その後の彼らの一ページ⑦【青葉昴・朝陽志乃】
朝陽志乃
『昴さん、今なにしてる?』
青葉
『今はゲームしてるところだぜ。どうしたんだい志乃ちゃん』
朝陽志乃
『ひょっとして……留衣さんと?』
青葉
『いや、一人でやってるぞい』
朝陽志乃
『そうなんだ』
朝陽志乃
『えっと、昴さんがよかったらなんだけど……』
青葉
『ほう?』
朝陽志乃
『ちょっと……散歩でもしない?』
青葉
『散歩?』
朝陽志乃
『昴さんの顔が見たかったし、一緒に歩きたいなぁって思って……』
青葉
『なにそれかわいい』
朝陽志乃
『ダメだった……?』
青葉
『もちろんOK! 志乃ちゃんの頼みとあればゲームなんて速攻中断します! というかした!』
朝陽志乃
『やった!』
青葉
『というか、遊びに行く……とかじゃなくて散歩でいいのか?』
朝陽志乃
『うん、散歩がいい!』
青葉
『りょーかい。じゃ、志乃ちゃんちまで迎え行くからちょっと待っててくれい』
朝陽志乃
『分かった! いきなり誘ったのにありがとう、昴さん』
青葉
『いえいえ。オレも志乃ちゃんの顔見たかったからな』
朝陽志乃
『えっ……!?』
青葉
『とか言っちゃって☆ 顔を赤くしてる志乃ちゃんが想像できますわ~! おほほ!』
朝陽志乃
『も、もう……!』
青葉
『ごめんて。そんじゃ、準備してそっち行くわ』
朝陽志乃
『うん! 私も準備して待ってるね!』
× × ×
「お待たせ、昴さん……!」
休日の昼下がり。
朝陽家の玄関の扉が開かれると同時に、鞄を肩から下げた白いワンピース姿の黒髪美少女が姿を現した。
切り揃えられた肩口の髪が、陽の光を反射して艶やかに輝いている。
純粋な光を宿す桃色の瞳にオレを捉え、彼女――朝陽志乃はふわりと微笑んだ。
今日も今日とて、天使のような可愛さである。
「よっ、志乃ちゃん。準備はオッケーか?」
「うん!」
弾む声とともに、志乃ちゃんが小走りで駆け寄ってくる。
現在の志乃ちゃんは、オレに対してすっかり敬語が抜けていて、今のように自然な口調で話してくれる。
これまでも状況によってはタメ口になっていたが……。
基本的には怒ってるとき限定だったからね。マジで怖かった。
「にしても……ただの散歩のわりにずいぶんおしゃれじゃねぇの」
目の前の姿を眺めながら首をかしげる。
散歩だから動きやすい服装で来るかと思っていたけど、彼女らしい清楚スタイルだった。
もちろん、目の保養になるから文句なんてまったくないです。ありがとうございます。
「違うよ、昴さん」
「え?」
「ただの散歩じゃなくて――」
志乃ちゃんは首を振って否定すると、オレとの距離を一歩縮めた。
「これは昴さんとの散歩だもん。だから『ただの』散歩なんかじゃないよ」
「……そうなの?」
「そうなの」
真っすぐ過ぎる言葉に反応が遅れてしまった。
やはり、素直に向けられる好意というのは未だに慣れない。
それは恋愛の意味でも、友情の意味でも言えることで……。
「昴さんは……」
志乃ちゃんはオレの頭から足先までじっくり見たあと、満足そうに頷いた。
「うん、今日もかっこいいね」
「はっはっは! そうだろう、かっこいいだろ!」
「昴さんはずっとかっこいいよ」
「ふぐぅ!」
あまりのピュアピュアなお言葉に、オレは胸を押さえて悶絶する。
最近は沙夜さんや星那さんみたいな、『ひと癖ある面々』と接することが多かったから……。
志乃ちゃんのような超正統派純情美少女と話すと、心が浄化され過ぎてこのまま召されそうになる。
大抵こういうふざけたことを言ったら、適当に流されるか、厳しいツッコミを入れられるかの二択なのに……。
純粋過ぎて溶けちゃうよぉぉ……ドロドロドロ……。
「落ちちゃう……! オレ、志乃ちゃんに落とされちゃう……!」
「別に落ちてもいいんだよ?」
「いや……まだ、そこはかろうじて耐えてる」
「なーんだ、残念。……耐えなくていいのに」
囁き声が耳をくすぐる。
オレに聞こえるように言ったのだろう。
「やっぱり志乃ちゃんさん……小悪魔みが増しましたよね? いつからそんな悪い子になっちゃったんですか!?」
「それは昴さんのせい……かな? 昴さんがどうしようもない人だからだよ?」
「まさかのオレのせい!」
「ん? なに? 違うの?」
「なんでもありません! 小悪魔志乃ちゃんも大変可愛らしいです!」
ビシッと背筋を伸ばし、慌てて敬礼。
志乃ちゃんの『なに?』はマジで怖いのよ。
これに関しては渚の『なに』よりも怖い。
……ふと、視界の端で志乃ちゃんの手首が光った。
『青い宝石』が、太陽の下で静かに輝いている。
「あれ? 志乃ちゃん、その手首に付けてるのって……」
「あっ、気付いた?」
「そりゃもちろん。だってそれ……」
「うん、去年の誕生日に昴さんがくれたヘアゴムだよ?」
そう言うと、志乃ちゃんは右手を上げて見せる。
彼女の誕生日――『九月』の誕生石であるサファイアがあしらわれたヘアゴム。
サファイアの青が、白い肌に映えている。
それは去年、オレが贈ったプレゼントで……。
もちろん覚えていたけど、こうして実際に身に着けている姿を見ると……なんとも言えない気持ちになる。
恥ずかしいというか、なんというか……。
「髪を切ったから使う機会が減っちゃって……。今はこうして手首に付けてるの」
「……大事にしてくれてるんだな」
「当たり前だよ。昴さんからもらったものだから」
……あぁ、そうか。
この『なんとも言えない気持ち』は実に単純なことだったのだ。
オレ自身、初めて悩みに悩んで決めて、柄にもなく緊張しながら贈ったプレゼント。
それを大事にしてもらっていることが、素直に『嬉しい』のだ。
考えて、迷って、その末に決めたものだからこそ……尚更嬉しいのだろう。
「……そっか」
「それじゃあ……そろそろ行こっか、昴さん。散歩とは言ったけど、目的地はもう決めてあるんだ。まずはそこに向かって歩こ?」
「ほうほう。その目的地とは?」
「秘密っ」
可愛い。
『秘密っ』の志乃ちゃん可愛い。
「秘密かぁ」
「でも、昴さんも知ってる場所だよ?」
「知ってる場所……? え、どこだろう。闇組織の取引現場とか?」
「むしろなんでそんな場所を知ってるの……!? だ、大丈夫なの……!?」
「冗談だって。じゃ、案内は任せたぜ」
「任せて」
頷き合い、オレたちは並んで歩き出す。
夏の日差しに、二人の影が長く伸びる。
「今日は涼しいし、散歩日和ってやつだな」
歩きながら大きく伸びをする。
今日は猛暑というわけではなく、夏にしては比較的涼しい。
「私もそう思う。……あっ、昴さんってお昼ご飯食べた?」
「いや、まだ食ってないけど? それが?」
「……よかった」
「おん?」
「う、ううん! なんでもない! 聞いただけ!」
「ふ~ん? ホントになんでもないのかな~? ニヤニヤ」
「な、なんでもないから! もう……ニヤニヤしないで……!」
ぷいとそっぽを向く姿が可愛くて、また頬が緩む。
……オレ、今日だけで何回志乃ちゃんに対して可愛いを連発するのだろうか。
それにしても、急に昼飯のことを聞いてきてどうしたのかね。
あごに手を添え、なにを言いたかったのかを考えていると――
「そ、それなら私だって……昴さんに聞きたいことあるんだからね?」
「ほう? 聞きたいこと?」
「昴さん……さ」
軽く咳払いをして、志乃ちゃんは視線を上げる。
そして――空気が一変した。
あれ、おかしい。
先ほどまで和やかだったのに、急に空気が重くなったぞ?
嫌な予感がして反射的に身構えたオレに向かって、志乃ちゃんは――
にっこりと、微笑んだ。
「最近、女の子とたくさん遊んでるんだって――?」
それはもうとても、とっっっても、にっこりと。
しかしおかしなことに、目だけは一切笑っていなかった。
「えっ」
凍りつくオレを見上げながら、志乃ちゃんはゆっくり言葉を重ねる。
「月ノ瀬先輩に蓮見先輩、日向、星那先輩……あとは星那さん……。たくさん遊んでるって聞いたけど?」
「え、いや、あの、それはどこで聞いて――」
「なに?」
こわっ。
「あ、その、遊んでるって言い方だとまるでオレがチャラ男みたいな――」
「な・に?」
「いえすべて事実でございます否定するつもりも誤魔化すつもりもありません休日に遊びに行きましたッッッ!!!!」
気付けば、直角に頭を下げていた。
え、なんで?
なんで全部知ってるの?
隠しているつもりはまったくないけど、月ノ瀬どころか星那さんの名前まで出てくるなんて……。
「女の子の情報網を甘く見ちゃダメだよ?」
「怖すぎるだろその情報網」
「はぁ……。別に私は昴さんの……か、彼女とかじゃないからなにも言えないけど……」
あ、ちょっと恥ずかしそうにしてたな。
「もちろん誰と遊ぶかは昴さんの自由だし、私には縛る権利なんてないし……でも……」
「……でも?」
「……嫉妬しちゃいます。すっっっごく嫉妬しちゃいます」
拗ねるように顔を背けて、志乃ちゃんは素っ気なく言った。
その姿が面白くて、可愛くて……怖いとか困惑とか以前に笑みがこぼれてしまった。
笑ったり、怒ったり、今みたいにツーンとしたり……。
本当にこの子は感情が豊かで、見ていて飽きない。
「あのね、志乃ちゃん。月ノ瀬たちと遊んでるとは言っても、志乃ちゃんが思うようなキラキラしたものでは――」
「昴さんはなにも分かってない」
「んぇ?」
「全然分かってないもん」
もんって……。
志乃ちゃんは「いい?」と人差し指を立て、真剣な瞳をこちらに向けた。
「昴さんは自分が思ってるよりずっと魅力的なんだよ? 前からそうだったけど、こっちに帰って来てから……もっと」
「お、おう……お褒めの言葉ありがとう……?」
ストレート過ぎて冗談も言えない。
「だから蓮見先輩や月ノ瀬先輩だって、いずれは昴さんのこと……」
「……ん?」
「とにかく!」
「は、はい!」
「昴さんはもう少し自分の魅力を知ったほうがいいの! 分かった!?」
「わ、分かりました志乃ちゃん様!」
本日二度目の敬礼。
自分の魅力……か。
イケメンだとか、天才だとか、冗談交じりに自分ではよく言っているけれど……。
志乃ちゃんが言っていることは、そういうことじゃないんだろうな。
彼女は……彼女たちはオレが思っているよりも、ちゃんとオレのことを『見て』いるから。
「だから今日は……私が昴さんを独り占めしちゃいますっ」
「おっと、独り占めされちゃうかぁ。こうして一緒に散歩してるわけだし、今日は志乃ちゃん以外と会う予定は──」
「それだけじゃ足りません」
「え?」
オレの言葉を遮る志乃ちゃんの視線が下を向く。
その視線の先にあるのは……オレの右手だ。
小さく深呼吸をしたあと、志乃ちゃんはオレの右手に向かって――
「えいっ」
左手を伸ばし、ぎゅっと握った。
指先から伝わる温度に、さすがに緊張感を覚える。
「あ、あの……志乃ちゃん?」
「ダメ……ですか?」
「うぐっ……」
その上目遣いやめてッッ!
天然だから余計眩しいッッ!
嫌だとか、離せとか、そんなこと言えるわけもなく……。
そもそもそんなこと思ってないけども。
「……仕方ねぇな。いいけど、オレめっちゃ緊張で汗ばんじゃうぞ? 美少女と手を繋ぐとかドキドキで汗ダラダラよ?」
「いいの。だって……私もドキドキしてるから」
「……そりゃまた大胆なことで」
そんなことを言われたら、もうなにも言えない。
オレたちは再び歩き出す。
地面に伸びた二人分の影は、しっかりと繋がっていた。
「ふふっ」
隣を歩く志乃ちゃんの横顔は――とても楽しそうだった。
× × ×
「――それでね、日向がクラスで兄さんのことをずっと自慢してて」
「ははっ、ただの惚気話じゃねぇか」
「私もちょっと恥ずかしかったけど……。それ以上に日向が幸せそうで嬉しかったなぁ」
「さすがは志乃ちゃん。親友想いだな」
「もちろん。あとは……あっ――昴さん、着いたよ!」
「お?」
会話に夢中になっていたら、いつの間にか目的地に着いたらしい。
オレは顔を上げ、前方に広がる光景を見た。
――その瞬間、思わず息を呑んだ。
「ここまでの道で予感はしてたけど……まさか《《ここ》》か」
オレたちにとって馴染み深い場所。
けれど、年を重ねていくうちに訪れることがなくなった場所。
「昴さん、ここ……覚えてる?」
「ああ。忘れたことなんて一度もない」
風に揺れる寂しげなブランコ。
誰も乗っていない錆びたシーソー。
遊び相手を待っている――遊具たち。
それらを見た瞬間、あのときの『記憶』が鮮明に甦る。
「ここは、君と司が向き合ってちゃんと『兄妹』になった――あの公園だな」
「……うん」
――『志乃、ゆっくりでいい。志乃のペースでいい。ゆっくり……俺と父さんのことを家族だって思っていってくれたら嬉しいな』
五年前、家を飛び出した志乃ちゃんを探してオレと司が辿り着いた場所。
お互いに本音をぶつけ合い、向き合い、心を交わしたあの場所。
形だけの兄妹が――初めて心から『兄妹』になれたあの場所。
この先どんなに時間が経っても、オレたち三人はあの日を……そしてこの『公園』を忘れることはないだろう。
「どうしてここに?」
「なんとなく……かな」
視線を少し遠くにやりながら、志乃ちゃんが微笑む。
その横顔は、どこか懐かしさを帯びていた。
「なんとなく?」
「本当になんとなくなの。今日ね、ふと昴さんと出会った頃のことを考えてて……」
「おぉ、ずいぶん素晴らしい考えごとだな」
「でしょ? それで……この公園が頭に浮かんできたんだ」
どこにでもあるような、ちょっと寂れた公園。
けれど、オレたちにとっては世界でたった一つの特別な公園。
「ここは私にとっても、兄さんにとっても……大切な思い出が詰まってる場所」
「それはオレも同じだ」
「うん。……あのとき、昴さんは深入りしないようにしてたでしょ? 私たちが話してるとき、ずっと背中を向けてたもん」
「……そうだな。それが最善だと思ってたからな」
兄妹にとって特別な時間に、オレが入り込むわけにはいかなかった。
あの場面は『朝陽司』と『朝陽志乃』が向き合う大切な瞬間であり、そこに『青葉昴』が踏み入ることは許されなかったのだ。
二人がどう思おうとも……『俺』にとっては越えるべきではない大事な一線だった。
「あれから五年くらい経って、私の『昴さんへの想い』も変わって……昴さん自身も変わって……。こうして私たちのところに帰ってきてくれた」
「もうそんな前になるのか……。本当にあっという間だな」
「そんな『今』の私と昴さんで、もう一度ここに来たらなにを思うんだろうな……って、なんとなくそう思ったんだ」
「なるほど? 『なんとなく』にしては、結構具体的な理由じゃん?」
「あ、あれ……そうかな?」
「自覚なしかい。……ま、そんなところも志乃ちゃんらしいけど」
今の志乃ちゃん。
今のオレ。
過去から現在に至るまで、さまざまなことが変わった。
想いも、進む道も、在り方も。
懐かしさに目を細める志乃ちゃんの瞳の先には、過去のオレたちが映っているのだろうか。
「本当に懐かしい……。でも、あの頃はもっと広かったような……?」
「それは多分、志乃ちゃんが大きくなったからじゃねぇの?」
「私が……?」
見渡す公園は、遊具も配置も昔のまま。
それなのに、昔より狭く感じるのはきっと――
「あの頃より身長も大きくなって、心に余裕もできただろ? だから狭く感じるんだと思うぜ」
「私が大きく……かぁ」
心も、身体も。
あの頃よりも志乃ちゃんはずっと成長している。
だからこそ、景色ひとつの見え方も変わっていくのだ。
……あ、いや、身体って別に変な意味じゃないよ? ホントだよ?
「それとは別に、そもそも最初から大きな公園じゃなかったけどね? なんなら小さいまである」
「ふふ、それは……そうかも?」
「だろ?」
志乃ちゃんはゆっくり歩き出し、ブランコの前で足を止めた。
指先が鎖に触れ、かすかに音を鳴らす。
「ねぇ、昴さん。もし……もしもだよ?」
「もしも?」
「私がもう一度家を飛び出して、またここに逃げてきたとしたら――」
話しながら、志乃ちゃんはブランコに腰を下ろした。
キィ……と鈍い金属音が軋む。
オレは志乃ちゃんの近くに立って、話の続きを待った。
「あのときみたいに、昴さんは探してくれる? そして今度は背中を向けるんじゃなくて……ちゃんと私を見て、話してくれる?」
見上げてくる瞳はとても真剣だった。
もしかしたら志乃ちゃんは今日、それを聞くためにここへ……?
「高校二年生にもなって家出とは、また不良な子だな……」
「も、もしもだって……! 家出なんてしないから……!」
「……ホントに?」
「本当だよ!? なんでそこで疑うの……!?」
「まぁ冗談はほどほどにおいて……。もしもあのときみたいに、か」
この問いは『なんとなく』ではない。
きっと、彼女の中にある明確な想いから生まれた大切な問いなのだろう。
ならばオレも、誤魔化すことなく答えよう。
今のオレに伝えられる……『本心』を。
「……そうだな。まず、間違いなく探すよ。司も超心配するだろうから、一緒にそこらじゅうを走り回ってさ」
「うん。……そのあとは?」
「話を聞く。なんでこんなことをしたのか、なにかを抱えてるなら話して欲しいとか……ま、いろいろだな」
「兄さんが話してくれたときみたいに?」
「だな」
オレの話はまだ終わりではない。
「んで、なにかオレにできることがあったら協力する。オレなりに君と向き合って……話をするよ」
「それは――」
「ん?」
「それは私が『兄さんの妹』だから?」
志乃ちゃんの瞳がかすかに揺れる。
そこに宿るのは、確かめたい気持ちと……ほんの少しの不安。
……そうか。
君はそれを知りたくて聞いてきたんだな。
以前のオレなら、ここで『そうだ』と答えていたかもしれない。
でも……今は――
「違う」
即答だった。
オレはしゃがみ込み、ブランコに座る志乃ちゃんと同じ目線に合わせようとする。
しかし、実際はオレが少し見上げる形になってしまった。
五年前だったら、同じくらいの高さだったはずなのに……。
本当に……大きくなったな。
オレは息を整え、志乃ちゃんから目を逸らすことなく答える。
「君が『朝陽志乃』だからだ。司は関係ない」
桃色の瞳が、もう一度揺れる。
「『青葉昴』として『朝陽志乃』と向き合う。そして話を聞く。ほかでもない……君自身の話を」
「……本当に?」
「ああ」
「兄さんの妹とか……そういうのは関係ない?」
「ない。君が心配だから、話を聞いて向き合う。……そういう『人の心』に関しては、オレよりも司のほうがずっとスマートに解決できそうだけどな。それでも――」
誰かと寄り添い、誰かの痛みを理解し、支え、共に歩く。
ずっとオレが理解できなくて、理解しようともしていなかったこと。
司は最初からそれを無意識にできていたからこそ、自然と周りに人が集まるような人間だった。
オレはそれができなかったから、誰かを傷つけ、遠ざけ、何度も失敗をした。
変わったと言っても、オレには未熟な部分がたくさんある。
だからこそ――自分にできることを最大限にやって、アイツらの背中に追いついて……隣に並べるように走るのだ。
「オレはオレなりに、君の力になりたいと思ってるよ」
「……本当の本当に?」
「めっちゃ疑うじゃん。本当の本当だっての。あのときは違ったけど……今は本当にそう思ってるよ」
「そ……っか。あぁもう……本当に昴さんは……」
志乃ちゃんは俯き、大きくため息。
呆れか、安堵か、驚きか……はたまた別の感情か。
「ちょ、なんでため息? 呆れられるようなこと言った? 結構イケメンアンサーじゃなかった?」
「……ね、昴さん」
むむむ……と眉間に皺を寄せていると、志乃ちゃんがぽつりとオレの名前を呼んだ。
まだ、俯いたままで。
「ほいよ。お次はなんだい?」
一秒。
二秒。
そして三秒後、志乃ちゃんはようやく顔を上げる。
そして――
「――好きっ」
にこりと笑って、予想外の一言を言い放った。
「んぇっ」
情けない声が勝手に漏れる。
完全に虚を突かれた。
「ふふっ。昴さん、変な顔」
「いや、だって……急にそんなことを言われたら顔も声も変になるって」
完全に不意打ち過ぎる。
思わず目を伏せて頭をかきむしるオレをよそに、志乃ちゃんは畳みかける。
「……ありがとう、昴さん」
「……つ、次はお礼ときましたか」
「私、いろいろ考え過ぎちゃうし……すぐ不安になっちゃうし……。悩んでばかりだけど……昴さんの今の言葉で、全部吹き飛んだ!」
笑顔に曇りはない。
その表情を見るだけで、今の言葉が本当かどうかすぐに分かった。
もう、瞳の奥に緊張も不安も見えなかった。
「昴さんはいつも私を励ましてくれる、支えてくれる、笑顔にしてくれる。昔も……もちろん、今も」
「そう思ってくれるなら、ありがたい話だ」
「だからね……思ったんだ。何回も何回も思ったけど……改めて思ったの」
「なにを思ったんだね」
「昴さんのこと――大好きだなって」
……言葉は消えることなく、オレの胸に届く。
朝陽志乃という少女の心からの言葉が。
眼差しが。
笑顔が。
言葉が。
オレの目に、耳に、心に、たしかに焼き付いていた。
「今はまだ……昴さんは『答え』を出せないと思うから、これ以上は言わない。困らせたくないから」
その純粋さに、オレは握った手に力がこもった。
「昴さんの周りには素敵な人がたくさんいる。寄り添ってくれて、分かろうとしてくれる人が」
「それは本当にそうだな。すげぇ連中に囲まれてて……恵まれてると思うよ」
「でも――昴さんの隣は私が立ってみせる。それだけは……絶対に譲れない」
「志乃ちゃん……」
「それだけはちゃんと言わせてね。こうして言っておかないと……昴さん、忘れそうだもん」
「忘れないって。……忘れられるわけないって」
正面から、ただひたすらに。
自分の思うがままに。
こんなふうに正面から好意をぶつけてくるのは、志乃ちゃんくらいだから。
忘れることなんて、絶対ない。
「……ありがとう、志乃ちゃん」
感謝の言葉は自然とこぼれていた。
「えっ?」
「さっきは『いつも私を助けてくれる』なんて言ってたけど……。それはオレも同じだ」
「同じ……?」
「出会ったときから君はオレにとって『特別』で……。君の存在はオレの助けになってる。今もずっとだ」
朝陽志乃はずっと、オレに対して心優しく接してくれた。
偽ることなく、真っ直ぐに、いつだって本心を伝えてくれた。
なにかあれば励ましてくれて。
なにかあれば一緒に悩んでくれて。
挫けても、折れることなく立ち上がらせてくれた。
彼女の存在は紛れもなく――オレにとってもうひとつの太陽だったのだ。
「だから――オレと出会ってくれて、オレを慕ってくれて……本当にありがとう。それが今、志乃ちゃんに返せる言葉だ」
「昴さん……」
志乃ちゃんが何度も伝えてくれたように……。
オレも、言葉にして何度も伝えよう。何度も届けよう。
この――『ありがとう』を。
「……うんっ! どういたしまして!」
それは、今日一番の笑顔だった。
「でも……ずるいなぁ昴さん」
「え、なにが?」
「そうやって女の子の告白を先延ばしにするんだもん……。やっぱり昴さんは悪い人?」
「それを言われたらその通り過ぎてなにも言えませんッッ!!」
マジでなにも言い返せない!
それに関しては間違いなく志乃ちゃんが正しい!
「ふふ、冗談だよ。だって……前に言ったでしょ?」
「昴さんがかっこよすぎて尊すぎて昇天しちゃうって?」
「言ってない。言わない」
「すんません」
スッと真顔になる志乃ちゃん怖い。
こういうところも含めて、やっぱり先輩たちの影響を受けているのが実感できる。
「私が言ったのは――」
「言ったのは?」
「昴さん自身にも、昴さんを好きになってほしい。私が大好きなあなたを、あなた自身に好きになってほしい――って。忘れてないよね?」
「あぁ……言ってたな」
思い出すのは去年の夏――浜辺での出来事。
朝陽志乃が青葉昴という人間を本当の意味で知った、あの夏。
戸惑いながらも現実を受け入れ、彼女は立ち止まることなく前に進むこと選択した。
そんな想いからの、告白。
――『私はこれからもずっと言い続ける。昴さんのことが好きだって。大好きだって。胸を張って、何回でもこの気持ちを届けるよ』
――『そしていつか……昴さん自身にも、昴さんを好きになってほしい。私が大好きなあなたを、あなた自身に好きになってほしい』
――『それでね、その次に私を好きになってもらうから』
あのときの声も、表情も、景色も……一度だって忘れたことはない。
「昴さんはやっと『自分』と向き合えるようになった。少しずつ……ちゃんと前に進んでる」
「進めてるといいけどな」
「進めてるよ。だから私は待つ。ずっとずっと……待つから。あの半年間、昴さんを待ち続けてたように」
「まったく……本当に立派になったな、志乃ちゃん」
オレよりもずっと強くて、ずっと真っすぐで。
思っていたよりもずっと早い歩調で成長している。
この先、この子がどんな大人になっていくのかが楽しみだった。
「兄さんと昴さんのおかげだよ。ずっと最高の『お兄ちゃん』が二人もそばにいたんだもん」
「そうか……それはっ……嬉しいな……」
――声が震える。
危うく涙がこぼれそうになって、慌てて笑顔で誤魔化した。
こみ上げてくるものをグッとこらえる。
オレにとって最高の褒め言葉であり、最高の感謝に息が詰まりそうだった。
「さて……とっ」
雰囲気を変えるように、志乃ちゃんがパンッと手を合わせる。
「そういえば昴さん、お昼ご飯はまだ食べてないって言ってたよね?」
「え、昼? あぁ……うん。それが?」
そんなこと聞かれたような気がする。
ここに来てからの会話が濃かったせいで、すっかり頭から抜けていた。
「えっとね……」
志乃ちゃんは鞄を膝の上に置き、ごそごそと中を漁った。
そして取り出したのは……二つの包み。
「お? 話の流れ的にそれって……」
「じゃーん。せっかくのお散歩だからお弁当を作ってきたの!」
「え、マジ?」
「マジ、だよ! まだ一人じゃ上手に料理できないから、お母さんに手伝ってもらったけど……」
照れくさそうに笑う顔がまた、反則級に可愛らしい。
不慣れでも、一生懸命に作ってくれたんだ。
それだけで十分嬉しい。
「昴さんに作るんだって話したら『それなら頑張らないとね』って、応援してくれて……。だから頑張って作ったんだ」
「ははっ、あの人らしいな」
志乃ちゃんのお母さんは、いつも明るくて気さくな人だ。
さすがは実の母親……って感じで。
今度会ったとき、ちゃんとお礼を言わないとな。
「だからその……一緒にた、食べてくれる?」
「ここにきて急に緊張する?」
「だ、だってこういうの……初めてだもん……」
料理が上手だとか、下手だとか……そういうのは二の次だ。
志乃ちゃんを不安にさせないように、オレは力強く頷いた。
「もちろんいただくぜ」
差し出された包みを一つ受け取ると、志乃ちゃんの表情が一気に明るくなる。
「でも、こう見えてオレは料理男子だぞ? なかなか味にはうるさいぜ?」
「そ、それが分かってるから……余計に緊張してるの……!」
「おー、そうかそうか。それじゃ、あっちのベンチに移動して食べよっか」
「うん」
ブランコから立ち上がり、志乃ちゃんは歩き出す。
オレも一歩踏み出したところで……足を止めた。
「志乃ちゃん」
「ん?」
呼ばれたことで、志乃ちゃんはこちらに振り向いた。
「――今日は、誘ってくれてありがとな。志乃ちゃんとここに来られてよかった」
「ぁ……」
これまで長い時間を共にし、さまざまな思い出を共有している志乃ちゃん相手だからこそ……。
この特別な場所で、こんなにも素敵な時間を過ごすことができた。
今日、ここに来て良かった――と。
オレは心の底から思えた。
「私も! 誘って本当によかった!」
ほんのりと頬を赤く染め、志乃ちゃんは微笑む。
「んじゃ、食べるぞ食べるぞ~! バッチリ得点をつけてやるからな! 彩りと~バランスと~味と~」
「は、初めてなんだから厳しくしないでね……!?」
「ふふふ……」
「嫌な笑顔……!」
――大切な妹分。
――大切な女の子。
この先、彼女の『気持ち』に応えられるのかは分からない。
けれどきっと、青葉昴にとって……『朝陽志乃』はこれからも大切な人で在り続ける。
彼女がオレを想い、守り、支えてくれたように。
今度は彼女のことを支えたいと――心から思う。
オレを照らしてくれる太陽のようなこの笑顔を――ずっと。
彼女と共に過ごしていると感じる、この心地のいい『あたたかさ』は。
きっと、気のせいなんかじゃなくて。
紛れもなく――『本物』だ。




