最終話 第1話
心残りがあった。
それは、『彼女』の卒業を見届けられなかったこと。
それは、『彼女』にお礼を告げられていないこと。
この半年、幾度となく思い返した。
彼女たちがいなければ、オレは本当の意味で『自分』と向き合えなかった。
彼女たちがいなければ、オレは彼らの声を……『迷い』を振り切って突き進むことなんてできなかった。
だからオレは――ちゃんと伝えたい。
そうでなければ、胸を張って『ただいま』なんて言えないから。
行こう。
――これが、本当に最後だ。
× × ×
汐里高校の最寄り駅から電車で数駅。
そこから、さらに徒歩で歩いた先に――その『大学』はあった。
正門に掲げられた立派なエンブレムが、その歴史と格式を物語っている。
「おー……」
建物を見上げて、思わず声が漏れる。
すげぇな、これが『あの人』が通っている大学か。
品のある空気感が、なんというか……確かに彼女らしい。
さてさて……。
オレは目的のものを探すため、きょろきょろと周囲を見渡した。
目を凝らすと、正門から離れた場所にある駐車場に、一台の車が止まっていた。
見るからに高級感漂うその車は、まさにオレが探していたもので……。
多分、あの車は――
「……ん?」
ふと、正門から大人びた雰囲気の女子学生たちが三人歩いてきた。
その中の一人に――オレの目当ての人物はいた。
髪の長さは以前と違う。
だけど、あの立ち姿や表情……纏っている空気感。
間違いない。
オレは制服姿のまま、その三人に歩み寄る。
「それじゃあ、沙夜ちゃん。また明日ねー!」
「また明日ー!」
「ああ、気をつけて帰ってくれ。また明日だ」
――沙夜ちゃん。
呼ばれたその名を聞いた瞬間、オレの確信は決定的になった。
彼女は星那沙夜だ。
三人が別れ、彼女が車まで歩いて行くのを待ってから……オレは静かに距離を詰める。
同時に、車の運転席から一人の女性が姿を現した。
「沙夜様、本日もお疲れ様でした」
「ありがとう椿。このあとの予定は?」
「はい、このあとは――」
今だ。
「へいへーい、そこのお姉さんたち~。その車、オレも乗せてくれなーい? なんならそのまま一緒に遊ぼうぜ~!」
あえて軽いノリで――おちゃらけたナンパ風に。
驚かせすぎず、でも印象に残るように。
どうせこの後、どんな反応をされるかなんて分かってるんだ。
だったら、こういう馬鹿っぽいやり方が面白い。
「……すまない。そういった誘いはお断り――」
淡々と拒絶の言葉を口にしながら、彼女がオレの方へ顔を向けた――その瞬間。
オレと、ばっちり目が合う。
そしてそのまま……彼女はぴたりと動きを止めた。
固まったまま、言葉を失ったように動かなくなる。
オレはニッと笑い、気さくに手を振り上げた。
「よっ、会長さ――じゃなかった。沙夜さん、お久しぶりっす。髪、切ったんすね」
彼女の代名詞だった『床まで伸ばした長い髪』は、現在は腰くらいまで短くなっていた。
それだけで、彼女が過去を乗り越えたのだと分かる。
変化を受け入れ、前を向いて進んでいる――その証だった。
髪を切った。ただそれだけのことなのに、オレは嬉しかった。
「…………」
「あれ? 大丈夫ですか?」
「なぜ……」
ようやく口を開いた沙夜さんが、ぽつりとこぼす。
「なぜキミがここに……。私はなにも聞いてないぞ……?」
「そりゃあ、言ってなかったですからね。どうも、サプライズ昴くんです」
驚きのあまり、いつもの冷静さを欠いた沙夜さんの表情。
――珍しい。
この人のこんな顔、初めて見るかもしれない。
でも、オレ自身も驚いているんだ。
こうして、また彼女たちの前に立っているなんて。
「星那さんも、お久しぶりです。相変わらずスーツ姿がバッチリ決まってますね」
沙夜さんの隣に立っている、もう一人の女性――星那椿さんに話しかける。
星那さんはこくりと頷いて、こちらに向かって会釈をした。
「お久しぶりでございます。昴様は……少し雰囲気が変わられましたね」
「それ、ほかの連中にも言われましたよ。イケメン度が増しましたか?」
「ええ。今日も素敵な二の腕ですね」
「なんの話??? 素敵な二の腕ってなに???」
どうやらコミカルな一面も健在のようだ。
素敵な二の腕って……。
そんなこと人生で初めて言われたんですけど?
この人のこういう冗談を聞くのも、本当に久しぶりだ。
「――ま、待て椿……!」
オレたちのやり取りを見かねたように、沙夜さんが割って入ってきた。
その声音には、焦りと……ほんの少しの動揺が混じっていた。
「どうされましたか、沙夜様」
一方の星那さんは、涼しい顔で沙夜さんを見やる。
「キ、キミはどうしてそんなに冷静なのだ? 彼が……昴がここにいるのだぞ?」
「そうですね。驚いて当然かと思いますが……私は、あらかじめ知っておりましたので」
「なに……?」
「昴様が今日、この場所を訪れることを。私たちの前に、姿を現すことを。私は知っていたのです」
その一言で、沙夜さんの表情が明らかに揺れた。
まぁ無理もない。
オレが『戻る』ことは、基本的に誰にも言っていなかったから。
――ただ一人。
星那さんだけを除いて。
「とは言っても……昨日、唐突にご連絡をいただいただけですが。沙夜様に悟られぬよう、少々工夫いたしました」
「そういうことっす。だから今日、オレはここに来られたってわけで。大学のことも、星那さんに教えてもらってたんですよ」
オレが星那さんに送った、半年ぶりの連絡。
たった一通の、突然のメッセージ。
『突然の連絡ですみません。明日、学校が終わったら沙夜さんが通っている大学に行きます。またそこで会いましょう』――と。
それだけ。
それでも星那さんは、無視をすることなく快く受け入れてくれた。
「ま、待て……さすがの私も理解が追いつかないぞ」
混乱を極める沙夜さんが、思考を整理するように眉間を押さえる。
「そもそも、昴の母君……花さんの件はどうなったのだ? 彼女はまだ支社にいるはずでは――」
「いいえ。花様は十分な成果を挙げられましたので、明後日には本社に出勤してくるかと。現在は一足先にこちらへ帰還され、休暇中でございます」
めちゃめちゃ寝てると思う。
絶対寝まくってると思う。
「なんだと……? そんな話、私は聞いてないぞ?」
「申し訳ございませんが……秘密にさせていただきました。そのほうが『サプライズ』になるでしょう?」
淡々としたサプライズ宣言に、オレは思わず笑ってしまった。
星那さんはいつだって、仕込みも段取りも完璧すぎる。
実を言えば……母さんが本社に戻れるように、いろいろと動いてくれたのも星那さんなのだ。
「母さんが本社に戻れるように、星那さんが社長さんにいろいろ根回ししてくれたって聞きました。本人、めっちゃ感謝してましたよ」
「私はただ、花様の実績を正確にお伝えしたまでです。すべて……彼女の努力の結果です」
もちろん、母さん自身の力が一番大きいだろう。
しかし、その母さんの実績を細かい部分まで拾って、本社側からサポートしてくれたのは……ほかでもない、星那さんだと聞いた。
だからこそ、そういった意味も込めて『お礼』を直接言いたかったんだ。
「フ、フフッ……」
沙夜さんが肩を震わせて笑い出した。
「なるほど。どうやら私は……見事にキミたちに出し抜かれたようだな」
「いえ、昴様からの連絡は私も予想外でしたよ。さすがに……驚いてしまいました。気持ちは沙夜様と同じです」
「マジでいきなり連絡しましたからね。迷惑をかけてすみません」
「お気になさらず。久しぶりに昴様の顔が見られて、私は嬉しく思っていますよ」
真っ直ぐで、優しい言葉。
以前のオレなら、こんな言葉をまともに受け取れなかったかもしれない。
「……やれやれ。まさか最後の最後で、キミに一本取られるとはな」
「はっはっは! いつまでもやられっぱなしじゃいられませんから! 沙夜さんのあんな驚いた顔、初めて見ましたよ」
「まったく、私もダメだな。出し抜かれたというのに……秘密にされていたというのに……。それ以上に、キミの顔を見て……キミの声を聞いて……また会えたことに、嬉しさを感じてしまっている」
沙夜さんは俯いて、両手で顔を覆う。
しかし、その震えた声からは……すべてが伝わってくる。
嬉しさも、戸惑いも、全部。
やっと、この人から一本取れた。
ずっと先を読まれて、見抜かれてばかりだったけど……今回はオレの勝ちだ。
「あぁ……ダメだダメだ。こんな顔、キミには見せられない。こんなだらしない顔……見せるわけにはいかない」
「え~見せてくださいよ~。沙夜ちゃんの貴重なお顔を見たいな~つって!」
「ご安心ください。こっそり写真に収めておきましたから、後ほどお見せします」
「おぉ! ナイス星那さん!」
「椿……!?」
「もちろん冗談です」
ちっ……! 冗談かよ……!
顔を隠してるんだから、写真なんて撮れるわけないんだけど。
「……こほん」
やがて、咳払いを一つ。
沙夜さんが手を下ろし、整えた表情でこちらを見据えた。
その頬がほんのり赤く染まっているのは……気のせいではないのだろう。
「それで……昴」
「うい」
「どうして、わざわざここに来たんだ? 顔を見せに来ただけではないのだろう?」
「はい、それはもちろん」
ここまでは前置きに過ぎない。
本題は……これからだ。
オレは表情を引き締めて、二人の前に立ち直る。
ちょっとだけ……おふざけ無しだ。
「今日ここに来たのは、お二人に伝えたいことがあったからです」
「伝えたいこと?」
「沙夜様だけではなく、私にも……でしょうか?」
「はい。お二人に、です」
「……分かった。キミの話を聞こう」
「私もお聞きします」
一度深く息を吸い、静かに吐き出した。
オレは一歩進み……ぴたりと立ち止まる。
そして、二人に向かって――頭を下げた。
「ありがとうございました」
静寂が、空気を染めた。
「お二人が秘密を最後まで守ってくれたから、オレは迷わず進むことができました。あなたたちのことだから、きっと司たちのことも……気にかけてくれていたんだと思います」
オレのいなかった半年間。
沙夜さんは、きっと司たちを見守ってくれていた。
星那さんも、さりげなく支えてくれていた。
それが分かっていたからこそ、オレはなにも不安を抱かずに一歩を踏み出せた
「だからオレは、前だけを見て歩けました。新しい道を……まっさらな自分で歩き続けることができました。そして今日、またこの場所に戻ってこられた」
オレの言葉に二人は一言も口を挟まず、じっと耳を傾けてくれていた。
「大切な親友や、友達に……本当の意味で出会うことができました。もちろん、あなたたちとも。だからこそ――改めて伝えたいんです。本当に、ありがとうございました」
「昴……」
「昴様……」
噛みしめるように呼ばれた名前。
お礼を伝えることはできた。
でも、話はまだ終わりじゃない。
オレは頭を上げて、まずは沙夜さんへと視線を向けた。
「沙夜さん」
「なんだ?」
「今更こんなことを言われても、嬉しくないかもしれないっすけど――」
ずっと心に残っていた言葉。
今……ようやく。
「『卒業』――おめでとうございます。あなたの後輩でいられて、オレは幸せでした」
「……ああ、ありがとう昴。そう言ってもらえるだけで嬉しいよ。私こそ、キミの先輩でいられて幸せだった」
沙夜さんがふわりと微笑む。
彼女は、どんな顔で卒業の日を迎えたのだろう。
司たちは、どんな想いで彼女を見送ったのだろう。
願わくばオレもそこに――なんて、何度も思った。
せめて、言葉だけでも。
せめて、思いだけでも。
おめでとう――と伝えたかった。
「星那さん」
「はい」
次に星那さんへと目を向ける。
「また、いろいろ教えてください。あなたと話している時間、オレ……結構好きだったんで」
「……ええ、こちらこそ。私でよければ……いつでもお付き合いします。私も、貴方様と過ごす時間に――幸せを感じていましたから」
照れくさくなるような言葉を、星那さんらしい落ち着いた口調で返してくれる。
この人とは、不思議と考え方が似ていた。
だからこそ、理解できたし……分かり合えることも多かった。
だから、放っておけなくて。
だから、気になって……。
星那椿という人間も、オレにとって確かに『特別な存在』だった。
「あと……汐里祭のときに話した『お誘い』の件、まだ有効ですか? アレ、前向きに考えたいなって思ってて」
「……もちろんです。沙夜様とも、その件についてはお話していますから」
「うむ。キミと共に働ける未来が来るなら……私は嬉しい限りだよ」
「ありがとうございます。オレが伝えたいことは……そんな感じです。勢い余って転向初日に来ちまいましたよ」
星那沙夜に対するお礼。
星那椿に対するお礼。
やっと伝えることができた。
ようやく――心残りが消えた気がする。
ずっと真面目モードで話してたから、ちょっと疲れたぜ。
そろそろ気を抜いていいよな?
「昴、キミは『自分』を受け入れられたのだな」
「はい。どうしようもなくて、ろくでもない最低男っすけど……これが『オレ』ですからね。少しずつ、好きになっていこうと思います。あんたが求めてくれた『青葉昴』をね」
……あ、うっかりあんたって呼んじまった。
まぁいいか。これでこそオレ、だからな。
「フフ、そうか。――また『キミ』と会えて本当に嬉しいよ」
沙夜さんの瞳が優しく細められ、言葉にあたたかな重みが宿る。
先ほども似たような言葉を言われたはずなのに……。
今の沙夜さんの声は、まるで別物だった。
きっと、本当の『オレ』に向けてくれた言葉なのだろう。
「……ふふ」
小さく漏れた笑い声は……星那さんのものだった。
手を口元に添えて、ゆるく綻ばせるような笑み。
それは――間違いなく『笑顔』だった。
でも……それ以上にオレの目を引いたのは。
その目尻に、わずかに光る――『涙』だった。
「星那さん……そんなふうに笑えるようになったんですね。それに……涙も」
「ええ。どうやら私も……変わり続けているようです。貴方様と同じく」
星那さんは微笑みながら、そっと目元を拭う。
笑い方も知らない。
泣き方も知らない。
『己』という存在をなにも知らなかった人が――
今はこんなにも美しく……穏やかに笑えている。
「なるほど。そりゃこの先が楽しみっすね」
「そうですね。お互いに……これからも進んでいきましょう。自分の道を、大切な人たちと共に」
「ですね。そのうち、渾身のギャグで大爆笑させてやりますよ。あの星那さんの爆笑姿は超レアですからね!」
「ふふ……期待してお待ちしています」
オレと星那さんのやり取りに、沙夜さんがふっと笑った。
星那さんの変化を誰よりも喜んでいるのは、沙夜さんだろう。
互いを思いやる二人なら、きっとこの先も変わっていけるはずだ。
――さて、と。
まだまだ話したいことはあるけど……そろそろ切り上げないとな。
「そうだお二人とも。このあとって時間あります?」
オレの問いかけに、沙夜さんがちらりと星那さんへ視線を送る。
「椿、予定は?」
「特に急ぎの予定はございません」
「だ、そうだ。それがどうしたのだ?」
首をかしげる沙夜さんに、オレは自信満々に胸を張った。
「どこぞの優しい連中が、オレの歓迎会をやってくれるみたいなんですよ。だからお二人もどうですか? オレを祝ってくださいよ! いや、むしろ祝え!」
「フフ、ならば断る理由はないな。私も同席させてもらおう」
「私も……よろしいのですか?」
「もちろんっすよ。オレが来てほしいって言ってるんです。気にしないでドヤ顔で参加しちゃってください!」
「ドヤ顔……なるほど、今のうちに練習しておきます。どやぁ……どやぁ……難しいですね……」
どやどや呟いている星那さんが面白過ぎる。
「場所は決まっているのか?」
「あーどうなんですかね。今頃『汐里のパーティー番長』こと、蓮見がいろいろ考えてると思うんですけど」
「ほう、言い出したのはやはり晴香か。さすがだな」
「そうなんすよねぇ。相変わらずで安心しましたよ」
汐里高校を出てから、結構時間が経っている。
そろそろ生徒会の仕事が終わってもおかしくない。
話に区切りをつけて、一旦高校に戻らなければ……。
オレはスマホを取り出して、時間を確認する。
――と、そのときだった。
「おーい、青葉くーん!」
聞き覚えのある元気な声が、オレたちの耳に届いた。
「お、噂をすれば……ってところか?」
振り返った視線の先には――
蓮見、司、月ノ瀬。
日向、志乃ちゃん、渚。
一同勢ぞろいで、こちらへ向かって歩いてきていた。
「星那先輩、星那さん! こんにちはです!」
「ああ、こんにちは晴香」
「こんにちは、晴香様」
「どうしたんだよお前ら、揃いも揃って」
まさか全員でここに来るなんて……。
「生徒会の仕事が終わったから、昴たちを迎えに来たのよ。アンタの行き先は留衣から聞いてたからね」
オレの質問に月ノ瀬が答える。
マジか、仕事が早すぎるだろ。
さすがはあの星那沙夜から生徒会長を継いだ女だぜ……。
学校で待っているのではなく、自ら迎えに来るあたりも……なんだか彼女たちらしい。
「そーですよ先輩! 迎えに来てあげたんですよ! あたしに感謝してくださいね!」
「はいはい、ありがとうございます日向さーん」
「めっちゃ適当だ!?」
「そんなことないですよ日向さーん」
「その日向さーんっていうのやめてくれます!?」
うんうん、放課後になっても元気だねぇ日向ちゃんは。
わーきゃー騒ぐ日向を適当にあしらっていると、司が一歩前に出てきた。
「せっかくだし、星那先輩たちも誘おうって話になってさ。でも、その様子だと……すでにお前から誘った感じか?」
「おうよ。この昴様の歓迎会だからな! 人は多いほうがいいだろ?」
「だから、なんであんたが偉そうなの」
「ふふ、昴さんらしいですね」
渚が呆れ、志乃ちゃんが楽しそうに笑う。
……この空気感。
本当に久しぶりだな。
「フフ、相変わらず元気な後輩たちだ。このメンバーが揃うと……去年の夏休みを思い出すよ」
沙夜さんの言葉に、オレたちは自然と顔を見合わせていた。
オレが感じた『久しぶり』の正体は、まさにそれだ。
――去年の夏休み。
沙夜さんの別荘の行って、いろいろなことをした。
掃除をして、勉強をして、バーベキューをして、花火をして……。
朝陽兄妹や渚の想い、それに蓮見の優しさに触れた。
去年の出来事なのに、未だに昨日のことのように思い出せる。
それくらい、あの夏の二日間は――オレの心に強く刻まれている。
「夏休み、かぁ」
蓮見がぽつりとつぶやく。
その声には、思い出の余韻が滲んでいた。
「それならさ――」
気がつけば、言葉が口をついて出ていた。
考えるより早く、オレの心が喋っていた。
「また、今年の夏休みもどっか行こうぜ。このメンバーで」
その提案に、みんながぽかんとしてオレを見た
「お前……ホントに昴か?」
「おいコラどういう意味だ」
「で、でも……青葉くんからそう言ってくれるなんて……ちょっと意外だったかな……」
「ちょっとっていうか、普通に意外でしょう。今までのアンタだったら、絶対言わなかったわよね」
「あたしもそう思います! はっ! これが成長ってやつですか……!?」
「うん、普通に意外。あの青葉だし」
「昴さん……えっと……その……フォ、フォローできない……」
ぐさぐさぐさ。
容赦ない言葉たちがオレを次々に襲う。
でも……悲しいかな。
なにも言い返せねぇ……!
「揃いも揃って失礼なヤツらだ! 昴くん怒っちゃうんだからね!」
いや、まぁ。
言われても仕方ねぇけどさ。
「でも――うん、そうだね!」
蓮見が笑顔で頷いて、パンと手を叩いた。
「また、みんなで一緒に行こ! もちろん都合が良ければだけど!」
その提案に、誰もが迷いなく頷いた。
気持ちは、みんな同じだった。
もしも、またあの時間を共有できるなら――
オレは彼らの友人として、対等な立場で楽しもう。
アイツらと一緒に、笑おう。
「それじゃあ、青葉くんの歓迎会なんだけど――」
「あ、ごめん蓮見さん。ちょっとだけ待ってくれる?」
「えっ、どうしたの朝陽くん?」
司が唐突に話を遮ると、周囲をぐるりと見渡した。
「みんな、ちょっとだけ集まってくれないかな? 星那先輩たちも」
「む……? 私たちもか……?」
「おいおい司くん、なんだよ改まって――」
「昴、お前はちょっと来ないでくれ。そこで待ってろ」
「泣いた。急にハブられて泣いた」
オレ以外の全員が、司の周りに集まってこそこそ内緒話を始めた。
オレは絶賛ハブられ中のため、寂しくその光景を眺めるしかない。
ぐすんぐすん。みんな酷いや……!
「うんうん……いいね……!」
「ふふ、アンタも面白いことを言うわね」
「兄さん、それ私も賛成」
断片的に聞こえる声から察するに……。
どうやら、司が何か言い出したっぽい……?
――すると、八人全員が揃ってこちらを向いた。
「おぉう……!?」
反射的にオレは一歩退いた。
急に内緒話をしたと思ったら、今度は急にこっちを向いて……なんなんだ?
「昴」
司が名前を呼ぶ。
「な、なんだよ……」
しかし、返事はない。
「青葉くん!」
次いで蓮見が。
「昴」
月ノ瀬。
「昴先輩!」
日向。
「昴さん」
志乃ちゃん。
「青葉」
渚。
「昴」
沙夜さん。
「昴様」
最後に星那さん。
そして、彼らの口から重なるように紡がれたのは――
「「「「「「「「おかえりなさい」」」」」」」」
その瞬間――
時間が巻き戻ったかのように、胸の奥がざわめいた。
これまでの記憶が鮮やかによみがえってくる。
――小学生のとき、オレは司と出会った。
あいつは最初からずっと眩しくて……オレを救ってくれた。
こんなオレの『親友』になってくれた。
――中学では、志乃ちゃんと日向に出会った。
二人はオレにとって大切な妹分と……手のかかる可愛い後輩だった。
――高校では、渚や蓮見、月ノ瀬たちと出会った。
頼りがいがあって、呆れるほど優しくて……どこまでもあたたかい仲間たちだった。
――そして、沙夜さんと再会して……星那さんと出会った。
オレよりもずっと大人で、思考も感情も……いつも先を行っていた。
そんな彼女たちの生き様に、オレは憧れと尊敬を抱いていた。
あの頃の『俺』では向き合えなかった人たちと、今――こうして笑い合っている。
たくさんの言葉を交わして、たくさんの時間を過ごして。
いつの間にか、オレの中には『思い出』という名の灯りが、ひとつ、またひとつと灯っていた。
たとえ、それらすべてが『朝陽司』という親友のために残してきたものだとしても。
今では、全部オレの中にしっかりと残っている。
消えたり、薄れたりなんて……していない。
あぁ、そっか。
オレは……本当に大切に思っていたんだな。
彼らのことを。
彼女らのことを。
ここまでの『物語』で過ごしてきた、すべての時間を。
笑って、泣いて、ぶつかって、許して、寄り添って。
そのすべてが、今日この場所に辿り着くための――
ひとつも欠けてはいけなかった、大事なピースだったんだ。
「あぁ……」
胸の奥からこみ上げてきたものを、どうすることもできなくて。
それでもオレは、精一杯の笑顔を浮かべる。
「――ただいま、みんな」
これでようやく――帰ってこられた。
「よーし! じゃあ改めて、青葉くんの歓迎会会場に行くよ~! 私に付いてきて!」
「場所は私たちも聞かされていないのよね。どこになるのか楽しみだわ」
「フフ、晴香のセンスなら問題はないだろう」
「さすが晴香先輩! 一生ついていきます! ほらほら、司先輩も行きますよ!」
「ああ、そうだな。昴は……大丈夫そうだな。もう――あいつは一人じゃないんだ」
司がオレをちらりと見やって、静かに歩き出す。
その横顔は、優しく、どこまでも温かかった。
オレも、行こう。
騒がしくて、賑やかで、眩しくて。
今なら、その『舞台』にオレも堂々と立てる気がするから。
「青葉」
「昴さん」
「昴様」
渚、志乃ちゃん、星那さん。
気が付けば、三人がオレのそばに立っていた。
「行くよ」
「行こう?」
「行きましょう」
差し出された手に、オレは迷わず頷いた。
『俺』の物語は、一度幕を閉じた。
朝陽司という男の行く末を見届けて、静かに終幕を迎えることができた。
そしてこれから――
新たに幕を開けるのは『オレ』の物語だ。
「よっしゃ、行きますかぁ!」
そう叫んで、一歩を踏み出す。
明日はどんな日になるのだろう。
明日の太陽は、どんなふうにオレたちを照らしてくれるのだろう。
こんなにワクワクした気持ちは、初めてだった。
これから先、なにが待っているのかなんて分からない。
きっとまた躓いたり、悩んだりすることもあるはずだ。
それでも――きっと。
彼らがいる限り、オレは何度でも立ち上がれる。
これからも朝陽司の『親友』として。
アイツらの『友達』として。
オレにできることを全力でやるだけだ。
全力で向き合い続けるだけだ。
最高の『友人』として。
最高の『主人公』として。
結局、なんだかんだで親友だの友達だの……ってポジションは嫌いじゃないからな。
この一歩は、未来を描く『最初の一歩』だ。
新しいページを捲る大切な一歩だ。
謂わば、そう。
新しい物語における――『第1話』。
オレにとっての『第1話』。
そして、そのタイトルはやっぱり――
ラブコメの親友ポジも楽じゃない!
かな。
× × ×
『ねぇ隼くん。この子の名前……もう決めたりするの?』
『ああ。男の子でも女の子でも、これがいいなって名前は決めてるよ』
『おぉっ! なになに!? 愛しの花ちゃんが審査してあげよう! 言ってみなさい!』
『この子には、花みたいに明るく元気で過ごしてほしい。みんなを惹きつける……光になってほしい』
『ふむふむ。もちろん、隼くんみたいな聡明さもね!』
『どんな子で生まれてきたとしても……僕と花にとって、大切な宝物であることには変わりないよ』
『ふふ、そうだね。それで……隼くんが考えた名前って?』
『昴――だよ』
『昴?』
『たとえ不器用でも、光になれなくても……。時にはみんなを支えて、時にはみんなを守れる影にもなれる。そして、いずれはみんなの中心で、大きな輝きを放てるように……。群星のように、多くの人たちと繋がってひとつの光を形にできる子に――育ってほしいんだ』
『おぉぉ……! 昴、昴……うんっ、すっごくいいと思う! 私気に入っちゃった! よっし……決めた! 今日からあなたの名前は昴だよ! 息子くんでも、娘ちゃんでも……いつでも待ってるからね!』
『そう言ってくれて良かったよ。楽しみだね、昴に会える日が』
『うんうん! もう楽しみ過ぎて夜しか眠れないっ! ……なんつって!』
『花のそういうところまで遺伝しないか心配だよ……』
『隼くんさん!?』
『冗談だ。それじゃあ……元気に生まれてくるんだよ。父さんと母さんは……ここで待ってるからな――』
『私と隼くんと……あなたで、これからいっぱい思い出を作ろうね――!』
『『昴』』
-完-
「ラブコメの親友ポジも楽じゃない!」
これにて完結でございます!
大分長く連載してきましたが、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。
途中投稿しない期間できてしまい、大変申し訳なく思っております…。
しかし、みなさまから感想をいただいたり反応をいただいたおかげで、こうして最後まで投稿ができました。
改めまして、本当にありがとうございました。
カクヨム版では最終話に向けたカウントダウンイラストなど各種イラストや、限定エピソードを投稿しております。
気になった方は、ぜひお越しいただければ幸いです!
それでは、またいつか会える日を願って。
緑里