に過ぎるのは、太陽みたいにあたたかい少女。
「それとも、ビシッと言うべきことを伝えてくれて、対等な立場で一緒に歩いてくれる子かな」
――言うべきことを伝えてくれて、対等な立場で一緒に歩いてくれる。
頭に過ぎるのは、何度拒まれようとオレを友達だと言い続けてきた少女。
「あとは……そうだな。余裕をもっていて、昴を見守ってくれる大人っぽい子とか?」
――余裕をもっていて、昴を見守ってくれる。
頭に過ぎるのは、常に予想外な行動でオレを驚かせてきた不思議な存在。
なにも具体的なことは言われていないのに、彼女たちの顔が思い浮かんでしまった。
それだけオレは……彼女たちの存在を心に刻んでしまっているのだろう。
「選択肢ありすぎるだろ。つーかそれ……全部母さんのことを言ってないか? 最後のはちょっと疑問だけど」
「……バレた?」
「バレバレだわ。ったく……どんだけ母さんのこと好きなんだよ」
去年、母さんとも同じような会話をした気がする。
昴に似合うのは……みたいな。
結局、父さんと似たようなことを言ってたっけ。
「まぁ、例え昴の心の中にいる『その子』がどんな子だとしても……。ひとつだけ言えることは――」
「……言えることは?」
「自分を『見て』くれる人を大切にするんだ」
――『自分を見てくれる人を大切にしなさい』
それも……去年母さんが言っていたことで。
思わず、冗談で返すことができなかった。
「こんなにもたくさんの人間がいる世界で、自分というたった一人を見てくれる人がいるなら……本気でその人を大切にするんだ」
――『世界中に何億って人間がいるなかで、自分というたった一人を見てくれる人がいるのなら……本気でその人を大切にしなさい』
あぁ……そっか。
だからこそ、二人は出会えたんだな。
同じ想いを抱えていたから。
「想いは言葉にしないと伝わらない。失った時間は取り戻せない。……だから昴が生きる今を、昴が大切に思う人たちが生きる今を……全力で生きるんだ」
「全力で……生きる」
「ああ。全力で、だ。きっとこの先、昴は何度も失敗するだろう。何度も躓いて、何度も傷を負うだろう」
ひとつひとつの言葉が、真っ直ぐ心に届く。
オレが大切に思う人たちが生きる今を……全力で生きる。
心に刻み付けて忘れないように、オレは胸に手を当てた。
「それでも、昴は一人じゃない。昴の世界にはたくさんの色で満ちている」
「オレの……世界」
「だから、前を向いて全力で生きるんだ。僕が……青葉隼がそうだったようにね」
父さんも何度も失敗して、躓いて、傷を負って……。
それでも全力で生き続けてきた。
母さんに、オレに……その生き様を見せてくれた。
だったらオレも――
最期まで全力で走り切った青葉隼の息子として、負けていられねぇよな。
「そしていつか、昴が『僕のところ』に来たときはたくさん話してほしい。昴が歩んできた物語をね」
「……二百年分くらいの話になるかもしれないぞ?」
「何年でもいい。僕より長生きしてくれれば、それでいいよ」
「……分かった。父さんみたいに全力で生きて、いつかオレの武勇伝を聞かせまくってやる」
「楽しみにしてる。……なぁ、昴」
「ん?」
少し間をおいて、父さんは再び微笑んだ。
「お前を大事に想ってくれる人たちのこと――好きか?」
「いやいやいや、そりゃもう嫌い過ぎてたまら――」
「は?」
「なんでもないです冗談言いました」
こわ。こわいよ。
一瞬あの鬼様が過ぎったよ。
そういえば……母さんともそんなやり取りをしてたよな。
「えっ……と。正直さ、好きとか嫌いとか……まだそういうの分からねぇんだ」
「うん」
「今までオレは、どうしても叶えたいことがあって……それ以外のことなんて目もくれずに突っ走ってきた」
大事な親友の幸せのため。
それ以外のことなんてどうでもよくて。
アイツ以外の人間なんて一切興味なくて。
それがオレにとって当たり前で、オレが生きる意味そのものだった。
だからこそ、個人に対する『好き嫌い』なんて……二の次だった。
でも……数多くの人間と出会ってきて――
「オレを親友だと言ってくれるヤツ。友達だって言ってくれるヤツ。支えたいって、見届けたいって……そして好きだ――って言ってくれるヤツ」
たくさんの人たちと出会い、話し、さまざまな出来事を共有してきた。
その過程で、何度も何度もぶつかってきた。
「そんな連中と少しずつ向き合いたくて、オレなりになんとか前に進もうとしてる」
「そっか」
「どうしようもないくらいお人好しで、優しいアイツらを……オレは大事にしたいって思ってる。胸を張って……いつか『好きだ』って言いたいと思ってる」
そして、いつかは『彼女』にも――
いや、これはもう少し先のことだな。
「とにかく、オレは『今のオレ』が紡ぎたい物語を全力で描ききるよ。父さんとまた会えるときまでな」
胸を張って、堂々と伝える。
オレ自身の想いを、オレ自身の言葉で。
父さんは嬉しそうに微笑み、ほっと胸を撫で下ろす。
「あぁ……よかった。それを聞けて本当に安心した」
最高の父親に恥じない息子でいるために。
オレはこれからも、オレの物語を届けよう。
「たとえ今は不器用でも、光になれなくても……。時にはみんなを支えて、みんなを守る影にもなれる」
「え?」
「そして、いずれはみんなの中心でひときわ大きな光を放つ。多くの人を繋ぐ架け橋になる」
突然なにを……?
なにを言いたいのか分からないオレに、父さんは言い放った。
「それこそが――お前を『昴』と名付けた理由だ。どうやら間違っていなかったようだね」
すばる……。
オレの名前の――意味。
オレが『昴』である――意味。
たった一文字の漢字に込められた大きな想いを理解して、オレは胸元でグッと拳を握った。
力を込めていないと、余計な気持ちまで溢れてきそうで。
情けねぇぞオレ。
父さんの前だぞ。
言い聞かせるように心の中で繰り返していると――
「――みんな、僕の大切な宝物をよろしく頼むよ」
そう、父さんが呟いた。
「えっ……なに……?」
「さてと。僕はそろそろ行こうかな」
――時間切れ。
椅子から立ち上がる父さんに、オレは手を伸ばす。
でも――届かない。
すぐそこにいるはずなのに、オレの手は父さんを掴むことができなかった。
「ま、待ってくれよ父さん! オレ、まだ父さんと話したいことが――」
「嬉しいな。僕も同じ気持ちだけど……それはまた今度の機会にね」
オレも椅子から立とうとするが、体が思うように動かない。
なにか縛り付けられたように重かった。
こうしている間にも、父さんは少しずつオレから離れていく。
くそっ……動けよ――!
「昴。これからも僕はずっとお前を見守ってるよ」
「……っ」
動こうにも動けなくて。
手を伸ばしてもなにも掴めなくて。
こみ上げる涙をただただこらえながら――
オレは、精一杯の笑顔を浮かべた。
「ああっ……頼もしい限りだぜ……! 母さんのことはオレに任せてくれ! あんたの分まで……そばで守ってるからさ……!」
「うん。それも頼もしい限りだぜってね」
オレの言葉を繰り返すように言い、父さんは笑う。
大好きだった、あの笑顔。
「花にもよろしく伝えておいてくれ。こっちに来るのは、まだまだ先でいいから……って」
「分かった……! 絶対……絶対伝えておく!」
「それじゃあ――さよならだ、昴。こうして話せて本当によかった」
「また……またいつか、三人で笑いながら飯を食べようぜ! そのときは成長したオレの料理を食べさせてやるからよ!」
「……うん。楽しみが増えたよ」
父さんの姿が徐々に消えていく。
オレの視界が徐々に霞む。
夢の時間はもう――終わりだった。
「花。昴を守って、ここまで育ててくれてありがとう。これからも……僕たちが大好きな昴をそばで支えてあげてくれ」
「父さ――!」
「またな」
× × ×
「父さん――!」
叫ぶと同時に、身を起こす。
ここは家のリビング……?
さっきまでオレは夢の中で……?
キョロキョロと周りを見回していると、驚いた顔でこちらを見ている人物がいた。
「おぉう……急に叫ぶからビックリしたぁ。もうビックリし過ぎて、寿命が三年くらい伸びちゃったよ」
いや伸びるんかい。
なんてツッコミは、すぐ言葉にできなくて。
気持ちを落ち着かせるために、オレは深呼吸をする。
そんなオレを見てスーツ姿のその人――母さんは心配そうに眉をひそめた。
「どしたの息子くん、大丈夫かね?」
「母さん……」
「はい、どうも母さんですっ」
オレの呟きに、母さんはビシッと敬礼で返す。
相変わらず元気な人だ。
「いつの間に帰ってきてたんだよ」
「ついさっきだよ。起こそうか迷ったんだけど、せっかくなら寝かしておいてあげようかなーって。母親の優しさ的な!?」
「起こすのめんどくさかっただけだろ」
「なぜバレ……ごほん!」
バレ……まで言っちゃってるじゃねぇか。
たしかにスーツ姿だし、帰ってきて間もないことは事実だろう。
いつもだったらすぐに着替えてるし……。
ある意味、ちょうどいいタイミングで起きたようだ。
「……なぁ、母さん」
「んー? なんだねー?」
床に荷物を置いて、鞄をがさごそと漁りながら、母さんは軽く返事をした。
「夢の中で父さんと会って……話してきた」
その瞬間、ぴたりと母さんは動きを止める。
ゆっくりとオレを見て、表情を綻ばせた。
「……そっか。隼くん、元気だった?」
「ああ。あの頃となにも変わらない、優しい父さんのままだったよ」
「そっかそっか……。それなら良し! たくさん話せた?」
「話せたよ。それでもまだ話し足りなかったけど……それはまた今度ってさ」
「あらら、隼くんもケチだねー。ママだったら全力で引き留めてたかも。行くなおらーって!」
こんなに軽く言っているが、オレじゃなくて母さんなら……どうしていたのだろうか。
本当に引き留め――いや、母さんはそんなことはしない。
きっと『こっちは心配ないぜ!』とか言って、笑顔で見送るに違いない。
この人は、そういう人なのだ。
――だからせめて、ちゃんと伝えなければ。
父さんが残した言葉を……父さんが愛したこの人に。
「父さん、ちゃんと母さんのこと好きだったよ。自分の存在が、母さんのことを縛り付けてないかって……心配してたくらいに」
「……まったくもー、ほんとに馬鹿だなー隼くんは」
呆れたように見えるが、表情は幸せに満ちていて。
その表情ひとつとっても、母さんが父さんのことをどう思っているかなんて容易に分かる。
「私もずっとずっと大好きだよ。今までも、これからもね。もちろん、私自身の意志でそう思ってる!」
「安心してくれ。そう伝えておいた」
「お、さっすが息子くん! 分かってるねー!」
「それともうひとつ、母さんに伝言」
「なになに?」
「こっちに来るのは、まだまだ先でいい――ってさ」
あんたの言葉、たしかに伝えたぞ……父さん。
母さんはパチパチと瞬きしたあと――
「あははっ……!」
吹き出すように笑った。
悲しさや不安など、一切感じなくて……。
母さんはひとしきり笑ったあと、指先で目元を拭った。
その涙は笑い過ぎたから出たものか、それとも――
「ははっ……なにそれー。隼くんらしいね」
「だよな。あー、父さんらしいなって思った」
「わざわざそんなこと言われなくてもさ……。私は隼くんの何倍も生きて、その分お土産話をたくさん聞かせてあげるんだから。もういいって言っても絶対に聞かせてやるっ!」
「そうしてやってくれ。父さんも向こうで暇してるだろうから」
「うむうむ。あーあ、私の夢にも隼くん出てきてくれないかな~!」
「出てきても怒られるんじゃね? ちゃんとしなさいって」
「うぐっ……それはイヤかも……!」
怒られる姿を見るの面白かったし、もう一度見てみたいけどな。
でも本当に羨ましそうだし。一回くらいは出てきてあげてもいいんじゃね?
拗ねられても困るし。
父さん、今の会話を聞いてたら考えておいてくれ。
「……ねね、昴」
「なんだよ?」
「産まれてきてくれて、ありがとねっ。おかげで花ちゃん、毎日楽しいぜ!」
ニッと笑顔を浮かべて、母さんは言った。
――『産まれてきてくれてありがとう、昴』
……やれやれ。
どうやらオレは、最高の両親の下に生まれてきたらしい。
幼い頃、仕事ばっかりだった母さんが嫌いだった。
病気で入院した父さんのことを気にしてばかりの母さんが嫌いだった。
もっとこっちを見て欲しいと。
父さんばかり羨ましいと。
そう思ってしまったばかりに、周りに当たってばかりだった。
でも――今は違う。
母さんはずっとオレのことを守ってくれていた。
オレたち家族のために、一生懸命頑張ってくれていた。
それが分かるから。
「ったく……あんたらは……」
……生きててよかったよ、マジで。
「こっちこそ、ありがとな」
呟くようなオレのお礼に、母さんはガタッと物音を出した。
「うえぇっ!? あの昴がお礼を!? もっかい! もっかい言って!」
「一回限りの特別サービスなので却下です!」
「そんなの聞いてませんー! 詐欺だ詐欺!」
「聞こえない聞こえなーい」
「ぐぬぬぬ……もう怒った! ママもう怒ったからね! 昴だけ隼くんと会うし、もっかいお礼を言ってくれないし……怒りました!」
「ほう? だったらどうするのかね、花ちゃん」
この賑やかで明るい家族を、きっとこの先も築いていく。
青葉隼が生きてきた証を。
青葉花が守り続けてきた景色を。
息子であるオレが――これからも紡いでいく。
「こうなったらママ特製絶品オムライスを作って――」
「やめろおおおおおおおおおおおお!!!!!!!! 絶品どころか絶命するわ!!!!」
「失礼なっ!! もう作っちゃうもんねー!」
「待て待て待て待て!!!!」
日野森花。
青葉隼。
何億という人間が存在するこの世界で出会った、二人。
二人のおかげで、オレはここにいる。
今はまだ、会えなくても。
今はまだ、ずっとずっと遠くの場所にいても。
心は――強く繋がっている。
いつかまた――きっと出会える。
なぜならば。
青葉隼。
青葉花。
青葉昴。
オレたち三人は――かけがえのない『家族』なのだから。
そうだろう?
父さん。




