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その後の彼らの一ページ⑥【青葉昴・星那椿】

「貴方、なかなか楽しい子じゃない。椿……いつの間にこんな男の子と知り合っていたの?」

「そんな目で彼を見るのはやめてください――(すみれ)姉様」

「あら、それはごめんなさい。青葉君もごめんね?」

「むふふ。綺麗なお姉様に褒められちゃって昴くん嬉しいです! 感激!」

「………………」

「なんか隣からすっごいジト目を向けられてる気がするッッッ……!!」

「へぇ……?」


 目の前に立つのは、意味深な笑みを浮かべるスーツ姿の美女。


 隣に立つのは、感情を感じさせないスーツ姿の美女。


 そして彼女が口にした――『菫姉様』という呼び名。


 さて。


 休日の真っ昼間に、どうしてオレがこんな状況に巻き込まれているのかというと……だ。


 ――少し、時間は遡る。


 × × ×


「うむうむ。新刊、無事に購入完了! 先の展開がめっちゃ気になる終わり方してたからなぁ……今から楽しみだぜ」


 とある日の昼間。


 駅前の本屋を出たオレは、買ったばかりの漫画が入った袋を手にほっこり笑みを浮かべていた。


 本日はオレがハマっている作品の新刊発売日。


 人気作だから売り切れも覚悟していたが、無事ゲットできて大満足である。


 渚や月ノ瀬も読んでるって言ってたし、アイツらももう買ったかもしれない。


 学校で会ったら感想でも聞いてみるか。


「パパッと帰ってもいいけど……ゲーセンでも寄ってみるかな」


 せっかくの外出、寄り道も有りかもしれない。


 少し歩けば、馴染みのゲームセンター『アステイル』がある。


 この前も渚に格ゲーでボコられたし……練習を積んでおくか?


 別にオレの腕が鈍ったわけじゃねぇけど……。


 アイツ、この半年間でもっと強くなってやがったからな。


「よっし。行くか」


 夏の日差しを浴びながら歩き出す。


 本屋が冷房効きまくりだっただけに、外は余計に暑い。


 格ゲーのほかに、なんか面白そうなゲームでもないか。

 それこそ新しいクレーンゲームでも設置されていないか。


 そんなことを考えているうちに『アステイル』が見えてきた――そのときだった。


「……ん?」


 ある光景が目に入ったことで、オレは立ち止まる。


 入口近くで話している、スーツ姿の女性二人。


 どちらも大人の雰囲気をまとった美人で、遠目からでもオーラが凄まじい。


 だけど、美人だから目を止めたわけじゃない。


 理由はもっと単純。


「あれって……星那さんか?」


 クールな立ち姿。ヘアスタイル。


 さすがに間違えるはずがない、一人は星那さんだ。


 じゃあ……もう一人は?


 雰囲気がどこか星那さんに似ている気がするが……。


「あ」


 ――やべ。


 星那さんが何気なく周囲を見回した瞬間、バッチリと目が合った。


 すぐに逸らせば良かったものの、なぜかそのまま硬直。

 数秒間、見つめ合うみたいな形になってしまう。


 ……これ、見なかったふりして帰れないやつだ。


 明らかに『面倒事』の匂いがプンプンするが、ここで帰ったら後々もっと面倒なことになりそうだし……。


 それに、星那さんの隣に立っている女性までオレを見てくる始末だ。


 これはもう……諦めるしかなさそうだな。


 オレは心の中で白旗を上げ、ため息をつきつつ星那さんたちに歩み寄った。


 格好的に仕事の話をしているかもしれないから、軽く挨拶をして帰ろう。


「どもども、奇遇ですね」


 アステイルの入り口近くまでやってきたオレは、声をかけて会釈する。


「こんにちは、昴様。……てっきり、見なかったふりをして帰るのだとばかり思っていました」


 星那さんは淡々と頷きながら返事をした。


 相変わらずの無表情で無感情ボイスだが……むしろそれが逆に安心してしまう。


 沙夜さんが汐里高校を卒業してから、必然的に星那さんと接する機会は減っていた。


 メッセージなどで会話はしているが、こうして顔を合わせて話すのは少し久しぶりである。


「オレもそうしようと思ったんですけどねぇ。でも、仮にそんなことをしたら……後々怖そうだなって」

「怖そう……とは?」

「いや、まぁ……いろいろとね、うん」

「仰っていることがよく分かりませんが……。そうですね、もしもあの場面で帰っていたら貴方様の右腕を――おっと、これ以上はやめておきます」

「なんかすっごい物騒なこと言いかけませんでした!? 右腕がなに!?」

「……」


 星那さんはなにも言わず、ただスッとオレから目を逸らした。


 いやいやいや……え、右腕ってなに? 

 なんでそこで黙るの? 怖すぎるんですけど?


 もちろんただの冗談だろうけど、真顔で言っているからタチが悪い。


「ふーん……?」


 オレがわざとらしくガクガク震えて見せていると、不意に声が降ってきた。


「椿――珍しいわね。貴方がそんな冗談を言うなんて」


 声の主は、星那さんと一緒にいた女性だ。

 こうして近くで見てみると……美人具合がよく分かる。


「それで……そのかっこいい男の子は貴方の知り合いかしら?」

「かっ、かっこいい少年! 美人に褒められちゃったぜ! ふぅぅぅぅ!!」

「あら、私も褒められちゃった。ありがと、元気な子ね」


 女性はこちらに向かって、パチンとウィンクを飛ばしてきた。


 なんとも様になるその言動に、オレの頭には『ある人』の顔が浮かんでいた。


 見た目的に関係者か……あるいは……。


 いろいろなことを考えながら、オレは改めて女性のことを見てみた。


 まず言うまでもなく、美人だ。

 可愛い系ではなく……圧倒的にかっこいい系。


 歳は……オレよりも十くらいは上だろうか?

 若く見えるからハッキリとは判断できない。


 首元まで伸ばした青みがかった髪は、サラサラと風に揺れて――ひとつひとつの仕草が絵になる。


 そして、黒い瞳がまっすぐオレを映していた。

 

 吸い込まれそうなほど澄んでいるのに……なぜだろう。


 そこから目を逸らしたくなるような、妙な圧を感じる。


 ――この人の雰囲気。


 どこかで……《《会った》》ことがあるような……。

  

「真に受けないでください昴様。ただのお世辞ですよ」

「えぇぇ……」

「お世辞なんてひどいわね。私は冗談が苦手なの……貴方は知っているでしょ? 椿」

「……まぁ、そうですね」


 微笑む女性と対照的に、星那さんの対応は淡々としていた。

 

 二人の温度差がなんとなく気になる。


 ……で、結局冗談なの? 本当なの? どっちなの!


「それでえっと……星那さん、このお姉さんは? ちょっと親しげな感じありますけど……」


 二人を交互に見ながら尋ねる。


 『椿』と呼び捨てで呼ばれていること。

 二人の会話から感じ取れる距離感。


 そしてなにより……互いに似ている容姿。


 これらのことから、ただの知り合いとは到底思えない。


 恐らく――特別な関係であることは間違いないだろう。


 星那さんはチラッと女性を見てから、こちらに向き直る。


「それではご紹介します」

「お願いしゃす」

「彼女は――星那(すみれ)。」

「……星那?」


 あぁ……やっぱり。


「はい。この時点で予想はつくと思いますが……私の実の姉でございます。今日は偶然顔を合わせたもので……話をしていたところでした」


 まさかの姉妹パターンだったか。


 様々な要素から『似ている』とは感じていたけど、家族だったとは……。


 沙夜さんや星那さんの例に漏れず、どこか常人離れをしたオーラをひしひしと感じる。


 姉がいることは知っていたけど、まさか実際にお目にかかる日がくるとは……。


「彼女はSteLLaグループのひとつ――『フロールスター株式会社』の社長であり、父から任されてここ……『アステイル』の経営管理を行う総責任者でもあります」

「え……ちょ、社長? 責任者? 話のスケールが大きくて理解が追い付かねぇ……」


 『SteLLaグループ』は、沙夜さんたちの祖父から始まったグループ企業のはずだ。


 たしかに『星那家』はさまざまな会社を経営する一族みたいだけど……。


 な、なるほどぉ。

 現役社長ですかぁ……。


 星那さんの紹介が終わると同時に、姉――菫さんがニコッと微笑んだ。


「はーい。姉の菫よ。細かいことは置いておいて……とりあえず、椿の姉ってことだけ分かってくれればいいわ」

「まさか社長さんだとは……。なんかオレ、改めて『星那家』のすごさっていうか……でかさっていうか……。そういうのが分かって余計緊張してきましたよ」


 オレはこの人のことを全然知らないが、優秀だということは伝わってきた。


 沙夜さん然り、星那さん然り……やはり彼女たちの能力の高さを理解させられる。


「肩の力を抜いてちょうだい。別に『星那』と言っても、みんなが私たちのような経営者タイプばかりではないのよ?」

「ほう?」

「それこそ、椿のように『誰かの補佐』に徹する者もいれば……従妹(いとこ)には教師になった子もいる。会社経営なんて興味ないー……ってね」

「あぁ……教師……」

「昴様は『彼女』のことをご存知では?」


 星那さんの言葉にオレは頷いた。


 教師になった従妹。


 たしかにオレは、その『彼女』のことを知っている。

 なんなら少しばかり世話にもなった。


 とはいえ、ここで話すことではないから触れずにおくけど……。


 懐かしいな、と思ってしまった。


「そんな感じで、それぞれタイプは異なっているの。ね、椿?」

「そうですね。……もっとも『私たち』のほうが稀ではありますが」


 稀、か。


 つまり、星那さんや教師の従妹さんのほうが珍しくて……。


 基本的は菫さんのように、自分の会社を持つのが彼女たちにとっては当たり前なのだろう。


 それこそ……沙夜さんだって、将来はそういった道に進むことになりそうだし。


 まずは両親など親戚関係の会社で経験を積んで、いずれは独立――といった流れなのかもしれないな。


「ふふ……それはそうね」


 星那さんの言葉を否定することなく、菫さんは笑みをこぼす。

 そして、次にオレへと視線を向けた。


「それで……貴方は? ずいぶん椿と仲が良いみたいだけど?」

「ふっふっふ、オレは――」

「彼は青葉昴様……沙夜様のご後輩です」


 かっこよく自己紹介をしようとした瞬間、星那さんがサラッと答えてしまった。


 いや、別に嘘は言ってないからいいんだけど……!


 せっかくドヤ顔を決める予定だったのに!


「へぇ、沙夜ちゃんの後輩なのね」


 沙夜ちゃん。


 やはりこの口調や呼び方、それに温度感……どこかで聞いた覚えがある。


 初めて会ったはずなのに。

 初めて声を聞いたはずなのに。


 すでにどこかで会って、話したことがあるような……この感覚はなんだ?


 ――次の瞬間。


「あっ……」


 頭の中に、とある人物が過ぎった。


  ――『留衣ちゃんのこと、気にしてあげたほうがいいかもね』


  ――『せっかく誘ってくれたのに……一人で待たせるなんて、沙夜ちゃんも悪いことするわよね。本当にごめんね?』


 半年前、オレの前に姿を現した『あの人』。

 制服姿で大人の魅力を漂わせていた『あの人』。


 オレの記憶が正しければ……。


「まさか……あの『《《先輩》》』って――」

「正解です。昴様の考えている通りですよ」


 オレの小声に反応し、星那さんはすぐに肯定した。


 マジかよ……。

 ここで繋がるのか……。


 ――『まず身近な存在である姉の真似をしました。すると意外にも才能があったのか……私は完璧に姉に成ることができたのです』


 以前、星那さんが話していたことを思い出す。


 そうか、あの『先輩モード』の星那さんはこの人を――


「コソコソとなにを話しているの?」

「いえ、なにも。姉様はお気になさらず」

「そう……? それならいいけれど」


 言われてみれば、たしかにそうだ。


 口調や佇まい……雰囲気など……。


 あらゆる部分で、あのときの『先輩』は星那菫に酷似している。


 星那椿が初めて『模倣』した人物。


 それこそが――この人なのだろう。


「それにしても……青葉君、か」


 菫さんの視線がオレに注がれる。


 その黒い瞳は、底が見えない湖のように深くて――正直、居心地が悪い。

 

 まるでオレを値踏みするような視線に、目を逸らしたくなった。


 足から頭までじっくりオレを見たあと、菫さんは意味深そうにふっと笑みをこぼす。


 次にその視線は星那さんへと向いた。


「沙夜ちゃんの後輩ということは分かったけれど……。椿、貴方にとっては彼はなんなのかしら?」

「……私にとって、ですか?」

「ええ。私は沙夜ちゃんとの関係性を聞いているわけじゃないわ。『貴方』と青葉君の関係を聞いているの」


 声音は柔らかいのに、その視線はあまりに鋭い。


 オレと星那さんの関係性……?

 それを聞いてどうするんだ?


 それにこの手の質問は……星那さんにとって、なかなか返答に困るものかもしれない。


 誰か、ではなく『自分』のことに関する質問だから。


 ここはひとつ、フォローでも……。

 

「別にあれっすよ。沙夜さんを通して知り合ったっていうか、それ以外に特別なものは――」

「青葉君、貴方には聞いていないわ。私は――椿に聞いているの。ごめんね?」

「っ……」


 向けられたその目に、思わず言葉が詰まる。


 言い方は柔らかいのに。

 敵意なんてまったく感じないのに。


 とにかく『圧』が……とんでもない。


 瞳にはオレを映しているはずなのに、もっと奥……。

 オレの中にある『価値』だけを見ようとしているような……。


 過去のオレが沙夜さんから感じていた『どす黒い感情』。


 それとはまた別の……言い表せないほどの『重み』が押し寄せていた。


「私にとって……彼は……」

「ただの知り合い? 友人? それとも……それ以外の『なにか』? 私、変なことを聞いているわけじゃないわよ」

「……なんなのでしょうね。上手い言葉が見つかりません」


 星那さんは答えを出さない。


 オレ自身、どういう関係なのかと問われれば……ちょっと考えてしまう。


 友人……とはちょっと違う気がするし。

 ただの知り合い……というのも違うし。


 うーむ……。


「はぁ……」


 質問に答えられず、首をかしげるその姿に菫さんはため息をついた。


「貴方……相変わらず『自分』のことになると話せなくなるのね」


 呆れを宿した一言。


「まだ――『誰か』の真似をして必死に自分を埋めているの?」

「……」


 菫さんは血の繋がった姉だ。


 当然、オレよりも星那さんのことを理解しているだろう。


 でも……家族について話してくれたとき、星那さんは言っていた。


 ――『私には兄と姉がいます。どちらも非常に優秀で……彼ら《《は》》どちらも揺るぎない自己を持っています』

 

 ――『父や兄姉もさぞ不気味に思ったことでしょう。表情一つ変えることなく話し、笑わず、怒らず、泣かず……ただ言われたことだけを淡々とこなす人形のような妹を」

 

 ――『彼らが望んだように振る舞ったはずなのに……まるで怪異を見るかのような目を向けられました。血の繋がった家族からも』


 あの言葉や今の様子を見る限り、とても仲良し姉妹には見えない。


 それでも、嫌い合っているようにも見えない。


 きっと……お互いがお互いに複雑な感情を抱いているのだろう。


「椿、貴方はいつまで彷徨っているの? そんなんじゃ、いつまで経ってもお父様に認め――」

「まぁまぁ、そのへんにしましょうよ。小難しい家族の話をこんなところでしても仕方ないでしょ」


 黙って聞いているわけにはいかず、オレは話に割って入る。

 聞いていてあまり気持ちのいいものではない。


「……そうね。悪いわね青葉君、見苦しいところを見せてしまって。この子と話すと……ついこうなっちゃうの」

「いえいえ。星那さんも、こういうときは『こいつはよく分からんクソガキ!』とか言っちゃってくださいよ。別に変に気を遣う必要ないですって」

「……失礼いたしました」


 いつもなら軽口の一つや二つ返してくるはずなのに、星那さんはただ謝罪するだけだった。


 やはり、家族に対して負い目のようなものを感じているのかもしれない。


 菫さん側もそれを理解しているからこそ、ついいろいろ言い過ぎてしまうのだ。


 家族に向ける感情というのは、友人同士のそれとはまったく違う。


 家族だからこそ。

 同じ血が流れているからこそ。


 家族ではないオレに、彼女たちの想いをすべて理解することは不可能だろう。


 それでも――


「ねぇ青葉君」

「はい?」

「椿のこと……『分からない』でしょう? 『見えない』でしょう?」


 星那さんを陥れようとして言っているように見えない。


 きっと……この質問には明確な意味がある。


 この瞬間、オレにそんな質問をするという――彼女の意図が。


「『自己』を持たず、自分以外の誰かに『価値』を見出す。そうすることでしか、自分で『在る』ことができない。怖いと思わない?」


 畳みかけるように、菫さんは続ける。

 星那さんは目を伏せ、ただ黙って姉の言葉を聞いていた。


「貴方が椿のことをどれだけ知っているのかは分からないわ。でもね、『半端』な気持ちでこの子と関わっているのなら――」


 見えた。


 入るなら――今だ。


「たしかに怖いっすよ」


 菫さんの言葉を遮り、オレはハッキリと答える。


 はてさて。


 次はオレのターン……ということか。


「表情は変わらないし、声に抑揚もない。なにを思っているのか全然分からない。なにが本音で、なにが冗談で、どこまで信じていいのか……。もうホントに……全然分かんねっす。怖いっす」


 言葉を並べていると、星那さんがオレを見上げた。


 なにを思ってオレを見ているのかは分からない。


 だけど、その金色の瞳が……少しだけ揺れていた。


「自分のことを話すのは下手だし、遠回しな言い方ばかりするし…。お姉さんが仰る通り、オレには『見えない』し『分からない』ですね」

「……そうでしょう? 貴方、話が分かるわ――」

「だからこそ」

「……なに?」


 まだ、話は終わっていない。


「だからこそ――面白いんじゃないですか」

「……面白い?」


 ピクリと菫さんの眉が反応する。


「完璧で、分かりやすくて、従順で、明快で……『自己』という芯がちゃんとある人間。たしかに、そういう人相手のほうが楽だし、一緒にいて勉強になると思います。この人はなにを考えてるんだ? ……っていちいち考える必要もないですからね」


 芯がある人間は、たしかに立派だ。


 自分というものをしっかり持って、己の道を突き進む。


 菫さんたちが望んでいるのは、きっとそういう人間なのだろう。


 言いたいことはよく分かる。

 なにも間違ったことは言っていない。


 でも。


「でもオレは……そういう人より、星那さんみたいな人のほうが『面白くて』好きなんですよ」

「昴様……」


 ぽつりと、星那さんからオレの名前がこぼれた。

 声は少しだけ震えていた……気がする。


「というか、オレの周りって……そんなヤツらばっかりなんですよね」

「そうなの?」

「はい。まず全然オレの言うことを聞いてくれないし、どんなにオレが突っぱねても、どんなに背中を向けても……こっちの事情なんて関係なしに踏み込んできやがる。そんな『面白い』連中で溢れてるんです」


 だからこそ――オレは救われた。

 だからこそ――オレは今ここに立っている。


 分からない。

 見えない。


 だからこそ――面白いのだ。


「星那さんもそうです。この無表情の下でなにを考えているんだろう。なにを感じているんだろう。今の言葉の真意は? そもそも冗談なのか? なんて……この人と話していると、そんなことばかり考えてて……」


 チラッと隣に目を向けると、星那さんと視線が重なった。


「オレはそれが、すげぇ『楽しい』っすね。怖い、分からない……だからこそ、面白い。だからこそ……もっと話して、もっと知ってみたい」


 今なら分かる。


 きっと、司たちもオレに対してずっとそう思っていたのだろう。


 青葉昴という男はなにを考えているのか。

 なにを思って、自分たちと一緒にいるのか。


 見えないし、分からないし……怖いけど。


 だから、知りたい。

 だから、話したい。


 そう思い続けて彼らは……彼女らは、オレの手を取ってくれたのだ。


「『星那』がどうとか、オレにはまったく関係ない。青葉昴が星那椿に向けるのは――そんな単純な感情です。分かりやすいでしょ?」


 難しいことなんてない。

 複雑なことなんてない。


 面白いから、オレはこの人と一緒にいる。


 ただ、それだけだ。


「――とか言っちゃって! 以上、年下のガキの生意気発言でした!」


 ニッと笑い、オレはぺこりと頭を下げた。


 ……これ大丈夫かな。


 結構生意気なことを言ったから、このあと謎の力で消されちゃわない?


 自分の気持ちを伝えたものの、あまりにも正直に言い過ぎて不安になってきたとき――


「……ふふっ。あははっ!」


 菫さんが声を立てて笑った。


 作り笑いではなく、心の底から楽しんでいるような……。


 本心から出てきた笑顔に見えた。


「まさかそんな堂々と言ってくるなんて……びっくりしたわよ」

「あ、いや、こっちこそ、めっちゃ生意気なこと言ってすみませんでした……。だからどうか命だけはお助けを……!」

「私をなんだと思っているのよ? 謝る必要なんてないわ。だって……それが『貴方』という人間なんでしょ?」

「……はい! そっすね! それが『オレ』です!」


 自信満々に頷くと、菫さんは満足そうに微笑んだ。


 ――もしかして。


 この人、最初から『これ』が目的で……?


「貴方、なかなか楽しい子じゃない。椿……いつの間にこんな男の子と知り合っていたの?」


 楽しげな様子のまま、菫さんは星那さんへと声をかけた。

 もう、その声に冷たさはなかった。


「そんな目で彼を見るのはやめてください――菫姉様」

「あら、それはごめんなさい。青葉君もごめんね?」

「むふふ。綺麗なお姉様に褒められちゃって昴くん嬉しいです! 感激!」

「………………」

「なんか隣からすっごいジト目を向けられてる気がするッッッ……!!」

「へぇ……?」


 隣を向いたらダメだ、と本能が訴えかけている……!


 場の雰囲気が少し明るくなったところで――


「菫姉様」


 星那さんが姉の名前を呼んだ。


 その声だけで分かる。


 先ほどまで彼女の中にあった『揺らぎ』は、どこかへ消えたのだと。


 ……ここは黙っておいたほうが良さそうだな。


 ここから姉妹の時間だ。


「ん?」

「たしかに私は……『自分』というものをまだ完全に理解できていません。姉様たちのような立派な人間にも……なれないでしょう」

「……それで?」

「ですが私には、譲れないものがあります。大切なものがあります。それは『人』であり『想い』であり……『願い』でもあります」


 淡々とした声音。


 だけど、その奥には確固たる『芯』があった。


 星那さんにとって大切な人。大切な想い。大切な願い。


 それこそがきっと、彼女が他の誰でもない『星那椿』ということの証明なのだ。


「私には、ずっとそばでお仕えしたい方がいる。ずっとそばで支えたい方がいる」


 それが誰なのか……というのは今更考えるまでもないだろう。


「そして――」


 わずかに間を置いて。


 星那さんの横顔が……少しだけ微笑んだ。


「その行く末を――見届けたい方も」


 真っ直ぐな視線が、一瞬だけオレのほうをかすめた。


 気のせい……ではないと思う。


 見届けたい方――


 たった一瞬だったはずなのに、なぜか胸の奥が熱くなったのを感じた。


 ここで『変な勘違い』をするほど、オレは鈍感ではないわけで……。


 それが誰を指しているかなんて……分かる。分かってしまう。


 ったく、ホントにこの人は……。


「彷徨い、見失い……欠けた自分が抱いたもの」


 星那さんはそっと胸に手を当てる。


 自分を確かめるように。

 心を確かめるように。


「たとえどんなに理解されなくても、否定されても、恐れられても……。私は私の『大切なもの』を貫くだけです。それが『自分』ではなく……『他者』だとしても変わりません」

「そのせいで……また昔のように苦しい思いをするとしても?」

「はい。それが貴方の妹――『星那椿』という人間なのです」

「……そう」


 菫さんは薄く目を細め、ゆっくりと息を吐く。


「初めてね。貴方がそんな目を私に向けたのは」

「そう……なのでしょうか」

「空虚で色のない瞳。言われたことだけを淡々とこなす、お人形のような妹。……そんな貴方が、私は子供の頃から怖かった。分からないことが……怖かった」


 優秀であるがゆえに、自分が分からない存在を受け入れられない。


 自分が当たり前のように分かることを、分かってくれないのが受け入れられない。


 子供の頃なんて……尚更そうだ。


 その気持ち、よく分かる。

 すっげぇ……分かる。


「でも……今の貴方の目にはちゃんと『意思』が見えた。『願い』が見えた」


 姉と妹。

 満ちた者と欠けた者。


 どちらが正しくて、どちらが間違っているかなんて誰にも分からない。


 もしかしたら、菫さんは自身も思うことがたくさんあったのかもしれない。


 過去、妹に対してもう少し歩み寄っていれば……なんて。


 オレには分からないけど。


「椿。今の貴方の目――私は好きよ。ちゃんと自分のことを話せたじゃない」

「姉様……」

「……いい出会いをしたのね。奥底で眠っていた椿の想いを引き上げたのが……沙夜ちゃんと、そして『彼』なのだとしたら……」


 菫さんはぼそっと呟いた。

 

「青葉君」

「あ、はい」

「貴方と話せて良かったわ。これからも椿のこと……よろしくね?」

「よろしくって……なにをですか? むしろ、オレのほうがいろいろ世話になってるっていうか……」

「いろいろよ、《《いろいろ》》。――ね?」


 いろいろ……?


 ……あれ、待って。

 この人の表情的に……なんか変な勘違いをしてないか?


 それは良くない。


 非常に良くない!


「……あの、変な誤解を――!」

「いいのいいの。そんなわけだから……よろしくね?」

「聞く気ゼロ……!」


 うふふ、と菫さんが大人の余裕を感じる笑顔を浮かべた。


「姉様、昴様。いったいなんの話を……?」

「ふふ、椿はまだ知らなくていいの。きっと、この先理解できるはずだわ。……ね、青葉君?」

「ノーコメントで!」

「少々不服ではありますが……分かりました」

「それじゃあ、そろそろ私は行くわね」

「あ、あの――!」


 背中を向けようとした菫さんをオレは引き留めた。


 ひとつ、最後に聞いておきたいことがあった。


 このモヤモヤを抱えておくのは嫌だし、ハッキリしておきたい。


「なに? 青葉君」

「もしかしてお姉さんって、星那さんのこと最初から――」

「んー? なんの話かしら。それに……私も『星那さん』だから、誰のことを言っているのか分からないわね」


 絶対分かっているはずなのに、菫さんはわざとらしく話を流した。


 でもこの感じ……間違いない。


 菫さんは、最初から星那さんの言葉を引き出すためにオレに話を振ったんだ。


 星那椿としての想いを聞くために。


 ただ不器用なだけで、この人……妹のことめちゃめちゃ好きなんじゃ――?


 沙夜さんも星那さんも……そういう節があるしな……。


「じゃあね。椿も、身体に気を付けて頑張りなさい」

「ありがとうございます。姉様も……お気をつけて」

「ありがと~」


 軽く手を振り、余裕の笑みを浮かべたまま菫さんは歩き去っていった。


 背中が小さくなっていくのを見届けてから、オレは思わずため息を漏らす。


「いや……なんか、すげぇ人でしたね……。ドッと疲れましたよ……」

「素晴らしいと思いましたよ、昴様」

「んぇ? なにがですか?」

「姉と初対面であそこまで話せることが、です。姉は良くも悪くも、相手を呑む雰囲気を持っているので……縮こまってしまう方も多いのです」

「あー……まぁそんな感じはしましたね。あんな偉そうなこと言いましたけど、内心ビクビクですよ。今だって服の下でめっちゃ汗かいてます」


 怖かった怖かった……。


 こっちの考えは全部読まれているっていうか、なんというか……。


 星那家の方々って、そういう人らばかりなの? 疲れるんですけど?


「……昴様、ありがとうございました」


 身体を冷ますために胸元をパタパタとさせていると、突然星那さんがお礼を告げた。


「……な、なんですか急に。そんなお礼を言われてもお金しか出せませんよ?」

「いりません」

「そうすか」

「先ほど……姉に言っていた言葉です。とても……嬉しかった。例え、あの場を収める冗談だとしても私は――」

「んなわけないでしょ」

「え……?」


 ここまで来て、まだそんなことを言うのかね。


 ホント、この人は自分のことになると無頓着になるというか……。


 ……ま、オレが言うなって話か。


 ちゃんとオレの気持ちを星那さんに届けるために、ここは濁さずに伝えよう。


「あそこで嘘をつけるほど、オレは器用でお優しい男じゃねぇっすよ。全部……オレ自身が思っていることです」

「そう……ですか」

「そうです! 分かってくれました?」

「……はい。それなら尚更……ありがとうございました」


 星那さんは僅かに目を伏せ、それからゆっくりと小さく頷いた。


 さて……と。


 話も済んだし、そろそろお暇しますかね。


 軽く話をするだけの予定だったのに、こんなことになるなんて思わなかったぜ。


「ういっす。ほんじゃま、オレもそろそろ帰るとしますわ。星那さんも気を付けて――」

「お待ちください」

「どうしました?」

「…………。あの……」

「星那さん?」


 用件を尋ねるも、星那さんはすぐには答えない。

 まるで、引き留めたことを自分でも驚いているかのような……。


 いったいどうしたのだろう?


 話の続きを待っていると、星那さんはようやくこちらを見上げた。


「少し……お茶でもいかがですか」


 っと、そう来たか。

 予想外のお誘いだった。


「お茶?」

「はい。先ほど巻き込んでしまったお詫びや、フォローしていただいたお礼も兼ね――」


 しかし、最後まで言うことなく言葉はそこで止まってしまう。


 せっかく良い感じに場が収まったのに、また星那さんの様子が少しおかしい。


 暑さにでもやられたか?


 オレは眉をひそめて首をかしげる。


「……」

「……えっと、どうしました? 大丈夫すか?」

「……いえ、そうではありませんね」


 一拍置いて、彼女は深く息を吸い込む。

 

 そして――柔らかく笑った。





「私がただ――貴方様ともう少し話していたいと思ったのです。それでは……ダメでしょうか?」





 小さくも優しい微笑み。

 穏やかで柔らかい声。


 表情の変化はほんの僅か。


 それでも、それは紛れもなく彼女自身の『素の顔』だった。


 誰かの模倣ではなく、星那椿の笑顔だった。


 あぁクソ……それは不意打ちだっての……。


「……十分過ぎる理由っすね! 分かりました、オレも特にやることないですし……茶でもしばきますか!」

「しばく……?」

「そこは気にしないでください」


 漫画なんていつだって読める。


 今はただ、もう少しだけ楽しむとしよう。


 ――この人との時間を。


「では……行きましょうか、《《昴君》》」

「ういっす。……ってあれ? 呼び方……」

「不満ですか? いつの日か言っていたでしょう? 周りに変に思われるから、様付けはやめてくれ……と」


 そんなことを話した気もする。


 あの『デート』も……半年前の話か。


 懐かしさで自然に笑みをこぼしながら、オレは首を振った。


「……いや、全然。むしろ普段から、そっちのほうでお願いしたいところですよ」

「では本日はこのまま昴君……と」

「呼び方変わると、変な感じしますよね。なんかこう……『ドキィ!』ってなります。距離感が違うからか?」


 苗字で呼ぶのか、名前で呼ぶのか。

 それともあだ名で呼ぶのか。


 呼び方ひとつで、感じ方は大きく異なる。


 例えば、オレのことをずっと『青葉』と呼んでいた月ノ瀬が、初めて『昴』と呼んだ日……。


 心なしか、距離が縮まった気がしたんだ。


 多分アレは、気のせいではなかったのだろう。


「そうなのですか?」

「ええ、割と変わりますね」

「なるほど。それでは……試しに私のことを『星那さん』ではなく『椿』と呼んでくださいますか?」

「え」

「気になったもので」


 まさかの展開である。


「どうぞ。お呼びください」


 星那さんは姿勢を正し、オレから呼ばれるのを待っている。


 試しに名前で呼ぶだけなのに……なんだこの緊張感は。

 

 相手が年上というもの相まって、ちょっと難易度が高いぜ。


 でも……あくまでもお試しだ、お試し。


「……こほん」


 オレは咳払いをして、星那さんを正面から見据える。


 そして――


「椿さん」


 その名前を、呼んだ。


「……」

「……」


 無言。

 静寂。


 なんとも気まずい時間がオレたちの間を流れる。


「あの、なにか言ってくれません? 無言はこっちも恥ずかしくなるんですけど?」

「……なるほど」


 星那さんが視線を外して、小さく頷いた。


「ドキィ……ですか。これは……たしかに……変わりますね……」


 ぼそぼそとなにかを言っているが、よく聞こえない。


 変な空気になってきちゃったし、とりあえず適当に茶化して場を明るくしよう。うん。そうしよう。


 オレはにんまりと笑って、星那さんを指さした。


「あれ、もしかして名前で呼ばれて恥ずかしくなっちゃいました? あの星那さんが……! お可愛いですね~! うりうり~!」

「……ひょっとして口説いていますか? 申し訳ございません。大変魅力的な方なのは存じておりますが、二十歳に満たない方は少し……。せめてあと二年ほど経ってから出直してください。申し訳ございません」

「なんで? なんでオレ振られた? そういう流れだった? あとなんで申し訳ございません二回言った?」


 別にそういう流れじゃなかったよね?

 なのになんで振られた?

 この人に振られたの何度目?


「……ふぅ。これは――いけませんね」


 星那さんが胸に手を当ててなにかを呟いていた。


「はい? なんか言いました?」

「いいえ、なにも。行きましょうか。炎天下で話していたら倒れてしまいますから」

「そうっすね!」


 先に歩き出した背中を追うように、オレも一歩踏み出す。


 今日だけで、また少し星那さんのことが分かった気がする。


 これから先、彼女と関わって。同じ時間を過ごして。


 どれだけ彼女の内側を見られるのだろう。

 どれだけ彼女のことを知られるのだろう。


 そう思うと――なんだか楽しみな気持ちになった。


 × × ×


「――菫姉様」


 彼女は呟き、空を見上げる。


「今なら答えられる気がします。私にとって……『彼』がどういう存在なのかを」


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